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Soraかさい(鶉野飛行場跡)訪問記 on 2022-11-18

2022年12月07日 04時17分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月18日、加西市に2022年4月18日に一般公開されるようになった平和学習施設
Soraかさい(鶉野飛行場跡)を訪問しましたので写真紹介します。初訪問です。

Soraかさいの基本情報
住所:兵庫県加西市鶉野町2274-11  TEL:0790-49-8100 
営業時間:9:00~18:00
休館日:毎月第2・4月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日
入場料:100円  オープン日:2022年4月18日
問い合わせ先:加西市鶉野未来課(TEL:0790-42-8757)
指定管理者:神姫バスグループ共同事業体 (令和4年4月より5年間)
公式サイト:soraかさい | トップページ (sorakasai.jp)

太平洋戦争中、加西市にあった姫路海軍航空隊鶉野飛行場や川西航空機姫路製作所鶉野工場を
紹介し、戦争の記憶を伝える施設で戦闘機「紫電改」と航空隊操縦生の訓練に
使われた
「九七式艦上攻撃機」が展示されています。

平和学習施設として機能しており2022年には学校関連の訪問者が100校を超えたとのこと
(神戸新聞11月20日報道では 11月18日の時点で109校の予定)
当日も小学生の団体が見学されていました。

メインの展示室

施設の中央に旧軍用機の模型がつり下げられています。
大きさは全幅15メートル。濃緑色のボディーに、白で縁取られた、深い朱色の日の丸。上の写真は太平洋戦争で旧日本海軍が使用した「九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)」の実物大模型です。
フロアには川西航空機姫路製作所鶉野工場で生産された戦闘機「紫電改」が展示されています。
九七式艦攻は昭和12(1937)年に正式採用され、日中戦争から実戦に投入されています。

上の写真は局地戦闘機「紫電改」を中心に撮ったものです。
紫電改は「紫電」の問題点を改良して開発されました。
紫電二一型(N1K2-J)Shiden-Kai [code named "George" by  US military]
Interceptor Fighter [N1K2-J Model21]
主な仕様
 乗員:1名
 主要寸法:全幅11.99m×全長9.346m、主翼面積23.5㎡
 重量(積載時):4,000Kg(4,800Kg)
 発動機:譽(ほまれ)
 最大出力:1,990HP
 最大速度:594Km/hr
 航続距離/時間:2,395Km/6.8hr
 武装:20mm銃×4
 爆弾:250Kg×2又は60Kg×2
上の写真は「紫電改」の模型の各部名称が記された説明パネル

上の写真は「紫電改」の操縦室

上の写真は展示室のフロアプラン
歴史を解説するフロアは撮影禁止で写真はありませんが。
映像で鶉野飛行場の建設過程やここで養成され特攻隊として出撃し犠牲となった若者達
の映像などが映し出されていました。又、特攻隊員の遺品の展示もありました。





上の5枚の写真は「紫電改」の模型の制作過程を説明したパネル

上の写真は「紫電」と「紫電改」と加西市
上の写真は長年、鶉野飛行場ぼ調査や資料収集を行われてきた上谷昭夫さんの紹介パネル。
上の写真は戦後の鶉野飛行場の歴史が書かれたパネル
上の写真は展示が行われている主屋の建物

サンテレビが「soraかさい」について紹介されておりGooで共有させていただきました。
【特集】鶉野飛行場跡地が平和学習施設に #紫電改 #戦闘機 #サンテレビニュース

鶉野フィールドミュージアム
soraかさいに「鶉野フィールドミュージアム」と書かれた案内パネルがあります(下の写真)


上記案内の番号に沿って訪れた場所の写真紹介をしていきます・

1.鶉野平和祈念の碑苑
鶉野飛行場は飛行士養成のため昭和18年(1943)に建設。戦況が悪化してから
神風特攻攻撃隊「白鷺隊」が編成され鹿児島県の串良 基地を経て沖縄方面に出撃した。
63人の貴重な若者が命を落としました。
上述特攻隊員を悼む為、例年「鶉野平和祈念祭」が行われています。
2022年は10月8日「第24回鶉野平和祈念祭」が鶉野平和祈念の碑の前で行われました。


上の写真の左側の碑文の内容は以下のとおりです。

美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう
神風特別攻撃隊白鷺隊記
神風特別攻撃隊白鷺隊は、姫路海軍航空隊員より編成され、この地鶉野飛行場において日夜訓練を重ねた。隊長 後藤 清大尉以下六十三名は、その保有する艦上攻撃機二十一機をもって、昭和二十年四月六日より五回にわたり鹿児島県串良基地より出撃し、沖縄周辺の米軍艦艇に対し飛行機もろとも体当り攻撃をくわえ、壮烈な戦死を遂げた。
戦いは遂に国土防衛戦に入り、膨大なる物量を誇る米軍の来襲に、わが沖縄守備隊の戦力では如何ともしがたく、菊水作戦が発動され航空機による特別攻撃隊の投入となり、海空による総攻撃が開始されたのである。姫路空白鷺隊も決然としてこれに加わった。隊員たちは出撃にさいし遥か故郷の愛する家族らに別れをつげ、再び還ることなき特攻に若き命を捧げ、武人の努めを全とうしたのである。
今ここ鶉野の地に碑石を建立し、この史実を後世に伝え、謹んで殉国された勇士の御霊をお慰めし、併せてそのご加護により永遠の平和の実現を切に願うものである。
上の写真は右側の碑文を拡大したものです。


上の写真は昭和18年(1943)3月から始まった鶉野飛行場滑走路の建設で使用された
転圧ローラー(鶉野平和祈念の碑苑の近くに展示されています)
上の写真は転圧ローラーの現地説明板

関連サイトへリンク

2.備蓄倉庫

上の写真は備蓄倉庫
 かっての川西航空機の格納庫を模した防災備蓄倉庫です。

3.鶉野飛行場滑走路跡

上の写真は滑走路跡
判り難い写真なので7)の資料の口絵の写真も添付しておきます。
滑走路の仕様は1,200m×60m
もう1本滑走路があったその仕様は1,200m×20m

上の写真は資料1)、2)のPage26-27で記載の基地の施設詳細

4.巨大防空壕跡(自力発電所跡)


上の2枚の写真は巨大防空壕跡(自力発電所跡)の外観と現地説明板

5.対空機銃座跡



上の3枚の写真は対空機銃座跡と現地説明板
攻撃してくる飛行機を迎え撃つための機銃は1分間に230発の弾を5,000mまで発射できたそうです。

6.門柱・衛兵詰所跡

姫路海軍航空隊への入口として門柱、衛兵詰所、訪問者との面会所がありました。
現在は面会所などをイメージした休憩所やトイレが整備されています。

7.防空壕跡

上の2枚の写真は門柱・衛兵詰所跡のすぐ傍にある防空壕跡と現地説明板

8.爆弾庫跡


上の3枚の写真は爆弾庫と現地説明板


9.北条鉄道 法華口駅
当日は法華口駅に立ち寄らず写真が無いので過去に訪問した時の写真を添付しておきます。
上の写真は北条鉄道、法華口駅の正面 撮影:2016-4-3
訪問記は下記ブログで書いています。

上の写真はホームから撮った法華口駅 撮影:2015-11-29
播州鉄道時代は笠原駅と呼ばれていました。訪問記は下記ブログ。

参照資料
本ブログの記事を書くに当たって参照した資料を記載しておきます。

1)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター 編集「加西・鶉野飛行場跡」--加西市教育委員会--2011.3
2)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター編 --加西市歴史街道ボランティアガイド--2013.3 
 1)と2)の内容は同一です。

3)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター編「鶉野飛行場関係歴史遺産」
--加西市教育委員会--2011.3

4) 上谷昭夫 -- 歴史と神戸 -- 54巻4号(311号) -- 2015.8 鶉野飛行場との出会い
 Page30-36

5)森幸三 -- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 --「鶉野飛行場の歴史」2012.6
 Page15-19

6)伊藤為一 播磨郷土研究 17号 「元姫路海軍航空隊鶉野基地のこと」2001.11
 Page22-25

7)加西市 編集委員のエエとこ巡り:鶉野飛行場跡 --往時を偲ぶ戦争遺跡
-- Ban Cul:播磨が見える -- 121号 -- 2021.秋 Page49-52

8)播磨に残る特攻隊飛行場の記録残そう「播磨平和祈念の碑苑保存会」上谷昭夫さんに聞く
-- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 -- 2012.6 Page20-23

9)加西・鶉野飛行場跡(旧姫路海軍航空隊基地)を訪ねて
-- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 -- 2012.6 Page24-27

10)藤原昭三 姫路海軍航空隊鶉野基地:通称「鶉野飛行場」工事事務所に勤務して
-- 播磨郷土研究 -- 27号 -- 2011.11

11)藤原昭三  姫路海軍航空隊鶉野基地(続):通称「鶉野飛行場」工事事務所退職以後のこと
-- 播磨郷土研究 -- 28号 -- 2013.3





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