electric

思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

ルワンダの涙

2008-01-09 20:07:19 | 音楽・映画
映画「ルワンダの涙」
イギリス=ドイツ合作

手にナタを持ち殺人鬼と化したフツ族の群集に包囲された公立学校の敷地、そこは非難してきたツチ族の村人で溢れかえっている。また状況監視のために派遣された国連軍がそこに駐留していた。学校長はこの村で30年暮らしてきた老神父。そして海外青年協力隊として赴任してきた青年教師が村の子供たちに勉学を教えていた。

いったい人間とは何ものなのか。この映画は、すべての人間の細胞に記述されているプログラムがどのようなものであるのかをハッキリと示して見せる。科学思想家のアーサー・ケストラーは次のように指摘している。

「人間以外の動物は同じ種族のもの同士が争うことはあっても、致命傷を与えることに対しては強烈な自制が働く。人間はどこかで進化を失敗したのだ。もはや人類が自らの手で自らを滅ぼすのは明らかであり、それは時間の問題なのである。」

繰返しになるが、この映画(事実)は人間を丸裸にし、そもそも人間が何ものであるのかをシーンの至るところで明々白々に露わにしている。殺戮はもとより、ボスニアでは毎晩のように泣いたが、おびただしい黒人の惨殺体を見ても涙が出ないと呟く白人女性TVキャスター。軍人は命令にのみ従うと言い、助けを乞う避難者たちを残し、部下と共に撤退していく国連軍大尉。村人と心を通わせ合ったつもりでも、最後には逃げる青年教師。別に彼らを非難しているわけではない。人はそのように作られているのだ。ツチ族のリーダー役が、立去ろうとする国連軍大尉に懇願するセリフは衝撃的だった。

ツチ「去る前に私達を撃ち殺して欲しい。」
  「ナタで殺されたくはない。銃なら一瞬だし痛みも感じない。」
大尉「No.」
ツチ「ならば、子供たちだけでもそうしてくれないか。」
大尉「I can not help you.」

老神父は最後に神を捨てる。この映画は人間の本性を見せるとともに、神が如何に無力であるかをも示して見せた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする