CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

「フェリシモ クリスマスアーカイブス コレクション」の展示 その2「欧州各国のクリスマスツリー」

2022年12月23日 14時39分14秒 | Weblog
昨日(2022年12月22日)、神戸ゆかりの美術館で「川西英 三つの百景」を観覧しました。
入口ホールでは「フェリシモ クリスマスアーカイブス コレクション」の展示がありました。
フェリシモはクリスマス文化の世界的研究家である英国のマリア・ヒューバート・スタウファー
伯爵夫人より約10万点のクリスマスに関わるコレクションを譲り受けた。
今回の展示はその一部を公開されたものです。

展示の写真を利用してクリスマスにふさわしい話題をお送りします。
その2として「欧州各国のクリスマスツリー」です。
これでこのシリーズは完結となります。

展示会の基本情報
期間:2022年11月19日(土)~12月25日(日)
場所:神戸ファッション美術館 1Fエントランスホール(無料スペース)
営業時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
(月曜休館日、祝日の場合は開館、翌平日休館
アクセス:兵庫県神戸市東灘区向洋町中2-9-1
問い合わせ:078-858-0050


上の写真は展示の遠景でクリスマスツリーの国名を記入しています。



上の写真は別ブロックに展示のフランスのアルザス地方のクリスマスツリーと説明板

これからは各クリスマスツリーを1つづつ紹介していきます。


上の2枚の写真はアイルランドのクリスマスツリーと説明板



上の写真はヴィクトリアンクリスマスツリー(中央) イギリスと説明板  




上の2枚の写真はポーランドのクリスマスツリーと説明板



上の2枚の写真はクリスマスツリー発祥地ドイツのクリスマスツリーと説明板

上の写真は北欧のクリスマスツリーと説明板
北欧の構成国はデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド


上の写真はイタリアのクリスマスツリーと説明板

下記サイトで世界のゴージャスなクリスマスツリーの写真を見れます


クリスマスツリーの歴史


Wikipediaでは次のように解説されています
クリスマスツリーはキリストとはおよそ無関係である。原型は北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭で使われていた樫の木である。冬でも葉を枯らさずにいる樫は生命の象徴とされていた。このドイツの民をキリスト教に改宗させる試みがなされたが、樹木信仰が根強かったので、樫を樅(モミ)に変えることでキリスト教化した。樅の木は横から見ると三角形で「三位一体」を表していると教えた。父なる神が頂点で、子と聖霊が底辺の両端に位置する。そして、1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾った。この記録が、クリスマスツリーをクリスマスに飾る行為の最初とされている。1600年代には、ドイツ各地で記録が残されている。ベルリンには1800年頃にツリーが伝わっている。

イギリスへは1840年、ヴィクトリア女王を通じて伝わった。夫のアルバートがドイツ出身であったため、彼のためにクリスマス・ツリーに飾って見せたところから。1860年代に一般にも広まるようになった。

アメリカ合衆国で最初のツリーは、ドイツ移民によって1746年に飾られた。アメリカで導入された当時は、アメリカ建国当初からいたイギリス系清教徒のアメリカ人から、「クリスマスツリーは異教の文化だ」と断じられて、反発されたこともあった。

現在では、キリスト教徒が少ない日本のような国でも、この風習は根付いている。ロシアのヨールカは、日本の門松と同じく新年を祝うものだが、クリスマスの時期から飾られ、クリスマスツリーと何ら変わるところはない。

2021年現在、ギネスブックに登録されている世界最大のクリスマスツリーは、イタリア共和国ウンブリア州のグッビオのもので、街に面した山腹に電飾を使って描かれる、高さは約650メートル、幅は350メートルの大きさのものである。生木や擬木を使ったものではない。


世界最大のクリスマツリーを写真入りで紹介されたサイトにリンクしておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フェリシモ クリスマスアーカイブス コレクション」の展示 その1「サンタクロースはなぜ赤い服を着ているのか」

2022年12月23日 04時27分16秒 | Weblog
昨日(2022年12月22日)、神戸ゆかりの美術館で「川西英 三つの百景」を観覧しました。
入口ホールでは「フェリシモ クリスマスアーカイブス コレクション」の展示がありました。
フェリシモはクリスマス文化の世界的研究家である英国のマリア・ヒューバート・スタウファー
伯爵夫人より約10万点のクリスマスに関わるコレクションを譲り受けた。
今回の展示はその一部を公開されたものです。

展示の写真を利用してクリスマスにふさわしい話題をお送りします。
その1として「サンタクロースはなぜ赤い服を着ているのか」

まずは展示されていたサンタクロースの写真を添付紹介します。
(下の3枚の写真)



展示会の基本情報
期間:2022年11月19日(土)~12月25日(日)
場所:神戸ファッション美術館 1Fエントランスホール(無料スペース)
営業時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
(月曜休館日、祝日の場合は開館、翌平日休館
アクセス:兵庫県神戸市東灘区向洋町中2-9-1
問い合わせ:078-858-0050  

前置きが長くなってしまいましたが本題に話題を戻します。
以下は現地の説明板に書かれた内容を要約したものです。

サンタクロースは3世紀の聖人 聖ニコラス(271~343年頃) がそのルーツと言われています。
英語の「セント・ニコラウス」のオランダ語読みが「サンタ・クロース」なのです。
ニコラスは、小アジアのミュラという地で司教を務めたといわれており、
貧しい人を哀れみ、善行を行っており人々に愛され慕われていました。
その司教の正装である司教服は 「赤い色」をしており、キリスト教文化圏では
誰もが、司教と言えば赤い服を連想するほど常識化している。
そこで、聖ニコルスの昔より、サンタクロースは「赤い服」を着ていたのでした。
キリスト教では「司教」は自分の身を、そして命を投げうってでも人々の幸福に尽くす
ことが役目であるとされていました。
そこで、その覚悟を象徴する「血の色=赤」を司教服の色と定めていました。
サンタクロースが最早、司教ではなくなり、服装がすっかり変わってしまっても、
彼の「庇護」や「慈愛」を象徴する色「赤い色」だけは「愛」や「幸福」を願う
人々のいつの時代も変わらぬ想いを表している証として今日まで大切に受け継がれてきました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする