ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

地域に産婦人科医が一人だけしかいない状況

2007年01月19日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

福島県立大野病院の産婦人科はあの事件後に閉鎖されたと報道されています。その時に、同県の他の県立病院・産婦人科の1人医長体制は当然すべて解消されたに違いないと私は勝手に想像していましたが、この記事を読むと、いまだに、広い医療圏内で唯一の産婦人科医が孤軍奮闘して分娩を取り扱っている県立病院の例も少なくないようで、正直言って非常に驚きました。

癒着胎盤、子宮内反症、弛緩出血などによる分娩時大量出血が、次にいつ起こるのかは全く予測できません。もしかしたら、今日にでも発生するかもしれません。その時には、緊急大量輸血も必要でしょうし、院内に麻酔科医がいてくれないと適切に対応できません。産婦人科医が一人だけではとても対応しきれません。次の犠牲者がでるまでは現体制を続けるというのでしょうか?

もしも地域内に産婦人科医を一人しか配置できないということであれば、せめて、そこでの産科の診療は妊婦検診だけにとどめるべきだと思います。一人の産婦人科医に地域の分娩を不眠不休ですべて担わせるのは、神風特攻隊で多くの若者を犠牲にした過去の痛ましい悲劇と全く同じ発想だと思います。

私自身も若かりし頃、公立病院の一人医長を教授から命ぜられて、決死の覚悟で孤軍奮闘し、不眠不休で多くの分娩を取り扱い、毎日毎日、一人で多くの緊急手術を実施しました。しかし、今はそういう時代ではないと思います。未来ある若者達を、決して、そんな危険な状況に追いやってはいけないと思います。今後、公立・公的病院で分娩を取り扱ってゆく以上、産婦人科の常勤医は最低でも7~8人は絶対に必要だと考えています。

参考:

県立大野病院事件についての自ブログ内リンク集

お産可能な施設、全産婦人科の半分以下に…05年厚労省調査 (読売新聞)

****** 河北新報、2007年1月19日

お産SOS 東北の現場から

防衛医療/逮捕や訴訟 揺れる医師

 南相馬市の病院に勤める産婦人科医の木村康之さん(43)。心を決め、院長に切り出した。「もう、お産をやめたいと思っています」。引き金は半年前の“事件”だった。
 2006年2月。福島県の同じ浜通りにある県立大野病院(大熊町)で、顔見知りの産婦人科医が逮捕された。04年暮れ、帝王切開の手術で女性=当時(29)=が死亡。子宮に癒着した胎盤をはがそうとした際、大量出血を起こした。
 大野病院と同様、常勤医は1人体制。「どんなに力を尽くしても、患者が亡くなれば結果責任を問われる。お産を続けられる状況ではない」。捜査の経過は、人ごととは思えなかった。
 癒着胎盤は出産後、自然にはがれるはずの胎盤が子宮にくっ付いて取れない状態。数千人に1人の割合で起こる。事前に癒着胎盤の有無、程度まで正確に診断することは不可能に近いとされる。
 症状が似た前置胎盤の手術経験はあった。母子ともに無事だった。癒着胎盤であれば、命を救えた確信はない。「今なら、より体制の整った病院を紹介する。委縮と言われるかもしれないが、現状ではやむを得ない」
 母体に負担をかけまいと、「待つお産」を心掛けてきた。訴訟の増加もあり、自然分娩(ぶんべん)には以前ほどこだわらなくなった。
 「専門の不妊治療から出産まで一貫した診療にやりがいを感じている。自分がやめると、周囲の医師に負担をかけてしまう」。木村さんは思い直し、今もお産を続けるが、心は揺れる。

 お産で亡くなる母子は減っている。一方で、医療訴訟は増加傾向にある。
 最高裁によると、05年は産婦人科が119件。内科、外科に次ぐ3番目で、全体の12%余りを占める。医師数に占める産婦人科医の割合は5%足らず。法廷に持ち込まれる率は高い。
 「トラブルは抱えてないけど、いつ降りかかってくるか」。福島県立南会津病院(南会津町)産婦人科の医師安部宏さん(35)も思案する。最寄りの血液センターまでは一時間。「癒着胎盤が起きたら、大野病院と同じ結果になるかもしれない」
 予期せぬ悲劇を妊婦側は受け入れ難い。「お産は病気じゃないから安心して」。周囲が何げなく励ます言葉に、ほかの診療科との宿命的な違いが表れている。
 「事件があったからといって医療の内容を変えたくない。ただ、多くの医師が委縮し、『防衛医療』になるのは無理もない」と安部さん。周囲に漂う微妙な空気の変化を感じる。
 産科医療の現場を揺さぶる大野病院事件。公判は26日、福島地裁で始まる。

(河北新報、2007年1月19日)

****** 河北新報、2007年1月18日

お産SOS 東北の現場から

安全神話/「無事で当然」増す重圧

 赤ちゃんが元気に産声を上げる。無事、お産が終わった。そう思ったときだった。
 「お母さんの出血が止まりません」。助産師の言葉に、福島県立南会津病院(南会津町)産婦人科の医師安部宏さん(35)は全身に緊張が走った。
 助産師が胎盤を出そうと、臍帯(さいたい)を引いた際、子宮が裏返しになって出てきた。子宮内反症。1万人に1人とも言われる確率で起きる症状だ。
 一刻も早く出血を止めないと、命が危ない。止血に取り掛かりながら、会津若松市の赤十字血液センターに血液輸送を頼んだ。車で飛ばしても一時間。普段にも増して、曲がりくねった山道が恨めしい。「早く。早く、来てくれ」
 緊急輸血後、会津若松の病院に搬送される母親に付き添った。常勤医は安部さん1人。目の前の女性の容体とともに、「留守中に何かあったら」と気が気ではない。戻ってきたのは午前7時。気持ちを静め、いつも通りに外来診療を始めた。
 「先生、あのときはお世話になりました」。1週間後、回復した母親が訪ねてきた。笑顔にほっとした。同時に、ふと頭をかすめた。「もし、助けられなかったら、どうなっていただろう」

 かつて、出産は「棺桶(かんおけ)に片足を入れたようなもの」と言われた。自宅出産が主流だった一九二五(大正14)年。1000件の出産があれば3人程度の母親は亡くなり、60人近い新生児が命を落とした。
 戦後、出産の場は病院などの施設に移る。食料事情や衛生面の向上もあり、死亡率は飛躍的に下がった。2005年、母親の死亡は1000件当たり0.057人。新生児死亡も1.4人にまで減った。
 不幸な例は今や、「万が一」のレベル。「でも、お産は最後まで何があるか分からない」。急変の怖さを知る産科医はこぞって過信を戒める。
 高血圧や糖尿病でリスクを伴う妊婦、高齢出産が増えている。安部さんも「お産に『絶対安全』はない」と言い切る。
 一方の産む側。不測の事態を想定することはほとんどなくなった。それが「安全神話」を生み、医師の重圧につながる。
 「医師として一生懸命やるのは当然。妊婦さんの不安をあおるようなことも言うべきではない。ただ、予想外の結果になったときを思うと、プレッシャーを感じる」。常勤1人ゆえの悩みを安部さんは打ち明ける。
 少子化で減りつつある出産の機会。「絶対安全」を求める風潮は一層強まる。厳しさを増す医療体制の現実との間で、見えない溝が深まる。

(河北新報、2007年1月18日)

****** 河北新報、2007年1月17日

お産SOS 東北の現場から

24時間拘束/常勤医1人 重責一身に

 電話が鳴っている気がして、目が覚めた。午前零時を回っていた。慌てて病院へ連絡する。「今、電話くれた?」「かけてませんよ」。安堵(あんど)といらだちが交錯した。「寝ている間も気が休まらないなんて」
 福島県立南会津病院(南会津町)の安部宏さん(35)。ただ1人の常勤の産婦人科医だ。南相馬市(旧小高町)出身。着任して3度目の冬を迎えた。
 カバーする南会津郡の面積は約2300平方キロ。神奈川県全域に匹敵する。お産を扱うのは安部さん1人だ。
 有数の豪雪地帯。大きな病院がある会津若松市まで、車で2時間かかる地区もある。「誰かがここにいなければ」。そんな熱意が、24時間拘束の生活を支える。

 日本産科婦人科学会の調査によると、全国の大学医学部・医大が2005年度に産婦人科医を派遣した病院のうち、東北では23%が常勤医が1人だけ。出産受け入れに制限を設ける病院も少なくない。
 婦人科を含め、明らかに1人では手に負えない重症者以外、安部さんは断らない。「周りには『無理するな』と言われるけれど、何とかできるなら診てあげたい」。うわさを聞き付け、時間外に会津若松から駆け込んでくる人もいる。
 着任時、病院の出産は年間70件を切っていた。今は倍の140件。地域のお産の半分だ。外来患者と手術も年々増えている。「地域からの信頼が数字に表れている」と自負はできる。
 誕生の瞬間、分娩(ぶんべん)室に響く産声と母親の笑顔に心が和む。これまで取り上げた赤ちゃんは350人以上。お母さん一人一人の顔と名前を覚えている。
 「出産は一生、記憶に残る。それを支えられる仕事」。誇りと充実感に満たされる。

 疲労も確実にたまっている。お産は時間を選ばない。産婦人科の急患には別の当直医がいても駆け付ける。夜間や未明の呼び出しは3日に1度。診療時間が来れば、普段通り診察や手術をこなす。
 勤務終了後や週末も病院の近くから離れない。携帯電話も手放せない。入浴中は浴室のそば、就寝中は枕元に置く。ささやかな楽しみは晩酌の缶ビール2本。いつ呼び出されても大丈夫なように、酔うほどは飲まない。
 1年半前、高校まで一緒に暮らしていた祖母が亡くなった。通夜には遅れ、火葬が終わる前に戻らなければならなかった。学会も自分の発表を済ませると、とんぼ返り。地元を空けるのは月2日の休みだけだ。
 「体力的な負担より、精神的なストレスが大きい。『自分の代わりはいない』と言い聞かせている。あと何年もつだろうか。ときどき考えてしまう」
 福島県立医大(福島市)は昨年12月、1週間交代の応援派遣を始めた。確かに拘束時間は減った。「医局も人手不足。応援の負担は重い」「患者さんも毎回医師が代わるのを好まない。本当は常勤医を増やしてほしい」。心境は複雑だ。
 年度替わりの4月以降も、応援が続くかどうか分からない。南会津に残るかどうか悩んだこともある。それでも、「自分を信じてくれる妊婦さんや患者さんを裏切れない」。数字以上の信頼関係がかろうじて、安部さんをつなぎ留めている。

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 東北の各病院で、数少ない医師たちが産婦人科の看板を守っている。増員は見込めない。勤務環境は厳しい。生命の誕生を支える医療は、訴訟リスクと隣り合わせでもある。お産総数の半分を担う開業医も苦境に立つ。医療現場の苦悩は深い。

(河北新報、2007年1月17日)