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いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

被災後、食材を求めてバスで中心部に行く

2011年03月22日 05時57分30秒 | 東日本大震災311

仙台は車社会で、車を持ちたくない転勤族には地下鉄沿線が人気です。
でもガソリンが無くても、バスで行けばいいんです。
高校の時は、バスや自転車で市内のどこでも行っていたんですから。

街の様子は異様でした。
みんなラフな上下に、リュックか小さなスーツケース。
自転車の多さは、まるで外国にいるよう。

銀行などが立ち並ぶ道路に、車がずらり。(青葉通り)

ガス欠か、都心のマンション住民の車(タワーに車を駐車できない)かと思う。

ダイエーの前には入場規制で、2キロくらいの列が出ていた。
向こうに休業を決めたウェスティン仙台が見えます。

数時間待ち?

日曜日の政令指定都市が、シャッター商店街に。人は多いけど。
普段なら、隣県からの買い物客で華やかなのに。

グッチの前で、自転車で運んだ手作りのお握り(100円)やお弁当(500円)を売る若い人。
グッチは盗難を恐れて商品を隠し、休業中なので、「店舗の前で売るな」と言わない。

ディオールとブルガリの前では、浄水器やタオル等の日用品が売られていた。

小型のスーツケースが売れまくる。自転車や電気調理器も品切れと聞く。

沿岸部が壊滅的なので、鮮魚はないけど、野菜や果物が買える「仙台朝市」へ。

冷凍のタラやブリ、アスパラやセロリ、オレンジにキーウィ。
買い物がこんなに嬉しかったのは久しぶりだ。

大荷物で、バスで帰ります。
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女川の知人が、命からがら逃げた話はしました。(ストレスで眠れなかった)
仙台に来たら力になりたいと思っていましたが、家が無くても、親族や友人たちと一緒に地元に残る選択をしたそうです。

原発が落ち着いたから言いますが、私には福島に嫁いだ母の妹がおりまして、「胃に穴があくくらい」心配していました。病院を経営していますので、入院患者を放り出して仙台に逃げられない。放射能を恐れて物資も届かず、病院食の提供に四苦八苦している様子が、母の元に毎日メールで入ります。

地域に根ざして暮らしている人には「転勤しちゃえばいい」とか、有り得ないんです。

例の放射能から逃げた外国人が、原発の鎮静化に伴い、仙台に帰って来たいと言う。
「ガスの復旧に1ケ月かかるみたいだから、お風呂貸してくれない?(我が家はオール電化)」だって。
※逃げた気持ちは分かるが、生徒を放り出して逃げたことと、日本を全く信用してないことに私は腹を立てているのです。

コメント (1)
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