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中国 黄河の治水に成功した夏王朝の英雄「禹王」

2022年12月30日 03時39分44秒 | Weblog

夏(か、拼音(ほうおん): Xia、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)は、史書に記された中国最古の王朝。 

下記のブログで夏王朝の歴代王の名前を列挙した。

2022年12月18日(日)Pm4:00~5:30 NHKBSプレミアム「空旅中国 冬の黄河」で
黄河の治水に成功した夏王朝の初代の王様で中国で英雄視されている「兎王」について
紹介されていましたので写真紹介します。
上記番組は2022年1月3日の再放送です。


司馬遷(BC135~BC86)の「史記」には、「夏王朝」や「禹王」について、次のように記されている。

BC1900年頃、この世は洪水が相次ぐ激しい時代だった。王たちがどのような手を講じても、荒れ狂う大河を制することは出来ず、人々は貧しい生活を余儀なくされていた。

ある日、一人の若者に白羽の矢が立った。禹(う)という男である。この男が全国の治水に邁進した。厳しい自然との戦いで、若々しかった肉体は老人のように不自由になったが、それでも禹は歩き続けることを止めなかった。

そして13年後に、は中国全土の治水に成功し、生まれ変わった土地で民の暮らしは一変した。周囲から押された禹は王となり、夏を大いに繁栄させた。


上の写真は黄河を見つめている夏王朝の初代の王様「禹(う)

上記番組では次のように説明されていました「黄河は泥の川、肥沃な土でもあるが氾濫して
洪水の害ももたらす。この川をコントロールするものがリーダーとなる。
例えばこの男は古代の夏王朝を開いたとされる禹(う)が皇帝になる前の話である。
紀元前1,900年頃、男は黄河の治水を命じられた実は父も治水事業を命じられ
失敗し処刑されてしまった。
土で作った道具を右手で持つ男、この道具で耕し溝を掘る禹は民衆を集め泥をさらい13年工事に専念、
家の前を通っても家には入らず、妻子にも合わず、ついに河の神が心を動かし治水は大成功。
平安が訪れる。それでも4,000年間で1,500回、洪水が起きた。
1887年の大洪水は死者90万とも200万とも言われています。


上の写真はの石像の遠景です。

中国では「」は黄河の治水事業を成功させた英雄として誰でも知っている人物だそうです。

夏(か)王朝がどんな時代であったかを理解するために兵庫県立考古博物館加西分館で
展示の説明パネル(中国の年表)の写真を添付しておきます。
同館では来年3月12日まで古代鏡展示館秋季企画展「儀礼の器 商周青銅器」が開催中です。
岳南 著「夏王朝は幻ではなかった」 では夏王朝の存在期はBC2070年~BC1600年と記載

二里頭遺跡の時代と一致します。

最後に二里頭遺跡についてWikipediaの解説文を添付して筆を置きます

二里頭遺跡(にりとういせき、二里头遗址、拼音: erlǐ tou yizhǐ 、アーリィトウ・イージィ)は、中国の河南省洛陽市偃師区翟鎮二里頭村で発見された新石器時代末期から青銅器時代にかけての都市・宮殿遺跡である。1988年に全国重点文物保護単位に指定された。

概要
「二里頭文化#二里頭遺跡」および「二里頭文化#夏・殷朝との関連」も参照
1959年に発見されて以来発掘や研究が進められている。1960年には規模の大きな宮殿の基壇が発見されており、中国初期王朝時代に属する最古の宮殿建築とされている。
二里頭遺跡は紀元前1800年から紀元前1500年頃の遺跡と見られ、中国の史書の夏の時期に相当するため、中国ではこの遺跡は夏王朝の都の一つと考えられている。しかし都城・城壁の跡は発見されていない。また文字資料は出土していない。

これまで発掘された二里頭遺跡は4期に分けられている。1期および2期からは石器や陶器を作る工房が発見され、その基調は農村文化である。3期と4期からは青銅器工房と宮殿が発見された。宮殿の遺跡は2つあり、一号宮殿址は南北100m、東西108mの方形の基壇の上に建てられ周囲には塀などが発見された。そのすぐ近くにある二号宮殿址は東西58m、南北73mの基壇が発見され、その北に大きな墳墓があるため、祭祀のための施設とも考えられる。近年はさらに大きな都市や道路の遺跡も発見されている。

中国の考古学界には二里頭遺跡がどの王朝の遺跡であったかに関して様々な推論がある。ひとつは1期から4期までの時期から夏朝の文物が出土していると見てこれを夏王朝の都とみる説であり、また1期と2期からは夏朝の文物が、3期と4期からは殷の文物が出土しているとして、大きな宮殿は殷の初期のものであると見る説である。

二里頭遺跡から約6km東には殷初期の大規模な都城遺跡が見つかっている(偃師商城、Yanshi-Shangcheng)。
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