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「中尾山古墳」が文武天皇陵と確実に宮内庁はいつまで“ねじれ構造”を放置するのか

2021年01月02日 05時54分14秒 | Gooニュース

記憶に留めるためにGooニュースにリンク

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-694323

 

他にたくさんのメディアが記事を掲載しているのでリンクしておきます。

明日香村平田の中尾山古墳(8世紀初め)が、天皇陵特有の形とされる八角形で、周囲に

3重の石敷きが巡ることが明らかになり、村教育委員会と関西大学が2020年11月26日、

発表した。3段の墳丘は斜面にぎっしりと石を詰めた特異な構造だったことも判明、

築造時期などから文武天皇(683~707年)の墓であることがほぼ裏付けられた。

終末期の古墳を考える上で重要な成果となる。 

 

「文武陵」ほぼ確実 - 八角形確認 周囲に3重石敷き/中尾山古墳|奈良新聞デジタル (nara-np.co.jp)

 

立派な八角墳に驚嘆、中尾山古墳見学会…奈良・明日香 : ニュース : 関西発 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 

奈良・明日香村の中尾山古墳、石槨内部に精巧な加工 | 大学ジャーナルオンライン (univ-journal.jp)

 

上の写真は中尾山古墳(文武天皇陵) 撮影:2011-5-16

高松塚古墳の近くにあります。

文武天皇陵は別名粟原塚穴(あわらつかあな)、ジョウセン塚古墳とも
言われる。
享保19年(1734)の『大和志』では、「平田村の西に在り。
俗に中尾の石墓と呼ぶ」(現在の中尾山なかおやま古墳)としている。
明治14年(1881)に現在地に指定替えとなった。

以下現地の説明板より引用させていただきます。
陵名を檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのうえのみささぎ)と称する。
文武天皇は、追尊岡宮天皇(草壁皇子)の皇子で慶雲4年(707)6月に
崩御され、11月に飛鳥岡で火葬の上、この陵に葬られたことが「続日本紀」に
見られる。

 

Wikipediaから文武天皇の基本情報
第42代天皇
天皇在位期間 697年8月22日 - 707年7月18日
元号 大宝、慶雲
先代 持統天皇   次代 元明天皇
誕生 683年   崩御 707年7月18日
御名 珂瑠(軽) =かる
異称 倭根子豊祖父天皇
    天之眞宗豊祖父天皇
父親 草壁皇子
母親 阿陪皇女(元明天皇)
夫人 藤原宮子
子女 首皇子(聖武天皇)
皇居 藤原京


さらにWikipediaの解説で下記のように書かれています。
公式記録の続日本紀には妃・皇后を持った記録は無い。皇后及び妃は
皇族出身であることが条件であり、夫人の藤原宮子が妻の中で一番上位
であった。皇后は皇族出身であることが常識であった当時の社会通念上
から考えれば、当初より後継者に内定していた段階で、
将来の皇后となるべき皇族出身の妃を持たないことは考えられず、
何らかの原因で持つことができなかったか、若しくは記録から
漏れた(消した)とされる。

このことについて梅原猛著『黄泉の王』では、万葉集を根拠に紀皇女こそ
妃であったが 弓削皇子と密通し、それが原因で妃の身分を廃されたという
仮説を述べている。紀皇女については記録が殆ど残されておらず、
将来の皇后の不倫という不埒な事件により公式記録から抹消されたと
いうことであるが、真相は不明である。


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