海幸彦が海で釣り上げた魚、海に潜って採ったサザエ、浜辺で集めたハマグリ、これらを海幸彦が生産した商品としましょう。同様に、山幸彦が山でしとめたキジ、松林で集めたキノコ、竹林で掘り出したタケノコ、これらも山幸彦が生産した商品です。このようにして、ニワトリを育てて卵を産ませる人や、麻を織って生地を作る人、狩猟のための道具を作る人など、様々な商品を生産する人たちがいました。
さて、商品の取引は物々交換から始まります。しかしさすがに物々交換は不便なので、皆で話し合い、同じ色と形の勾玉を商品の「価値」に代わるものとして決めました。海幸彦が釣った魚は勾玉10個、山幸彦のキジは勾玉15個、タケノコは勾玉5個、卵は勾玉2個、という具合です。
みんなが生産した商品はいったん村長のお蔵に集められ、村長は持ち込まれた商品の価値に相当する数の勾玉を持ち込んだ人に渡します。これで欲しい品物を手に入れることがずいぶん楽になりました。今夜の食事はタケノコの煮付けにしようと思った海幸彦は、勾玉を5個持って村長を訪れ、勾玉とタケノコを交換すればいいのです。
ある日、山幸彦はいつものように山に猟に出かけました。その日は大猟で二日分の商品を生産しました。そして、それを村長のお蔵に納品して勾玉と交換しました。二日分の収穫があったので、山幸彦は次の日は休みにして、凧揚げやコマ回しをして一日遊びました。同じ日、海幸彦の方は不漁で、魚も貝もまったく採れませんでした。でもお腹は空いています。財布を調べると、まだ幾らかの勾玉があったので、村長を訪ねて17個の勾玉を支払って、キジと卵を持ち帰りました。今夜はキジ鍋のご馳走です。
勾玉を使うことにすっかり慣れた村人達は、欲しいものを求めて必ずしも村長の蔵に行かずとも、村人同士で商品と勾玉を直接交換することも盛んに行われるようにもなりました。
先に山幸彦の大猟と海幸彦の不漁のお話しをしましたが、多くの種類の商品の中には、一日当たりの生産量がほぼ均一なものと、日々変動するものがあります。海幸彦と山幸彦の商品は自然を相手にして生産しますから、とりわけ生産量が変動しやすいものになります。これに対して、原料を蓄えておくことのできる、麻生地の生産や狩猟用道具の生産などの製造業は、生産量が比較的均一になります。
(価値と価格)
ある日、山幸彦の猟は不調でマツタケ3本だけでした。とりあえず村長の所で、7個×3の勾玉に交換しようかと小道を歩いていると、通りかかった村人が山幸彦の商品を目ざとく見つけ、「兄ちゃん、いいマツタケ持ってるねえ、勾玉と交換してくんない?」と言ってきました。山幸彦は村長を訪れる手間も省けるし、特に異存も無かったので、「ああ、いいっすよお」と応えかけたまさにその時、もう一人の村人が通りかかり、「あっ!それ俺もほしい」と割って入ったのです。
さてもめ事になりました。山幸彦は別にどちらの村人と交換してもいいのですが、村人は互いに引きません。とうとう一方の村人が、マツタケを取決めの2倍の数の勾玉と交換するから俺にくれと言い始めました。それを聞いて、山幸彦ももう一方の村人も驚きましたが、事態を理解したもう一方は引き下がらず、ならば俺は3倍の勾玉と交換すると言って対抗してきました。協議の末、結局、山幸彦は3本のマツタケを7×3×3=63個の勾玉と交換しました。山幸彦は何が起こったのかまだ十分に理解していませんでしたが、21個の勾玉と交換されるはずだったマツタケが63個の勾玉となって手に入り、何やらとても嬉しい気分になりました。
その夜、山幸彦はいろいろと考えていました。マツタケの価値は勾玉7個で、これは不変です。しかし実際にはマツタケ1本当たり21個の勾玉と交換されたのです。山幸彦は「そうか!」とハタと気づきました。商品の価値と取引価格は別物なのだ。そう。つまり商品の価格は商品の価値が要因になりますが、価格そのものは市場が決めるのです。
分かりやすい例として郵便切手があります。1948年発行の有名な記念切手「見返り美人」は、郵便用としては5円の価値ですが、切手商に持ち込むと5000円以上で買ってくれます。
さて、ここで商品の価値についてもう一度検討してみましょう。マルクス経済学によると、商品の価値とは、その商品の生産に費やす「時間」です。とするなら、海幸彦が7時間かけて釣り上げた魚が1匹だけだった場合と、10匹だった場合、1匹の魚にも10匹の魚にも同一の時間を費やしていますから、1匹の価値と10匹分の価値は同じということになります。価値は価格に反映しますから、例えば、豊作の年の農作物の価格は安く、不作の年の価格は高いということですね。また工業製品なども大量生産により、価格はどんどん安くなっていきます。
(経済成長)
話を戻しましょう。勾玉を使い始めてから色々な品物が簡単に交換できるようになり、海幸彦は前よりも強靭な釣竿や釣針、かねがね欲しかった道具などを手に入れました。ほかの村人達も同様です。その後、海幸彦の漁は大漁に次ぐ大漁、山幸彦の狩猟も絶好調で、ふと気が付くと、その年の村内の総生産は昨年の2倍になっていました。商品としての価値の総計とそれに相当する勾玉の数は一致しなければなりませんから、村長は商品が増加した分だけ勾玉の発行を増やします。村内には商品の種類と量が更に豊富になり、村人の財布の中の勾玉の数もずいぶん増えたので、村人達は生活必需品以外にも、欲しいと思う品物を余った勾玉を使って手に入れるようになりました。村の経済が成長したのです。
(貧富)
こうして村人の生活水準は向上しましたが、すべての種類の商品が均等に消費されるわけではありません。生活の向上に連動して、ある商品は飛ぶように消費され、ある商品はほとんど見向きもされなくなりました。人気商品はいくらたくさん生産してもすぐに消費されて、村長のお蔵の在庫も品薄です。生産者の財布は勾玉が溢れんばかりに膨らみます。反対に不人気商品はなかなか消費されず、村長のお蔵に持ち込もうとしても、ある程度在庫が減らなければ、村長は受け取ってくれません。直接取引も芳しくないし、村長のお蔵に入れることもできないとなると、これはもう捨てるしかありません。生産者の財布の勾玉はもう底に着きそうです。このようにして、村には大きな貧富の差が生まれました。
(搾取)
貧困と富裕がいれば、そこに力関係が生まれます。富裕者が貧者に対して、勾玉をやるから俺の言うことを聞け、と言うわけです。貧者は悔しくても飢え死にするよりは従ったほうがましと考えます。この時点で、富裕者は貧者に対する主人、貧者は富裕者に対する従者となりました。従者は主人に何をどれだけさせられて、どれだけの勾玉をもらえるのかまったく分かりません。すべては主人が決めることです。
さて、富裕者は一人力の生産力を得ました。そして夜明けから日暮れまで働かせました。従者が生産した価値は勾玉50個分に相当しましたが、従者にはそれが分かりません。主人は約束どおり従者に勾玉をわたしましたが、その数は10個でした。これだけでも従者はこの村での最低限の生活はできます。従者は主人にお礼を言って帰途に着きました。こうして貧者は来る日も来る日も富裕者の家に通い、貧者は貧者であり続け、富裕者は労せずしてますます富を膨らませていきます。
こうして目出度くも悲しくも、村は華やかに栄えていくのです。行き着く先に破滅と言う終着点があることなどつゆ知らず。
関連記事:ある、お金の寓話② 2010-07-25
さて、商品の取引は物々交換から始まります。しかしさすがに物々交換は不便なので、皆で話し合い、同じ色と形の勾玉を商品の「価値」に代わるものとして決めました。海幸彦が釣った魚は勾玉10個、山幸彦のキジは勾玉15個、タケノコは勾玉5個、卵は勾玉2個、という具合です。
みんなが生産した商品はいったん村長のお蔵に集められ、村長は持ち込まれた商品の価値に相当する数の勾玉を持ち込んだ人に渡します。これで欲しい品物を手に入れることがずいぶん楽になりました。今夜の食事はタケノコの煮付けにしようと思った海幸彦は、勾玉を5個持って村長を訪れ、勾玉とタケノコを交換すればいいのです。
ある日、山幸彦はいつものように山に猟に出かけました。その日は大猟で二日分の商品を生産しました。そして、それを村長のお蔵に納品して勾玉と交換しました。二日分の収穫があったので、山幸彦は次の日は休みにして、凧揚げやコマ回しをして一日遊びました。同じ日、海幸彦の方は不漁で、魚も貝もまったく採れませんでした。でもお腹は空いています。財布を調べると、まだ幾らかの勾玉があったので、村長を訪ねて17個の勾玉を支払って、キジと卵を持ち帰りました。今夜はキジ鍋のご馳走です。
勾玉を使うことにすっかり慣れた村人達は、欲しいものを求めて必ずしも村長の蔵に行かずとも、村人同士で商品と勾玉を直接交換することも盛んに行われるようにもなりました。
先に山幸彦の大猟と海幸彦の不漁のお話しをしましたが、多くの種類の商品の中には、一日当たりの生産量がほぼ均一なものと、日々変動するものがあります。海幸彦と山幸彦の商品は自然を相手にして生産しますから、とりわけ生産量が変動しやすいものになります。これに対して、原料を蓄えておくことのできる、麻生地の生産や狩猟用道具の生産などの製造業は、生産量が比較的均一になります。
(価値と価格)
ある日、山幸彦の猟は不調でマツタケ3本だけでした。とりあえず村長の所で、7個×3の勾玉に交換しようかと小道を歩いていると、通りかかった村人が山幸彦の商品を目ざとく見つけ、「兄ちゃん、いいマツタケ持ってるねえ、勾玉と交換してくんない?」と言ってきました。山幸彦は村長を訪れる手間も省けるし、特に異存も無かったので、「ああ、いいっすよお」と応えかけたまさにその時、もう一人の村人が通りかかり、「あっ!それ俺もほしい」と割って入ったのです。
さてもめ事になりました。山幸彦は別にどちらの村人と交換してもいいのですが、村人は互いに引きません。とうとう一方の村人が、マツタケを取決めの2倍の数の勾玉と交換するから俺にくれと言い始めました。それを聞いて、山幸彦ももう一方の村人も驚きましたが、事態を理解したもう一方は引き下がらず、ならば俺は3倍の勾玉と交換すると言って対抗してきました。協議の末、結局、山幸彦は3本のマツタケを7×3×3=63個の勾玉と交換しました。山幸彦は何が起こったのかまだ十分に理解していませんでしたが、21個の勾玉と交換されるはずだったマツタケが63個の勾玉となって手に入り、何やらとても嬉しい気分になりました。
その夜、山幸彦はいろいろと考えていました。マツタケの価値は勾玉7個で、これは不変です。しかし実際にはマツタケ1本当たり21個の勾玉と交換されたのです。山幸彦は「そうか!」とハタと気づきました。商品の価値と取引価格は別物なのだ。そう。つまり商品の価格は商品の価値が要因になりますが、価格そのものは市場が決めるのです。
分かりやすい例として郵便切手があります。1948年発行の有名な記念切手「見返り美人」は、郵便用としては5円の価値ですが、切手商に持ち込むと5000円以上で買ってくれます。
さて、ここで商品の価値についてもう一度検討してみましょう。マルクス経済学によると、商品の価値とは、その商品の生産に費やす「時間」です。とするなら、海幸彦が7時間かけて釣り上げた魚が1匹だけだった場合と、10匹だった場合、1匹の魚にも10匹の魚にも同一の時間を費やしていますから、1匹の価値と10匹分の価値は同じということになります。価値は価格に反映しますから、例えば、豊作の年の農作物の価格は安く、不作の年の価格は高いということですね。また工業製品なども大量生産により、価格はどんどん安くなっていきます。
(経済成長)
話を戻しましょう。勾玉を使い始めてから色々な品物が簡単に交換できるようになり、海幸彦は前よりも強靭な釣竿や釣針、かねがね欲しかった道具などを手に入れました。ほかの村人達も同様です。その後、海幸彦の漁は大漁に次ぐ大漁、山幸彦の狩猟も絶好調で、ふと気が付くと、その年の村内の総生産は昨年の2倍になっていました。商品としての価値の総計とそれに相当する勾玉の数は一致しなければなりませんから、村長は商品が増加した分だけ勾玉の発行を増やします。村内には商品の種類と量が更に豊富になり、村人の財布の中の勾玉の数もずいぶん増えたので、村人達は生活必需品以外にも、欲しいと思う品物を余った勾玉を使って手に入れるようになりました。村の経済が成長したのです。
(貧富)
こうして村人の生活水準は向上しましたが、すべての種類の商品が均等に消費されるわけではありません。生活の向上に連動して、ある商品は飛ぶように消費され、ある商品はほとんど見向きもされなくなりました。人気商品はいくらたくさん生産してもすぐに消費されて、村長のお蔵の在庫も品薄です。生産者の財布は勾玉が溢れんばかりに膨らみます。反対に不人気商品はなかなか消費されず、村長のお蔵に持ち込もうとしても、ある程度在庫が減らなければ、村長は受け取ってくれません。直接取引も芳しくないし、村長のお蔵に入れることもできないとなると、これはもう捨てるしかありません。生産者の財布の勾玉はもう底に着きそうです。このようにして、村には大きな貧富の差が生まれました。
(搾取)
貧困と富裕がいれば、そこに力関係が生まれます。富裕者が貧者に対して、勾玉をやるから俺の言うことを聞け、と言うわけです。貧者は悔しくても飢え死にするよりは従ったほうがましと考えます。この時点で、富裕者は貧者に対する主人、貧者は富裕者に対する従者となりました。従者は主人に何をどれだけさせられて、どれだけの勾玉をもらえるのかまったく分かりません。すべては主人が決めることです。
さて、富裕者は一人力の生産力を得ました。そして夜明けから日暮れまで働かせました。従者が生産した価値は勾玉50個分に相当しましたが、従者にはそれが分かりません。主人は約束どおり従者に勾玉をわたしましたが、その数は10個でした。これだけでも従者はこの村での最低限の生活はできます。従者は主人にお礼を言って帰途に着きました。こうして貧者は来る日も来る日も富裕者の家に通い、貧者は貧者であり続け、富裕者は労せずしてますます富を膨らませていきます。
こうして目出度くも悲しくも、村は華やかに栄えていくのです。行き着く先に破滅と言う終着点があることなどつゆ知らず。
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