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飛鳥時代の概要と推古天皇、厩戸皇子(聖徳太子)の政治

2023年05月31日 04時41分14秒 | Weblog
本日は表題のテーマを取り上げます。
飛鳥時代の定義についてWikipediaより引用紹介します。(下に添付)

飛鳥時代は、広義には、難波宮や飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年
(ただし旧暦12月8日なので、西暦に換算すると593年))から和銅3年(710年)にかけての
118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への
遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての101年間、または推古天皇元年(593年)から
和銅3年(710年)にかけての117年間を指す。

飛鳥時代の概要
Youtube高校では飛鳥時代の概要を次のように解説されています。(Gooで共有)
【飛鳥時代】14 忙しい人のための飛鳥時代【日本史】  

【飛鳥時代】15 蘇我氏と物部氏 仏教公伝と丁未の乱【日本史】  

推古天皇、厩戸皇子(聖徳太子)の政治
記述に入る前に推古天皇と厩戸皇子(聖徳太子)を中心とした系図を添付します。


推古天皇の即位(592年)から死去による退位(628年)までの主な出来事を年表形式で記載。

592年 蘇我馬子が崇峻天皇を謀殺。推古天皇即位
593年 聖徳太子が摂政となる、四天王寺建立開始
594年 仏法僧の三宝(仏教)興隆の詔
600年 第1回の遣隋使を派遣
601年 斑鳩宮を造営
602年 百済僧の観勒が暦本、天文地理などの書を伝える
603年 冠位十二階を定めた。小墾田宮へ遷宮
604年 十七条憲法を制定、隋で第2代皇帝の煬帝(楊広)が即位
605年 諸王諸臣に、褶の着用を命じる。斑鳩宮へ移り住む
607年 第2回の遣隋使派遣 小野妹子を派遣 斑鳩に法隆寺を創建
608年 小野妹子、答礼使裵世清とともに帰国。第3回の遣隋使派遣 小野妹子を派遣
    小野妹子に同行して高向玄理(たかむこのくろまろ)・旻(みん)・南淵請安が留学
610年 第4回 遣隋使。高句麗僧曇徴が紙、墨、絵の具の製法を伝える
614年 第5回 遣隋使 犬上御田鍬・矢田部造らを派遣
615年 仏教を篤く信仰し「三経義疏」を著す
618年 隋が滅びる 唐が抬頭
622年 聖徳太子死去
      622年4月8日(推古天皇30年2月22日)
628年 推古天皇死去 舒明天皇が即位

冠位十二階(603年)は、徳・仁・礼・信・義・智の6種をそれぞれ大・小に分けて
12の位階としたもので、世襲される姓とは異なり、個人に対しあたえる。この授与で、
氏族単位の王権組織を官僚組織による中央行政機構に再編成しようとしたもの。
官位十二階は位の名称や階数に変化はあるものの天武天皇の代
上の写真は冠位十二階の具体的な内容
出典:2022年5月17日22:00からNHKEテレの知恵泉「遣隋使 格上相手とどうつきあう?」 

憲法十七条は604年に制定された法令。天皇への服従(承詔必謹)や衆議尊重とともに
仏法僧(三宝)崇敬など豪族たちに国家の官僚としての自覚を求めるものでもあった。
こうして王権のもとに中央行政機構・地方組織の編成が進められた。
 
上の写真は604年、十七条憲法の制定のイメージ
出典:2022年5月17日22:00からNHKEテレの知恵泉「遣隋使 格上相手とどうつきあう?」 

遣隋使の派遣
上述した年表に5回の遣隋使の派遣について記載した。
600年と610年の派遣は無かったとの説もあり3回の遣隋使派遣であったとの説もあり。
倭は隋に外交使節を送った。朝鮮三国(高句麗、新羅、百済)に対する優位を保つため
中国皇帝に臣属しない形式をとった。
遣隋使に関する詳細は下記ブログで纏めています。

Youtube高校よりこのテーマにピッタリの解説がありますのでGooで共有させていただきました。

【飛鳥時代】16 推古天皇と厩戸皇子(聖徳太子)【日本史】

【飛鳥時代】17 遣隋使とは何か?【日本史】

不十分な記述であるが時間の関係もありこのへんでアップします。

コメント
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