こんな朝食を食べてから
アリゾナ州を北上します。フィニックスからフラッグスタッフまで。
道端のサボテンが見事です。
砂漠が続きます。
北に300キロ移動中。
こんな風景がえんえんと続くのです。
目指すのはここ
メテオクレーター(隕石孔)です!直径約1200 - 1500メートル
私は蔵王登山でお釜(↑)の水に触ったことがあるんですが、規模は違いますが、イメージは近かったかな。でも「成り立ち」が全然違うからね。こちらは直径約400m
大穴をあけた隕石の一部。宇宙からの物体だ~~~。
他にも何点か見つかっており、NYなど他地域で展示されているそうです。
壮大なアリゾナ州の旅行記は続きます。
ロスから500キロ東に移動し、アリゾナ州フィニックスに滞在。
乾燥した山
風力発電・・・土地の狭い日本ではなかなか難しいですね。
巨大なステーキ肉
肉が主食の国なんだなあ。
滞在先はFairfield Inn & Suites Phoenix Chandler/Fashion Centerです。
(直前予約なので安い宿が満室で、高い所になってしまった)
さて今回の旅行にも、PCとiPhoneを持ってきてますが、iphoneは海外では本当に便利です。
よく使う順に書くと、
マップ・・・・目的地までの距離と所要時間が出ます。高速の出入り口も日本語表示。
天気・・・・・現在地の天気。何しろ、青森、沖縄、砂漠地帯と日々変わるので。
便利ツールの時計・・・・西海岸時間や中西部時間、そして日本時間の三つが必要。iphone時間は常に現地時間を表示します。今は夏時間なのですが、それも大丈夫!
磁石・・・・大平原の真ん中だと、方向が分からなくなる。
電話・・・・・国際アシストをONにしていれば、連絡先にある電話には自動でかかります。0を取ったり、81と日本の番号を入れる必要がない。
カメラ・・・・iphoneのカメラは、アメリカ人はほぼ使えるので、撮影を頼める。
というわけで旅行中は、17時から午前1時まで(日本時間の9時17時)はPCに向かって仕事をします。Skypeで指示を出したり。
しかし運転しながら(一日500キロ~800キロ)仕事をするのは、やっぱりキツイです。
アナハイムに滞在し、
こんな盛大な朝ごはんを食べてから、ニューポートビーチに行きました。
だんだん高級車が増えてきます。
ビーチ到着
海岸沿いには高級住宅が立ち並びますが、津波被災県民としてはすごく怖い。
桟橋に行ってみます。
ベトナム風の帽子をかぶったおばちゃんが釣った魚・・・イワシ?
いいところだなあ。
この後カリフォルニア州を出ます。
世界有数の動物園に行きました。
規模はディズニーランド並み。ケーブルカーも移動手段
私が会いたかったのはこれ。パンダが来るかもしれない仙台市民としては是非とも。
パンダ座りで食事中。
後ろ姿も可愛いんですけど。背中のシワが・・・。
園内で軽食。パンダ舎の近くの中華のファーストフード。
以前「ダーウィンが来た」で紹介されていた、キックちゃんこと、ヘビクイワシ。会えて感激。
他にもいろいろいましたが、みんな起きてて元気に動き回っているのがすごい。
今回の移動手段はフォード、エクスカージョン
でかいです。
さて、アメリカスギの生い茂るサンフランシスコ北200?地点から南下します。
曇りや霧の多かった場所から、太陽の降り注ぐ街ロスへ。
半分くらい行くと、急に暖かくなりました。タコベルでランチ
植生もずいぶん変わってきます。
無事着きました。10時間程度のドライブです。
仙台から大阪くらい?
オレンジ郡に滞在します。ディズニーランドの近くです。
ベストウェスタン アナハイム
その晩はステーキを。
前菜のステーキスープ
メインのフィレとワイルドライス
豆腐サイズのデザート!!!
灯台の町で、農場を見学しました。
ホルモン剤や抗生物質を使わない、有機栽培の牛を育てています。
最近生まれた子牛。
ミルクをあげてみました。3月10日生まれの子です。
機械で乳搾りをする場所。
牧場主はスペイン語で指示を出します。メキシコの労働者かな。
取れたての牛乳です。
人工授精も見せてもらいました。50%の受胎率だそうです。
5時間くらい前に生まれた子牛たち
日本製を見つけて嬉しかったな。
お昼は地元のお店でナチョスを。
別の牧場では、動物園用のシマウマを繁殖していました。
カリフォルニア州、ポイントアリーナに泊まっているのでした。
これから南下します。
晩ごはん
ラザニア美味しそうだったな。
この灯台のある町が気に入り、何泊かすることにしました。
人口1000人規模の町で、この食事!
タラのグリル、マッシュポテト添え
漁港が近いので、クラムチャウダーが美味しい。ウニも捕れるそうです。
The Pier Chowder House & Tap Roomというレストラン。
灯台に登ってみました。
コテージの壁の絵はこんな感じ。
実はハリウッド映画の舞台にもなったそう。
フランスから来た人も一緒に登ります。けっこうきつい。
眺めはこんな感じ。泊まっているコテージが見えます。
その後、町のギャラリーを見学。
内装はこんな感じ
100ドルから800ドルくらいまで。地元の作家の作品です。
紫式部、源氏物語The Tale of Genjiと書いてあるのを見つけました。
俳句を習っている人の作品だそうです。・・・式部は短歌なんだけどね。
アクセサリーに興味がないので、買いませんでしたが。
でもこんな片田舎で古典を見つけて嬉しかったです。
サンフランシスコを後にします。
途中、アービーズで昼ごはん
海岸線にはたくさんの牛が。
小さな町で、家ごとの!引っ越しを見かけました。
こんな海岸線が続きます。荒涼な・・・という言葉がふさわしい。
町はずれの灯台にあるコテージに泊まります。
中に入ると素晴らしい。ストーブ付のリビング。
主寝室
子供部屋1
子供部屋2
フルキッチンで自炊ができます。
シリアル、牛乳、ジュースなどを買い込みました。
店も家も何もない、潮騒しか聞こえない辺ぴな場所にいます・・・・・・。
オークランドのホテルに泊まり(駐車場のある安いモーテルがあるので)、フェリーで対岸に行きました。
泊まったのはここです。http://www.oaklandhs.com/
明け方の冷え込みは仙台市みたいだが、日中は暖かい。
アルカトラズ刑務所が見えます。ツアーも出ています。
ピア39という観光スポットでシーフード料理のランチ。
名物のクラムチャウダーとカラマリ(イカ)フライ。
あさりのリングイネ(2~3人前はあるんですけど・・・)
歩いてケーブルカーの始発へ。でも待つのが嫌で再び歩くことにした。
リトルイタリーの聖ペテロ&パウロ教会
その後、中華街に行って買い物をして帰りました。
まだ2日目なのにへたばりそうです。(あと20日もあんのに!)
・・・・ことにしました。んで、今はサンフランシスコにいます。
風が強いためか、仙台より寒い感じ
市街地とアルカトラズ刑務所跡を望む。
文章を減らし、更新頻度を上げて、
行った所、食べた物をFecebook風に小まめにUPしますので、お楽しみに。
はじめの晩は、オークランドにあるメキシコ料理を。
マルゲリータ、飲み放題
ナチョス・・・・仙台ではあまり食べられないので、すごく嬉しい。
震災が起きてからの1年、小学校から大学時代までの同級生と一生懸命会っていた。
人はいつ死ぬかわからないから、今のうちに会っておこうという心情。
そうしているうちに、知り合いに結構被災者がいることが分かった。
私は街の中心部の小・中学校(学校の敷地をぐるりとマンションが囲むようなイメージ)に通っていたので、津波の被災者はいないと思っていた。
ところが山元町の海の近くに家を買って移り住み、そこから仙台市にJR通勤していた同級生がいたのである。ご家族は無事だったが、家は全壊してしまった。
中学校では、当時より石巻から通勤していた恩師が、東松島で被災された。幸い先生はご無事だったが、奥様のご親族が多数亡くなられた。うち一人だけ残された小学生を、親代わりになって育てている。
高校では、多賀城、塩釜、松島からJRで通ってきていた人も多かったので、彼女たちの実家がどうなっているか気になる。同級生で亡くなった人は聞かない。それでも結婚相手が、大船渡や釜石、相馬だったりするから、夫実家が被災されているケースも多いと思う。
大学の友人では、海岸部出身の人が結構いる。若林区荒浜の後輩(♂)は実家が流された。みな無事だったが、放射能を恐れた奥さんが、まだ小さい子供を連れて北海道の実家に帰ってしまった。気仙沼の先輩は、海のそばに建てた家が全壊。仮設から小学校に出勤されていると聞いた。
学校の先生になっている友人たち。採用後は海岸部の過疎地に赴任することが多い。それで、教え子の安否確認やボランティアをしに、週末になると被災地に入って忙しそうだった。
福島県伊達市の叔母さんの家。避難区域ではなく今も住んでいるけれど、小さい子供のいる従妹は実家に帰れずにいる。子供が訪問できない家というのは何とも寂しい。
そして・・・・石巻の牡鹿半島の姻戚。家は流され丘の上に引っかかって見つかった。今は仙台市の2LDKに住んでいるが、集落全体が知り合いのような所からの移転、しかも年取ってからでは、精神的にもつらく、大変だろうと思う。
そんなことを思って、今日1日を過ごします。
子供の日記。誤字もありますが、彼なりに震災について感じたことを書いています。
ビデオ→映像、木とう→黙とう、石のまき→石巻
今晩、震災で亡くなられたり行方不明になった方2万人が、天国から見てくれるようにと、約2万発の花火が上がりました。
仙台市内を一望できる泉ケ岳から。うちの住宅地からはこんな風に見えます。
それで考えました。3月10日(木)は何をしていたのかなぁと。
会社の決算を終え、個人の確定申告を出し終わった頃・・・。
午前中に生協の宅配があった(←これがその後の兵糧攻めを、大いに助けることになる)
我が家を立ててくれたハウスメーカーの社長さんが、11日(金)の夜に「仙台で最高のステーキをご馳走します」とおっしゃって下さった。
たぶん2月に太陽光パネルを購入したお礼だと思う。
なのに、どうしても気持ちが動かず(何かが起こるという予感?)、速攻でお断りしていた(←仙台の財界の大物の招待を断るか?フツー。仲介者は呆れていた)。
小学校のPTA役員の仕事が終わり、打ち上げでもしようか、という話になった。
「最近地震が多くて心配だから行けない」という意見もあったが、とりあえず12日(土)に飲み会をすることに決め、店を予約した。
12日(土)の午前中は、町内のお仲間とテニスをする約束だった。
そして震災当日の11日(金)の午前中は、9時半からベルマーク活動が家庭科室であった。
また私は留守だったが、太陽光パネルを付けてくれた人が、「調子はどうですか?」と家を訪ねて夫が「とてもイイです」と返事をしたのが11日で、大地震の数時間前。
そういう、学校や家庭の予定をぎっちり組み、準備をして、「さあ明日は忙しくなる、早く寝よう」と3月10日が終わった。それを昨日のように克明に覚えている。
そして、とても現実とは思えない 3.11の朝を迎えるのである。
息子の授業参観は「こんなこと出来るよ 発表会」であった。
自分の得意なこと、掛け算の暗記、ピアノ、ダンスなどを一人一人披露する。
腕白な彼は「空手で板を割ります」と意気込んで、家から板を持って行った。
発表順のプリントでは、彼は一番最後だった。
さて授業参観当日・・・。
なんと、板は割れなかったのである・・・・(泣)
10回たたいても割れず、先生も「普段は割れるんだよね」とフォロー。
まるで、ドリフターズの古いコントをやっているような、感じ(←笑い事ではない)。
親の準備不足で失敗に終わった発表会。
実は、空手用の板↓というのがネットで販売されていたのです。
母は「親が悪い。大勢の前で恥をかかせて可哀そう」と私を責めた。
しかしご存知の通り、いつでも私は「逆の発想」である。
失敗の体験ほど、貴重な物はない。
最近は、子供に失敗させないよう、親が守り過ぎているきらいがあると思う。
本当は、めげずにチャレンジすることが大事なはず。エジソンのように・・・・。
起業家ってその精神がないと、やっていけないものだと思う。
翌週、先生のお取り計らいで、この板を使って再度、クラスメイトの前でうまく割って見せた。
大失敗の後に成功出来て、本当に嬉しそうだった。
********************************************************
今朝、学校の先生に戻った夢を見た。
担任になったが、少子化で数名しかいない。
挨拶をする段になって、靴下が左右合ってないことが分かり、恥をかいた。
先生になるなら、あの派手な車は似つかわしくないから売らなくてはならない。
服装も、クローゼットの中身がすっかり変わるだろう。
昼間、会社に大事な電話が入るけどどうしよう。
今から常勤の先生を断ろうか・・・こんな就職難の時代に、正職員の座を蹴るのか!
そこで目が覚めた。
単なる夢だが、現実的な社会問題を含んだ夢であった。
********************************************************
実は来週から、長期で海外に出てしまいます。
その関係で、仕事の追い込み、決算や確定申告、PTAの役員、スポーツ少年団の仕事、新聞や生協を止めたり、てんてこ舞いで更新しなくてごめんなさい。
海外滞在中は時間がたっぷりあると思うので、写真を多く小まめにUPしますので、お楽しみに!!!