固定電話が通じたのが14日(3日後)なんだけど、大使館から安否確認の電話が入りました。
無事であることを伝えます。
そして原発事故。
仙台の外国人は次々と帰国して行きます。
再び大使館から電話が入る。
「帰国する意思はありますか?
今なら政府が用意した飛行機で帰国できます。(無料?)
ご希望なら、3月1×日の△時に、仙台市青葉区の***前に集まって下さい。」
夫は「家族もいるし、しがらみもあるから、ここに残ります」と即答。
入国管理局じゃないので「強制送還」はなく、自分で決めることが出来る。
もう一度爆発が起こって、退避勧告が仙台市まで及んだらどうしよう・・・。
日本を去るのは、今のような事態なんだな、と思いました。
向こうの両親は「帰っておいで」と言うし。
そんな時、私が信用したのはこの記事です。
原発の現状(英国大使館)3.16
そしてNHKと河北新報以外、読まないようにしました。
夫は、自然に優しい太陽光発電を導入した。
↑日没直前の自給率は248%!(陽が落ちたら消費のみなので、下がりますが)
緑の棒グラフが発電量で、紫の折れ線グラフが消費量です。
我が家の場合、使いきれない電力を、他の方に提供しています。(売電)
それなのに、原発事故で全てを捨てて帰国するのか・・・・?
しかも今回は東北電力ですらない。※女川原発だったら「仕方ねぇ」という気持ちにもなる。
夫はやりきれない思いでいっぱいになっていたと思う。
今、電力が足りないという。
日本は土地も資源もないし、島国で欧州のように隣国から電気ももらえないし(関西からの調達も簡単ではないとは驚いた)、そのくせ人口も多く、電気をガンガン使う。そんな国だから、原子力は欠かせないと(こんな大事故が起こっても)思う。
・・・・太陽光発電が広まるといいな。
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なんと、ベルギー人の友人から「お子さんたちに」と放射能除けの薬(ヨードかな?)が届いた。
服用の必要はないけど、その気持ちが嬉しいじゃないの。
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震災後はじめてガソリンを入れた。
しかも「満タンOKですよ」だって。ついでに「今日から24時間営業です」そして「夕方にはタンクローリー来ます」だって。
こんなに嬉しい言葉を聞いたのは、久しぶりです。
今までは「休業中」「本日売り切れ」「3,000円まで」「灯油のみ」「次回入荷未定」ばっかりだったのよ。
小学校の卒業式が1週間遅れであった。
体育館が避難所として使われていたので、延びたのだ。
うちの地域は山側(カモシカやサルが出る)で海とは遠く、津波の被害はない。
だからライフラインが全滅しただけで、被災者という言い方は違うのかもしれない。
しかし親類や知り合いが被災者になるケースが多く、間接的な被災者になっているのだなと、ライフラインが落ち着いた今、感じる。
我が子の担任の先生は、新任時代の志津川※の教え子を亡くした。
※南三陸町ってどこ?宮城県人には志津川と言ってくれた方が分かる。
新任教師は3年間、仙台から遠く離れた、児童数の少ない学校に赴任する場合が多い。
地震直後、その教え子の「無事だけど、宿泊施設にお客がいるので戻る」というメールを最後に、津波に流されたらしい。彼は高校卒業後、海沿いの旅館で働いていた。
クラス担任の、涙なくしては語れない話で、小学校最後の日は終わったのだった。
その他にも「大学で知り合った夫の実家は大船渡だから帰省が大変」とか、
東京より遠いと言われる、気仙沼(以前は仙台から3~4時間かかった)の美術館に赴任する、とか、
私の高校には、松島、塩釜、多賀城からの通学者も多かったので、無事かな~と今でも心配だし(高校の同期会から無事ですか?の一斉メールが届いたのは嬉しかったね)。
被災した地名と全く縁のない宮城県人など、いないだろう・・・と思う。
だから何をやっても、気分が落ち込むんです。
デパートの前に被災地の写真が貼られていました。
情報が少なかったので
見た時は驚きました。(地震から10日後)
これらスクープ的な写真は、かなり後になって地元に出回ったように思う。
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河北新報から拝借してきました。※仙台市周辺の津波による浸水エリアを薄い赤色で示した浸水状況図。内陸部の赤色は中心市街地(国土地理院提供)
読めない地名がないくらい、馴染みのある場所です。
秋には海岸公園でテニスの試合をしたし、仙台空港はよく使うし、仙台港にも遊びに行く。
とても信じられない気持ちです。
○ 毎年行われる引き渡し訓練
担任が児童全員を確認した後、親の署名とともに子供を帰宅させる。
普段から、夫か私のどちらかが必ず行くようにしてました。(面倒くさいけどね)
日本語の怪しい夫が、地震後15分で小学校に着けたのも、訓練のお陰。(ほとんど反射ね)
○ ハロウィンの時にやった防災訓練(過去記事見てね)
体育館で炊き出しの準備、屋外で空き缶でご飯を炊く、レトルトのカレーを食べる、トイレ・・この「サバイバルの方法が」大いに役に立ちました。
みなさん、学校の訓練は絶対役に立ちますよ?
<失敗点>
ガソリンが1/4しか入っていなかった。停電したらスタンドは供給しない。
お風呂の水を地震直前に捨ててしまった。普通は雨水タンクに貯めるのに。
巨大地震と思わなかったので、エクセルのデータを保存しないまま停電した。
<余地能力?>
2月に太陽光発電をつけた。(夫が)
3月11日(地震当日)の夜、太陽光発電を取りつけてくれた会社の社長さんから、夫婦でステーキディナーのご招待を受けてました。
しかしその日に限って「子供だけで留守番はさせられない」と即座に断った(お誘いは断らない私にしては、ものすごい不自然な返答)。
何か悪い予感が・・・。
1週間前、陶芸家の友達の作品をなぜか取り出して床に置いていた。(ので破損なし)
昨年はとっくに池に来ているアカガエルが、今年は一匹も見られない・・・・。
と思ったら、3月24日に卵塊を発見。春はもうすぐ・・・・。
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みなさん、コメント有難うございます。一人ひとりにお返事できなくてごめんなさい!
すみません、クッキー300個焼いたのは夫です!バターが貴重だったので苦労しましたが、子供たちはとても喜んでくれたので、焼いて良かったと思います。
本当は、津波の被害を受けた小学校に行くべきでしょうが、ガソリンが無くて行けないのです。
それに怪しい外国人の手作りクッキーを食べてくれるかどうか(笑)。
今、電気自転車を買おうかと思っています・・・・。確かに自転車は危ないし、盗難の恐れもありますけど、生活自体を変えるいい機会かもと。
東北高校が負けてしまった・・・・。
食糧も電気も水道もなく、一日2回の食事。
練習よりも、給水の手伝いを中学校でやってた野球部員達・・・・。
勝って欲しかったです(泣)
ライフライン全滅時に要らない・使えないと思ったこと(人も)
○タンクレストイレ
ふたを開けて、雨水を入れられません。自動洗浄は、停電したら使えません。
○ハイオクの車。
軽トラが、雨水の運送から薪の運搬から、と~にかく大活躍。
災害時にカッコイイ車は要りません。
○コーヒー豆を挽く機械(電動)
当然ですが、くるくる回る手動がいいです。
コーヒーメーカも使えないから、布製のドリップ式が良い。
○精米機
母が、精米機まで車で出かけて行って、長蛇の列で戻ってきたので、「あのね、一升瓶に棒で精米したらいいでしょうがー」と教える。昔はね、精米機はなかったでしょう、と。
(どっちが戦後生まれかと呆れました)
○ハイオク車でジムに行って、自転車をこぐ。
このアホらしさに今回気付きました。
会社まで自転車通勤すれば良かったんです!!!
○贅沢でわがままな家人・・・冷凍は嫌だ、外国産は嫌い、有機野菜がいいわ、とか言う人が一緒だと、災害を乗り切るのは大変です。
とにかく、便利なものは災害時には使えない、と思った方がいいです。
この他、洗濯機→洗濯板とたらい、掃除機→ホウキとチリトリ、コンロ→カマドや七厘・・・・と挙げたらキリがないので、この辺でやめます(笑)。
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小麦とバターで
300個のクッキーを焼いて、小学校の登校日(修了式)に配りました!
こんな風に書いてあんの。
「地震怖かったね!これから頑張ろうね!」と声をかけて。
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ガソリン給油の長蛇の列ですが、被災地の親族に会いたいが為?と思い始めました。
通勤とかじゃなく。じゃないと、あんなに気合を入れて並ばないのでは?
例の日本海に逃げた外国人のうち、1家族はそのまま帰国してました・・・・(驚)。
家賃8万円(推定)の借家は、家具も自転車も全てそのまま。
中古で買った自動車は、成田空港で捨てたんでしょうか。
昔、不動産の「ペットと外国人お断り」という広告に、外国人が「動物と一緒にすんな」って怒ってましたっけ・・・。
けど、こんな風だから、大家さんも「外人さんには貸したくない」って言うんですよ。
車は、ロシア(ソ連だったかも)からの留学生が帰国する時、「青葉山(東北大のキャンパスがある山)の脇に捨ててきた」って言ってた。「ロシアじゃそうやって捨てるの普通だよ」だって!
作家の曽野綾子さんのエッセイで、停電の多いアフリカでの過ごし方で、
いつ暗くなっても、自分で持ち物の位置を決めれば問題ない、と言っていたのを思い出す。
時計回りに、ラジオ、懐中電灯(充電電池でLEDがいいです)、メガネ、お薬、時計など。
暗くても手を伸ばせばモノが分かる。
これは彼女の、空襲警報が鳴って明かりを消した時の体験から来ているという。
それから私は目が悪いので、家の中では、目ではなく歩数で距離をつかむ訓練をしている。
眼病でまぶしいので、ライトを付けずに移動する癖がついているのです。
なので停電になっても、階段の上り下りや部屋の中の移動は問題なし。
(転ばないよう、地震で落ちたものは棚に戻さず、段ボールに入れて脇に置いておくといいです)
あっ別に皆さんがマネしなくてもいいです、ご参考までに。
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九州や神戸、長野等の友人から「何か送りましょうか」というメールが来るので、「ガソリン送ってよ~」等を返事をする。
さて被災して、私が最も嬉しかったのは何だと思います?コレです。
地震特集号の週刊誌です。
特集号はたぶん仙台に入荷はしない(交通網のマヒ)。
入荷しても売り切れるので、いっさいがっさい送ってもらったんです。
被災した人には情報必要なのに、ほとんど入らない(ラジオだけ)。
それ以外の人には、テレビやネットでがんがん報道される。
「何かおかしい」と、被災してからの3日間思ってました。
ガソリンスタンドの多くが休業中です。
高速道路の閉鎖または緊急車両のみの通行で、輸送が出来なかったから。(22日に解除)
被災地への物資の輸送を優先にするのは当然。
一般市民はバス(不定期運行)や自転車で移動すればいいのだ、とすぐに納得しました。
その週私は、PTA運営委員会、ベルマーク活動、美化(掃除)など学校と仕事場の往復で、給油の時間が全くなかったので、ガソリンが1/4も入っていなかった。そして地震発生。
停電したらスタンドは供給しない、ということを知らなかった・・・。
一回だけ、実家の安否確認に車を走らせました。
停電なので、信号機も消えている。
しかし!
信号が消えてても、みんな譲り合ってゆっくり走行するのには、驚きました。
(事故っても、救急車も警察も保険屋も来ない、と分かってる)
最近は道路が空いてます。
がらがらなので、救援物資の輸送も、はかどったに違いありません。
わざと市民にガソリンを供給しないのでは?と勘繰ったほど。
JRの工事の風景
線路にトラックがのっている。
固定電話が復旧したのは14日。電話線をパソコンにつないで、ネットにつなぎました。
今のパソコンは電話線を入れる穴が無いから、別売りのUSBアダプターでつなぎます。
左が電話線、右がLANケーブル。
そして、Niftyのアクセスポイントにダイヤルアップして、ネットにつないだのです。
(10年位前の接続方法ですね。今も海外で電話線でつなぐ時とかね)
22日の給油待ちの様子。
丘の上のシェル石油と、丘のふもとのシェル石油の両方に300~400台は並んでいました。
圧巻です・・・私はこんなに待つくらいなら、何㌔でも歩くね。
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例の、県外に逃げた外国人が「仙台に戻りたい」と言うのは、朗報だ。
彼らは放射能の「バロメーター」だから、英字新聞が「安全」を宣言したようなものだ。
災害で逃げた野生動物が、安全を嗅ぎつけて、エサを求めて戻ってくるのに似てるかな。
・・・・と思ったら、こんな記事を発見したし。
被災地に戻ったシカ=釜石 (時事通信) 2011年3月22日(火)19:59
22日午後、津波の大きな被害を受けた岩手県釜石市の中心部にある薬師公園に2匹のシカが現れた。地元の人によると、公園のある薬師山には大震災前から野生のシカが生息し、時々公園まで下りてきていたという【時事通信社】
「中学校で沿岸沿いの避難所に送る救援物資を収集しています」というメールが入ったので今から出かけます。クリーニングしている服を募集中だそうですが、木綿の普段着(子供用:洗濯済み)も必要なのではないかと思うのですが、どうかな。
受け取ってもらえました!
以前アフリカ向けの支援物資で「日本からは、クリーニングした入学式用の服とかパーティドレスが多くて困る。欲しいのは遊び着だ。」というのを読んだことがあったので、実用的なモノがいいかと。
仙台は車社会で、車を持ちたくない転勤族には地下鉄沿線が人気です。
でもガソリンが無くても、バスで行けばいいんです。
高校の時は、バスや自転車で市内のどこでも行っていたんですから。
街の様子は異様でした。
みんなラフな上下に、リュックか小さなスーツケース。
自転車の多さは、まるで外国にいるよう。
銀行などが立ち並ぶ道路に、車がずらり。(青葉通り)
ガス欠か、都心のマンション住民の車(タワーに車を駐車できない)かと思う。
ダイエーの前には入場規制で、2キロくらいの列が出ていた。
向こうに休業を決めたウェスティン仙台が見えます。
数時間待ち?
日曜日の政令指定都市が、シャッター商店街に。人は多いけど。
普段なら、隣県からの買い物客で華やかなのに。
グッチの前で、自転車で運んだ手作りのお握り(100円)やお弁当(500円)を売る若い人。
グッチは盗難を恐れて商品を隠し、休業中なので、「店舗の前で売るな」と言わない。
ディオールとブルガリの前では、浄水器やタオル等の日用品が売られていた。
小型のスーツケースが売れまくる。自転車や電気調理器も品切れと聞く。
沿岸部が壊滅的なので、鮮魚はないけど、野菜や果物が買える「仙台朝市」へ。
冷凍のタラやブリ、アスパラやセロリ、オレンジにキーウィ。
買い物がこんなに嬉しかったのは久しぶりだ。
大荷物で、バスで帰ります。
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女川の知人が、命からがら逃げた話はしました。(ストレスで眠れなかった)
仙台に来たら力になりたいと思っていましたが、家が無くても、親族や友人たちと一緒に地元に残る選択をしたそうです。
原発が落ち着いたから言いますが、私には福島に嫁いだ母の妹がおりまして、「胃に穴があくくらい」心配していました。病院を経営していますので、入院患者を放り出して仙台に逃げられない。放射能を恐れて物資も届かず、病院食の提供に四苦八苦している様子が、母の元に毎日メールで入ります。
地域に根ざして暮らしている人には「転勤しちゃえばいい」とか、有り得ないんです。
例の放射能から逃げた外国人が、原発の鎮静化に伴い、仙台に帰って来たいと言う。
「ガスの復旧に1ケ月かかるみたいだから、お風呂貸してくれない?(我が家はオール電化)」だって。
※逃げた気持ちは分かるが、生徒を放り出して逃げたことと、日本を全く信用してないことに私は腹を立てているのです。
夫は子供を連れて、その英語教師の家に行きました。
近隣でガソリンと食糧の盗難があったばかりなので、子供をダシに、誤解されないようにするんです。
子連れの泥棒に見えたかな・・・。
二階の窓から、はしごで子供を侵入させるのですが、夫は家の前で、
「友人(被災後、夫は友人に昇格したらしい)に頼まれて、家の電気を消しに来たんです(停電の最中に逃げたので)。決して怪しい物ではありません」と、ご近所に聞こえるように言う。
果たして侵入に成功。
中には「夜逃げ」のように、食事途中の食器がそのままあったという。
しかし!すごい食料を発見(こんなに食材に執着したのは初めて)。
鶏肉と牛ステーキ肉はダメでしたが、卵、ベーコン、牛乳、豆腐、フルーツ、野菜、チーズやバターまで、かすめ取ってきました。
(外人の家なので、納豆はなかった)
人のうちの冷蔵庫を開けて、食材を出すなんて、私たちも落ちたね・・・。(悲)
その位、食糧事情が悪いのです。(まさか平成時代にこんな経験するとは)
中でも嬉しかったのは・・・・
こんな食材たち。特にアボカドのディップが、嬉しい。
私は当初、彼らが帰ってきたら「安全な所に逃げられて良かったわね。安心したわ~」くらい言ってやろうかと思っていたけど、この食糧を見たら気が変わりました(笑)。
お礼を言って、現金でお返しをしようと思う。
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明け方、愛車を人の車にぶつけた夢をみた。
保険屋さんに電話するが、「圏外」で通じない。
が、「そうだ。私は車を運転してないから、これは夢だ」と自分に言い聞かせているの。
・・・・ガソリンは全く買えず、車は11日から乗ってません。
みなさん情報やコメントありがとうございます。
そう、今仙台でないのは、卵・牛乳と、ベーコン・豆腐かな?
ガソリンは一般の方の場合、①運転するのが仕事な人②車が無いと通勤出来ない人とか、優先順位があってもいいかも。私の場合は③バスや自転車で通勤OK、なので我慢出来ます。
いや~でも道路がすいていたので、支援救助の車両はスムーズに通行できたハズ。
もしかして、これも戦略?
地震直後の我が家です。本棚の本は全て落ちた。
洗面所の薬や化粧品なども全て出た。
キッチン
電子レンジも落ちた。
我が家にはモノが多過ぎる!人が生きて行くのにそんなにモノは要らない・・・。
被災してから1週間の生活は・・・
灯油セントラルヒーティング→薪ストーブ
水道水→雨水
買ったものを食べる→残りものを食べる
愛車(ハイオク)→自転車
素敵な仕事かばん→リュック
スーツなど綺麗な服にパンプス→テニスウエア(防寒)にジョギングシューズ
トイレ→野糞
私は国公立育ちの体育系なので、右の方が素に近い(合っている)かも・・・・。
化粧なし、洗髪+カールなし、コンタクレンズなしでも結構平気で(ただのオバハン化?)、
痩せたし、肌の調子もいいし、目も回復。皮肉なことに「何もしない」ことが体調を良くしています。
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安否不明だった女川の知人は、5日目に無事が確認されました。
家は流されたが、高台に逃げたらしい。
自衛隊による支援のおかげで、衣食は足りて元気にしているらしい。
宮城県知事は元自衛官だ。
彼の陣頭指揮のお陰で、救助活動が進んでいるのを感じる。戦略も人脈も持っているだろう。
これが進学校→東大卒の官僚系の知事だったら、この災害は乗り切れていないのではないか?とさえ思う。
原発はどうやら「おなら」を我慢出来たようですね・・・ガンバレ!
おなら原発くん
例の日本海側に逃げた英語教師から電話があり、「冷蔵庫のモノ食べていいよ」だって。
「え?ホントにいいの・・・??」(ヨダレ)
停電で、石油セントラルヒーティングがストップしました。(灯油は家の裏のタンクに150ℓあった)
子供たちに究極のウォームビズ?の「着ぐるみ」を着せます。
この他に、ウサギ、ライオン、サルがあります。
あったかいです。皆さんにも買い置きを勧めます。
余震が収まってからしばらくして、ストーブを付けます。
非常に重く、ひっくり返らない構造になっていますが、それでも慎重に火の番をします。
薪のストックがあったので、暖をとることも、料理をすることもできます。
足りなくなったら、森に拾いに行きます。これは子供の役割です。
地震当日の様子。飾りろうそくや懐中電灯を使い、集まって寝ます。
子供はのん気にゲームなんかやってますが、学校で被災したショックは相当なもの。
昨日までドッチボールをしていた体育館が、被災者でいっぱいになっているのです。
「一生忘れられない」と言っています。
でもね、命があっただけで幸せです。
子供たちが(建築構造的に安全な)学校にいる時間で良かったかも・・・。
習い事で中心部に出ていたら、大変でした。
この地震で人生観が変わり始めています。
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夫の姪のニコールから、学校の作文の課題が届いて、泣きました。
簡単に日本語にすると、
「日本の地震
私には、日本にイトコがいます。
地震が起きた時、私と家族はとても心配しました。
良い知らせを期待して、ニュースをずっと見続けました。
そしてメールが来ました。
みんな無事で、食べ物と水はあると書いてありました。
私と家族は、その知らせにとても喜びました。
これが私の日本の地震のお話です。」
先生も「良かったね」とハナマル。
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コメント有難うございます。全て読んでいます。
今日は土曜日なので、ジャージ+リュック+ジョギングシューズで、市街地の様子を見てくる予定です。
自宅の雨水タンク500リットルの水は、半分ありますので、慌てて給水に行くこともありません。
実は1月に、オフィスにも300リットルの雨水タンクを着けたのです。(予知?)
赤いポリバケツに汲みに行き、自宅に持ち帰ります。
軽トラに積まれた雨水。これだけあれば何とかなる。しかし水がこんなに重いとは!
水があるのでトイレは流せますが我が家では、トイレは森でするようにしました。
俗に言う野糞(のぐそ)です。※難しい用語なので、振り仮名をつけますね。
私の両親が訪ねてきましたが、「トイレは森で」と聞いた途端、帰ってしまいました。
野糞する場所を探す少年↓
寒いので半ケツには勇気がいりますが、野糞(あまりにも下品な言葉で、変換候補にない)も、いいもんですよ!
水は約1週間後の、17日の夕飯時にやっと出ました。
水のありがたさは、「断水」を経験しないと分からないと思います。
思わず「WATER~」と叫んじゃったよ。(お前はヘレン・ケラーか)
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東北地方の取引先は、機能していない所も多い。
幸いなことにウチは、東京より西のお客様が多いので、
「郵便がストップしているみたい(陸路・空路・海路全滅)なので、請求書をスキャンしてPDFで送って下さい。すぐに送金しますから」と言って下さる方も多くて、涙が出ます。
中学校でリンゴとバナナの配給があるので、子供を行かせた。
すると「バナナ1本に(ひと房ではありません)100名が並んでいた」とビックリして諦めて帰って来た。
タンパク質が不足しているので、子供と一緒にこんなサイトを見ています。
エア焼き肉
普段ならいいけど、災害時に見るとシャレになんない(笑)ヨダレがヨダレが。
食糧が買えません。
スーパーもコンビニも閉店している所多いです。開いても長蛇の列。
ガソリンがないので、遠くに行けません。
何日続くか分からないので、子ども優先にして、自分は我慢しています。
ナニ、問題ありません。脂肪というのは、この日の為にあるのです!
ヒトは飽食には弱い(生活習慣病)が、飢餓には耐性があるのです。
幸いなことに被災の日が、生協の宅配日の翌日でしたので、いろいろと来ていました。
我が家は交通が不便な場所なので、普段から「買いだめ」する習慣もありました。
私が料理が苦手なこともあって(自慢することではない)、レトルト、インスタント、缶詰、クラッカーは家族5人分、2週間分はありました
ざっと見ても、白米15キロ、白米や赤飯のパックが30食くらい、スパゲティ3キロ、インスタントラーメン15食、生うどんパック7食、素麺と蕎麦1キロ、お餅1キロ(炭水化物ばっか!!)
100%ジュース類1リットルが30本くらい(友人に配りました)、レトルトカレー20食、カップスープ30食、フルーツ缶10個、コーン、アスパラ、ホールトマトなども20缶、ツナ・ホタテ・カニ・コーンビーフも20缶。
冷凍食品は、シューマイ、ピラフやチャーハンやビーフン、カット野菜、牛丼5食など。
西洋人と暮らしている為、ピクルス、チーズ、ソーセージ、ナッツなど保存食品も多い。ただ残念なことに夏季ではないので、家庭菜園の野菜がない・・・・。
それと我が家はお客が多いので、常に紙コップや紙皿、お箸は50名分くらいあります。
パン焼き機は、少しの水でパンが焼けるので、断水している時にいいです。
食品は停電で冷蔵庫が使えない(太陽光で昼だけ使えますけどね)ので外に出して(仙台の夜はまだまだ寒い)、冷凍食品から食べていきました。
太陽光を利用して、IHで残った野菜スープを作ります。
古い人参やキャベツ、ソーセージの残りなど。これを3日間食べるのです。
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放射能を恐れ、仙台でも外国人留学生が帰国し始めているようだ。
インターナショナルスクールの先生は、生徒をほっぽり出して、車で県外に逃げてしまった。
公立の小中学校の先生は、勤め先の学校で不眠不休で、被災者の炊き出しや支援に追われているというのに!
アンジェリーナ・ジョリー様へ
今、仙台空港を片づけていますので、プライベートジェットで支援に来て頂けないでしょうか・・・。
出来ればブラッド・ピットさんと一緒に。
その間ブラッドさんは私がお預かりいたしますので。
3日間弱、停電しました。
幸いなことに我が家には、着けたばかりのソーラー発電がありました。
夫が「着工を急ぎたい」とせかして、2月に着けたのが幸いでした。(予知してた?)
地震によるパネルの破損はありませんでした。
停電時に仕える非常用コンセント2個は、食品庫の中に。
通電時は使えないので間違わないよう、奥まった所に設置します。
停電時には「自立発電モード」に切り替わり、太陽の出ている時間は電気が使えます。
いつもと違う停電時のモニター画面↓地震発生から2時間弱。
連系発電モードから、自立発電に切り替えます。
これで停電時の電気使用が可能に!
消費量=発電量となっています。普段は7~8kW発電しているのに。
だいたい朝7時から夕方17時までOK。
(ネットにはつなげませんが)パソコン、(つながりませんが)携帯電話、IH調理器具、トースター、充電式の電池を充電することが出来ます。
まず照明器具で通電を確認します。これが太陽の光で作った明かりです!
日光の強い時間に10合分の白米を炊きました。これで親族にもてなせます。
冷蔵庫にあったひき肉を、傷まないうちに塩でいためます
まだまだ電力があるので、集会所に「どうぞ充電して下さい」の張り紙を出します。
携帯やデジカメやパソコンを持って皆さん集まってきました。
困った時はお互い様ですからね!
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スタッフの一人が「福島の原発付近に住んでいる親戚が我が家に緊急避難することになり、急遽夜中に来ることになりました。今週はお休みを頂きたいと思います。本当にすみません。」と連絡してきた。
ガソリン不足で通勤出来ないスタッフもいるし、会社も大混乱です。
(でも頑張って営業しています)
昨年、ご主人を亡くした奥さん。目の前で、実母とお兄さんを津波にさらわれたそうだ。
気の毒で気の毒で、とても気分が落ち込む。
ストレスで眠れない。ひもじい(「ヒデじい」ではない)ので3キロ痩せた。
みなさんコメント有難うございます。
全て読んでますが、イロイロと立てこんでいるため、お返事出来なくてごめんなさい。
地震発生 14:46
11日の金曜日午後、私はオフィスで作業中でした。
突然ぐらぐらっと来ましたが、「ああ、いつも来ている地震の余震かな」と思っていたところ(油断してエクセルのデータを保存するのを忘れた)立ってもいられないくらいの強さになって停電しました。
この感じは1978年の宮城県地震と同じだな、と直感的に思いました。
まずは従業員の安全を確認します。
「この建物は(安普請だけど)地震に強い構造だから、慌てないでね」
そして停電になって仕事にならないので、帰宅するように促しました。
その後その足で子供を迎えに小学校へ。
児童の半分は泣いていたでしょうか・・・皆上靴で校庭に集まっていました。
保護者も続々と集まってきて、子供の安全を確認します。夫は自宅にいたので、軽トラで駆けつけました。担任が全員の無事を確認、名簿にサインをして(引き渡しの実施)、子供と帰宅します。
私がママ友に「宮城県沖地震を思い出すわ」などとつぶやくと「私はまだ幼くって覚えてないわ」とか「生まれてない」等、相手が自分より「若い」ことが分かったり、自分の年齢がバレたりしますから、お話は慎重にします。
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福島原発のニュースを受けて、近くに住む外国人一家は日本海側に逃げ出してしまった。
ネットが復旧したので英字新聞を読んだらしい。
七ヶ浜に住む高校の友人から無事のメールが来た。すごく心配だった。先週まで「息子が甲子園に行く」というメールをもらったばっかりだったのに。
牡鹿(女川の近く)に住む知人の安否が分からない。道路が遮断され、連絡も通じない。
石原はバカじゃねぇのか?今回流された人が、物欲や金銭欲にかられた贅沢な人たちだと思ってんのか。いい加減にしろよ!!
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石原慎太郎東京都知事は14日、東日本大震災に関連し、「津波をうまく利用して『我欲』を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言した。時事通信 3月14日(月)22時7分配信
みなさん私は無事です!!
熾烈なサバイバル生活の3日間を生きています。
定期的に来る余震で、乗り物に弱い私は「船酔い状態」ですが、子供を育てなければなりませんから、ジャージを着て軽トラに乗り、頑張っています。
これからしばらくは、ライフライン全滅の詳細について書きます。
まずはこの辺で。
明日は自転車で通勤(ガソリンが品薄で買えないので)しようかな。
ああ~~30分ごとにぐらぐらゆれている(気がする)自宅で船酔い。