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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

令和3年(2021)ラグビー全国大学選手権大会で天理大学が初優勝

2021年01月12日 09時43分02秒 | Gooニュース

2021年1月11日、ラグビー全国大学選手権決勝 天理大55―28早大で初優勝。

ラグビーの第57回全国大学選手権は11日、国立競技場で早大―天理大の決勝が行われ、

天理大が8トライするなど全国大学選手権決勝最多の55点を奪って快勝し、悲願の

初優勝を勝ち取った。3度目進出の決勝でついにつかんだ大学日本一。

関西勢では第19回大会から21回大会まで3連覇した同大以来36大会ぶりの快挙となった。

早大は序盤からペースをつかめず連覇はならなかった。(以上Gooニュースより)

天理大 初のラグビー大学日本一!8トライ、決勝最多55点で連覇狙った早大圧倒(スポニチアネックス) - goo ニュース

写真を交えて紹介します。

上の写真は優勝を決めた天理大学のラグビー部の選手

上の写真は試合終了直後の天理大学、早稲田大学の選手達

上の写真は準決勝からの対戦相手

上の写真は過去の優勝及び準優勝チーム

【ハイライト】天理大学 vs. 早稲田大学 |ラグビー 全国大学選手権 20/21 決勝

 

上の写真は天理大学 小松節夫監督

上の写真は松岡キャプテンのインタビュー

上の写真は表彰を受けた松岡キャプテン

上の写真は残念ながら準優勝に終わった早稲田大学の選手達

上の写真は観覧席に挨拶する天理大学の選手

 

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「中尾山古墳」が文武天皇陵と確実に宮内庁はいつまで“ねじれ構造”を放置するのか

2021年01月02日 05時54分14秒 | Gooニュース

記憶に留めるためにGooニュースにリンク

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-694323

 

他にたくさんのメディアが記事を掲載しているのでリンクしておきます。

明日香村平田の中尾山古墳(8世紀初め)が、天皇陵特有の形とされる八角形で、周囲に

3重の石敷きが巡ることが明らかになり、村教育委員会と関西大学が2020年11月26日、

発表した。3段の墳丘は斜面にぎっしりと石を詰めた特異な構造だったことも判明、

築造時期などから文武天皇(683~707年)の墓であることがほぼ裏付けられた。

終末期の古墳を考える上で重要な成果となる。 

 

「文武陵」ほぼ確実 - 八角形確認 周囲に3重石敷き/中尾山古墳|奈良新聞デジタル (nara-np.co.jp)

 

立派な八角墳に驚嘆、中尾山古墳見学会…奈良・明日香 : ニュース : 関西発 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 

奈良・明日香村の中尾山古墳、石槨内部に精巧な加工 | 大学ジャーナルオンライン (univ-journal.jp)

 

上の写真は中尾山古墳(文武天皇陵) 撮影:2011-5-16

高松塚古墳の近くにあります。

文武天皇陵は別名粟原塚穴(あわらつかあな)、ジョウセン塚古墳とも
言われる。
享保19年(1734)の『大和志』では、「平田村の西に在り。
俗に中尾の石墓と呼ぶ」(現在の中尾山なかおやま古墳)としている。
明治14年(1881)に現在地に指定替えとなった。

以下現地の説明板より引用させていただきます。
陵名を檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのうえのみささぎ)と称する。
文武天皇は、追尊岡宮天皇(草壁皇子)の皇子で慶雲4年(707)6月に
崩御され、11月に飛鳥岡で火葬の上、この陵に葬られたことが「続日本紀」に
見られる。

 

Wikipediaから文武天皇の基本情報
第42代天皇
天皇在位期間 697年8月22日 - 707年7月18日
元号 大宝、慶雲
先代 持統天皇   次代 元明天皇
誕生 683年   崩御 707年7月18日
御名 珂瑠(軽) =かる
異称 倭根子豊祖父天皇
    天之眞宗豊祖父天皇
父親 草壁皇子
母親 阿陪皇女(元明天皇)
夫人 藤原宮子
子女 首皇子(聖武天皇)
皇居 藤原京


さらにWikipediaの解説で下記のように書かれています。
公式記録の続日本紀には妃・皇后を持った記録は無い。皇后及び妃は
皇族出身であることが条件であり、夫人の藤原宮子が妻の中で一番上位
であった。皇后は皇族出身であることが常識であった当時の社会通念上
から考えれば、当初より後継者に内定していた段階で、
将来の皇后となるべき皇族出身の妃を持たないことは考えられず、
何らかの原因で持つことができなかったか、若しくは記録から
漏れた(消した)とされる。

このことについて梅原猛著『黄泉の王』では、万葉集を根拠に紀皇女こそ
妃であったが 弓削皇子と密通し、それが原因で妃の身分を廃されたという
仮説を述べている。紀皇女については記録が殆ど残されておらず、
将来の皇后の不倫という不埒な事件により公式記録から抹消されたと
いうことであるが、真相は不明である。

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立皇嗣の礼と朝見の儀 on 2020-11-8

2020年11月09日 16時30分39秒 | Gooニュース

11月8日(日)、秋篠宮さまが「皇嗣」となられたことを示す「立皇嗣の礼」が

皇居で行われ、皇位継承にともなう一連の国の儀式はすべて終わった。

本来なら本年4月に実施の予定であったがコロナの影響で11月8日に延期となっていた。

上記のGooニュースは下のリンクのように報道されました。

本ブログでは当日の儀式の様子をYoutube動画で共有すると共に過去に実施された

皇位継承の一連の儀式について纏めてみました。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fnn/nation/fnn-105148

 

秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)となられたことを国内外に示す儀式

「立皇嗣の礼(りっこうしのれい)」が2020年11月8日、皇居・宮殿で行われました。

中心儀式となる「立皇嗣宣明の儀」が午前11時から行われ、天皇陛下と秋篠宮さまが

それぞれお言葉を述べられました。

上の2枚の写真は昨日(2020-11-8)の11時から行われた立皇嗣宣明の儀

 出典:本日(2020-11-9)の早朝のテレビ番組(8ch)より

FNNが報道した動画をGooで共有させていただきました。

皇居で「立皇嗣宣明の儀」 秋篠宮さまの地位宣言

 

ANNニュースより「立皇嗣の礼」秋篠宮さまが宮中三殿で拝礼(2020年11月8日)

皇居では8日午前から立皇嗣の礼の儀式が続いています。秋篠宮さまは中心的な儀式である「立皇嗣宣明の儀」を終えた正午前、馬車に乗って宮中三殿に移動し、「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」に臨まれました。この儀式でご夫妻は、国中の神々や歴代天皇の霊などが祭られる3つの殿舎それぞれに上がり、拝礼されました。ご夫妻が殿舎に上がるのはご成婚の時以来で、秋篠宮さまは今回、皇嗣として初めて殿舎で拝礼されました。儀式はこの後も続き、午後4時半からの「朝見の儀」で秋篠宮さまは、紀子さまとともに両陛下にお会いしてお礼を述べられます。

午後4時半からは秋篠宮さまが天皇皇后陛下にお礼を述べられる「朝見(ちょうけん)の儀」

が行われました。

上の写真は朝見の儀の様子です。

出典:本日(2020-11-9)の早朝のテレビ番組(8ch)より

日テレNEWS24の報道のYoutube動画をGooで共有させていただきました。

【立皇嗣の礼】朝見の儀 両陛下に秋篠宮ご夫妻が挨拶(2020年11月8日放送「日テレNEWS24」より)

次に、共同ニュースがまとめたハイライト版のYoutube動画をGooで共有

秋篠宮さま、立皇嗣の礼 継承順1位「務め果たす」

国事行為として行われ、皇位継承に伴う一連の儀式の締めくくりとなる。

 

これまでに行われた皇位継承の一連の行事(皇位継承に関わる51の儀礼・行事をリストアップしておきます。


参照サイト:宮内庁 ご即位・大礼の主な儀式・行事

また、後日期日が定まった関連行事などを青字で追加(2019-12-4)


赤字:国事行為 その他は皇室行事

平成31年3月12日(火)
 No. 名称(前4代は昭和天皇以前四代)           場所
 1  賢所に退位及び期日奉告の儀              賢所
 2  皇霊殿神殿に退位及び期日奉告の儀           皇霊殿・神殿
 3  神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に   御所
         勅使発遣の儀

平成31年3月15日(金)
 4  神宮に奉幣の儀                    御所
 5  神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に   各山陵
         奉幣の儀

平成31年3月26日(火)
 6  神武天皇山陵に親謁の儀                神武天皇山陵

平成31年4月18日(木)
 7  神宮に親謁の儀                    神宮

平成31年4月23日(火)
 8  昭和天皇山陵に親謁の儀                昭和天皇山陵

平成31年4月30日(火)
    17時から実施されることが最近決まったようです。
 9  退位礼当日賢所大前の儀                賢所
 10  退位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀            皇霊殿・神殿
 11  退位礼正殿の儀                    宮殿
         (国事行為)
令和元年5月1日(水)
 12  剣璽(けんじ)等承継の儀(国事行為)         宮殿
     剣璽とは三種の神器のうち、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称。
     神器の勾玉を璽(あるいは神璽)とも呼ぶため、「剣璽」と称される。

       (Wikipediaより)
 13  賢所の儀 (5/1、5/2、5/3)             賢所
 14  皇霊殿神殿に奉告の儀                 皇霊殿・神殿
 15  即位後朝見の儀(国事行為)              宮殿

令和元年5月8日(水)
 16  賢所に期日奉告の儀                  賢所
 17  皇霊殿神殿に期日奉告の儀               皇霊殿・神殿
 18  神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に   宮殿
         勅使発遣の儀

令和元年5月10日(金)
 19  神宮に奉幣の儀                    神宮
 20  神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に   宮殿
         奉幣の儀

令和元年5月13日(月)
 21  斎田点定の儀                     神殿  
 22  大嘗宮地鎮祭の儀                   皇居東御苑
 23  斎田抜穂前一日大祓の儀                斎田
 24  斎田抜穂の儀                     斎田
 25  悠紀(ゆき)主基(すき)両地方新穀共納        大嘗宮斎庫
      悠紀田は東日本から選定  主基田は西日本から選定
 
令和元年10月22日(火)
 26  即位礼当日賢所大前の儀                賢所
 27  即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀          皇霊殿・神殿            
 28  即位礼正殿の儀 (国事行為)             宮殿
 29  祝賀御列の儀(国事行為)               宮殿~赤坂御所
 
令和元年10月22日、25日、29日、31日
 30  饗宴の儀(国事行為)                 宮殿
   10月23日(水)には首相夫妻主催の夕食会で来日した各国元首らに謝意

 31  園遊会 (取りやめ)

令和元年10月26日(土)
 32  即位礼一般参賀                    宮殿東庭

令和元年11月8日(金)
 33  神宮に勅使発遣の儀                  宮殿

令和元年11月9日(土)

 即位を祝う国民祭典

令和元年11月10日(日)

 祝賀御列の儀(祝賀パレード)

令和元年11月12日(火)
 34  大嘗祭前二日御禊の儀                 宮殿竹の間
 35  大嘗祭前二日大祓の儀                 正門鉄橋脇

令和元年11月13日(水)
 36  大嘗祭前一日鎮魂の儀                 皇居
 37  大嘗祭前一日大嘗宮鎮祭の儀              大嘗宮

令和元年11月14日(木)
 38  大嘗祭当日神宮に奉幣の儀               神宮
 39  大嘗祭当日賢所第御饌供進の儀             賢所
 40  大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀            皇霊殿・神殿
 41  大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀)             大嘗宮

令和元年11月15日(金)
 42  大嘗宮の儀(主基殿供饌の儀)             大嘗宮

令和元年11月16日(土)
 43  大嘗祭後一日大嘗宮鎮祭の儀              大嘗宮

令和元年11月16日、18日
 44  大響の儀                       宮殿

未定(11月16日以降)

 令和元年11月22日(外宮)&23日(内宮)
 45  即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀           神宮

 令和元年11月27日 神武・孝明天皇陵

 令和元年11月28日 明治天皇陵

 令和元年12月3日 昭和・大正天皇陵


 46  即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の 各山陵
         天皇山陵に親謁の儀

 令和元年11月28日
 47  茶会                         京都御所

 令和元年12月4日

 48  即位礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀           賢所
 49  即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀        皇霊殿・神殿
 50  即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀           賢所
 51  大嘗祭後大嘗宮地鎮祭の儀               大嘗宮跡地


さらに詳細は下記のブログで書いています。

 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/59bb2ede5de46a177ca42228ff4b9ec0

 

皇位継承の一連の行事について上記の他に過去に書いたブログにリンクしておきます。

 即位礼正殿の儀  NHK「京都御所~秘められた千年の美~」を視聴して

  即位礼正殿の儀における松の間前庭の参列者と旛

  改元に関する話題 その1 光文事件

  改元に関する話題 その2 平成改元 30年へて新証言

  改元に関する話題 その4 新元号は「令和」公表 on 2019-4-1

  新天皇陛下の即位の儀式 その2  2019年5月8日 賢所に期日奉告の儀ほか

  新天皇陛下の即位の儀式 その3  2019年5月10日 「奉幣の儀」=即位礼の期日報告

  令和元年10月22日、即位礼正殿の儀の解説 By NHK「シブ5時」の解説

  海外メディアが報じた即位礼正殿の儀

  

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北朝鮮の軍事パレード on 2020-10-10未明 (改訂版)

2020年10月19日 04時26分42秒 | Gooニュース

北朝鮮が新型ICBM披露、労働党創建75年の軍事パレードという見出しで

Gooニュースは北朝鮮の軍事パレードについて報じています(下のリンク)

本ブログでは10月11日にテレビで報道された写真を添付してその内容を

追ってみました。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/bloomberg/business/bloomberg-QHZO6GDWX2Q401

上の3枚の写真は超大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)

10月10日に実施した未明の軍事パレードは異例。何故この時間帯に実施されたかは

夜間の実施で米国がどの程度軍事機密事項を解析できるか試したものか?

初めて公開する大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)はタイヤが片側11個あることから従来の

火星15号(2017年11月に試射)のタイヤ9個と比較して大きい。長さは25~26mで火星15より

4m以上長い。直径は約2.5mで火星15より0.5m大きい。発射台付き車両(TEL)は4両であった。

披露されたICBMは、米国のミサイル防衛(MD)システムをかいくぐることのできる多弾頭を搭載

するよう設計されているとみられる。火星15の2~3倍の核弾頭に達するとみられる。

大型の水爆搭載が現実的な形となったと分析されています。

昨年(2019)には技術を改善させる新たなエンジンテストを実施していた。

北朝鮮が弾道ミサイルを公開するのは、金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領が

2018年6月ににシンガポールで会談して以来初めて。金委員長は「わが国の抑止力と自衛力を

強化し続けていく」と語った。一方で、軍事力を先制使用することはないとした。

上の写真は新型の潜水艦発射型ミサイル(SLBM)とみられる装備 射程は2,000km以上

軍事専門家の中では「北極星4A」と呼ばれ注目してきた。パレード参加は3両

パレードではこのほか、発射台付き車両(TEL)の下記の弾道ミサイルが登場した。

下記の弾道ミサイルはいずれも2017年以降に発射実験が行われています。

種類                射程     TELの台数(推定)

大陸間弾道ミサイル(ICBM)火星15号 1万km以上  4両 or 6両(片側9輪)

中距離弾道ミサイル 火星12号    5,000km   6両(片側6輪)

中距離弾道ミサイル 北極星2    1,000km以上 6両(戦車タイプ)

変則軌道含む新型単距離弾道ミサイル3種 400~600km  約50両(1両に複数搭載)

 

上の3枚の写真は軍事パレードの会場の様子

異例づくめの今回の軍事パレードは金与正(キムヨジョン)氏が企画したものと解説

金正恩(キムジョンウン)委員長は経済発展の約束を果たせていない理由として、

国際社会による制裁措置、台風、新型コロナウイルスを挙げた。

その上で「多くの信頼に応えることができていないのは遺憾だ」とした。

「私の努力と献身は、苦しい状況から国民が抜け出すのに十分ではなかった」と述べた。

さらに、隔離所や災害復旧の最前線にいる「朝鮮人民軍の兵士らの愛国的な献身に

感謝の涙なしに応えることはできない。この栄光ある夜に彼らのそばにいられないのは

痛恨の極みだ」とも述べた。 

上の2枚の写真は金正恩委員長の演説を聞く北朝鮮の軍人

 

NORTH KOREA MILITARY PARADE 2020

 

“新型ICBM”など公開 北朝鮮が軍事パレード

 

North Korea huge new ICBM & deadly SLBM (Pukkuksong-4A) at military parade 2020.

 

関連サイト(リンク):

 https://koreajoongangdaily.joins.com/2020/10/11/national/northKorea/North-Korea-Kim-Jongun-ICBM/20201011175200508.html

 

 https://www.38north.org/2020/10/vdiepenmelleman101020/

 

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北朝鮮の軍事パレード on 2020-10-10

2020年10月12日 09時59分34秒 | Gooニュース

北朝鮮が新型ICBM披露、労働党創建75年の軍事パレードという見出しで

Gooニュースは北朝鮮の軍事パレードについて報じています(下のリンク)

本ブログでは10月11日にテレビで報道された写真を添付してその内容を

追ってみました。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/bloomberg/business/bloomberg-QHZO6GDWX2Q401

上の3枚の写真は超大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)

10月10日に実施した未明の軍事パレードは異例。何故この時間帯に実施されたかは

夜間の実施で米国がどの程度軍事機密事項を解析できるか試したものか?

初めて公開する大型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)はタイヤが11個あることから従来の

火星15号(2017年11月に試射)のタイヤ9個と比較して大きい。

披露されたICBMは、防衛システムをかいくぐることのできる多弾頭を搭載するよう

設計されているとみられる。昨年には技術を改善させる新たなエンジンテストを実施していた。

北朝鮮が弾道ミサイルを公開するのは、金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領が

2018年6月ににシンガポールで会談して以来初めて。金委員長は「わが国の抑止力と自衛力を

強化し続けていく」と語った。一方で、軍事力を先制使用することはないとした。

上の写真は新型の潜水艦発射型ミサイル(SLBM)とみられる装備

軍事専門家の中では「北極星4a」と呼ばれ注目してきた。

パレードではこのほか、北にとって最長射程となる火星15号も披露された。

上の3枚の写真は軍事パレードの会場の様子

異例づくめの今回の軍事パレードは金与正(キムヨジョン)氏が企画したものと解説

金正恩(キムジョンウン)委員長は経済発展の約束を果たせていない理由として、

国際社会による制裁措置、台風、新型コロナウイルスを挙げた。

その上で「多くの信頼に応えることができていないのは遺憾だ」とした。

「私の努力と献身は、苦しい状況から国民が抜け出すのに十分ではなかった」と述べた。

さらに、隔離所や災害復旧の最前線にいる「朝鮮人民軍の兵士らの愛国的な献身に

感謝の涙なしに応えることはできない。この栄光ある夜に彼らのそばにいられないのは

痛恨の極みだ」とも述べた。 

上の2枚の写真は金正恩委員長の演説を聞く北朝鮮の軍人

 

NORTH KOREA MILITARY PARADE 2020

 

“新型ICBM”など公開 北朝鮮が軍事パレード

 

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大坂なおみ3度目GS制覇!歓喜の瞬間コートに仰向け…笑顔「ケガをしたくないので安全に寝転…

2020年09月13日 11時59分35秒 | Gooニュース
 
 
本日(2020-9-13)7時20分頃テレビを視聴していたら表題のような嬉しい
ニュースが入ってきました。テレビ番組より写真紹介します。
 
上の写真は第3セットのセットポイントの打ち合いの場面
 
上の2枚の写真は試合終了後の大坂なおみとV.アザレンカ(ベルラーシ)
 
上の写真は試合後、コト上に寝転ぶ大坂なおみ
 
上の2枚の写真は人種差別に抗議して犠牲となった人の名前を刻んだ黒いマスクで
登場してきました。
 
1回戦 プレオナ・テイラーさん
 
 
2回戦イライジャ・マクレーンさん
 
 
3回戦 アフマド・アーベリーさん
 
4回戦トレボイン・マーティンさん
 
 
 
準々決勝 ジョージ・フロイドさん
 
準決勝 フィランド・カスティールさん
 
決勝 タミル・ライスさん
 
大坂なおみ選手は最初から7枚のマスクを用意していたとのこと。
 
 
 
 
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安倍首相が辞意体調悪化、職務継続は困難と判断

2020年08月28日 15時18分41秒 | Gooニュース


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/politics/kyodo_nor-2020082801001827

 

関連ニュース

 
内田樹氏が明かす「安倍首相は28日に辞意表明の確率高い」として政権総括の原稿依頼

 

神戸新聞の報道(2020-8-28 14:38)

 

上の写真は2020-8-25のモーニングショーの説明パネル

8月28日(金)の14:00頃下記の3つのシナリオのうち2)の辞任を選択されました。 

  1)続投

  2)辞任

  3)総理臨時代理を置き 総理は治療に専念

 

今後の総裁候補のパネル(下の写真) 出典:2020-8-25のモーニングショー

 

17:00からの総理の会見に注目したい。

 

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原爆死没者慰霊式 平和祈念式(平和記念式典)in 広島 on 2020-8-6

2020年08月08日 06時16分23秒 | Gooニュース

被爆75年「核なき世界」は、いつか被爆者平均年齢83.31歳

上記の表題でGooニュースよりの報道をShareさせていただきました。

被爆者の人数も14万人を初めて割り込みました。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20200805k0000m040268000c

 

次に広島75回目の「原爆の日」に因み、表題の平和記念式典の様子を今後の憶えと

して記事にしました。

広島原爆投下から75年を迎えた2020年8月6日、広島市の平和記念公園で
平和記念式典が開かれた。参列者は例年ですと5万人を超える参列者があるが、
今年は新型コロナウイルスの感染防止策として式典は入場が規制され、席数も

例年の1割程度以下とし、列席者は招待者ら785人であった。

式次第は下記のとおりでほぼ例年と同じ内容であった。

 1開式           (8:00)
 2原爆死没者名簿奉納    (8:00) 新たに4,943名 累計32万4,129人
 3式辞           (8:03) 広島市議会議長
 4献花           (8:08)
 5黙とう・平和の鐘     (8:15)
 6平和宣言         (8:16)松井一実市長        
 7平和への誓い       (8:25) 子供代表
 8あいさつ         (8:30)安倍首相

                                                      (8:36)広島県知事

 9ビデオメッセージ     (8:43)グテーレス国連事務総長
 10ひろしま平和の歌(3人が唱和)  (8:46)被ばくピアノによる演奏
 11閉式             (8:50)

1945年8月6日 8時15分 人類史上初めての原子爆弾が広島に落とされました。

その年に亡くなった被爆者は約14万人。

式典の様子について全場面をFNNがライブ配信されています。(下に添付動画)

 【LIVE】被爆75年・広島市平和記念式典中継

例年のNHKテレビ中継より式典の様子を写真紹介します。

上の2枚の写真は来賓席の列席者

上の写真は原爆死没者名簿奉納。

8時15分、平和の鐘、黙とう

 

平和宣言

上の写真は広島市長の平和宣言の場面

上の2枚の写真はスペイン風邪で連帯が出来なかった例を示された場面

 広島市の松井一実市長は平和宣言で、「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の復興に 触れ、核兵器の廃絶に向けた市民社会の連帯を呼びかけます。 また、日本政府には、核兵器禁止条約の批准や、「黒い雨」の降雨地域拡大に向けた政治判断を求めます。

全文は下に添付のとおりです。


1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」
と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。

今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、
もがいていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が
叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。
その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。

こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。
そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、

「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が
横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と
多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」
という当時13歳であった男性の訴え。
昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と
発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の
「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。
世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」
して立ち向かうべきであることを示唆しています。

今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった
成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして
悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、
これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、
唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。
また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で
様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする
世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和2年(2020年)8月6日

広島市長 松井 一實

毎日新聞社が英文のFull Text文を掲載されていますのでリンクさせていただきました。

 https://mainichi.jp/english/articles/20200806/p2g/00m/0na/036000c

過去の平和宣言は下の広島市のサイトで確認できます。

 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/179784.html

 

子供代表・平和への誓い

上の写真は子ども代表・平和への誓いを宣言した大森駿佑君(左)と長倉菜摘さん(右)

宣言文の全文は下に添付のとうり。

「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の町。
 75年がたった今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。
 この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。
 気持ちよく明日を迎え、さまざまな人と会う。
 当たり前の日常が広島の町には広がっています。
 しかし、今年の春は違いました。
 当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。
 当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。
 そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。
 75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
 目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
 人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。
 町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」
 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。
 令和2年(2020年)8月6日 
 子ども代表
 広島市立安北小学校6年 長倉菜摘
 広島市立矢野南小学校6年 大森駿佑

 

安倍首相の挨拶

上の3枚の写真は安倍首相のあいさつの場面です。

挨拶の全文は以下のとうりです。

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式が挙行されるに当たり、
原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠をささげます。

そして、いまなお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、
今まさに奮闘を続けています。

 75年前、1発の原子爆弾により廃虚と化しながらも、先人たちの努力によって見事に
復興を遂げたこの美しい街を前にしたとき、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、
改めて平和の尊さに思いを致しています。

広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、
着実に前に進めることは、わが国の変わらぬ使命です。

現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、
各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。

特に本年は、被爆75年という節目の年であります。わが国は、非核三原則を堅持しつつ、
立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、
核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードしてまいります。

本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
わが国は、結束した取り組みの継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の
議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて
核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取り組みです。
わが国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、
原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に
向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。

原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆さま、ならびに、参列者、
広島市民の皆さまのご平安を祈念いたしまして、私のあいさつといたします。


 令和2年8月6日

 内閣総理大臣 安倍晋三

 

 

国連事務総長ビデオメッセージ

Video message U.N. Secretary General Antonio Guterres

The only way to totally eliminate nuclear risk is to totally eliminate nuclear weapons.

Message from UN Secretary-General António Guterres for UN75 in Hiroshima (August 6, 2020)

メッセージの全文を下に添付

Seventy-five years is far too long not to have learned that the possession of nuclear weapons diminishes, rather than reinforces, security.
Today, a world without nuclear weapons seems to be slipping further from our grasp.
The web of arms control, transparency and confidence-building instruments established during the Cold War and its aftermath is fraying.
Division, distrust and a lack of dialogue threaten to return the world to unrestrained strategic nuclear competition.
States possessing nuclear weapons are modernizing their arsenals and developing new and dangerous weapons and delivery systems.
The risk of nuclear weapons being used, intentionally, by accident or through miscalculation, is too high for such trends to continue.
I repeat my call for states to return to a common vision and path leading to the total elimination of nuclear weapons.
While all states can play a positive role, the countries that possess nuclear weapons have a special responsibility.
They have repeatedly committed to the total elimination of nuclear weapons.
Now is the time for dialogue, confidence-building measures, reductions in the size of nuclear arsenals and utmost restraint.
We must also safeguard and strengthen the international non-proliferation and disarmament architecture.
States will have an opportunity to return to this shared vision at next year's review conference of the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons.
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons is a further pillar of the disarmament regime, and I look forward to its entry into force.
The entry-into-force of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty also remains a top priority in order to entrench and institutionalize the global norm against nuclear testing.
This commemoration takes place in the shadow of the COVID-19 pandemic, which has brought turmoil into our lives in so many ways.
The pandemic has also exposed so many of the world's fragilities, including in the face of the nuclear threat.
The only way to totally eliminate nuclear risk is to totally eliminate nuclear weapons.
Young people have an important role. They -- and civil society as a whole -- have proved their power time and again in support of the cause of disarmament.
We should listen to their ideas and give them the space to make their voices heard.
The United Nations and I will continue to work with all those who seek to achieve our common goal: a world free of nuclear weapons.
Thank you.

 

ひろしま平和の歌

 

ANNニュースが編集したユーチューブ動画もありますのでGooで共有させていただきます。

広島75回目の原爆の日 コロナ対策行い平和記念式典(20/08/06)

 

2015年にも今回と同じテーマでブログを書いています。

このブログで過去に書いた広島の原爆に関する記事にもリンクを張っています。

 原爆死没者慰霊式 平和祈念式(平和記念式典)in 広島 on 2015-8-6

 

原爆投下の経緯について次のように纏めてみました。

1942年 8月 

 アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が、軍と科学者を総動員して原爆製造の
マンハッタン計画」を秘密裏に始動。当初はドイツへの核使用を想定していた。

1943年 4月 

    ニューメキシコ州に有名なロスアラモス研究所が設置される。
 開発総責任者はロバート・オッペンハイマー博士。 

   20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員したこの国家計画の技術上の中心課題は
 ウランの濃縮である。テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造 

1943年5月5日

    軍事政策委員会、最初の原子爆弾使用について議論され、トラック島に集結する
 日本艦隊に投下するのがよいというのが大方の意見であった

1944年 6月 高濃縮ウランの製造に目途がついた。

1945年3月10日 東京大空襲

1945年3月末 米軍54万人が投入され沖縄戦が開始

1945年4月12日

    ルーズベルト大統領の急死により、副大統領であったトルーマンが大統領に就任

1945年4月27日

    第1回目標検討委員会がワシントンで招集された。そこでは、東京湾、川崎、横浜、
 名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、
 佐世保の17カ所が原爆投下の研究対象として選ばれた。

1945年5月11日

    第2回目標検討委員会では、爆風で効果的に損害を与えられることなどが条件となり、
 広島、京都、横浜、小倉の4つの目標都市が選ばれた。京都と広島を優先順位の高い
 AA級目標に、横浜と小倉をそれより優先順位の低いA級目標に分類した。

1945年6月8日 太平洋戦争の続行を決定(本土決戦)

1945年6月23日 沖縄戦の戦闘が終結

1945年7月16日 
マンハッタン計画: アメリカ合衆国がニューメキシコ州アラモゴードにおいて、人類初の原子爆弾の実験に成功。(トリニティ実験)

1945年7月20日以降8月14日まで 原爆模擬爆弾の投下 死者400名、負傷者1,200名

      第509混成部隊は長崎に投下する原子爆弾(ファットマン)と同形状の爆弾に
 通常爆薬を詰めたパンプキン爆弾(総重量4,774kg、爆薬重量2,858kg)の投下訓練を繰り返した。
 すなわち、原子爆弾の投下予行演習である。テニアン島から日本列島の原子爆弾投下目標都市まで
 飛行して都市を目視観察した後に、その周辺の別な都市に設定した訓練用の目標地点に正確に
 パンプキンを投下する練習が延べ49回、30都市で行われた。 
パンプキン練習作戦は、1945年7月24日、7月26日、7月29日、8月8日及び8月14日と終戦直前まで行われた。

1945年7月24日、京都市の代わりに長崎市が、地形的に不適当な問題があるものの目標に加えられた。

1945年7月25日

     マンハッタン計画の最高責任者レスリー・グローブスが作成した原爆投下指令書が発令される

 (しかし、それをトルーマン大統領が承認した記録はない)。
  ここで「広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に8月3日ごろ以降の目視爆撃可能な天候の日に「特殊爆弾」を投下する」とされた

1945年7月26日 ポッダム宣言

1945年8月2日

  第20航空軍司令部が「野戦命令第13号」を発令し、8月6日に原子爆弾による攻撃を行うことが決定した。
   攻撃の第1目標は「広島市中心部と工業地域」(照準点は相生橋付近)、
   予備の第2目標は「小倉造兵廠ならびに同市中心部」、
   予備の第3目標は「長崎市中心部」であった

1945年8月6日、8時15分、広島市にウラニウム型原子爆弾リトルボーイが投下された。

1945年8月8日

  第20航空軍司令部が「野戦命令第17号」を発令し、8月9日に2回目の原子爆弾による攻撃を行うことが決定した。
   攻撃の第1目標は「小倉造兵廠および市街地」、
   予備の第2目標は「長崎市街地」(照準点は中島川下流域の常盤橋から賑橋付近)であった

1945年8月9日、第1目標の小倉市上空が八幡空襲で生じた靄による視界不良であったため、
       第2目標である長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンが投下された。

       ソ連対日参戦

1945年8月10日、トルーマンが全閣僚を集め、これ以上の原爆投下を中止する指令を出す

1945年8月15日 昭和天皇の終戦放送(玉音放送)

 

核の超大国米国とロシアの確執が再燃し、世界の破滅までの残り時間を警告する

いわゆる終末時計の針は、冷戦時代(120秒)より進んであと100秒を指している。

 

上の3枚の写真は8月6日、6chの大下容子ワイド スクランブルで使用の説明パネル

からの引用です。

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【動画あり】首里城下の旧日本軍壕爆破された最深部の映像第32軍壕、11年ぶり撮影

2020年08月04日 04時09分47秒 | Gooニュース

まず、Gooニュース(沖縄タイムス)の記事を紹介します。

撮影は2020年6月30日。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/okinawa/region/okinawa-20200802170000

 

次に、沖縄新報が作成したYoutube動画を共有

11年ぶりに第32軍司令部壕公開 首里城地下

 

NHKが代表撮影し、産経新聞社がYoutube動画でまとめた映像を共有

第32軍司令部壕の映像公開 沖縄戦の拠点 当時の様子生々しく

以下はサンケイニュースからの引用です。

第32軍司令部壕は先の大戦末期、首里城(那覇市)の地下約30mに構築された。

総延長は1千数百m。5つの坑道で結ばれ、参謀室、電信室、救助室などがあったと

されるが、大半は土砂に埋まっており、詳細は明らかでない。  

公開された映像は、第5坑道の入り口から約150m奥に進んだ部分まで

 

さらに首里城地下に眠る第32軍司令部壕を1997年に調査した牛島満総司令官の孫、

牛島貞満さんが「貴重な映像を資料として使ってほしい」と当時の映像を今年、

7月10日に公開されたYoutube動画を共有させていただきました。

首里城地下に眠る第32軍司令部壕【1997年調査】

 

1944年、首里当蔵町の沖縄師範学校(現県立芸大金城キャンパス)は第10方面軍第32軍

傘下の第9師団(武部隊)司令部として接収された。

武部隊が台湾移動後、1945年1月旧真和志村松川の国立蚕糸試験場(現松川団地)に

駐屯していた第32軍司令部が移ってきた。1944年12月から野戦築城隊が首里城下西側

部分を戦闘司令所壕として掘削開始し、1945年3月末の米軍の沖縄進撃(兵54万人)

から1945年5月末まで沖縄現地軍(兵10万人)の中枢陣地として機能した。

1945年5月末、第32軍司令部は急遽、本島南部への撤退を決定、司令部壕を爆破した。

8月2日のNHK総合 21:00から放送のNHKスペシャル「沖縄 “出口なき”戦場

~最後の1か月で何が~」上述の5月末から約1か月、民間人も巻き込んだ洞窟(ガマ)

でのゲリラ戦という悲惨な事実についての報道があった。

この中から若干の写真を紹介します。

軍事行動は牛島満司令官らが自決した6月23日で終了

上の写真は第32軍の幹部の集合写真。

第32軍司令部の幹部らは首里城下の壕に約1,000人が駐留した。

 

上の写真は第32軍司令部の幹部

真ん中が 牛島満中将 (1945年6月23日自決)

右は   長勇少将  (1945年6月23日自決)

左は   八原博通大佐(昭和56年(1981)5月7日まで生存)

      南下作戦を上申した本人、戦後に証言

 

参謀の任にあった長勇少将と八原博通大佐は戦時国際法(非戦闘員の保護)を軽視

する人物で本土決戦まで日にちを稼ぐ目的で民間人を巻き込んだ南下作戦を上申

決定された。

 

沖縄戦関連で過去に書いたブログへのリンク

 最後の官選沖縄県知事「島田叡」の功績を讃える

 

 沖縄の島守「島田 叡」を描いたTBS系TVドラマ「生きろ」を視聴して

 

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都医師会会長「法改正し補償と休業要請を」

2020年07月31日 07時10分33秒 | Gooニュース

2020年7月30日の午後、東京都医師会の尾崎治夫会長は会見を開き、新型コロナウイルス

に関して、国に対する要望と現状認識と対策などを判り易く説明されました。

私はミヤネ屋で会見の模様を視聴しました。

Gooニュースでは次のように動画を交えて報道されています。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/ntv_news24/nation/ntv_news24-690689

 

以下はミヤネ屋で放送された内容をピックアップしました。

上の写真は新型コロナ感染症を収束に向かわせるための提言

この説明の中で東京は無策では無い、無症状者を含む感染者の積極的な隔離を

実践しており、その結果が下の表の感染者数となっています。

もし、このような対策をしていなければもっとすごい感染者数になっている。

下の写真は30日、16:00のNHKニュースの報道

上の2枚の写真は「今のやり方は限界」特別措置法を改正し、法的拘束力のある

休業要請を行うことが必要と訴えられました。

直ちに、臨時国会を召集し議論していただきたい。

休業要請は休業補償を行い、エピセンター化している地域を限定し14日間程度とする

エピセンターに関しては下記のブログで書いています。

 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/3343e109dd0789a2e10a2eed9c4ca4de

 

上の写真はPCR検査の利用目的と意義について整理されたパネルの説明

 

14日間の休業中にエピセンター化した地域一帯の大規模なPCR検査を実施し、陽性者を隔離

東京都医師会から心からのお願い

「今すぐに国会を召集し、法改正を。」と訴えられました。

上の写真はミヤネ屋の番組で示された東京都の感染者数に関するグラフ

上の写真は今後の対応に関する提言

上の写真は東京都の現状、基本データ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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