electric

思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

暗示的、象徴的

2008-01-02 23:28:41 | 思索
さて、人の奥底に眠る「花園」。

「社会や時代の歪みによって、そこに潜在的にある、”心のエネルギー”が、豊かなかたちで、表面に出てこられないようになってしまっている……。」

そうですね。ウェブサイトのトップにある、”日常の言葉は、人の思考を麻痺させると思える”のもその一つかも知れませんね。もっと豊かな言葉で語り合えるはずだと。フラフラさんや、社会的弱者でいることを余儀なくされている人たちの拘束された心の中には、しっかり息づいている心のエネルギーが必ずある、と私も思っています。その観点から、無防備とも思えるほど感情を露にできるかの子供達に「花園」がオーバーラップして見えたのです。

「そこに、現代人の”心の病”の大きな理由のひとつがあるんじゃないのか、と思うんですよね。」

そうですね、要因としては最も大きなファクタでしょうね。でも”心の病”は明らかに病理学の対象として扱えるもので、だからこそ治療と言う方法で快癒することもありますね。歪んだ社会が生み出す、手の施しようのない、病とも呼べない心の問題、これが今最も深刻なのだと思います。ここに聞き飽きたようなワードが無数に並びますが、「麻○彰晃」と「イラク戦争」を上げておきます。

メンタル系サイトにたむろする多くの人々。もう凄まじいと思える数。リスカ、OD、不登校、自殺捻慮などの言葉はメンタル系サイトには溢れかえっていますね。まあ私もその中の一人ではあったのですが。幸運にも時を経て、私は心に”開放”があることを知りました。その経験から、私は彼らにダイレクトにメッセージを送るスタンスを私のサイト「ホロンのお庭」では取っています。

このダイレクトスタンスは正に仰る通りで、やっていると確かに苦しくなってくる。同じ問答の繰り返しが多々起こってきます。その様はいかにも単調です。「できるだけ暗示的、象徴的に語る」というのは、それ故のことでもあるのかも知れませんね。
コメント (2)
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