降伏文書調印式のYoutube動画
英文ではありますがYoutube動画で1945年9月2日のミズーリー号上の降伏文書調印式
について紹介されていましたのでGooブログで共有させていただきました。
Japanese Sign Final Surrender -Sep.2 1945
Wikipediaより降伏文書の内容を引用させていただきます。
降伏文書の内容
その所在地に関わらず日本軍全軍へ無条件降伏布告。全指揮官はこの布告に従う
日本軍と国民へ敵対行為中止を命じ、船舶・航空機、軍用非軍用を問わず財産の
毀損を防ぎ連合国軍最高司令官及びその指示に基づき日本政府が下す要求・命令に従わせる
その所在地に関わらず、日本の支配下にある全ての国の軍隊に無条件降伏させる
公務員と陸海軍の職員は、日本降伏のために連合国軍最高司令官が実施・発する
命令・布告・その他指示に従う 非戦闘任務には引き続き服する
ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る
天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める
処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる
日本政府と大本営は捕虜として抑留している連合軍将兵を即時解放し必要な給養を受けさせる
降伏文書後の動き
この時点で、日本の領土は北海道・本州・四国・九州と周辺の島々に限られ、沖縄
奄美・小笠原諸島はアメリカの軍政下に置かれることになった。
日本の政治は、マッカーサーを最高司令官とする連合国軍総司令部(GHQ)の
指令・勧告のもとで行われ、GHQは日本を占領、民主化のために様々な改革を
指令した。主な指令・指示を箇条書きで記載します。
・治安維持法を廃止して政治活動の自由を認める(政治犯の釈放、特高の廃止)
・20歳以上のすべての男女に選挙権を与えた(婦人参政権を認める)
・日本国憲法の制定(国民主権、基本的人権、平和主義(戦争放棄)、天皇象徴制)
・教育制度改革(6・3・3制、戦時中のすべての教育法令を廃止、)
・三井・三菱・住友・安田など15の財閥を解体
・農村の地主・小作関係を改める農地改革を実施
・労働運動の自由
・経済安定9原則(予算の均衡、徴税強化、賃金安定、物価統制など)
・ドッジライン(インフレ収束、対日援助見返資金の設置、1ドル=360円)
・シャウブ勧告(国税、地方税、税務行政に関する勧告)
昭和26年(1951)9月8日、第3次吉田茂内閣は単独講和に踏み切った。
米国のサンフランシスコで講和会議が開かれ、日本国と48ヶ国によって
サンフランシスコ平和条約に調印された。
この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。
1951年9月8日調印、1952年4月28日発効。
平和条約と同時に日米安保条約も結ばれ、日本は独立後のアメリカ軍駐留を認めた。
降伏文書と指令第一号
外務省のサイトで平成27年8月31日(月曜日)から9月12日(土曜日)まで、所蔵の
「降伏文書」と「指令第一号」の原本を特別展示されたことが記されています。
またこのサイトで上記文書を閲覧できます。(下記URL)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page22_002192.html
又は外務省のトップページより
トップページ > 外務省について > 組織案内・所在地 > 外交史料館 > 外務省外交史料館 戦後70年企画 「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示
Wikipediaによれば
マッカーサー演説
式典は1945年9月2日午前9時に始まり、まずマッカーサーが砲塔前で演説を行った。
演説内容の一部を紹介します。
「わが同胞諸君、今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。
大勝利が勝ち得られた。空はもはや死を降らさない。
海洋はただ通商のみに使用され、人々は、太陽の下をいずこにおいても闊歩できる。
全世界は全く穏やかな平和に包まれた。神聖なる使命は完成された……」
署名者
日本側からは、天皇および大日本帝国政府を代表して重光葵外務大臣が、また
大本営を代表して梅津美治郎参謀総長が署名した。
連合国側からは、まず連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが4連合国(米、英、ソ、中)を代表するとともに、日本と戦争状態にあった他の連合国を代表して署名を行った。その後、以下の各国代表が署名した
アメリカ合衆国代表:チェスター・ニミッツ海軍元帥
中華民国代表:徐永昌上将
イギリス代表:ブルース・フレーザー海軍元帥
ソビエト連邦代表:クズマ・デレヴャーンコ(en)中将
オーストラリア代表:トーマス・ブレイミー(en)陸軍元帥
カナダ代表:ローレンス・ムーア・コスグレーヴ(en)陸軍大佐
フランス代表:フィリップ・ルクレール陸軍大将
オランダ代表:コンラート・ヘルフリッヒ(en)海軍中将
ニュージーランド代表:レナード・モンク・イシット(en)空軍中将
降伏文書は2通作成されたが、そのうちの1通(外交史料館所蔵)はカナダ代表が署名の箇所を誤ったため、以後の代表は署名欄を一段ずつずらして署名し、調印式終了後に国名が訂正されている。
その他参列者
その他の主な参列者は下記のとおり。
日本全権随員
陸軍:宮崎周一中将、永井八津次少将、杉田一次大佐
海軍:富岡定俊少将、横山一郎少将、柴勝男大佐
外務省:岡崎勝男終戦連絡中央事務局長官、加瀬俊一秘書官、太田三郎終戦連絡部長
米:ウィリアム・ハルゼー・ジュニア大将(会場責任者)、ジョセフ・スティルウェル大将、ジョン・S・マケイン・シニア中将、ジョナサン・ウェインライト中将
英:アーサー・パーシバル中将
中:楊宣誠海軍中将、朱世明中将、王之少将、李樹正上校、王丕承上校
23分間にわたる式典の模様は通信艦船アンコン号を通じて全世界に中継された。
関連ニュース報道へのリンク:
中国の抗日戦争勝利記念日
中国では昭和20年9月2日の翌日の同年9月3日を抗日戦争勝利記念日としています。
今年は抗日戦勝75周年に当たり習近平主席も出席し献花した。演説はなかったが
座談会で日中関係について「中国と日本は隣近所だ。長期的な平和友好関係を維持
することが、両国人民の根本的利益にも、アジアと世界の平和安定維持にも符合する」
と述べ、対日関係改善に取り組む意向を示した。一方で「中国の特色ある社会主義
の道を歪曲し改変しようとする勢力に中国人民は決して応じない」と、中国批判を
強める米国をけん制した。国営中央テレビが伝えた。
式典は日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年)の現場近くにある北京市
郊外の中国人民抗日戦争記念館で行われました。
上の写真は抗日戦勝75周年の式典に出席した習近平国家主席
米国大戦終結75年式典
2020年9月2日、米国ハワイ・オアフ島の戦艦ミズーリ記念館で式典が開かれた。
エスパー国防長官が基調講演をし、自由や民主主義、法の支配などの規範を守るため
日本や韓国、オーストラリアなどの同盟国と引き続き協力関係を強化していくと強調
式典には第2次大戦で従軍した退役軍人や、米軍関係者、ハワイ州のイゲ知事らが出席
エスパー氏は講演で「第2次大戦は世界のパワーバランスを根本から変え、国際秩序を
再編した」と指摘。米国は戦後、友好国との間で互恵的な貿易や主権の尊重に基づく
関係を築き、世界の安全保障や安定、繁栄に寄与してきたと語った。
戦艦ミズーリは1944年6月に就役し第2次大戦後も朝鮮戦争や湾岸戦争にも出動し1999年
からハワイの真珠湾で記念館として一般公開されている。
関連サイト:https://www.hawaiinewsnow.com/2020/09/01/years-ago-mighty-mo-played-starring-role-end-wwii/
75 years ago, ’Mighty Mo’ played a starring role in the end of WWII
On her decks 75 years ago Wednesday, while the 45,000-ton battleship w...
https://www.hawaiinewsnow.com
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