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改元に関する話題 その1 光文事件

2019年03月07日 05時23分46秒 | Weblog
約1か月後に新しい元号が発表されます。
今までの慣例で有識者が3つの元号候補を政府に提示し懇談会で審議され
決定されるプロセスで進むと推定されます。

そこで今回は、改元に関する話題として光文事件を取り上げました。

まず、光文事件についてWikipediaより引用紹介します。
1926年(大正15年)12月25日午前1時25分に大正天皇が48歳で崩御したが、東京日日新聞
(現在の毎日新聞)が崩御直後に発行した「聖上崩御」号外で「元號は光文
樞密院に御諮詢」、及び同日午前4時に発行した朝刊最終版(市内版)において
「元號制定 『光文』と決定―樞府會議で」の見出しで、新しい元号として「光文」「大治」
「弘文」等の諸案から「光文」が選定されたと報道した。しかし、実際に宮内省が
同日午前11時頃に発表した新元号は「昭和」であったために誤報となり、社長の本山彦一が
辞意を表明する事態になったが、編輯局主幹だった城戸元亮が辞任することで事態が収拾された。
なお、改元に関する正確な報道は時事新報が成功を収めており、東京日日新聞以外に報知新聞、
都新聞も号外で「光文」を掲げ、讀賣新聞と萬朝報も朝刊で追随したが、時事は同朝10時の
市内速報版で「昭和に決した」旨の号外を発行し、報知もこれに次いで同様の号外を発行した。
また、大阪毎日新聞も東京日日新聞から「光文」と改元の通信を送られていたが、
不確かな点があるとして直ちにこれを発表せず、他新聞と同じく「昭和」と報じたため、
重大な失態を免れている。
当時の宮内省が情報が漏洩したことに腹を立て、内定した「光文」から「昭和」に急遽変更
したという説がある。このことは猪瀬直樹著の『天皇の影法師』で触れられている。

当時の改元案は次のとおりであった。
宮内省勘申第三案:「昭和」「神化」「元化」の3種
内閣勘進案:「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」の5種


63年後の改元(平成に決定)
下記もWikipediaよりの引用です。

なお、昭和から平成へと元号が変わる際には、東京日日新聞の後身である毎日新聞は
新元号を他社に先んじて掲載することに躍起になっており、事実1989年(昭和64年)
1月7日の夕刊3版では全国紙で唯一「平成」の文字が掲載された。
このことは毎日新聞社130周年記念で出版された社史『「毎日」の3世紀』において、
「見事スクープ、63年ぶり雪辱果たす」として「光文」誤報事件のリベンジが行えたとした。
なお朝日新聞等の他社は、同日14時36分の小渕恵三内閣官房長官(当時)の「平成改元」
記者会見後に発行した号外及び夕刊(最終版=4版)で掲載した。

昭和の次の元号は「旭日(あさひ)」「和光」であるという流言蜚語も登場した。



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