さて富裕者の勾玉は増えに増え、しだいに保管場所に困るようになってきました。また不用意に置いておくと誰かにこっそり盗まれるかも知れません。そこで村一番の富裕者である金幸彦は勾玉を保管しておくための頑強で巨大なお蔵を建てました。これで当分は安心です。
村の他の富裕者たちも同じように勾玉の置き場に困っていましたが、金幸彦のお蔵の話を聞き、勾玉を預かってくれるように金幸彦に頼みました。金幸彦は預かり料として、いくらかの勾玉を拝借することを条件に預かることを引き受け、四角い小さな絹の布きれに印を押して預り証として渡しました。
金幸彦の預り証は勾玉がそうであったのと同じように、わざわざ金幸彦のお蔵から勾玉を引き出して使わずとも、預り証がそのまま取引に使われるようになりました。そしていつしか村人は預り証を金布と呼ぶようになりました。
さて村には多くの貧者がいました。また新しい性能の良い道具をたくさん手に入れて、今の生産量をさらに増やしたいと考えている人たちもいました。金幸彦はそんな人たちを眺めながら、ふと名案が浮かびました。彼らに必要な勾玉を貸してやって、彼らが用を成した後に、貸した勾玉の量よりもいくらか多くの勾玉を返させれば、自分の勾玉がまた増えるじゃないかと。もし借りた人が返せなければ?なに、家でも没収すればいいだろう。
これが現代で言うところの銀行の原型です。返してもらう“いくらか多くの勾玉”が利子になりますが、利子は何も生産してないものに対する勾玉、つまり無から生まれた勾玉ということになります。村長の発行する勾玉の量は村の総生産に1:1に対応していますが、この利子をどう扱うかはちょっと難しいところです。しかし村には、富裕者たちにマッサージを施したり、運勢を占ってあげたり、体格のいい男が生産者では運べない重い商品を担いで運んだり、実は村長も預り料をくすねていたりして、何も生産していないのに勾玉を手に入れている人たちが、すでにたくさんいました。つまりサービス業です。同様に銀行金利も、金幸彦が金貸しを思いついた時点に限れば、サービス業として認めていいのではないでしょうか。
さて金幸彦は、貧者や新しい事業を考えている村人たちに、自分の勾玉を担保にして金布(勾玉の預り証)を貸し出しました。この計画は大成功し、金幸彦は儲けに儲けいまや村では突出した大富豪になりました。もはや貯めた財産を使い切ることもできません。しかし金幸彦は考えます。もっと儲けたい。
すでに金幸彦はあることに気付いていました。富裕者たちから預かっているお蔵の勾玉はほとんど動かないのです。村では預り証である金布での取引が主体になっていましたからそれもそのはずです。ならば、と金幸彦は考えたわけです。預かっている勾玉の、確実に変動しない分を担保に金布を貸し出してもいいんじゃないか?
この作戦も大当たりでした。もう金幸彦は財産の中に埋もれています。しかし金幸彦は考えます。もっと儲けたい。(お蔵の中のことを知っているのは俺だけなんだ)
栄えていく村の様子に反して、海幸彦の心はすさんでいました。昔はこんなに泣いている人たちがたくさんいただろうか?海幸彦は子供の頃の多くの笑顔を思い出しました。するとなんだか自分も泣けてきました。いま、村には何でもある。子供の頃には見ることもなかった贅沢なものもたくさんある。自分も家を新築したし、服も何着もあるし、馬だって2頭いる。だのになぜ、こんなに多くの人たちが泣いているのだろう?その理由はわかりませんでした。
いつまでたっても海幸彦の気持ちは晴れませんでしたが、あるとき旅に出ようと思い立ちました。そして一頭の馬と共に海幸彦が旅立って、どれくらいの年月が流れたでしょうか。戻ってきたはずのこの故郷の地にはもはや故郷はありませんでした。そこに人は誰もおらず、海幸彦の足下の荒れ地がただ延々と拡がっているのみでした。
関連記事:ある、お金の寓話① 2010-07-10
村の他の富裕者たちも同じように勾玉の置き場に困っていましたが、金幸彦のお蔵の話を聞き、勾玉を預かってくれるように金幸彦に頼みました。金幸彦は預かり料として、いくらかの勾玉を拝借することを条件に預かることを引き受け、四角い小さな絹の布きれに印を押して預り証として渡しました。
金幸彦の預り証は勾玉がそうであったのと同じように、わざわざ金幸彦のお蔵から勾玉を引き出して使わずとも、預り証がそのまま取引に使われるようになりました。そしていつしか村人は預り証を金布と呼ぶようになりました。
さて村には多くの貧者がいました。また新しい性能の良い道具をたくさん手に入れて、今の生産量をさらに増やしたいと考えている人たちもいました。金幸彦はそんな人たちを眺めながら、ふと名案が浮かびました。彼らに必要な勾玉を貸してやって、彼らが用を成した後に、貸した勾玉の量よりもいくらか多くの勾玉を返させれば、自分の勾玉がまた増えるじゃないかと。もし借りた人が返せなければ?なに、家でも没収すればいいだろう。
これが現代で言うところの銀行の原型です。返してもらう“いくらか多くの勾玉”が利子になりますが、利子は何も生産してないものに対する勾玉、つまり無から生まれた勾玉ということになります。村長の発行する勾玉の量は村の総生産に1:1に対応していますが、この利子をどう扱うかはちょっと難しいところです。しかし村には、富裕者たちにマッサージを施したり、運勢を占ってあげたり、体格のいい男が生産者では運べない重い商品を担いで運んだり、実は村長も預り料をくすねていたりして、何も生産していないのに勾玉を手に入れている人たちが、すでにたくさんいました。つまりサービス業です。同様に銀行金利も、金幸彦が金貸しを思いついた時点に限れば、サービス業として認めていいのではないでしょうか。
さて金幸彦は、貧者や新しい事業を考えている村人たちに、自分の勾玉を担保にして金布(勾玉の預り証)を貸し出しました。この計画は大成功し、金幸彦は儲けに儲けいまや村では突出した大富豪になりました。もはや貯めた財産を使い切ることもできません。しかし金幸彦は考えます。もっと儲けたい。
すでに金幸彦はあることに気付いていました。富裕者たちから預かっているお蔵の勾玉はほとんど動かないのです。村では預り証である金布での取引が主体になっていましたからそれもそのはずです。ならば、と金幸彦は考えたわけです。預かっている勾玉の、確実に変動しない分を担保に金布を貸し出してもいいんじゃないか?
この作戦も大当たりでした。もう金幸彦は財産の中に埋もれています。しかし金幸彦は考えます。もっと儲けたい。(お蔵の中のことを知っているのは俺だけなんだ)
栄えていく村の様子に反して、海幸彦の心はすさんでいました。昔はこんなに泣いている人たちがたくさんいただろうか?海幸彦は子供の頃の多くの笑顔を思い出しました。するとなんだか自分も泣けてきました。いま、村には何でもある。子供の頃には見ることもなかった贅沢なものもたくさんある。自分も家を新築したし、服も何着もあるし、馬だって2頭いる。だのになぜ、こんなに多くの人たちが泣いているのだろう?その理由はわかりませんでした。
いつまでたっても海幸彦の気持ちは晴れませんでしたが、あるとき旅に出ようと思い立ちました。そして一頭の馬と共に海幸彦が旅立って、どれくらいの年月が流れたでしょうか。戻ってきたはずのこの故郷の地にはもはや故郷はありませんでした。そこに人は誰もおらず、海幸彦の足下の荒れ地がただ延々と拡がっているのみでした。
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