大空と大地の中で。

大自然を相手に駆け回ってます。

ブルガリア・ルーマニアツアー♯5-2  ブルガリア・ソフィア~プロヴディフへ

2016-08-30 09:43:32 | ルーマニア・ブルガリア

 

平成28年7月16日 PM

 

ブルガリア第二の都市、ブロヴディフへ。

昔から商業で栄えた都市なので、旧市街は、民族復興期の独特で美しい建物がたくさんあり、見ごたえがあります。

そこに古代ローマの遺跡まであるのですから、本当にすごい町です。

プロヴディフの歴史は古く、紀元前4000年まで遡れるという。

実際、町を歩くとトラキア人が残した要塞の跡から、ローマ時代の数々の遺産

ビザンティン帝国が残した遺跡、オスマン・トルコ時代の建物、

そして民族復興期の邸宅にいたるまで、すべての時代の見どころが存在してます。

聖ネデリヤ教会

黄色い外壁に、焦げ茶色のアクセント、黒いドーム屋根、不思議な雰囲気の教会の塔です。

トラ模様の教会ですね。

地域民族資料館

民族資料館までは、民俗復興時代の家並みの間の石畳を踏みしめる。

 

途中、ウェディングドレス姿の花嫁さんと遭遇。

通りから見える聖コンスタンティン・エレナ教会

バラバノフの家の裏側。

2階部分が道路にせり出した典型的な民族復興様式の家屋である。

この町で見られる富裕層の装飾豊かな邸は、それぞれが個性的で、ファサードだけでなく裏面や側面から眺めても絵になる。

ローマの円形劇場跡は、ローマ時代に造られた半円状の劇場跡で、

遠くにはロドピ山脈が見える見晴らし最高のロケーションにあります。

ウェディングドレスを着た花嫁さん、写真撮影でしょうか?

聖処女教会の3層の鐘楼

ブルガリア語での奉神礼が行われたことでも有名。

何かの儀式でもあるのでしょうか?

こんな服を着た人達が、聖処女教会の階段を上がってゆきます。

お祭り?儀式?

 

さて・・・

ブロヴディフの旧市街地を徒歩でグルグルと観光し、皆さんクタクタになっています。

バスに戻って、ゆっくり涼みたい!そんな気分です。

バスが待っている、場所に行きましょう!

現地ガイドさんの後ろを歩きますが、いつになってもバスが停車している場所に着きません。

あらら・・・、ガイドさん 道に迷ってしまい、なんやら日本からの添乗員と揉めている様子。

さぁ~大変! 

あちこちでブーイングの声が飛び交ってます。 現地ガイドさんピンチです。

我々のツアー客がGPS機能を使い、道案内開始。

バスの停車場に無事着きホットしましたが、今回のツアー参加の皆さま海外旅行の強者揃いが多く、

色々なブーイングが飛び交い、挙句の果て行くべき観光名所を間違えてしまったりと、

現地ガイドさんと日本からの添乗員が、どうも気が合わない様子だったりと、

現地ガイドさんへの風当たりが強いです。

結局、皆様にお詫びという事で、

夕食時の飲み物、何でもいいので1杯、現地ガイドさんの会社からサービスとなりました。

厳しい目のツアー参加の皆様でした。

 

お疲れ様でした。

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯5-1  ブルガリア・ソフィア~プロヴディフへ

2016-08-28 23:28:28 | ルーマニア・ブルガリア

平成28年7月16日 日程6日目

首都ソフィア~ブルガリア・第2の都市 プロヴディフへ

午前中は、ソフィア市内観光

朝、ホテルの外に出てみると、連日の猛暑と異なり肌寒い!

半袖のTシャツ姿で外にいると、ブルブルしてきました。もう1枚薄手の物が欲しい!そんな陽気でした。

雨は降ったり止んだり・・・

でも観光中は、雨も止んでくれていました。バスで移動をするとまた雨・・・。

しかし傘を差すこともなく観光出来た事は幸いでした。

聖ペトカ教会  素通りしました。

ソフィアの中心部にあるブルガリア正教会の一室の身廊の小さな教会。

11世紀のブルガリアの聖人ペトカを祭る。

14世紀にオスマン帝国支配の下、

周囲のイスラム寺院よりも高い建物を建てることができなかったため、

半地下式で屋根だけが地上に出ていました。

ここから地下鉄の駅へと繋がっています。

地下鉄工事の際に偶然発見された、古代の城塞都市セルディカの遺跡。

2世紀から14世紀に渡る城壁や門などの他、壺や器などが発掘されたそうです。

聖ゲオルギ教会。

創建はローマ時代の4世紀、ソフィアに現存する最古の建物。

聖堂は赤いレンガでつくられ、ドーム中央のフレスコ画は12~14世紀に描かれた。

シェラトン・ソフィア・ホテル・バルカンと大統領府の建物に囲まれて建っている。

ちょうど中庭を覗き見るような感じだ。それにしても街のあちこちに古い遺跡があるのには、驚かされる

周囲には発掘中のように見える浴場跡などの、古代ローマ遺跡とまとめて整備されたもののようです。


アレクサンドル・ネフスキー寺院の近くには聖ソフィア教会があります。

6世紀にビザンチン帝国ユスティニアス帝が建てた由緒ある古代の教会。

オスマン朝支配下ではイスラム寺院として使われるなど、ブルガリアの栄枯盛衰を見守ってきた。

ソフィアで目立つ建物、それは旧共産党本部。

 威厳のある門構え、中に入ることはできないがここが政治の中心であったことは言うまでもない。

大統領官邸、衛兵が2名立っていました。

衛兵の交代式が見たかったです。

ロシア正教会の聖ニコライ・ロシア教会は、1914年に建てられた。

当時のロシア皇帝で後に聖人に列せられたニコライ2世を祀っている。

ロシア復興様式で設計された教会は、黄金で彩られた5つのドームをもつ。

この教会は素通り、写真撮っている内にどんどんみなさん歩いて行っちゃいます。

かなり早いスピードで次から次へとソフィア市内を巡っていました。

ブログアップしていると、「あれっ、ここどこだっけ?」なんて、

またツアーの行程表を取り出し確かめたりしてます。

黄色の壮麗な建物は、かつての王宮。内部の装飾も美しいとか。

今は国立美術館として生まれ変わった。

美術館本展示は、絵画、単色絵画、彫刻部門に分かれ、

1878年の独立から1990年代にいたるまでの作品が3万点保存されています。

旧共産党本部から300m程の場所に、アレクサンダル・ネフスキー寺院があります。

バルカン半島で最も美しいといわれる教会、ロシアぽい外観です。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、ブルガリアの首都ソフィアにあり、ブルガリア正教会の大聖堂。

世界最大級の正教会の聖堂であるとともに、多くの観光客が訪れるソフィアのシンボル的存在です。

金メッキされた聖堂のドームは45メートルあり、鐘楼を含めると50.52メートルの高さを誇ります。

聖堂内は、ちょっと薄暗かったですが、装飾品がとても豪華でした。

アレクサンドル・ネフスキー寺院の地下イコン博物館

*イコンとは、イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、

教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)である。

教会の地下聖堂はブルガリアの最も美しいイコンが展示られた博物館です。

ブルガリア国立美術館の一部分でヨーロッパにおける、正教会聖像の最も大きなコレクションだそうです。

バスから眺めたソフィア大学

【世界遺産】ボヤナ教会

とても小さな教会で一瞬見た時は、えっ、これが世界遺産?って、云うほどそっけない教会でした。

内部も狭い為、一度に全員が入れなく2回に分けて内部に入り、説明を受けました。

「ボヤナ教会」は、いろいろな年代で継ぎ足しで作られています。

右の写真の階段を挟み、右が最初にできた11世紀の部分で、左は、13、19と増築されました。

 

この小さな入口を抜けると、オスマン帝国時代に増築された四角い建物の中となります。

この中にもフレスコ画がありますが、メインとなるのはこの奥にある聖パンティレイモン教会。

奥に進む前に管理人からカメラやバッグなどの荷物は、全てここに置くように指示を受けます。

内部は、中央部分に描かれているフレスコ画が非常に貴重で有名な箇所に当たりますが、

内部は、残念ながら写真撮影禁止でした。

そして、内部のフレスコ画は、とても大切に保存されていて、ちょっと洋服が当たっただけで、

係員から注意を受けます。私は2回ほど洋服が当たり注意されちゃいました。   

 

 昼食場所はソフィア市内のMOMA

可愛らしいお洒落なレストランでした。

昼食を頂き、第2の都市 プロヴディフへ移動です。

 

 

 

 

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯4 ブルガリア・カザンラク~首都 ソフィアへ

2016-08-27 23:09:09 | ルーマニア・ブルガリア

平成28年7月15日(金) 日程5日目

【世界遺産】トラキア人の墳墓~バラ博物館~カザンラク、クラタ民族博物館~首都ソフィアと、

この様なツアー行程でありましたが、ツアーには組み込まれていなかったツァレヴェッツの丘へ、

宿泊していたホテルから近く、時間もあるという事で少々の時間立ち寄ってもらえました。

そして途中、カザンラク、クラタ民族博物館に行く予定が、現地ガイドさん、場所を間違え他の博物館へ行ってしまいました。

これは、行った後に旅慣れている参加者の方からの、指摘があり分かった事でしたが・・・。

その後、色々な面で現地ガイドさんへの風当たりが強くなってきた事は、言うまでもありませんでした。

・・・が、ブルガリアのより良いとこを沢山見せてあげたい!っていう配慮も、感じ取れる場面も沢山ありました。

東ヨーロッパ・バルカン半島の要地にあるブルガリア。

中央に横たわるのは歴史的にも重要な役割を果たしてきたバルカン山脈です。

その東部にあるのが、観光 地としてブルガリア人にも人気の高いヴェリコ・タルノヴォ。

ブルガリアでも最古の集落の一つ、5千年を超える歴史を持つ古都です。

日本では琴欧洲関の故郷として知られています。

出発の時間まで、ホテル周辺を散策。

街中に置いてあった、ゴミ箱に落書きがされてました。

落書きがしていないと、ただの汚いゴミ箱ですがね。

ツアーの行程には組み込まれていなかった、ツァレヴェッツの丘。

旧市街のメインストリートの先で、行き着くのがこのツァレヴェッツの丘です。

頂上には大主教区教会が建ち、第二次ブルガリア帝国の時代にはこの丘全体が宮殿だったところです。

オスマン朝の猛攻によって、丘全体が瓦礫の山と化してしまったそうです。

現在、その一部が復興されているようです。

ブカレスト ☆【世界遺産】トラキア人の墳墓

町の北東、トュルベト公園の中にある世界遺産の遺跡で、

第二次世界大戦中の1944年、防空壕を掘っていた兵士が偶然発見したというトラキア人の墓。

すでに持ち運びしやすい金めのものこそ盗掘されていたものの、天井や壁面の装飾はほぼそのままで残されていたことから、

丘のあちこちにゴロゴロとあるほかの墳墓とは価値も扱いも異なり、1979年には世界遺産にも登録された。

残念ながらオリジナルの方は保存の為、鍵がかかっていて、

隣接している場所に、完璧に作られたレプリカが公開されていました。

レプリカと言ってもとても精巧なもので、紀元前4世紀後半から紀元前3世紀頃のものとされるトラキア人のフレスコ画です。

☆バラ博物館

カザンラクのバラ谷には、初夏から初秋にかけてはバラが咲き乱れます。

そこで栽培されているバラはほぼすべて香料の原料となり、

市内にあるバラ博物館では、バラ精油製造の歴史やその製造に使われる道具などが展示されているほか、

バラ製品の展示即売も行われています。

ブルガリアで、主にバラの生産を担っているのがブルガリア中部の「バラの谷」と呼ばれる地域で、

今でも手作業でバラの栽培・摘み取りが行われています。

このバラは、観賞用のバラです。

バラ博物館へ行った後は、バラ製品を売っているお店へ。

ここで、結構売れていたのがバラの香りがする、クリームに石鹸でした。

色々なクリームをテスターしたけど、滑らかで香りも良かったような・・・。

そして、クリームテスターと言って手を出した、ツアーの方、

クリームじゃなくてシャンプーが手の上に乗った!笑った。

バルカン山脈の麓には、広大な向日葵畑。

しばし写真撮影の為、下車させてくれました。

ブルガリア 首都ソフィア。

首都とは思えない程、閑散とし町でびっくりとした印象が残り、

旧ソ連の面影を残しイスラム文化も感じさせる町であった。

ヨーロッパの中でおそらく一番物価の安い国ではないだろうか?

 ソフィア市街地の観光は、翌日にじっくり・・・と。

まずは、ホテルに一度、荷物を置きに行きます。

この日のホテルは、そこそこ有名なホテルなので安心!

エレベーターも確か4台?6台?だっけ?あり、早くて広い!

我々の部屋は高層階だったので、ソフィア市街地が一望出来ました。

ホテルから数分の場所にある、レストランで夕食。

 夕食後は市街地を散策して、スーパーでお買い物&お土産を物色してホテルへ。

 

この日も移動が長かった一日でした。

お疲れさま。

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯3 ルーマニア・ブカレスト~ブルガリア・イヴァノヴォへ

2016-08-26 23:58:20 | ルーマニア・ブルガリア

平成28年7月14日(木) 4日目

ルーマニア・首都ブカレスト~国境を越えブルガリア・イヴァノヴォへ。

 

凱旋門・国民の館・中央市場・【世界遺産】岩窟教会と行く。

ブラショフから山間部の峠を越える途中の山々、山の頂きには十字架が建っています。

写真で確認するには、小さ過ぎます。

そして田舎町の風景らしい、広大な向日葵畑に麦畑を眺め首都ブカレストへ。

数日間ではあったが、ブラショフの町の中でゆったりと過ぎる時間に慣れてしまっていたのか、

ブカレストに入ると交通量も多く、ビルなども建ち並びむさ苦しく感じた。

ブカレスト駅周辺は、治安もあまり良くありません。

 

首都ブカレストは、第2次世界大戦前までは、「バルカンの小パリ」とも呼ばれていた美しい都市であったが、

独裁を続けていた共産党の手により、歴史的な建造物がことごとく破壊され、

伝統的な建物は数少なくなっていて、美しい街並みは、旧市街地のごく一部しか見受けることが出来ません。

ブカレストの主な見所である、「凱旋門」

第一次世界大戦(1914~1918)の戦勝を記念して、1922年に木造の凱旋門が建てられました。

1935年から翌年にかけてコンクリートと御影石で建て直されて、現在にいたっています。

車内から写したので、全体は撮れませんでした。

凱旋門の下は凱旋門を中心とした大きなロータリーになっています。

ルーマニアに来なければ、パリの他にも凱旋門があるなんて事知りませんでした。

☆中央市場

中央市場近くでバスを降りると、この辺りは治安が悪そうな気配を感じた。

市場と言えば、庶民の台所であり物価が良く分かる場所でもある。

海外に行くと市場やスーパーを巡るのは結構面白いものです。

 

ルーマニアの中をバスで走っていると、街道沿いでスイカの路地販売している光景が良く目に付きましたが、

流石に市場ですね!

日本でもお馴染みの縞模様のスイカや黄色のスイカ、深緑色のスイカやら、数多くの品種が並んであり、

日本では考えられない程、安価で売られています。

スイカに悪戯してあったり、スイカ彫刻があったり・・・。

市場の中に入ると、果物の香りが漂っていました。

ベリー関係が豊富に売られています。中の様子を写真に収めたかったのですが、場内は撮影禁止。

ブカレストの観光の目玉となってる「国民の館」

故チャウシェスク大統領の独裁の象徴として、注目を集めた建物で、約1500億円を投じて造られました。

部屋数が3100以上もあるというから、驚きというか呆れてしまいます。

アメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ規模の建物だそうですが、

外観もさることながら、建物内部は、ルーマニア製の総大理石造りの天井、壁、床、

数多くの純クリスタルのシャンデリア、

床の絨毯は100m以上継ぎ目がないとか、贅沢の限りを尽くした造りで、

手織りの絨毯は、あまりにも大きいのでこの場で造られたそうです。

総面積が2200㎡もあるという総大理石造りの大ホールには圧倒されます。

 

現在は、一部が国会議事堂や国際首脳会議、博覧会会場などに使用されています。

国民の館から統一大通りを望んだ写真です。

左右に見える大きな建物は、旧共産党幹部の住んでいたアパートです。

ここの正面に凱旋門を建築すれば、一番見栄えがいい様な気がしましたが。

Caru' cu Bere(昼食)です。

スープ・サラダ・お肉に、デザートはルーマニア名物「ババナッシュ」です。

たっぷりの粉砂糖+ソースで甘そうに見えますが、サワークリームとふわふわの

ドーナツ(しかも温か☆)とのコラボが絶妙でシツコクはなかったですが、

さすがに完食は出来ませんでした。

 

午後からは、国境を越え ブルガリア・イヴァノヴォへ。

ルーマニアの国境の町「ギュルギュウ」の出入国管理事務所は、

日本の高速道路の管理事務所程度の規模でした。

ルーマニアとブルガリアの国境を隔てる「ドナウ川」です。 

ブルガリアへ入国する車で橋の上は渋滞しています。国境を通過するのに1時間以上はかかりました。

ブルガリア国境

ルーマニアもブルガリアもEUに加盟しており、パスポートの検査はないものと思っていたのですが、

ここでは検査がありました。

EUに加盟している国のパスポートの場合、荷物検査はありますが、パスポートは見せるだけのようです。

私たちのパスポートには入国の印が押されていました。 

 

国境で入国審査をし、ブカレストから80㎞程南にあるブルガリア・ルセと云う町に入った。

ブルガリアと聞くと、我々日本人はブルガリアヨーグルトと相撲の琴欧州くらいでしょうか?

 

ブルガリア・ルセに入ってすぐ、国が変わると、バスや運転手、現地ガイドのすべてが変わります。

ここでトランクに入っていた荷物も入れ替えと同時に、

自分の荷物が積み残されないようにと、しっかり確認もします。

 

ルーマニアのバスよりブルガリアのバスの方か冷房のききが良く、少しは快適なバスに変わりました。

そして、ブルガリア通貨の両替、

ルーマニアもブルガリアも、EUに加盟しながら未だユーロではないので、両替が面倒です。

ルセ市から南に約20キロ、のどかな田舎道を40分ほど走って、

イヴァノヴォの【世界遺産】岩窟教会群にやってきました。

辺り一帯はルセンスキー・ロム国定公園となっていて、洞窟や奇岩も多くある自然豊かな地域です。

 

岩から作られた聖堂、修道院などの建造物群をさす1979年に世界遺産に登録された場所。

12世紀、この地に隠遁していた修道士が、断崖に自然の岩壁をくり抜いて造ったことが始まりと言われています。

 

今では、崖の上の教会までは、観光用の道が出来ていますが、

昔の人は、教会に上がるにはロープで上がったそうです。

狭い教会の入口をはいると、

洞窟内は広い空間になっており、

側面や天井には13~14世紀に描かれた、フレスコ画が大事に保存されていましたが、

結構、剥がれ落ちてる箇所も多かったです。

ホテル プレミア ヴェリコ タルノヴォへ、やっと到着しました。

ホテル前は狭い石畳の路地になっている為、大通りでバスを降りホテルまでの坂道を上がって行きます。

荷物はポーターさんが何回かに分けて、運んでくれました。

この日は、移動時間が長かったので皆、早く部屋に入ってホットしたい!

そんな雰囲気が伝わってきていました。

荷物を受け取って、さぁ~部屋へ・・・ 

ところがどっこい!

 

ホテルのエレベーターが一台しきゃありません!それも狭くて遅いエレベータで、マドロッコシー!

私の部屋は幸い2階だったので、荷物担いで階段で・・・。

部屋の扉を開け、キーを差し込んでも電気が点かない!

すると、他では部屋の鍵が開かない!

 こっちも・・・、私の部屋も・・・の声が飛び交いスッタモンダ、スッタモンダ。

 

そして一人部屋の人達は、シャワー室の水はけが遠すぎてビチャビチャになる・・・と、

まぁ~、かなりトラブルがあったホテルでございましたが、トイレの水も流れるしシャワーもちゃんと出たので良かったです。

 

何とか落ち着いて、ホテルレストランで夕食となり、おやすみなさぁ~ぃ。

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯2-2 トランシルヴァニア地方 【世界遺産】シギショアラ歴史地区・時計塔・山上教会

2016-08-25 23:26:16 | ルーマニア・ブルガリア

平成28年7月13日 

 

 【世界遺産】ビエルタンの要塞教会から シギショアラ地区にやって来ました。

 

 トランシルヴァニア地方にあるシギショアラ地区は、

ザクセン人(ドイツからの入植者)によって築かれた城塞都市。

14世紀に建てられた時計塔を中心とした旧市街地は、

中世の市街地を色濃く残しており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

 

緩やかな石畳の坂を登りきると、街のシンボルの時計塔が見えてきます。

時計塔に面した広場一角に建つ黄色い家は、シギショアラの生んだ有名人で、

吸血鬼ドラキュラのモデルとなったワラキアの串刺し公ヴラド・ツェペシュ(ヴラド・ドラクルの息子)の生家。

現在、生家はレストランになっています。

我々のツアーは、この生家で昼食となりました。

山上教会に続く屋根付き階段の手前、旧市街地の街並み。

中世から建つ家々には、今でも市民が住んでいます。石造りの家って耐久性があるんですね。

 

山上教会に続く屋根付木造階段で、段数は175段あります。

14世紀創建の山上教会。

かなり曲がってる画像ですが、左から正面・裏側・教会内。

この教会、あまり記憶に残ってない教会です。

教会裏手にあるこの家は、職人さんの家 確か鍛冶屋さんだったかな?

記憶が曖昧です。

 時計塔は、シギショアラ地区でひときわ目立つランドマーク。

現在残る時計塔は1676年の大火の後に再建されたもの。

17世紀に造られたからくり時計が、今でも機能しているっていうから凄い!

時計塔の中は歴史博物館になっています。

撮影料を支払えば、時計塔の中を撮影する事が出来ますが、特に撮影するものなく、そのまま時計塔の中へ。

時計塔の中から展望台に行くには、狭く急な階段を上がって行きます。

降りるときの方が怖いなぁ~なんて思っていると、

大きな体をした外国人女性が、急な階段から落ちてきたのにはびっくり!怪我がなく幸いでしたね。

かつては見張り塔だった、時計塔の展望台からの旧市街地の眺めは、のどかな田舎町の風景そのまま。

展望台の手すりには、世界の都市への距離を示すプレートが貼ってありました。

東京までの距離は・・・えぇ~と、忘れました。

 シギショアラは、田舎町の為、緑も多く残っておりオレンジの屋根と緑のコントラストがとても綺麗でした。

ただ、写真では色彩がうまく撮れなっかったのが残念でした。

時計塔前の広場には、お土産屋さんがあったり、パフォーマンス?をしている人が居たりと、

賑やかな広場です。 

ここの広場で目立っていたのが、シギショアラの美しい風景を描いた絵を売っている人が多かったこと、

とても綺麗だったので、自分へのお土産として小さな絵を1枚買って帰りました。

街中に建つドラキュラの父のオブジェ。

シギショアラ地区から東に20㎞程離れた、サスギズ村へ移動です。

【世界遺産】要塞教会へ

14世紀サシ人によって建設されました。 サシ人とはドイツ系の民族。

高さ7~9mの石造りの壁に囲まれて、監視の望楼も付いています。

2000年に修復されましたが、内部の城壁、防御のための「門の塔」と「監視の望楼」、

そして中心にあるチャペルなど、要塞の大部分は当時の状態まま残っています。

至近距離の為、回りの風景と一緒に写せなく残念!

 サスギズの街並み。

 要塞前に建っていた左の建物は、警察署でした。

本日の観光は、これにて終了!

ブラショフに戻り、ホテル近くのレストランへ。

この日の夕食はルーマニア料理のサルマーレ、日本風に言えばロールキャベツ、美味しく頂きました。

ホテルに戻り、ルマーニア観光は今日でおしまいなので、ホテル近くのスーパーへお買い物。

 

 

 

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯2-1 トランシルヴァニア地方 【世界遺産】ビエルタンの要塞教会

2016-08-24 23:15:37 | ルーマニア・ブルガリア

平成28年7月13日 日程3日目

 

トランシルヴァニア地方終日観光

【世界遺産】ビエルタンの要塞教会・【世界遺産】シギショアラ歴史地区・時計塔・山上教会・【世界遺産】サスキズ村要塞教会へ

 

この世界遺産のあるルーマニアのトランシルヴァニア地方というのは、

ラテン語で「森の向こう」という意味。

ルーマニア語では、「アルデアル(丘の向こう)」と呼ばれ、

首都ブカレストのあるワラキア地方からカルパチア山脈を越えた向こうにある地域で、

歴史的にも異なる経過をたどっています。

 

ルーマニアのトランシルヴァニア地方に残る村落には、数多くの聖堂が残されています。

この地域の聖堂は、単なる宗教的建造物としてではなく、要塞としての機能も備えており、

他に見られる一般的な聖堂とは一風異なっていることで知られています。

そのため、こうした聖堂群は「要塞聖堂」とよばれており、

この聖堂を取り巻く形で、村落が存在しています。

これらの要塞聖堂は、オスマン帝国に対抗する為に造られたものであると言われています。

 

バスは、ブラショフから150㎞離れた【世界遺産】ビエルタン要塞教会の駐車場に到着。

 

ビエルタン要塞教会は、後期ゴシック様式で、1487年~1524年に建設され、

当初はカトリック教会でしたが、16世紀にはルター派の教会になりました。

 

トランシルヴァニア地方には、要塞で守られた教会が沢山ありますが、中でもここは巨大で、

オスマン・トルコなどの攻撃に備え、三重の防壁(要塞)で造られていて、1993年に世界遺産に登録されました。

小高い丘の上にある教会なので先ずは、100mほどの屋根付きの階段を上ります。

階段途中から眺めた城壁。

これは三重の城壁の真ん中の城壁だろうか?

 階段を上がって外に出ると、丘の上にある教会なので見張り塔が四方に立っていました。

山あいのビエルタンは、人々の住居なども破壊されることなく、現在までその姿をとどめ、

赤い屋根の集落と緑の丘、とてものどかで素朴な景色でした。

ブナで出来た教会の重厚な扉を入ると、正面にはゴシック式の素晴らしい祭壇がありました。

祭壇の左にある「財宝蔵」の扉に付けられた鍵。

この教会で必見の扉、表から見るとなんてことのない扉でしたが、裏側には頑丈で複雑な鍵が付いてます。

19種類のロック装置で、うち4種類は鍵で動かし、残り15種類はレバーで動かすようになっています。

中の宝物を絶対に守る!という事で作りあげたもの。当時の仕組みは今でも機能しているそうです。

この精巧な技術は、1900年のパリ万博で金賞が贈られました。

 

教会内から外に出ると、

城壁沿いに小さな家が建っています。

中を覗いてみると、机とベットが並べてありました。

この部屋は、離婚希望の夫婦が閉じ込めらる場所。

ここは、ベット・机・スプーンなどが1つしかない為すべて共有しなければならない。

離婚を止めるまでこの部屋から出られなかったという。

 

 三重になった城壁の間。

中世時代の戦乱の時代、ほかの国から攻め込まれた時のために、

丘の上の教会を砦に変えて準備をしたザクセン人。

しかし、実際に攻撃され、この要塞が使用されたことはなかったそうです。

 

この道を可愛い坊やが歩いていたので、思わずパシャリ。

教会を出て、階段を下りるとはちみつ屋さんへ。

ルーマニアのお土産と言えば、はちみつが有名だそうです。

バスが停まってる広場から見る街並みは、とても平和そうで時間がゆっくり動いてるように感じられ、

街の中を荷馬車が、通り過ぎて行き、

上を見上げれば、家の煙突にコウノトリが巣を作ったりもしていました。

ホント、静かでのどかな街でした。

 

 


ブルガリア・ルーマニアツアー♯1 出発~ルーマニア・ブカベスト市内観光

2016-08-23 10:12:12 | ルーマニア・ブルガリア

 

 

 平成28年7月11日ー18日 8日間

東欧の彩り古都、田舎町の風景が広がる、ブルガリア・ルーマニアの旅へ。

 

初めて羽田空港国際線ロビーを利用し、出発まで空港内のラウンジで寛ぎ、

羽田空港発00:30空の5つ星と言われるカタール航空にて、 ドーハ国際空港へと飛びたちました。

深夜便にも関わらず、空港内はこれから出発する人達が溢れていたのは驚きでした。

 

カタール航空は、1993年に設立以来一回も死亡事故を起こしていないことで、

安心感の持てる航空会社です。この機体も新しいようです。

そしてJALのマイレージも貯まるので、お得感もあります。

機内アメニティは往復とも同じで、アイマスク、歯ブラシセット、靴下、耳栓でした。

離陸して1時間もすると、お食事。

夜、あまり強くない私は、食事が来るまでウトウトウトウト。

食後も、直ぐに爆睡していた様な気がします。深夜便は寝て行けるので結構楽でしたが、

3列シートの窓際の座席でしたので、トイレに行く時は、

寝てる人の上を2回跨がなければならなく、ちょっと難儀でありました。

羽田国際空港を飛びたち10時間後、カタール・ドーハ国際空港着5:45 

税関を抜けると、目の前に大きな熊?犬?猿には見えなかったけど・・・

大きな縫いぐるみが鎮座していました。目印になっていいですね。

 

カタールの首都ドーハ国際空港は2014年5月に,世界的なハブ空港として新しくオープンいたしました。

ここから世界中へと乗り継いで行く利用者は,年間4000万人を超え、

ドーハを本拠地とするカタール航空も,スペインなどのヨーロッパ各地へ行くのに大変便利な空港。

 

最近は、成田空港だけではなく羽田空港からの出発便もかなり増えているので、

日本人の利用客も多くなっているそうです。

 


空港内は開放的な空間を贅沢に利用した作りになっており、スタイリッシュで清潔感が溢れています。

長時間の乗り継ぎも快適に過ごせそうでした。

 

この縫いぐるみを起点に、搭乗口1番から真っ直ぐ伸びた長いコンコースが続きます。

2時間程のトランジットは、ラウンジに入りのんびりとし、

我々の搭乗口は、確か26番ゲートなので遥か先まで歩く訳で、広い空港です。

ところどころに、オブジェがあり子供の遊び場もありました。

長いコンコースを左に折れエスカレーターを降りると26番ゲート。

1階にあるゲート前は人で溢れ、中東の国の熱気でムシムシです。

ここでチェックを受け、バスでタラップまで行くのですが、

ラッキーな事に、エコノミークラスからビジネスクラスにグレードアップしてもらえました。

超ラッキー!

子供が小さい時に一度グレードアップしてもらって以来、25年振りの幸運でした。

 

7:15 ドーハ国際空港からルーマニア首都 ブカレスト アンリ・コアンダ国際空港へ。

前から4列目のシート、流石!ビジネスクラス。

楽々シートは、リクライニングできベットになります。

羽田からのドーハまでの、10時間の飛行の時に乗りたかったなぁ~、なんて!贅沢な事を思ってしまいました。

ドーハ空港からブカレストまでの飛行時間も5時間なので、足を伸ばして寝れた事は凄く楽でした。

座席に付いて直ぐに、ウェルカムドリンクのサービス。

そして、シャンパン・ワインのサービスと続き・・・。

 

豪華な機内食は、フルコースメニュー。

世の中、お金!って事をつくづく思い知らされました。

とっても優雅な気分を味わっていたかったのですが、

睡魔には叶いません、この後 直ぐに爆睡。

リクライニングシートは、気持ち良く寝心地最高っす。

 

ドーハからブカレストまでは、イラン・トルコ・黒海上空をほぼ最短距離で飛び、

 12:10 ルーマニアの首都ブカレストに到着。

空は青く、強い紫外線が照りつけています。

 

東欧の中で唯一ラテン民族の血筋を引いているルーマニア。

その為、イタリア語・スペイン語が通じる人が多い国。

面積は日本の約半分、人口は約1900万人、ルーマニアと云えばドラキュラとコマネチですかね?

 空港前で待機していたバスに乗り込み、ブカレストから北へ約170kmにあるブラショフへ、

車窓から飛び込んでくるひまわり畑に麦畑の広大な風景は、北海道の風景と重なるものがあり、

のどかな田園風景が広がっています。

 

そんな景色を眺め、

ブラショフの町から南西に30km行った、トランシルバニア地方に建設されたブラン城に到着。

ゲート前は、沢山のお土産屋さんで賑わっています。

ブラン城のゲート。

ジリジリ照りつく日差しを避け、日陰で現地ガイドさんがチケットを買って来るのを待ち入場。

石畳の坂を登り、見上げるとお城を仰ぎみる事が出来ます。

そして、城の中へと入ってゆくのですが、狭い入口と階段は順番待ちでゴチャゴチャ状態。

吸血鬼ドラキュラ城のモデルとされているブラン城は1388年に完成しました。

敵であるオスマン帝国をいち早く見つけるために、標高750mの山の上に築かれています。

 

最初にドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)の祖父が建設し、

ハンガリー王家、ルーマニア国王フェルディナンド1世、ルーマニアの国有化などという風に所有者が時代と共に変わっていきました。

お城の中は、狭い通路や狭く急な階段で繋がれ、1つ1つの部屋も狭く、迷路のようになっています。

何処をどの様に通って、外が見渡せる通路に出たのかよく分かりません。

中は、一応ここで生活している人が居たのだと分かりますが、

生活するには、どうも使いにくそうでした。

この方が・・・

ドラキュラのモデルになっています。

ルーマニアの南部にある、ワラキア公園を統治した人です。

この人はなんと、当時敵であったオスマン帝国の兵士を串刺しにして、一列に並べたとの伝説があります。

この様な伝説があったので、ヴラド・ツェペシュは「ツェペシュ」という名で呼ばれたそうです。

ツェペシュはルーマニア語で串刺しという意味。

そして、串刺し王として有名になった人物です。

しかし、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ(ヴィラド3世)は、

ブラン城に住んだことがありませんでした。

では、なぜブラン城がドラキュラ城と呼ばれるようになったのか。

それは、19世紀末にアイルランド人の作家ブラム・ストーカーが「ドラキュラ」という小説を発表し、

その中で登場するドラキュラ城がブラン城を模したものだからです。

中庭を囲むように木でできたバルコニーが張り巡らされていて、趣があります。

 お城近くのお土産屋さん。

 

ブラショフ市内観光

☆黒の教会 画像がかなり傾いていますが・・・。

町の中心に聳えているのは、高さ約65mのトランシルヴァニア地方最大の後期ゴシック様式の教会。

14世紀後半から15世紀初頭まで、約80年の歳月をかけ建設された。

1689年ハプス軍の攻撃に遭い、外壁が黒こげになってしまったことから、この名がある。

教会内は、ルーマニア最大級のパイプオルガンがあるそうですが、

中には入らなったので、確認はしていません・・・。

ミサは現在でもドイツ語で行われているそうです。

☆スファトゥルイ広場

黒の教会から北東へ少し歩いていくと、ブラショフの町の中心にあるスファトゥルイ広場に出ます。

大きな広場で、周りには歴史博物館、カフェ、レストラン、お店などが沢山あります。

広場の真ん中には噴水があり、市民憩いの場所のようです。

 

夕食を頂き、

 ブラショフ・ホテルキュービックス。

長いフライだったので、やっとホテルのベットでゆっくり眠れます。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本百名山完登 甲斐駒ケ岳

2016-08-03 11:15:12 | ~ 日本百名山 ~

 

平成28年7月30日(土)

深田久弥の日本百名山 甲斐駒ケ岳

昨年から残っていた百座目の甲斐駒ケ岳に登り、これですべて完登いたしました。

北から南と、まぁ~良くぶっ飛び山に登った7、8年の歳月。

山を通じ山友の輪も広がり、長かったようで短く、辛かった山、楽勝だった山などさまざまでした。

「何処の山が一番良かった?」って、よく聞かれますが、一座一座に沢山の思い出を含み

どの山も甲乙つけがたいです。

眠くて眠くて山中で寝てしまった事が2回程あったりと、書けばきりがないので止めときます。

さて・・・

前夜、戸台駐車場に車中泊し始発のバスに乗り込み、北沢峠へ。

早速、テント設営して百座目となる甲斐駒ケ岳を目指す。

途中、駒津峰までの急坂に喘ぎ、駒津峰から山頂までのコースタイム1時間半がもの凄く長く感じた。

ベールで覆われた空は、次第に雲がとれ時々雄大な姿を現してくれた。

鳳凰三山の山並み。

駒津峰から少し登ると、巻道と直登コースに分かれ直登コースへ。

岩をよじ登っていく訳だが、疲れ切った体には四足歩行となる岩場のよじ登りが遥かに楽であった。

再び二足歩行になると、ペースダウン。

1ケ月振りの山とナメていた甲斐駒ケ岳、辛い仕打ちをくらった気分だった。

山頂直下のガレ場、もうバテバテです。

山頂到着。

下山は巻道コースで双児山を経由して北沢峠へ

駒津峰から双児山方面、渋滞中 中々前に進みません!

双児山~北沢峠間は、長い下りが続き途中飽きてしまった。

そして、百座目達成記念として山友さんらにビールをご馳走になり、

乾杯! お疲れさまでした。

甲斐駒ケ岳企画してくれたSちゃんと、一緒に登ってくれた方々、

ビールご馳走様でした。ありがとうございました。

 

まだまだ、百名山完登まで色々な方々にお世話になりました。

皆さま方、ありがとうございました。

 

これからは、のんびり登りたい山へ行こうと思ってますので、

また、お付き合い下さい。