対策が目的に対して有効でなければならないことは言うまでもない。では有効な対策とはどのようなものか。1つの有名な事例を紹介しよう。とある空港の男子トイレで、便器付近の床が汚れてしかたがないので、清掃担当者は便器の上、ちょうど使用者の目の高さ辺りに、「もう一歩踏み込んでください」というメッセージを掲示した。しかし、その後もいっこうに床の汚れは改善しない。そこで頭を捻った清掃担当者は、ある妙案を思いつき早速実施してみた。便器内側の一番下より少し上の場所に蝿(ハエ)のシールを貼り付けたのである。するとどうだろう、なんと床の汚れは激減したのである。
ここで清掃担当者が打った対策は2つである。一つは「注意喚起の掲示」、そしてもう一つは「蝿のシールの貼り付け」であり、前者は目的に対してほとんど効果がなく、後者は抜群の効果を見せたということである。このことは、便器に貼った小さなシールこそが“対策”であり、注意喚起の掲示はほとんど“対策ではない”ということを明示している。では、この両者にどのような違いがあるのだろう。明確に異なる点は、言葉による注意喚起は人の意識に働きかけており、蝿のシールの貼り付けは人の無意識に働きかけているということである。よって一般論として、人の意識に直接働きかける対策よりも、人の無意識に働きかける対策の方がはるかに有効であるといえる。
そもそも、人の「意識」が失敗や間違いの源なのである。新しい発想や創造、また改善や改革をもたらすのは意識の力に他ならないが、それらを必要としないルーチンワークにおいては、意識は無意識にまったく勝つことができない。無意識とは例えば、意識がまったく介在し得ない、ロボット生産による無人工場を想像すればよい。機械の故障等がないものと仮定すると、無人工場から出荷される製品に不具合が存在する確率は理屈上ゼロである。これに対し、作業者がロボットではなく人である場合、不具合がポンポコポンポコ発生する。つまり意識が作業を担うからである。ならば我々工場で働く者が不具合の発生を最低限に抑えるためにはどうすればいいのか。答えは既に出ているが、要するに、意識を限りなく排除するということに他ならない。不具合の低減という「目的」に対する最善の概念的「対策」は如何に意識を排除するかである。
この有効な対策として現在既に実施されている端的な具体例が、チェックシートとの照合による作業である。もちろん、チェックシートは簡潔な手順書の機能も兼ね備え、必要項目の欠落が無く、かつ冗長すぎない秀逸なものでなければならない。このチェックシートに基づく作業により、ベテランがやっても新人がやってもパートのおばちゃんがやっても、時間の差はあれ、品質には差の無い製品を生み出すことが可能となる。チェックシートの指示に従うことにより作業が機械的なものとなり、意識の介在を極めて小さくできるからである。
ここで清掃担当者が打った対策は2つである。一つは「注意喚起の掲示」、そしてもう一つは「蝿のシールの貼り付け」であり、前者は目的に対してほとんど効果がなく、後者は抜群の効果を見せたということである。このことは、便器に貼った小さなシールこそが“対策”であり、注意喚起の掲示はほとんど“対策ではない”ということを明示している。では、この両者にどのような違いがあるのだろう。明確に異なる点は、言葉による注意喚起は人の意識に働きかけており、蝿のシールの貼り付けは人の無意識に働きかけているということである。よって一般論として、人の意識に直接働きかける対策よりも、人の無意識に働きかける対策の方がはるかに有効であるといえる。
そもそも、人の「意識」が失敗や間違いの源なのである。新しい発想や創造、また改善や改革をもたらすのは意識の力に他ならないが、それらを必要としないルーチンワークにおいては、意識は無意識にまったく勝つことができない。無意識とは例えば、意識がまったく介在し得ない、ロボット生産による無人工場を想像すればよい。機械の故障等がないものと仮定すると、無人工場から出荷される製品に不具合が存在する確率は理屈上ゼロである。これに対し、作業者がロボットではなく人である場合、不具合がポンポコポンポコ発生する。つまり意識が作業を担うからである。ならば我々工場で働く者が不具合の発生を最低限に抑えるためにはどうすればいいのか。答えは既に出ているが、要するに、意識を限りなく排除するということに他ならない。不具合の低減という「目的」に対する最善の概念的「対策」は如何に意識を排除するかである。
この有効な対策として現在既に実施されている端的な具体例が、チェックシートとの照合による作業である。もちろん、チェックシートは簡潔な手順書の機能も兼ね備え、必要項目の欠落が無く、かつ冗長すぎない秀逸なものでなければならない。このチェックシートに基づく作業により、ベテランがやっても新人がやってもパートのおばちゃんがやっても、時間の差はあれ、品質には差の無い製品を生み出すことが可能となる。チェックシートの指示に従うことにより作業が機械的なものとなり、意識の介在を極めて小さくできるからである。