ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

県立大野病院事件、初公判の翌日の報道

2007年01月28日 | 報道記事

検察側と弁護側の冒頭陳述の要旨が、以下の朝日新聞(福島)の記事に記載されていました。

私自身、一人医長の時期にも、前置胎盤の帝王切開を非常に多く産婦人科医一人で執刀しました。当科でも、前置胎盤の帝王切開は月に1~2回の頻度であり、いちいち高次病院に紹介していたらきりがなく、前置胎盤という理由だけで高次病院に患者を搬送したことは今まで1例もありません。

手術前に1000mlの血液を準備し、外科医の助手がいて、麻酔科医が麻酔を担当してくれていたわけですから、たった一人で手術をしたわけでもなく、手術の態勢として特に不十分ではなかったと思います。外科医が助手であれば、産婦人科医の助手よりもよほど頼りになりますし、手術中の全身管理は麻酔科医の責任です。

また、手術中に胎盤の剥離をいったん始めてしまえば、剥離面からの出血量がどんどん増してくるので、剥離の途中で作業を中止するというのは現実的ではありません。すでに胎盤が半分剥離できた状況であれば、そのまま剥離を進めるのが普通です。胎盤を子宮内に残したままの状態で子宮を摘出するのは困難ですし、手術時間が長引けば出血量も増すので、もしも、自分であっても、全く同じ判断をしたと思います。実際に胎盤は10分程度で剥離できたわけですから、その判断は結果として正しかったと思われます。

胎盤の剥離後に子宮摘出も無事に完遂しているわけですから、産婦人科医として通常やるべきことはちゃんとやっていると考えられます。

検察側の鑑定を誰がしているのかは知りませんが、婦人科腫瘍の専門家とのことで、全くの専門外の医師による鑑定ということになり、その鑑定結果は全く意味がないと思います。癒着胎盤の症例の経験が一度もない可能性も十分にあり得ます。鑑定を依頼するのであれば、ちゃんと周産期医学の専門家に依頼しなければ、まったくの素人の感想を聞いているのと何ら変わりがなく、鑑定の意味が全くないと思われます。

また、検察のいうところの専門書とは、『STEP』という学生がよく持っている医師国家試験対策本のことを言っている(という噂もあります)が、『STEP』は国試対策として、産婦人科について何も知らない学生が、試験直前に最低限の試験用の知識として一夜漬けで丸暗記するための学習参考書で、専門書とは到底言いがたい本です。国試に合格して医師になったら誰も見ません。そういう本が存在するということも、この事件の報道で初めて知りました。『STEP』が証拠として採用されて、臨床医が読んでいるちゃんとした専門書や文献が証拠として採用されなかったとすれば、非常に由々しき事態だと思われます。(追記:検察側が証拠とした産婦人科テキストが『STEP』らしいというのは、あくまでネット上の噂であり、確認したわけではないです。)

【以上、当ブログ管理人の私見】

****** 朝日新聞、2007年1月27日

県立大野病院事件

-検察側の冒頭陳述(要旨)-

 被告は検査の結果、被害者の胎盤は子宮口を覆う全前置胎盤で子宮の前壁から後壁にかけて付着し、第1子出産時の帝王切開のきず跡に及んでいるため癒着の可能性が高いと診断した。無理にはがすと大量出血のリスクがあることは所持する専門書に記載してある。

 県立大野病院は、高度の医療を提供できる医療機関の指定を受けておらず、輸血の確保も物理的に難しいため、過去に受診した前置胎盤患者は設備の充実した他病院に転院させてきた。

 だが、被告は、助産師が「手術は大野病院でしない方がいいのでは」と助言したが、聞き入れなかった。助産師は他の産婦人科医の応援も打診したが、「問題が起きれば双葉厚生病院の医師に来てもらう」と答えた。先輩医師に大量出血した前置胎盤のケースを聴かされ、応援医師の派遣を打診されたが断った。

 被告は麻酔科医に「帝王切開の傷跡に胎盤がかかっているため胎盤が深く食い込んでいるようなら子宮を全摘する」と説明。被害者と夫には子宮摘出の同意を得た。「何かあったら双葉厚生病院の先生を呼ぶ」と説明。この医師には手術当日に電話で「帝王切開の傷に胎盤の一部がかかっている可能性があるので異常があれば午後3時ごろ連絡がいく」と話した。

 被告は手術中、胎盤がとれないため、子宮内壁と胎盤の間に右手指3本を差し入れて剥離(はくり)を始めたが、途中から指が1本も入らなくなった。このため「指より細いクーパーならすき間に差し込むことができるのでは」などと安易に考え、追加血液の要請をしないまま、クーパーを使用した。

 約10分で剥離し終えたが、使用開始から子宮の広範囲でわき出るような出血が始まり、2千ミリリットルだった総出血量は剥離後15分後には7675ミリリットルに。完全に止血できず、子宮摘出を決意したが、血液が足りず血液製剤の到着を待った。その後約1時間で総出血量は1万2085ミリリットルに達した。

 心配した院長が双葉厚生病院の産婦人科医や大野病院の他の外科医の応援を打診したが、被告は断った。被害者が失血死した後、被告は、顔を合わせた院長に「やっちゃった」、助産師には「最悪」などと述べた。

 被告は胎盤剥離でクーパーを使った例を聴いたことがなく、使用は不適切ではと感じたが、「ミスはなかった」と院長に報告し、届け出もしなかった。病理鑑定では、被害者の胎盤は、絨毛(じゅうもう)が子宮筋層まで食い込んだ重度の癒着胎盤。クーパー使用の結果、肉眼でわかる凹凸が生じ、断片にはちぎれたような跡ができていた。

-弁護士側の冒頭陳述(要旨)-

  本件は薬の種類を間違えたり、医療器具を胎内に残したりといった明白な医療過誤事件と異なる。臨床現場の医師が現場の状況に即して判断して最良と信じる処置を行うしかないのであり、結果から是非を判断はできない。

 検察側の証拠は、(1)胎盤の癒着や程度が争点なのに「胎盤病理」や「周産期医療」の専門家ではなく「一般病理」や「婦人科腫瘍(しゅよう)」の専門家の供述や鑑定に基づいている(2)困難な疾患をもつ患者への施術の是非が問題なのに、専門家の鑑定書や解明に不可欠な弁護側証拠を「不同意」としている(3)検察官調書の一部から被告人に有利な記載部分を削除して証拠請求している――など、問題が多い。

 被告人は過去に1200件の出産を扱い、うち200件が帝王切開。04年7月には全前置胎盤の帝王切開手術も無事終えている。

 本件は、超音波診断などで子宮の後壁に付着した全前置胎盤と診断。患者が「もう1人子供が欲しい」と答えたため、被告は子宮温存を希望していると理解しカルテに記入した。前回の帝王切開の傷跡に胎盤がかかっていたら癒着の可能性が高まるため、慎重に検査した結果、子宮の後壁付着がメーンと考えた。

 被告は子宮マッサージをしながら、手で、三本の指を使い分けつつ胎盤剥離を進めた。半分程度はがした時点ではがれにくくなった。剥離面からにじみ出るような出血が続いていたが、剥離すれば通常、子宮が収縮し、子宮の血管も縮んで止血されるため、胎盤剥離を優先した。

 子宮の母体の動脈と胎盤内の血管とは直接つながっていないため、胎盤をはいでも母体の血管は傷つかない。むしろ胎盤を早く取り去ることを重視し、先の丸いクーパーを使用した。

 子宮は血流が豊富で、前置胎盤だとさらに下膨れしている。このため胎盤を剥離せず子宮動脈を止血するのは大変困難で、クーパーの使用は妥当な医療行為だ。

 剥離後、子宮収縮剤を打っても収縮しなかったため、あらゆる方法で止血措置を行い、血圧の安定と血液の到着を待って子宮摘出した。無事、摘出し、安心した時点で突然、心室細動がおき、蘇生術をしたが亡くなったもので、胎盤剥離の継続と死亡とは因果関係を認めがたい。

 医師法21条はそもそも黙秘権の放棄を医師に迫るもので違憲。大野病院のマニュアルでは、院長に届け出義務を課しており、医師は院長の判断に従ったのみだ。

 なお病理鑑定では、癒着の程度は最も深い部分でも子宮筋層の5分の1程度と浅い癒着だった。

(朝日新聞、2007年1月27日)

他のネット上の報道記事も、以下に引用させていただきます。

****** 毎日新聞、2007年1月27日

大野病院医療事故:真っ向から主張対立 産科医被告「捜査に釈然とせず」

 ◇地裁初公判

 県立大野病院での帝王切開手術中に女性が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた加藤克彦被告(39)に対する初公判が26日、福島地裁であり、検察側と弁護側の主張は真っ向から対立した。検察側は加藤被告が子宮から胎盤をはく離する際、手術用はさみを使った症例を聞いたことがなかったことなどを明らかにした。

 検察側は冒頭陳述で、加藤被告が「手ではく離できない場合にはく離を継続しても大量出血しない場合もあり得るだろう」「指より細いクーパー(手術用はさみ)なら胎盤との間に差し込むことができるだろう」と考えていたと指摘。女性の死亡後、院長らに「やっちゃった」「最悪」などと話したと言及した。

 弁護側は、「医学文献で手術用はさみのはく離は効果的だとされている」と主張。開腹後も超音波で癒着胎盤の可能性を調べ、慎重だったとした。死亡との因果関係は、出血性ショックのほかにもさまざまな原因が考えられると指摘した。

 加藤被告は退廷後、「ミスはしていない」と話し、捜査に対しては「逮捕の前から釈然としないものがある」と述べた。【町田徳丈、松本惇】

 ◇1人医長体制で再開メド立たず--病院の対応に不満

 「1人の医師として患者が死亡したのは大変残念」。初公判で加藤被告は起訴事実を否認する一方、死亡した女性に対しては「心から冥福を祈ります」と述べた。黒っぽいスーツを身につけ、落ち着いた声で準備した書面を読み上げた。

 加藤被告が逮捕・起訴されて休職となり、昨年3月から県立大野病院の産婦人科は休診が続いている。同科は加藤被告が唯一の産婦人科医という「1人医長」体制。再開のめどは立たない。

 隣の富岡町の30代女性は加藤被告を信頼して出産することを決めたが、休診で昨年4月に実家近くの病院で二男を出産した。女性は「車で長時間かけて通うのも負担だった」と振り返る。二男出産に加藤被告が立ち会った女性(28)も「次も加藤先生に診てもらいたいと思っていた」と言う。

 一方、被害者の父親は「事前に生命の危険がある手術だという説明がなかった」と振り返る。危篤状態の時も「被告は冷静で、精いっぱいのことをしてくれたようには見えなかった」と話す。

 病院の対応にも不満がある。病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を最後に接触は途絶えた。昨年11月に問うと、病院は「弁護士と相談して進めていく」と答えたという。「納得できない。娘が死んだ真相を教えてほしい。このままでは娘に何も報告できない」と不信感を募らせる。【松本惇】

 ◆初公判までの経過◆

 【04年】

12・17 帝王切開の手術中に女性死亡。生まれた女児は無事。病院は警察に届け出ず

 【05年】

 3・30 県の事故調査委員会が報告書を公表し発覚

 【06年】

 2・18 県警が加藤被告を業務上過失致死と医師法違反容疑で逮捕

 3・10 福島地検が加藤被告を起訴

   11 大野病院の産婦人科が休診

12・ 6 多数の医学団体の抗議などをまとめる形で、日本医学会長が刑事責任追及を批判する声明発表

(毎日新聞、2007年1月27日)

****** 読売新聞、2007年1月27日

大野病院事件初公判、弁護団と検察が全面対決

 26日に福島地裁で始まった県立大野病院(大熊町)での医療事故を巡る刑事裁判は、産婦人科医師の加藤克彦被告(39)の弁護団と検察が互いに主張を譲らず、“全面対決”となった。「手術中の判断」の正否が裁かれる公判には、26席分の傍聴券を求めて349人が列を作り、関心の高さをうかがわせた。

 昨年2月の逮捕以降、初めて公の場に姿を見せた加藤被告は午前9時40分過ぎ、カメラのフラッシュを浴びながら主任弁護人の平岩敬一弁護士らと歩いて福島地裁に到着。濃紺のスーツを着用し、白いシャツにネクタイを締めて法廷に姿を現した。

 罪状認否で加藤被告は、用意した書面を5分以上にわたって読み上げ、手術で処置に過ちがあり、警察への届け出もしなかったとする起訴事実の大部分を否認。事前の検診や輸血用血液の準備、手術中の対応などについて「患者が亡くなってしまったことは忸怩(じくじ)たる思いがあるが、できることを精一杯やった」と述べた。

 公判前整理手続きが適用された今回の公判では、検察側と弁護側の双方が冒頭陳述を行った。検察側の冒頭陳述で、加藤被告が大量出血した女性が亡くなる直前、院長に「やっちゃった」と話していたことや、帝王切開手術で胎児を取り出した後、子宮から離れなかった胎盤を手ではがすのをやめ、手術用ハサミを使ったことについて、加藤被告が検事に「使用は不適切だったのではないか」と供述していたことなどが明らかになった。

 大量出血を招かないため、ただちに子宮を摘出すべきだったとの検察側主張に対し、弁護側は冒頭陳述で「胎盤をはがした際の出血は少量だった」「胎盤と子宮の癒着の程度も軽く、はく離が適切だった」などと反論した。また、検察側が主張の根拠とする胎盤の鑑定意見や供述などは、産科医療や胎盤病理を専門としない医師によるもので、「問題が多い」と批判した。

 弁護側は公判終了後に記者会見を開き、加藤被告は「ミスはなかった」と重ねて強調。ただ、手術前に先輩医師などから応援医師の派遣を打診されながら拒否したことについて「リスクをさほど高く考えていなかった」と述べた。

 公判は、2月23日の次回から証人尋問に入り、鑑定を担当した医師らが検察側の証人として出廷する。

(読売新聞、2007年1月27日)

****** 朝日新聞、2007年1月27日

大野病院事件 被告、罪状を否認

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で26日、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医加藤克彦被告(39)の初公判が福島地裁(大澤廣裁判長)で開かれた。加藤被告は「適切な処置だった」などと述べ、起訴事実を否認。公判後の記者会見でも、医療行為としての正当性を繰り返し主張した。

 -手術の正当性主張 事件後初めて公の場に-

 「患者さんのご冥福を心からお祈りし、ご遺族に心よりお悔やみ申し上げます」

 加藤医師は初公判終了後に開かれた弁護側の記者会見で、帝王切開手術中に死亡した女性と遺族に対する思いを語り、深々と頭を下げた。

 これまで加藤医師は公の場での発言を避けてきたが、「逮捕からほぼ1年がたち、気持ちの整理もついた。ご声援頂いた医療関係者の方々に元気な所を見せたい」として、会見に踏み切った。

 加藤医師は、全国の産科医から寄せられる支援に対し、「心強く思っております」と述べ、全国的に産科医が減少し、医療現場の負担が増していることについて「今回の事件が一因となってしまった。申し訳なくも感じています」と話した。

 この日の検察側の冒頭陳述で、手術後、院長らに「やっちゃった」「最悪」などと話したと指摘された点について、記者から「医療ミスという認識があったのか」と問われると、加藤医師はきっぱりした口調で「ミスをしたという認識はありません。正しい医療行為をしたと思っています」と言い切った。

 争点の一つ、胎盤をはがす際にクーパー(手術用ハサミ)を使用した理由について「その場の状況で適切だと考えた」と説明。「勾留(こう・りゅう)中は取り調べに対し、『クーパーの使用は不適切だった』と言ったが、今はそういうことは考えていない」として、医療行為としての正当性を主張した。

 また、手術前に先輩医師から「応援の産科医を派遣した方がいい」という助言を受けながら、応援を呼ばなかった点について、加藤医師は「タイミングを逸してしまった」と弁明した。

 逮捕以来、産科医としての仕事から遠ざかっているが、「いい勉強の機会ととらえたい」と述べた。「産科という学問は好きですし、婦人科の患者さんと話をするのは好きなので、またやりたいという気持ちはある」と話した。

 一方、福島地検側は公判終了後、「我々としても医療関係者が日夜困難な症例に取り組まれていることは十分認識している。しかし、今回の事件は、医師に課せられた最低限の注意義務を怠ったもので、被告の刑事責任を問わなければならないと判断した」とする異例のコメントを発表した。

 -遺族「真相を明らかに」

 亡くなった女性の父親(56)楢葉町在住は初公判直前、朝日新聞の取材に対し、次のように話した。

 私たち遺族は手術室で何が起きていたのか、それを正確に知りたいのです。なぜ加藤医師は、手術の途中で、ほかの医師に応援を頼まなかったのか。なぜ、やったこともない癒着胎盤の手術を強行したのか。娘は、実験台になったようなものじゃないですか。いろいろな疑問について、裁判でぜひ明らかにしていただきたい。

 娘が死んだ04年12月17日夜、遺体に対面しました。娘は歯を食いしばっていた。それを見て、娘はこんな形で死んでいくのが本当に悔しかったんだと思いました。母親として、もっと生きていたかったんだと。あの時、私は、絶対に真相を明らかにするから、と娘に誓ったのです。

 でも、私が調べ始めたとたん、医師や県の人たちが壁のように立ちはだかり、何が起きたのか全く見えなくなってしまった。捜査が始まるまでは本当に手探りでした。ですから今回、警察には大変感謝しています。

(朝日新聞、2007年1月27日)

****** 河北新報、2007年1月27日

被告、検察真っ向対立 大野病院事件初公判

 「いつか、子どもは自分の誕生日が母の命日だと知る。その悲しみを思うと、胸が張り裂けそうになる」。検察側が次々に読み上げる遺族の供述調書に医師の表情は凍り付いた。帝王切開で女児を出産した女性=当時(29)=を医療ミスで死亡させたとして、産婦人科医加藤克彦被告(39)が業務上過失致死の罪に問われた事件。福島地裁で26日開かれた初公判で、加藤被告はミスはなかったと主張し、遺族感情を背に受けて、過失立証に全力を挙げる検察側と真っ向から対立した。

 冒頭陳述の後、検察側は約1時間半の書証読み上げのうち、1時間近くを女性の夫ら遺族5人の供述調書朗読に充てた。

 「子どもが寝静まった深夜、ひとりで泣く日が続いた」「将来、(女児が)母は自分の身代わりに死んだと自分を責める日が来るのではないか心配だ」「加藤医師が妻を助けるため、手を尽くしてくれたとは思えない」

 加藤被告は終始、沈痛な表情で被告人席の机に目を落としまま、顔を上げることはなかった。

 一方、弁護側は、子宮に癒着した胎盤を無理にはがそうとして大量出血を招き、女性を死亡させたとされる加藤被告の過失を全面的に否認した。

 検察側は加藤被告宅から押収した産科医療の教科書に基づき「女性の死を避けるため、胎盤剥離(はくり)を中止し子宮摘出に移るべきだった」と主張したのに対して、弁護側は「教科書の記述が女性のケースに該当するかどうか執筆者に確認していないなど、専門家の知見を軽視している」と指摘した。

 閉廷後、記者会見した平岩敬一主任弁護人は「教科書執筆者からは今回の女性のケースは該当しないとの回答を得ているが、検察側は証拠採用に同意しなかった」と強調。その上で「弁護側は被告に不利になることを承知で、遺族の供述調書の証拠採用に同意した。医療行為の適否だけが争われる裁判。検察側の姿勢は公正とは言えない」と強く批判した。

 この事件は、産婦人科医の過酷な勤務実態が社会問題として注目される契機となる一方、医学知識のない捜査、司法機関が専門医の行為を立件、裁くことの可否についても論議を巻き起こした。

 事件に関係した医療従事者や遺族がインターネット上などで、心ない批判にさらされる現実も、まだある。死亡した女性の父(56)は「とにかく早く真相を明らかにしてほしい。それ以外、今は何も話す気になれない」と公判途中で法廷を後にした。

専門家の鑑定、証言鍵 典型的な医療裁判に 大野病院事件

Soten_1   福島県立大野病院に勤務していた産婦人科医加藤克彦被告(39)が業務上過失致死罪などに問われた事件の審理は、検察、弁護双方が専門家を証人に立てて争う典型的な医療裁判となる。医学的な争点を整理する。

 子宮内で母体と胎児をつなぐ胎盤は通常、出産後に子宮からはがれるが、出産の数千件に1件の割合で胎盤が子宮と離れない症例がある。それが癒着胎盤だ。

 加藤被告は女性患者=当時(29)=が出産後、胎盤と子宮が離れないため、間に指を入れてはがそうとした際、癒着胎盤を確認した。子宮から胎盤を剥離(はくり)する手術は産科医療で最も難度が高く、手術を避けて子宮ごと摘出することもある。この時、手術を選択した加藤被告の判断が過失に当たるかどうかが最大の争点だ。

 検察側は、癒着胎盤と知った時点で大量出血が予見される子宮と胎盤の剥離を止め、子宮を摘出すべきだったと主張する。一般的には子宮と胎盤の癒着の程度が密接なほど、手術で大量出血の危険性が高いとされ、争点(1)で、検察側は中度の癒着との見解を示している。

 一方、弁護側は中度でも限りなく軽度に近い程度とみている。加藤被告は女性から事前に子宮を残したいと伝えられ、剥離手術を選択したが、結果的には癒着の程度は軽く危険性が高くなかったため、選択は正しかったと結論づける。

 争点(2)と(3)は連動している。検察側は、出血が子宮の剥離した部分に限られ、出血原因も剥離以外には考えられないと主張。剥離を続けて大量出血があった時点で死亡する危険性が予見され、剥離を止めずに失血死させたことが過失致死罪に当たるとする。

 弁護側は子宮のうち剥離に関係しない部分からも出血があり、出血原因は剥離以外にも考えられると反論する。麻酔記録によると、剥離直後の出血量は2555ccで、正常値よりも少し多い程度。大量出血は20分後のため、別の原因で死亡した可能性も考えられるとしている。

 争点(6)の通り、女性の死亡は異状死として警察に届けられなかったため、遺体がなく、手術記録も多くない。立ち会った医師や専門家の鑑定や供述が最大の鍵になる。2月23日の第2回公判からは検察側の証人尋問が始まり、真相解明に向けた争いが本格化する。

(河北新報、2007年1月27日)

****** 福島民報、2007年1月27日

産婦人科医が無罪主張 福島・大野病院医療過誤初公判

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医加藤克彦被告(39)の初公判は26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれ、加藤被告は起訴事実を否認し、無罪を主張した。医師の医療行為への捜査に対し、多くの医療団体が抗議の声明を出すなど全国が注目する審理。加藤被告が「切迫した状況の中で、産婦人科医としてできる限りの措置をした」と述べたのに対し、検察側は加藤被告が先輩医師から大量出血を伴う危険な手術になることを指摘されたことを明らかにした。対立の構図がより鮮明になった。

 検察側は加藤被告が手術前、福島医大の先輩医師から複数の産婦人科医による手術を勧められ、断ったことを明かした。加藤被告の自宅に「癒着胎盤を無理にはく離すべきでない」とする医学書があったと説明。今回の被害者のように帝王切開歴がある患者は、癒着胎盤の確率が24%と通常より高くなると主張し、過失の重大さを指摘した。

 一方、弁護側は「検察側が示した医学書の執筆者から『はく離しても良い場合がある』という回答を得た」と反論。加藤被告は手術前、通常より慎重に超音波検査などを試みたが癒着胎盤が確認できなかったと説明した。

 癒着胎盤への措置が最大の争点。加藤被告は手術中に胎盤をはがした時について「はく離できないわけではないが、しづらくなった」などと「癒着」と言わず、適正な医療行為だと強調した。

 起訴状などによると、加藤被告は平成16年12月17日、楢葉町の女性=当時(29)=の帝王切開手術を執刀し、癒着胎盤に気付いた後、医療用はさみ(クーパー)などを使って胎盤をはがし、大量出血で女性を死亡させた。女性が異状死なのに24時間以内に警察署に届けなかった。

 医師法の異状死の届け出義務違反についても、憲法の黙秘権の侵害に当たるとする弁護側と検察側が対立している。

 癒着胎盤 子宮内にある胎盤が子宮内壁と癒着した状態。数1000例に1例といわれる。胎盤は通常、出産後間もなく自然と子宮からはがれて除去されるが、癒着胎盤だと除去が難しくなる。

(福島民報、2007年1月27日)

****** 福島民友、2007年1月27日

被告の医師、無罪主張/大野病院事件初公判

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)=大熊町下野上=の初公判は26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれ、加藤被告は「ミスはしていない」と起訴事実を全面否認、無罪を主張した。

 冒頭陳述で検察側は「子宮に癒着した胎盤の剥離(はくり)を直ちに中止して子宮摘出手術をすれば大量出血は防げた」と指摘。一方、弁護側は「剥離は止血のためで問題なかった」と反論した。極めてまれな症例「癒着胎盤」の処置をめぐり全国的に注目を集めた事件は、法廷に舞台を移して審理が始まった。

 罪状認否で加藤被告は、「自分を信頼してくれた患者を亡くした結果は非常に残念」とした上で「切迫した状況で、冷静にできる限りのことをやった」などと述べた。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月中旬、楢葉町の女性の胎盤が子宮に付着していることを知りながら帝王切開手術を執刀。手術用はさみで無理に癒着部分をはがし取ったために大量出血させ、失血死させ、女性が異状死だったのに警察に届けなかった、とされる。

 次回公判は2月23日午前10時からで、証人尋問が行われる。

 医師会「判断見守る」

 大野病院医療事件の26日の初公判を受け、佐藤章福島医大産婦人科学講座教授は「コメントはない」としながらも「検察側には(弁護側の出す)証拠で勉強してほしい」と話し、県医師会の山森正道常任理事は「法治国家である日本の司法がどのような判断を下すか見守りたい」と述べた。

(福島民友、2007年1月27日)