CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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神戸海洋気象台跡の現況 on 2019-11-11

2019年11月17日 06時19分47秒 | 神戸情報

2019年11月11日、日本初の海洋気象台である神戸海洋気象台の跡地を訪問し写真を

撮ってきましたので関連事項とともに紹介します。

現在は阪急阪神不動産と野村不動産が売り主のマンション(ジオ神戸山手通)が建っています。

住所表示は神戸市中央区中山手通7丁目14番1です。

神戸海洋気象台は大正9年(1920)8月26日に開設された日本最古の海洋気象台です。

前身は明治29年(1896)12月、同じ地に設置の兵庫県神戸測候所

平成25年(2013)10月1日 神戸地方気象台に改編改称され海洋気象台の名は消えて

しまいました。

上の3枚の写真はマンションのエントランスに残る神戸海洋気象台時代の遺物の石台と

この地にかって神戸海洋気象台が存在していたことを記した現地説明板。

遺物についてKobeportさんがブログで写真紹介されていますのでリンクさせていただきました。

あのとき神戸にこんなものがあった! 中山手の神戸海洋気象台

上の3枚の写真はいろいろな角度から撮ったマンションの姿

1とか2とか書かれた古い建物は神戸大学が所有する宿舎

上の写真はマンションの配置図が判るもの

上の写真はマンション(ジオ神戸中山手)までのアクセスを示した地図

出典:マンションのリーフレット

上の写真はマンションより北側(山側)を観た景観

次に昔の神戸海洋気象台のお話に話題を移します。

上の2枚の写真はかっての神戸海洋気象台の建物群と付属の観測用設備群です

出典:2018年6月28日の20:00からNHKのBSプレミアムで放送の「英雄たちの選択」


神戸海洋気象台の開設当時の職員数は55名で岡田武松が初代台長に就任した。

大正3年(1914)から第1次世界大戦が始まり各国、各地の気象情報が入手し難い状況
にあった。気象の予報をする上で出来る限り西の気象観測の拠点が必要とされていました。
また当時、海洋気象の情報(特に台風)に乏しく海難事故も多発していました。
当時中央気象台第一課長(予報課長)であった岡田武松は海洋調査や観測機器の研究も行う
海洋気象台の設置を中央気象台長の中村精男に進言し了解を得た。当時、気象台を管轄
していた文部省もその必要性は認めていたものの予算がないとのことで快諾は得られなかった。

そこで岡田武松は建設費は船成金の業者による寄付で賄うので運営費のみ文部省で負担という
条件で設置の許可をとった。

当時の文部大臣は岡田良平は兵庫県知事の清野長太郎に善処を依頼した。
清野知事は公邸に船会社の代表を招き海洋気象台の建設に協力を求めた。

日本郵船、大阪商船、三井船舶部、三菱商事船舶部の四社がそれぞれ1万5千円を寄付。
37社で23万3千500円が集まった。これによって大正8年4月、竹中組が宇治野山の敷地に
着工し、鉄筋コンクリート三階建て、タイル張りのシャレた本館が翌大正9年4月に
建てられて海洋気象台が完成。

気象台のモデルは当時世界一といわれたハンブルグの海洋気象台。
天体望遠鏡など、いずれも当時の最高を行く観測設備だった。

大正11年(1922)には、神戸、大阪の有志によって別途14万3,800円の寄付が集められ
海洋気象台の無線電信設備が完備され、12月4日、航行中の船舶に対して気象状況、
暴風警報を伝える気象無線通報が始まった。
この世界初の無線通報は、航海の安全に寄与したことはもちろん、全国測候所における
予報作業に大きく貢献した。

さらに詳細は下記のブログで記載しています。

 神戸海洋気象台の設置と日本気象学の父・岡田武松

上の写真は木版画家の川西英さんが描いた海洋気象台

上の写真は明治43年(1910)の地図で神戸海洋気象台の前身の測候所付近

上の写真も明治末期?の地図で測候所の位置を示しました

上の写真は現在の地図で神戸海洋気象台の位置を示しました。

上の2枚の写真は神戸地方気象台が入っている神戸防災合同庁舎

6階と7階が神戸地方気象台のフロアになっています。

撮影:2019-11-15

所在地住所は神戸市中央区脇浜海岸通1丁目4−3

上の2枚の写真は気象観測の機器群 撮影:2019-11-15

上の2枚の写真は神戸防災合同庁舎の6階に掲示の神戸海洋気象台に関する説明板

撮影:2019-11-15

神戸海洋気象台が日本郵船、大阪商船、三井船舶部、三菱商事船舶部の四社から

それぞれ1万5千円を寄付を受け39社で23万3千500円が集まり、これによって大正8年4月、

竹中組が宇治野山の敷地に着工され、鉄筋コンクリート三階建て、タイル張りのシャレた

本館が翌大正9年4月に建てられて海洋気象台が完成。設計者は渡邊節

さらに、神戸、大阪の有志によって別途14万3,800円の寄付が集められ
海洋気象台の無線電信設備が大正11年11月完備されました。

無線電信所の設計は置塩章、施工は橋本組

説明板には寄付者の全部のリストが記載されています。

また神戸海洋気象台が設置にあたって尽力した人々の名前も掲載されています。

建設委員は川村貞次郎、河内研太郎、勝田銀次郎、新庄清一、四井喜一郎

のちに新庄氏に代わって島村幡彦氏が委員となる。


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