大空と大地の中で。

大自然を相手に駆け回ってます。

ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯7日目 ライン河クルーズ~リューデスハイム~空港

2015-06-17 23:15:10 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

7日目 平成27年4月9日(木)

 

マインツ ライン河流域へ→【世界遺産】ライン河クルーズ→リューデスハイム~

フランクフルト空港→フランクフルト発 19:10 日本航空直行便にて帰国。

モ―ニングコ―ル 6:00

朝食 6:00
出発 8:00

空は青空 
渡航してから7日目の朝、ツアーの人達と打ち解けてくる頃、当たり前の事だが決ってツアーも終盤になりお別れも近づいてくるのです。

そう、本日19時の便で帰国するのです。

最後の観光フィナーレは、今回の旅の目的のひとつでもあった世界遺産 ライン河ク―ルズ。 

 
9時乗船
 
ライン川クルーズでの定番は KDライン観光船 KD RHINE です。
 
 
ライン河沿いの小高い山の斜面は、一面のブドウ畑が広がり、優雅なクルージングとなります。
 

古城等の撮影をするために一番上のデッキにいくも、風が冷たくて寒かったが我慢我慢で頑張って撮影をする。
 
 
スイスの山中に水源を持ち、オランダで北海に注ぐライン河は全長1320キロにも及ぶヨ―ロッパ最長級の川。

リュ―デスハイム~ザンクトゴアハウゼン間を1時間半かけて古城を眺めながら船はゆっくりと進む。
 
一番最初に見えてきた古城は・・・。
 

エーレンフェルス城跡 Ruine Ehrenfels

ビンゲンを過ぎて右手に最初に見つけたお城がこちら。1211年にマインツ大司教により税関所として築かれた城砦です。

1689年にフランス軍に破壊されたまま廃墟になっています。修復せずに300年以上も放置されているなんて驚きます。

ラインシュタイン城 Burg Rheinstein

この先しばらく左手にお城が続きます。つまり…午前中の方が綺麗に写真が撮れるのです。

ラインシュタイン城はライン川でも美しいお城に数えられ、かっちりした作りが好印象です。

築城者や築年代はよく分かっておらず、領主や名称も何度か変わっているようです。内部は見学が可能だそうです。

 

ライヒェンシュタイン城 Brug Reichenstein

続いて左側に見える大きなお城。外観にやや赤みがあり、歴史を感じさせてくれます。

基礎は11世紀初めに造られ、ライン川の沿岸で最も古いお城だそうです。

13世紀初めには盗賊騎士団の根城となっていたところ、1282年にルドルフ1世の攻撃により廃墟に。

近年ホテルとなった後、現在は博物館になっているそうです。

ゾーネック城(ゾーンエック城) Burg Sooneck

同じく左側、元はライヒェンシュタイン城の守りとして11世紀に建てられたお城です。

中は見ていませんが、住んだら楽しそうな作りです。いったい何階建てなんでしょう?

ここも盗賊騎士団の根城になってしまったものを、ライン都市同盟やルドルフ1世に攻撃され、

1689年にはフランス軍に破壊されて…とライヒェンシュタイン城と同じ運命を辿ります。現在は国有化され、博物館になっています。

フュルステンベルク城 Ruine Fürstenberg

ここも左側です。1219年、ケルンの大司教によって周辺の守護と関税のために建てられたもの。

17世紀にはスペイン軍やスウェーデン軍が占領、その後フランス軍の攻撃で廃墟に。
 
現在は私有で見学はできません。
 

シュタールエック城 Burg Stahleck

左手に見えるバッハラッハの町を過ぎたところの丘に建つお城。とんがり帽子の塔がカワイイですね!

このような主塔はベルクフリート Bergfriedと呼ばれます。

 
1925年~27年に修復されて、現在はユースホステルとして営業されています。
 
お城のホテル泊まってみたいですね・・・。
 
 
 
プファルツ城 Burg Pfalzgrafenstein

突然現れて驚かせてくれたのは、中州に浮かぶ真っ白なお城。まるで屋根がオモチャみたい。

ライン川の通行税を取り立てるための税関所として、1326年にルートヴィヒ4世によって作られたもの。

船を模して五角形になっているのは、水流による損傷を避けるためだそうです。

中州まで渡し船が出ており、中は博物館になっています。

グーテンフェルス城 Burg Gutenfels

一つ上の写真で岩壁の上に見えているのが、グーテンフェルス城です。

こちらも徴税のために使われていた歴史があります。現在はホテルになっているそうです。

シェーンブルク城 Schönburg

ライン川でもひときわ優美な外観のお城が左手に見えてきました。

Schönburgとは、ドイツ語で「美しい城」という意味だそうで。遠目に見ても十分にその美しさを感じられます。

1166年にフリードリヒ1世(バルバロッサ)から戦功をたたえてこの城を与えられた家臣は、

ライン川からの徴税と周辺で作られるワインで財を成し、後にシェーンブルク家を名乗るように。

1689年にフランス軍の攻撃を受けるも、強固なため完全には破壊できなかったそうです。

現在は改修されて、ライン川で随一の高級ホテル「アウフ・シェーンブルク 」として営業しています。

カッツ城(ねこ城) Burg Katz

1371年にカッツェンエルンボーゲン伯によって造られた城、進行方向右手に見えます。

正式にはノイカッツェンエルンボーゲン城と、舌を噛みそうなほど長い名前です。短くカッツ城と略され、

ドイツ語で猫を意味するカッツェ Katzeから、「ねこ城」とあだ名されています。

ちなみに愛知県には「犬山城」というお城がありますが、犬山市はここザンクトゴアルスハウゼンと友好都市になっています。(笑

余談をもう一つ、このお城は日本人が購入したことでも有名らしく…お値段は3億円だそうです。
 

ラインフェルス城 Burg Rheinfels

左手に見えるお城は、何度も増改築が繰り返されて、ライン川で見られる城の中では随分と規模の大きなもの。

1245年に造られてから、幾多の争いにも関わらず落城したことがなく、

他のライン川のお城が軒並み破壊されたフランス軍の攻撃にも耐え抜いたそうです。

現在は近代的なホテル「シュロス・ラインフェルス 」として営業。ここもライン川の古城ホテルの中では魅力的でした。

 11:00下船

リューデンハイム~ザンクトゴアハウゼンの1時間半のクルージングも終わり下船バスに乗車し、

下って来たライン河沿いをバスで戻り、メルヘンの街リューデスハイムへ。

 リューデスハイムに入り目に留まったのが、手動でオルゴールを回し優しい音楽が流れていました。

ライン川クルーズの拠点の街 リューデスハイム。

リューデスハイムで1番の名所がこの「つぐみ横丁」です 。長さ144.5メートルの狭い路地にはとても可愛らしいお店が並び

多くにの観光客で賑わっています。

この横丁にはワイン酒場がぎっしり並んでいますが、まずは昼食に。

「つぐみ横丁」の中にある可愛らしいレストランで昼食です。

漫才コンビのおじ様達と愉快なおば様とガイドさんと同じテーブルになり、もう笑いが止まりません。

昼食後はワイナリー見学、その後はフリータイム。

 

 
 
リューデスハイムは「つぐみ横丁」がメインストリートであり、お洒落な飾り看板も沢山ありました。
 
 
 
とうとう・・・空港に行く時刻となりました。
 
山ばかりを見つめてきていた私、観光らしい観光ってここ数年していなかったので、
 
このヨーロッパの旅はとてもいい刺激になり、昔の旅行癖がフツフツと体のどこかに蘇ってきてしまいました。
 
 
 
そんな事を考えてる内にバスは、フランクフルト空港に到着。
 
ドイツは、機会があればもう一度来るぞぉ~と心に決め、出国手続きへ。
 
 
 
空港のラウンジで搭乗時間までビールを飲み、フィティングルームで着替え
 
JL408便 19時10分 フランクフルト発に搭乗し、機内サービスのワインを呑んで大爆睡。
 
翌日 13時40分 成田国際空港着
 
楽しい8日間は、アットいう間に過ぎ去りました。
 
お疲れさまでした。


帰国してから2ヶ月ちょっと、やっとブログ完成しましたぁ~。

ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯6日目 PM ドイツ・ケルン

2015-06-03 23:26:57 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

 6日目 平成27年4月8日(水) PM

 オランダ・オッテルローからバスで3時間程の移動をし、

国境を越えドイツ・ケルンへと入った。

ドイツではベルリン・ハンブルク・ミュンヘンに次いで4番目に大きな都市である。

ライン川の橋の中腹からは、ひたすら『天』を目指したドイツ・ゴシックの金字塔、ケルン大聖堂が天を仰ぐ。

石畳に響く中世の声、荘厳なゴシック様式で知られ、完成当時世界最高の誇り、現在でも世界最大級の大聖堂となっている。

 

1996年に世界遺産となった、ケルン大聖堂。

ドイツ・ケルン市のシンボルであるケルン大聖堂は、1248年に建設が始まり完成したのは1880年のことです。

途中200年余りの中断があったとは言え、最初の建設計画を変更することなく、ゴシック様式の巨大な聖堂が完成しました。

建造物そのものに備わっている格別の価値とともに、ヨーロッパに脈々と続くキリスト教信仰の証としての価値が評価されています。

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのが1996年。

しかし、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機から、2004年には危機遺産に指定されました。

その後、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年解除されています。

目の前にありすぎて大き過ぎてよく見えない!! 写真を撮ろうとしても全てが入らない!

この大聖堂の建築物を目の前にしたら「とにかく大きいな!」というような一言で始まるでしょう。

記念撮影に一枚と思っても、なかなか全体像が入りきらないサイズで、

目の前の広場にはこの巨大な大聖堂を、どうにかして写真におさめようと試行錯誤する方が多く見られます。

 

世界第2位の大聖堂の高さは、なんと157.38メートル!!幅61メートル。

その高さも圧倒的だが、それ以上に堅実で細かい建築様式のすごさが遠くからでも見てとれる。

大聖堂は3つの玄関と2つの塔が構成に組み込まれています。

ただ大きいだけでなく、この建築物には何百体もの彫刻が飾られており、しかもその一つ一つが有名な彫刻作家によるものです。

そしてブロンズの扉にも数々の美しい彫刻が施されています。

これらに彩られた様はさながら天に向かってそびえたつ屋外彫刻美術館です。

 この大聖堂上ることも出来るんです。この横側の下に下がる階段から入場料を払って入ります。

3ユーロくらいだったと思います。大きな大聖堂なので、それなりの覚悟が必要です。

エレベーターはありません。533段のらせん階段をひたすら上がるだけです。

ちょっと怖いくらいですが、ケルンの町並みが一望できるそうですが、

なんせ我々はツアーだったので、何百段の階段を上がって町並みを眺める余裕の時間などありませんのでスルーです。

大聖堂の礼拝堂です。天井までの高さは43.5mあります。

大聖堂内部の大きさは外からのサイズ感での想像を全く裏切りません。

なんと全長144M、翼廊の幅86M、中廊の高さ43Mもあります。

大聖堂を支える石柱の重厚感、それを装飾する石像。また、数々の美しいステンドグラス。

そこから差し込む光。そして祈りをささげる人々。それらをすべて感じながら静寂なひと時を過ごすことができる空間です。

大聖堂の入り口をはいって右回りに歩いてゆくと、バイエルンの窓があります。

バイエルン王  ルートヴィヒ1世が奉納(1847年)

上部 最後の晩餐、中部 キリスト降架、下部 4人の福音書記

 

左  ミラノのマドンナ と呼ばれる有名な像です。

なぜミラノなのかというと・・・

12世紀 東方三博士の聖遺物 と一緒にミラノから運ばれてきたからだそうです。


聖クリストフォルスが見下ろす祭壇画、大聖堂内陣の「大聖堂の絵」です。

1440年頃のシュテファン・ロホナーの作です。

この作品はシュテファン・ロホナーの代表作で、市の守護聖人たちの祭壇画または大聖堂の絵と呼ばれています。

真ん中の作品に東方三博士の礼拝、左右にはケルン市の守護聖人が描かれています。

大聖堂を支える石組みには彫像が掲げられているのは、全高3.7m礼拝堂内陣の「イエスを担ぐ聖クリスフォロス」です。

イエスが背負う人間全ての罪の重さを同時に背負っています。

元々はギリシア語で「キリストを背負う者」という意味を持つ聖人で、旅の守護聖人らしいです。

ケルン大聖堂にきたらコレは欠かしちゃダメですよ。ミラノからやってきた東方の三賢者の聖遺物。

この聖箱には1000の宝石と真珠で飾られていて、300以上のとても高価な準宝石とカメオが取り付けられているそうです。

確かにめっちゃきらびやかでした…。

そして1月6日の聖三賢者の祭日には、金の冠の置かれた三つの頭蓋を見ることができるらしいです。 

これまた金ピカ 木製十字架、976年にゲロ大司教によって制作された十字架像です。

現存するヨーロッパ最古の十字架。

まだまだ沢山の素敵なステンドグラスがあったのですが、時間に追われゆっくり写真が撮れなくて残念、

名残惜しくも、大聖堂の中から広場へ・・・。

16:30出発し夕食へ。


夕食はドイツ名物、シュニッツェル

宿泊場所は、マインツ・パークイン バイ ラディソンでおやすみなさい。

明日はいよい帰国日、その前にとっても楽しみにしているライン川クルーズです。

 

 

 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯6日目 AM オランダ中部・オッテルロ―

2015-05-22 23:55:24 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

6日目 平成27年4月8日(水) AM

アムステルダム近郊 オッテルローへ→ゴッホの森とクレラーミューラ美術館→国境を越え 
ドイツ・ケルンへ→ケルン観光→マインツ泊


モ―ニングコ―ル 6:30

 朝食 7:20 今朝もバイキンでたっぷりと朝食を頂く。

荷物 7:30

出発 8:30


空はオランダ特有の霧のベ―ルに包まれている、さてツアーも終盤となり、オランダとも今日のAMでさよならとなる。

オランダ最後の目的地はアムステルダムがら東に100キロ、

オランダ中部オッテルロ―にあるクレラ―ミュラー美術館へとバスは走ってゆく。

高速道路は、朝の通勤ラッシュでノロノロ運転なのだ。ヨローッパも渋滞なんてあるのねぇ~。


☆クレラ―・ミュラー美術館

デ・ホ―へ・フェルウェ国立公園は、5500haにも及ぶ、オランダでも大きな自然保護地区のひとつ。

国立公園の真ん中に、クレラ―・ミュラ―の近代的な建物がある。

この建物と美術品の一大コレクションを、国に寄贈したクレラ―夫婦の名を残した美術館で、

世界的に知られるようになった理由は、多くのゴッホのコレクションが寄贈されたからだ。

クレラーミュラー美術館には、270点にのぼる世界最大規模のゴッホの作品があるのだとか。

『アルルのハネ橋』『糸杉』『ひまわり』『星空のカフェテラス』『郵便配達夫』『自画像』などだ。

アムステルダムのゴッホ美術館と並び二大ゴッホ美術館だそうですよ。

 緑一杯の中に佇む素敵なガラス張りの美術館。

自然と芸術が共存しているかのような素敵な美術館です。

美術館の中はフラッシュ撮影以外、写真OKなので撮り放題でした。

フラッシュ撮影禁止の理由は、強い光を浴びせると絵の色があせるからだそうです。

美術館ではガイドさんと一緒に説明を聞きながら回ります。

フィンセント・ファン・ゴッホ ジャガイモを食べる人々」

画家として活動を始めた時期、オランダ時代のゴッホは農民を主題にこんな絵をいくつか残しています。

ゴッホが初めて完成させた絵だそうです。初期の絵は暗い色調で表現されています。

フランスに移り住むとゴッホの絵はガラリと変わり、明るく多彩な色の印象が強烈です。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「四輪の枯れたひまわり」1887

 ゴッホといえば、太陽に向かって燃えるように咲く黄色のひまわりが有名ですが、

パリ時代から、ひまわりは好んで描いていましたが、アルルに来て一層ゴッホの

心を惹きつけて「炎の画家」と呼ばれるようになり、、素晴らしい作品の数々を残すことになりました。

この四輪の枯れたひまわりは、ひまわり初期の作品だそうです。

 初期のひまわりは、このように暗い色遣いだったようです。

 この絵がクレラー・ミュラーの一番気に入った絵であり、 1928年に最初に購入したもの。

 

そしてこの美術館で一番惹かれた絵は・・・。 

 フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス
                            1888・9月

 ゴッホが、フランスアルルの町に来た時に描いた一番最初の夜の絵。

アルルの星空の下、人でにぎわうカフェテラスが描かれています。

『天空に輝く星は、夜空の花びらのようだ』と、黒を使わずに描かれた夜空。

晩年のゴッホもよく通っていたというこのカフェは、

アルルの町で、今でもこのままの姿で「カフェ・バン・ゴッホ」の名で営業しているのだそうです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 1888年


                           そして、もう一つすっごく有名なゴッホの作品、「アルルの跳ね橋」です。

アルルへきたゴッホは、運河に架かっていた跳ね橋にとても惹かれて、

4枚の油絵と一枚の水彩、デッサンを2枚残しています。

ゴッホは日本の浮世絵に感心があり広重の橋の模写もしています。

そしてアルルの跳ね橋の風景は、浮世絵を連想させたみたいで気に入ったようです。

 フィンセント・ファン・ゴッホ 「種まく人」

1888

ゴッホが最も共感した画家が、ジャン・フランソワ・ミレーでした。

ミレーの「種まく人」は、ゴッホがくり返し模写した作品です。

この作品も、その中の一枚です。

すっかりゴッホの世界になっていて、とっても魅力的な作品です。

 

【フィンセント・ファン・ゴッホ】   (1853年ー1890年)

オランダの牧師の息子として生まれました。

1880年に画家になる決心をしてベルギーのブリュッセルでデッサンの勉強を始めました。

現在でこそ、高い評価を受けていますが、現存時代は不遇の生涯を送りました。

生前に売れた絵はたった一枚、≪赤い葡萄畑≫という作品だけだったそうです。

生活は、1872年から亡くなる迄の約20年間文通していた、4歳下の弟のテロ(画商)が援助していたという話は有名です。

そして、1890年7月27日にパリ近郊の、オーヴェール・シュル・オワーズで、銃で胸を撃って自殺したのです。

享年37歳という若さでした。弟のテロも、ゴッホが亡くなった翌年に後を追うように自殺。

しっかりと作品を守ってくれた弟家族。

そしてクレラー夫妻が買い取って、こうやって私たちに残してくれたゴッホの絵の数々。

 

館内で絵画の説明を聞いた後は、フリータイム。

 

この美術館の庭に出てあらためて、その空気の美味しさをも堪能させていただきました。

不安定な姿勢の緊張感。

きっとこのあと横になる動作の途中なのでしょうか? それとも誰かをキックするところなのでしょうか?

想像が膨らみ面白いです。

左の彫刻も想像すると面白いですね、亀にも見えますが・・・。

このクレラーミュラー美術館は、屋外彫刻美術が充実していることでも有名です。

アートと植物が融合し引き立てあって完成された屋外美術館、

まさに彫刻の森・・・

季節によってはたくさんの来場者があるようですが、

私たちが到着した時間がわりと早めだったので、入館もスンナリでした。

奇顔の彫刻。

 

朝 クレラーミューラ美術館に到着した時は、開館時間前だったので美術館の外で待っていました。

遠足に来ていた沢山の園児も一緒に。園児達は広大な広場で遊ぶそうで館内には入りません。

 

入館を待っている時に、現地ガイドが世界一幸せな子供が、オランダの子供だという話しをしてました。

 オランダの国は子供を凄く大切にする国であり、幼稚園では子供三人に対し保育士一人が就き面倒をみるそうです。 

なので1クラス18人のクラスならば、保育士が6人いるという訳です。

 

 そして白人の両親に黒人又はアジア人の子ども、という家族がよくあるそうで、

こちらでは養子を取ることは極めて一般的だそうです。

自分の産んだ子どもがいても更に養子を取るケースもあるとか。

 

さてさて、お腹もすいてきたところで昼食へ。

 

美術館を出て、一旦バスに乗り込み、デ・ホ―へ・フェルウェ国立公園内にあるレストランへ移動です。

バスの運転手さん、レストランの場所が分らなく美術館でガイドをしてくれた人が車で先導します。

とっても素敵な森の中の、ガラス張りのレストランでの昼食。

レストランで働いていたお姉さん達、縦も横もデカイ!身長175cmだって・・・。

でも、オランダでは普通です。さすが世界一体の大きな人が多い国だけあります。


12:50発
アムステルダムに別れをつげ、再び国境を越えてドイツ・ケルンへ。
3時間20分の移動。

 

 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯5日目  PM【オランダ】 アムステルダム 運河クルーズ

2015-05-21 23:48:13 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

 5日目  PM【オランダ】 アムステルダム 運河クルーズ

 ザ―ンセスカスからオランダの首都アムステルダムへ戻り、次の予定は運河クルーズです。

クルーズの時間まで自由行動となり我々は、中央駅の中を覗きに行ってみました。

日本の駅とは違って、お土産さんやお店などはなく殺風景な雰囲気の駅。日本の駅が特別なんだよね。

 

16:00 【世界遺産】 アムステルダム運河クル―ズ船は、中央駅前が乗船場になっています。

 北海運河→中央駅→オランダ海洋博物館とアムステルダム号→

東港→モンテルバ―ンの塔→マヘレのハネ橋→七つの橋→ゴ―ルデンカ―ブ→水門 と、船はゆっくりと運河を進む。

 

アムステルダムの街の中心の地図を見ると、網の目のように運河が張り巡らされています。

運河は主要な交通手段であり、商船や個人のボート、クルーズ船など、大小さまざまな船が走っています。

我々は観光用のクルーズ船に乗り、運河クルーズへ。

運河の両サイドに係留されていた多くの船ですが「水上生活者」の家屋(ハウスボート)だそうです。

居住権もあり税金も払っていて、現在も人が住んで暮らしているれっきとした住宅で、

番地もちゃんと付いており、電気、水道も引いてあるそうです。

ハウスボートの中には、観光客が宿泊できる小さなホテルになっているものもあるとか。

「水上生活」は歴史的にも古くから行われていて、正当な権利として認められているそうです。

もう係留許可がおりないので、ステータスになってるそう。いろんなハウスボートがあり工夫されていました。

夏涼しくていいんじゃないの?揺れないのかな?なんて・・・。

 アムステルダムには約2500軒ものハウスボートがあるそうです。

シンゲル運河に沿って行くと世界一間口の狭い家があります。7番地の小さな家の間口はわずか1m。

でも外見は見せかけで、実際の玄関の幅は7mあります。

17世紀には運河に面した建物は間口の広さに応じて税金がかけられたため、この不思議な建物が生まれたそうです。

ハウスボートといい玄関の間口といい昔から税金対策に工夫をされていたのですね。

オランダの国って、合法的なとこやこの様な税金対策の工夫など自由を尊重する国であり、

遊び心が豊富なんだろうなぁ~と強く感じた国でありました。

七つの橋

 へ―レン運河から、それに交わるレギュレリエス運河を望むと、

ここが、アムステルダムの運河クルーズで見逃してはならないポイント。
 
名所とされているつ橋です。
 
ここからレンガ造りの橋が7本、一直線に並んで見えるという超有名スポット。
 
確かにこれは、運河クルーズでしか見られない光景ですもんね。
 
…と言いつつ、どんだけ目を凝らしても、7本の橋は確認できませんでした~。

ゴ―ルデンカ―ブ へ―レン運河の南部、運河がカ―ブしている部分の両岸には、

間口が広く装飾の美しい17世紀の豪商たちの邸宅が並ぶ。間口が広い豪邸地区です。

  マヘレのハネ橋 17世紀に造られたという、木製のハネ橋。マヘレ橋は、ほっそりした橋と言う意味。

今は電動になったが、数年前までは17世紀当時のままに、手動で開閉されていた。

アムステルダムの美しい風景です。

 モンテルバ―ンの塔 もとは16世紀初頭に造られた城壁の見張り台で、平らな屋根には大砲が載せられていた。

時計台は17世紀になってから建築家が取り付けたもの。

 フランクフルトから逃げてきていたアンネ・フランク一家が、1944年ゲシュタポに発見され、

アウシュビッツの強制収容所に送られるまでの2年間を過ごした、アンネの家は見逃した・・・。ショック!

 

  

ダイヤモンド工場の見学という予定(必要あるの?)が組み込まれていたので、工場(のプライベート船着き場)で下船。

 ☆ダイヤモンド工房 見学・・・。

ダイヤモンド見るより、アムステルダムフリータイムがいいのになぁ~。


研磨作業の職人さん見てもねぇ~。

ブリリアンカット?磨いているのは(一粒)一千万円くらい? へぇ~。

 ダイヤモンド工房は、全く興味がなかったので気がつけば1枚も写真撮っていませんでした。

 その後夕食を頂き、アムステルダム ホテル ホリディインでおやすみなさい。







 

 

 

 

 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯5日目  PM【オランダ】ザ―ンセスカス~アムステルダム

2015-05-20 23:20:44 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

 5日目  PM【オランダ】ザ―ンセスカスへ。

 

アムステルダムの北におよそ15キロにあるザ―ンセスカスは、風の強い地域である北ホランド州にある、

オランダンの原風景が広がる、風車村なのだ。

風車村として知られているが、ここは村全体が博物館のような場所。

これが子供の頃から見たかったオランダの風車なのだ。緑の風車は製材用風車。

 村全体が博物館の様なザ―ンセスカンス風車村は、17~18世紀のオランダの生活がみられる場所。

風車は大きいものから小さい物まであり、大きな風車になるとビルの5~6階の高さまである。

 

近くには風車以外にも伝統的な民家の集落があり、今も人々が生活しています。

今でこそテーマパーク的な雰囲気のある『ザーンセ スカンス』ですが、

そもそもは17~18世紀にザーン川に沿って建てられた風車群で、

それらは世界初の工業地帯と呼ばれていたほどですから驚きです!

全盛期には600基を超える風車がこの地で回っており、ナポレオンも驚嘆したといいます。

重い風車の羽(15トンほど)を風上に向けるのは風車番の役目。

風車番は風車の回転スピードの調整作業も仕事のひとつだとか。

染料を作る風車だけがこの日は回転していました。

1850年以降、風車に変わって蒸気機関が役目をになう事になり、

たくさんあった風車は引退となったそうです。

 

 

 

風車のある対岸の景色。

風車のある土手の反対側。

平坦な土地が続いています。鳥もたくさんいました。

村の中には、小さな運河があちこちに流れています。

レンガを敷き詰めた小路を行くと、ザーン地方特有のグリーンの壁と白い窓枠の家々が並んでいて、

メルヘンの世界に入り込んだ気分になります。

 

ザーン地方独特のお家群。可愛い~。

大雨による洪水、床上浸水とかないのでしょうかね?ちょっと気になりました。

その他、村にはチーズ工場やオランダに関するお土産屋さん、伝統的な木靴を作って売るお店などあり、

いわゆる日本人のイメージするオランダ関連のものがチュリーップ以外すべてそろっています。

木靴工房では、木靴を作る工程をデモンストレーションしていました。

 

14:55 アムステルダムへ戻り、1時間程の運河地区クルーズへ。

 

  

 

 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯5日目  AM【オランダ】リッセ

2015-05-19 23:01:00 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

5日目 平成27年4月7日(火)

 

アムステルダム近郊→ リッセ・ キューケンホフ公園→ザーンセスカンス風車村→アムステルダム・運河クルーズ。

朝食 7:20

荷物出し 7:30

出発 8:30

 日をおってツアーの人達とも和気あいあいとなり、朝から賑やかな車内となる。

その中でも一人参加の男性2人の会話を聞いていると、まるで漫才をしてるような会話に笑いが止まらない。

賑やかなバスは、オランダの南ホランド州にある町リッセへと向かいます。

バスで少し走ると、真っ白な霧のベ―ルに包まれる。オランダは霧が多いらしい。

首都アムステルダムからバスで40分程で、リッセにあるキュ―ケンホフ公園に到着。

オランダは北海道よりも北に位置している為、東京よりも1ヶ月位暖かくなるのが遅いようで、

チューリップが咲いているか不安でしたが、見事に咲いていました。

霧がかかりちょっと幻想的なキュ―ケンホフ公園。

春のオランダ最大の楽しみはチュ―リップ見物だそうです。

北海に面した海岸の砂地地帯は一面チュ―リップ畑となり、まさにチュ―リップの絨毯を敷き詰めたよう。

しかし畑では球根を育てるため、咲いたと思うとすぐに花を摘み取ってしまう。

花の絨毯はすぐに消えてしまいます。

そこで球根栽培のプロたちが、花ならここでどうぞごゆっくりご覧くださいとばかりに造ったのが、

世界的に有名な1年に1度わずか2カ月しか開園しない、キュ―ケンホフ公園。

閉園しているときは、球根の植え替えをし新しいくレイアウトされ、毎年飽きない工夫をしている。

7000株の色とりどりの花々が咲き誇る美しい公園で、特にチュ―リップが有名である。

 

 チュ―リップの原産国は、オランダだとばかり思っていましたが、違うんですねぇ~。

トルコのアナトリア地方が原産国であり、16世紀後半、戦国時代末期に船で運ばれてきたそうです。

園内ではゴッホ展

2015年のテ―マ

ゴッホの人生と作品がもようせれていました。

今年はゴッホ没後125周年の記念です。

ゴッホについては、後ほど。

 

3時間の自由行動も終わり、

12:05 オランダ北ホランド州 ザ―ンセスカス へ。

 

 

 

 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯4日目  PM【オランダ】アムステルダム

2015-05-18 23:54:08 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

 

4日目PM 平成27年4月6日(月)

15:00 ベルギー最後の観光地アントワープをあとにし、

45分程バスで走るとオランダ国境越え、さらに1時間半程でオランダの首都 アムステルダムへと入った。

オランダは、縦横に走る運河や川、そして湖水地帯が目につき、水の豊富な国なのだ。

オランダの、国土4分の1は海抜0メートル以下。

今回オランダを旅していて、道路より高い所に運河がある場面に出くわした。

自動車より高い所を船が行く風景が見られるのはこの国だけだろう。


オランダの面積は、九州とほぼ同じ。公用語は、オランダ語とドイツ語。

首都・アムステルダム は、北のベニスとも呼ばれる運河と橋の街、

サウダ―ゼ―と呼ばれる入江にアムステルダム川が流れ込んでおり、

13世紀、河口近くの平地にダムを造り人々が住み始めた。

これが現在のアムステルダムの始まりだそうです。



アムステルダムの旧市街地は、世界遺産になってる。

そして美しい運河と街並みを持つアムステルダム。 

アムステルダムの観光といえば・・・

まずアムステルダム中央駅

この駅はご存知のように、東京駅・丸の内駅舎のモデルともなったとても瀟洒な建物でした。

ネオルネッサンス様式といわれるその建物は赤レンガ造り。

アムステルダムのシンボルのひとつ、まさに日本の東京駅と同じでオランダの玄関です。

アムステルダム中央駅 から左手には、聖ニコラス教会。

ネオ・バロック様式で1887年に建てられました。

アムステルダムでは珍しいカトリックの教会です。

 

さらにアムステルダム中央駅から、まっすぐに伸びる道路の先には『ダム広場』があります。

アムステルダムのおへそ、アムスの心臓、などと呼ばれるダム広場。

アムステルダムの歴史が始まった場所でもあり、アムステル川をダムでせき止めることにより発展したアムステルダムの町の中心地。

☆王宮

ダム広場の西側に威風堂々と建っているのが、現在は迎賓館として使われている王宮。



ダム広場の王宮と反対側に、高さ22mの石柱が立っています。

第二次世界大戦で亡くなったオランダ国民の霊を慰める戦没者慰霊塔で、1956年に建立されました。

1960年代から70年代にかけては世界中のヒッピ―のたまり場、情報交換の場として、『あしかの丘』とも呼ばれていた。

運河のたもとに、高い塔が見えてきました。これが、アムステルダム名物の一つ、ムント塔です。

ムントとは貨幣のことで、ここで貨幣が鋳造されたことからこの名があるとのことです。

塔は時計台になっており、中に設置されたカリヨンが美しい音楽を奏でるそうです。

オランダは自転車大国。

1/4が海抜0メートル以下のオランダは、平坦な土地がらから自転車の普及率は世界ナンバー1と言われ、

アムステルダムは人間の数より自転車の数が多く、オランダ人の生活に欠かせない物になっている。

もの凄いスピードで走って来ます、自転車を気にしながら歩いてないと引かれてしまいます。

日本では車に気をつけてぇ~と言いますが、ここでは自転車に気を付けて下さい、とガイドに言われます。

車道・自転車道・歩行者専用道とそれぞれ区別され、さらに路面電車も走っているのグチャグチャしています。

 

もう一つ別の面を持つオランダ!港町の中心には、麻薬の密売所があります。

オランダは麻薬が合法というのは有名な話だが、本当に街中で普通に吸っている

明らかに煙草の煙とは違う臭いがする、多分あの臭いが麻薬の臭いなのではないか?と感じる。


麻薬が吸えるコーヒーショップも沢山あって、ちょっと路地に入れば普通のカフェでなさそうな薄暗い店が並んでる。

「カフェ」というのは日本でいう普通の喫茶店、「コーヒーショップ」と書かれているのは麻薬が吸え買える店なんだとか。

知らないと普通に入ってしまうぐらい、完全に溶け込んでいます。

オランダは治安などの常識が他とは違う国なのだそうです。

そんな国へ、のんびりとしたベルギーから入った私が感じた事は、

街並みも行き交う人並みも変わってきた。同じヨローッパなのに国が違えばやはり文化が違う!

いやぁ~違い過ぎた!でもいい国、大変面白く興味のある国です。

自由奔放な国オランダです。

世界で一番体の大きな人が多いのも、オランダ人だそうです。自由奔放な国なので体も大きいのでしょうか?

 

アムステルダムといえばもう一つ、有名な飾り窓を忘れてはいけない。

「飾り窓」の歴史は大変古いといわれています。

かつて13世紀ごろ、小さな漁村だったアムステルダムにやってくる漁師や行商人たちのために、

くつろぐ場所として作られたのがその始まりだそうです。

 

中央駅とダム通りに挟まれたダムラック通りの南東側はヨーロッパでも有数の歓楽街であり、

ここでは昼間から娼婦の皆さんが、肌も露な下着姿でガラス窓の中から通りを行く人たち(おもに男性)に微笑みかけ、

あるいは手招きしている。昼間なら家族連れがぶらぶら歩き、観光バスが通る運河沿いなのである。

交渉は彼女たちに直接話しかけて値決めし、商談が成立すればショー・ウィンドウのすぐ後ろ、

カーテンの影にある小部屋に入ることになるらしい。 

アムステルダムでは売春が合法の上に、観光地として成り立っています。

オランダは合法売春の国、性に関してはかなりオープンですね。ツアーの男性達はシャッターを押し捲ってました。


なんと昼の美しく静かな街並から一変、夜には怪しい赤いライトに照らされた飾り窓地区は、

アムステルダムの裏の顔と言えるでしょう。

 

美しい運河と街並みを持つアムステルダムと、麻薬・性に関して合法的な裏の顔等の話しを、

ガイディングレシーバーで聞きながら街歩きをしてると、そのギャップが大きく実に面白いです。



夕食は、オランダ名物、エルテンス―プ。

エルテンス―プとは、青豆のス―プ、ジャガイモなどの野菜、ソ―セ―ジを長時間煮込んだもの。


宿泊先は、アムステルダム ホリディイン 


本日は、帰りの飛行機の搭乗3日前なので、寝る前に座席のWebチェックインで座席確保して、

おやすみなさい。




 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯4日目 AM 【ベルギー】アントワープ

2015-05-17 23:25:46 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

4日目AM 平成27年4月6日(月)

【ベルギー】ブリュッセル近郊→ 【ベルギー北東部】アントワ―プ→【オランダ】アムステルダムへと移動する。



朝食 6:30

ツアーの人達とも、顔見知りになり旅の疲れも少々でてきた4日目の朝。

出発時間は、ちょっとゆったりめの時刻なので、早めに食事をすませ、

ホテル近くの中央駅を散策、日本でいうコンビニに入りお土産を物色しホテルに戻る。

荷物出し 8:30

出発 9:30

ホテルからバスで30分の場所にある、

グランビガ―ル城へ。

春の1カ月間限定で開園するベルギー最大のフラワーショ―。

チュ―リップもちょうどいい感じでありました。



14ヘクタールの園内は、100株以上の花々が賑わう。



 11:00 グランビガ―ル城発。

1時間程移動してベルギー最後の観光地は、ベルギー第2の都市 アントワ―プへ。

アントワ―プは、ブリュッセルから北へ45キロ、オランダン国境までわずか30キロのベルギー北部に位置する、人口約50万人の街。

アントワ―プはヨ―ロッパ最大の石油都市 、バロック・ル―ベンスの街ともいわれ、

一番わかりやすいのが日本でも有名な『プランタースの犬』の舞台になった場所。

フランダ―スの犬が日本で紹介されたのは大正時代。ベルギーで紹介されたのが1905年。



☆【世界遺産】ノ―トルダム大聖堂 鐘楼



1352年から約170年の歳月をかけて建設された、ベルギーで一番大きなゴシック教会。

塔の高さは約123メートルで、かつては港に入ってくる船の目印だったという。

そしてノ―トルダム大聖堂といえば!ル―ベンスの最高傑作3連祭壇画はあまりに有名でありますね。

フランダースの犬の主人公 ネロ少年のように、私も聖堂の中に入ってみました。

中央の祭壇です。

ネロ少年とパトラッシュは、クリスマスの晩この前にうずくまって亡くなりました。

中央の祭壇画のアップです。

 上昇していくマリア様の微笑み「マリア被昇天」

 まさに、中央祭壇を飾るのにふさわしい絵だと思いました。 

絵画はもちろん、大聖堂内の内部の造りの見事さにも驚かされます。来て良かった!改めて実感が沸きます。

中に入ると天井は見上げても見上げても目が届かないほど高く、

広々とした空間に繊細な建築技術が盛り込まれ、静かで神聖な感じを受けました。

周りを見渡せばステンドガラスが埋め込まれとても綺麗で異空間であります。

そして、これがネロ少年が一番見たかったルーベンスの「キリスト降架」。

縦421cm、横311cmにも及ぶ大作で、磔刑に処されたイエスの亡骸が降ろされる場面が描かれている。

ルーベンスの最大の傑作と言われています。

ゴルゴタの丘で十字架にかけられるイエス「キリスト昇架」

「キリストの復活」

キリストの姿が、意外なくらい力強く描かれていたのが印象的でした。

私、絵にはまったく興味もなかったのですが、ルーベンスの絵画には圧倒しまくりであり、

歴史が詰まっいる凄いものを観てしまったのだと、つくづく感じました。

人の心に響くものって、いつまでも大切に保管されていくのですね。

 

ノートルダム大聖堂前の広場から、路地を抜けるとマルクト広場が広がります。

マルクト広場を囲むように・・・



市庁舎や

かつてのギルドハウスがずらりと並んでいます。

昨日観光したブルージュはフランドルの重要な港町でしたが、

15世紀になると運河に土砂が溜まり港としての機能を失ってしまいました。

代わって発展したのがアントワープ。

特に15~16世紀にかけては「黄金のアントワープ」と讃えられ、

市庁舎やギルトハウスの上には、金のオブジェが乗っています。

 

新しい発見の数々、楽しい旅はまだまだ続きがあります、

さてさて次は・・・ オランダへ向かいますが。

長くなってきたので、PMのオランダのお話しは次回とさせて頂きます。

 


 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯3日目 PM 【ベルギー】古都ゲント~ブリュッセル

2015-05-16 23:09:52 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

3日目

平成27年4月5日(日) PM    

13:30 ブリュッセルから55㌔離れた古都ゲントへと向かう。

中世以来ブルージュのライバルとして歴史に登場していた由緒ある町ゲント。

ブリュッセルの街は、可愛らしいおとぎの国と云ったイメージだが、

ゲントは中世にタイムスリップしたようなクラッシックな街並みであった。

ゲントは9世紀からフランドル伯の居城があり、陽の沈まぬ大帝国を支配した神聖ローマ帝国のカール5世の誕生地でもあります。

【世界遺産】鐘楼

1300年頃に建てられた鐘楼の本来の目的は、非常時に軍隊を召集するためのものだったという。

 

ゲントの中心に位置する聖バーフ教会。

12世紀に着工し16世紀に完成した。ロマネスク様式の礼拝堂がある。

宝物殿には中世の宝飾品のコレクションがある。

今回は、残念な事に大規模な修復工事中で全容は観られなかった。

聖バーフ教会の中には、ファン・アイク兄弟作『ゲントの祭壇画』がある。

複数のパネルで構成された、高さ3m75cm、幅5m20cmの大作です。

上段中央には、左から聖母マリア、父なる神、洗礼者ヨハネがそれぞれ1枚のパネルに描かれています。

下段に描かれているのは、この祭壇画の中心テーマ「神秘の子羊の礼拝」。キリストの復活と再生の物語です。

なんといってもゲントの至宝と呼ばれるファンアイクの「神秘の子羊」などの傑作が数々所蔵されている。

礼拝堂内は撮影禁止だったので、祭壇画だけ見学して来ました。

この画像は、修復工事中のホロに掛けてあった絵を撮影。

聖バーフ教会の近くには、

この大作を手がけた美の巨人ともいえる、ファン・アイク兄弟のブロンズ像。

 

聖ニコラス教会の裏手

 

聖ミハエル橋のたもとにある聖ミハエル教会。

聖ミハエル橋から振り返ると、聖ニコラス教会や鐘楼が並び、クラシックな景観です。

ゲントの代表的なスポットでしょうね。

ベルギーの歴史はここから始まったのだという実感が沸いてくる、いかにも中世的な建物が並んでいます。

聖ミハエル橋の上に立つ、聖ミハエルの像。

ミハエル橋の上から北側を撮影。

レイエ川の両岸に、コーンレイ(左側)やグラスレイ(右側)のギルドハウスの町並みが見られます。

ミハエル橋からグラスレイ側

橋の下から見たミハエル橋

☆グラスレイ散策

昔は港だったグラスレイには、当時の商人たちの富と力を象徴するかのような壮麗なギルトハウスが建ち並らんでいる。

グラスレイの非常に凝った造りのギルドハウス

ギルトハウスは南から自由船員組合のギルトハウス。(ブラバント・ゴシック様式)

小麦計量検査官のギルトハウス。(後期バロック様式)

港使用税徴収官の小さな家。(フランドル・ルネッサンス様式) 穀物倉庫。(ロマネスク様式)

最初の穀物計量検査官のギルトハウス(フランドル・ルネッサンス様式)

メーソンのギルトハウスが並ぶ。(ブラバント・ゴシック様式)

それぞれ建築様式が違うって見学している面白さがあります。

橋をおりるとレストランが連なり憩いの場となっており、それぞれの時間を楽しんでいます。

 

☆大肉市場

こちらは中世のお肉屋さん、名前の通りですね。

15世紀に建てられた中世の建物が今もなお残り、現在は内部にカフェがあるため、自由に中に入ることが可能です。

内装も当時のままであり非常に雰囲気が良く、

上からはお肉のレプリカをぶら下げており、何も知らない人でも、当時お肉屋さんだったことを連想させてくれます。

 そしてベルギーといえば、やっぱりビールなんですねぇ~。こちらの人はビールが水の変わりなんでしょうかね?

街のいたる場所に、ビールが売っています。

 

 16:00ブリュセルへ戻ります。約1時間の移動。

ブリュッセル旧市街地観光 へ。

ブリュッセルの名は、『湿地帯にある砦』を意味するBrouscellaから由来している。

今ではその影も形もないセンヌ川の中のサン・ジェリー島に、

領主ロ―トリンゲン公、シャルル・ド・フランスが小さな砦を築いたのが紀元979年。

1000年を超える歴史を誇る古い街なのである。


グランプラスは、ブリュッセルを訪れる人は誰もが必ず一度は足を運ぶ大広場。

都市でありながら、グランプラス周辺は中世の建物と小さな商店やレストラン、バーが立ち並び、

狭い路地が迷路のように絡み合った喧噪の街。

とげとげしいゴシック建築と華麗なバロック建築に囲まれた美しい広場です。

グランプラス広場を囲む建物のなかでもひときわ華麗な外観を見せるのが、フランボワイヤン・ゴシック様式の

ブリュッセル市庁舎。

頂に守護天使ミカエルの像が輝く高さ96m尖塔が広場のシンボルなのである。

 

☆ 王の家

「王の家」と呼ばれているが、実際には王様が住んだことはない。

現在は、ブリュッセル市立博物館になっていて、3階には世界各国から送られてきた

有名な「小便小僧」の衣装のコレクションがある。

☆ブラバン公爵の館

ちょうど建物の真ん中の高さの辺りにずらっと歴代のブラバン公の胸像が飾られているので
 
この名前で呼ばれているそうです。
 
ここにはチョコレート博物館、レストランがあります。
 
上はホテルになっているそうです。

街を歩けばワッフルの甘い香りが漂い、ついつい食べたくなってしまう。

そんな甘い香りのする中に、有名な「小便小僧」。ちっちゃい!想像していたのはもっと大きな像だと思っていました。

☆小便小僧

ブリュッセルの最長老市民のキャッチフレ―ズで、世界的にも有名な小便小僧は、

別名『ジュリアン君』として親しまれている。ブリュッセルの人気者、愛くるしい!

彼が作られた由来については、いろいろな説があるが定説はないそうだ。

そのひとつは、ブリュッセルを敵軍が包囲し、城壁を落とそうと火薬の導火線に火をつけたが、

ブラバン公の王子がおしっこをかけて消し、味方を勝利に導いたというもの。

 

グランプラス広場を抜け、レストランが建ち並ぶ細い路地の奥に南京錠をかけられた鉄柵の中でひっそりと佇む彼女の顔は……

小便少女です。 

現在、小便少女基金はガン・エイズ撲滅に力をいれていて、

この小便少女から出る水の下にある入れ物に投げられたコインは全てその運動に寄付されているそうです。

その他には、小便犬もいるらしいですが気が付きませんでした。

 

【世界遺産】 ☆セルクラ―スの像

『星の家』の下の壁にあるセルクラ―スの像は、

ブリュッセルを訪れこの像に触れる人々はに幸運をもたらすと昔から言い伝えられている。

触ったけど写真撮らなかったわ。

 

広場に面したレストランやカフェでは人々が昼間からビールを飲んで談笑し、ビールの飲み比べでもしているようだ。

 

20:00 我々も、 夕食は、名物ム―ル貝の白ワイン蒸しを頂き、

前夜と同じホテル、 プリマン ブリュッセル ミディNO.742のお部屋で

お休みなさいとなりました。

 

 






 


ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部周遊♯3日目 AM 【ベルギー】ブルージュ

2015-05-15 22:54:54 | ベネルスク3ヶ国&ドイツ西部

3日目  平成27年4月5日(日) 

【ベルギー北西部】ブルージュ→ゲントへ。



ブリュッセル近郊→ブルージュ→ゲント→ブリュッセル→ブリュッセル近郊泊

6時起床


7時朝食
8時出発
ブル―ジュへ、1時間半の移動となる。

ベルギーの面積は、30500k㎡ 人口 約1110万人



この日ヨ―ロッパ最大の祝日イ―スタ―の日で街は賑わっていました。

9:30 ブルージュ着、 楽しみにしていたベルギー最初の観光地は・・・。

ブランドルの『水の都』ブルージュ。

Bruggeとは『橋』の意味で、町を縦横に流れる運河には、50以上の美しい橋が架かっている。

すぐ近くにブランドル地方最古の豪華ゴシック建築の市庁舎や、神聖な雰囲気をかもし出す聖血礼拝堂など並びます。

【世界遺産】ブルージュ歴史地区観光

 

☆愛の湖

中世ブルージュの内港だった所で、今では運河と水門で仕切られた湖となっている。

緑に囲まれた静かな公園と白鳥の遊ぶ湖はまさに一枚の絵のようだ。

【世界遺産】ベギン会修道院

1245年にフランドル伯夫人によって設立された修道院。

現在はベギン会修道女ではなく、15世紀そのままの修道服を身に着けたベネディクト派の修道女たちが暮らしている。

玄関ホ―ル、フラドル風台所、サロン、小回廊、寝室、食堂からなる、実に質素でひっそりとしたたたずまいであった。

街を歩けば、運河に白鳥が多いことも気づく。

白鳥はブルージュのシンボルにもなっており、街中の運河や緑のあるところでみることができます。

ベルギーで見たかった一つは、このギルドハウス。

この後、マルクト広場、午後に行くゲントでも見られるのでとっても楽しみでなりません。

ブルージュの街並み

 この日は、自転車レースの日であり狭い石畳を猛スピードで走り去ってゆく、

ギャラリーが多く、人と人の足の隙間から写真を写してみました。 

 

街の中心にある橋の前に聖母教会があります。

 高さ122mの塔は独特な形をしており、上部の橙色もエレガント。

この高さは勿論ブルージュでは最高で、 レンガ造りとしては世界でも2番目の高さだとか。

教会は13世紀から15世紀にかけての建立で、 その後何度も改修され、さまざまな建築様式が混じっています。

小さな小舟に乗って、運河巡りをする人達。

ブルージュの名のもとになった石造りの古い橋が空に描く様はため息がでるほどの美しさ。

“北のヴェネチア””屋根のない美術館””水の都”など、様々な異名を持つベルギーにある美しい街「ブルージュ(Brugge)」。

ヨーロッパの中でも特に中世の面影を色濃く残す街として、誰もが恋してしまう街。

ブルージュが”橋の街”であることもわかります。

おとぎの国のイメージは人それぞれだけど、ブルージュは私にとっておとぎの国でした。

よく中世の街が保存されています。まるで、タイムスリップしたかのような不思議な感覚でした。 

ブルージュ市内へ。

【世界遺産】鐘楼

美しい建物が並ぶマルクト広場でもひときわ目立っているのが、この13世紀からあ15世紀に建てられた鐘楼。

高さ83メートルの塔へは、366段の石のらせん階段で上がることができる。

上から見るブルージュの町とフランドル平原のパノラマは最高らしい。

47個の鐘が組まれたカリヨンは、ヨ―ロッパでも、その音色は折り紙つき。15分ごとに鳴る。

登りたかったのだが、時間がなく断念。

☆マルクト広場

ブルージュの市内の中心マルクト広場には、中世の栄華を偲ばせる数々の魅力的な建築を配した、ヨ―ロッパ5指に入る美しい広場らしいです。

マルクト広場の中心には、ブルージュの英雄ヤン・ブレーデルの像が立っている。

☆市庁舎

聖血礼拝堂とは隣り合わせで、1376年から1420年にかけて建てられた、ベルギーで最も古い市庁舎のひとつ。

建物正面の像やレリーフは、聖書の物語や歴史上のできごとを表している。

古都ブルージュを訪れる誰しもが一度は通るであろうマルクト広場。

かわいいらしギルドハウスが建ち並び、人が楽しげに過ごし活気溢れる場所であり雰囲気はとても良く、

ブルージュに訪れたなら、来るべき場所のひとつとも言えるでしょう。

マルクト広場にいた人々。

ブルージュ名物でもある観光馬車のひずめの音が優雅に響き渡ります。

そんな優雅な気分を味わえるマルクト広場で、我々もベルギービールで乾杯!

ビールの価格はピンキリですが、ちなみにこのビールは日本円で200円程度、発泡酒ではありませんよ。

ヨーロッパは、水とビールの価格がほぼ同額です。

街のビール屋さんのショーウィンドーには、凄い種類のビールが陳列されています。

甘めの物、口当たりの良い物、酸味の強い物、まろやかな物や、アルコール度数の高い低い等々・・・さまざまです。

何処から飲んでいいのか?分らなくなってきますよね。



街中の赤いポスト。丸ではなく四角であります。

ブルージュの街をたっぷりと見学した後は、午後は古都ゲントへと向かいます。