風と友達

山の中が私の故郷。風の良く通り抜けていく場所に生家がある。

彼女の花車

2021-10-09 | 花日記
幼馴染で仲良しだった彼女が逝って2年の歳月が流れた。愚かにも彼女の闘病を気付かず見送ってしまった。高知市内でも暫く住んでいたので、その頃から一緒に出掛けたり、家に寄ってくれたりしながらそれまでにない、本当に親密なお付き合いだった。彼女が村に帰ると。必ずお母さんが『chikaちゃんにももって行っちゃり』とお母さんの作ったお野菜など別に荷造りして持ってきてくれた。お互い実家の家族のことなど何でも分かっているし、込み入った話などしなくても話は通じたねえ。20年以上も前の事なのに、この間のようによみがえる。村に帰ってからも、月に一度ぐらいは出てきて、我が家で食事をしながら取り留めのない話をしたねえ。と花車を見ながらつぶやいている私。今日は、『とさのさと』に用事があって行ったら、綺麗な花をいっぱい売りよったけんど、なんかこのコスモスをアンタにも見せちゃりたくて、買うてきたぜ。ほんまは、自分で育てた花を飾りたいけんど、今咲いちゅう花もないのよねえ。
chikaちゃん花が好きやき、この花車をやってと頼まれちょったと。旅立ちの翌日○○雄さん(ご主人)が電話をくれたけど、私には何が何だか訳が分からんかったぞね。玄関に置いちゅうき、いっつもあんたが見てくれゆう気がする。

けんど、気が付かんにもほどがあると、思いゆうろねえ。まあ私も骨折入院やら、母の事やらで気持ちは落ち込んで最悪やったし、こんな時に電話してもいかん、ようなったら電話してみようと思いゆううちに、こんなことになった。(コルセット外して一か月ぐらいやった)

あれから落ち着いて考えてみたら、サインをいっぱいくれちょったのに。あの手紙で気づくべきやったのにと、今は大いに反省しちゅうけんど、もう遅いわねえ。
余命宣告『みつき』と言われたと○○雄さんが挨拶で言いよった気がするけんど、頑張り屋のアンタは驚異の頑張りでそれから何回も我が家に来て普通やったし、全然痩せてもないし、咳も一つもせんかったねえ。けんどその時月一回痛み止めの注射をしゆう(彼女は昔から手首が痛かったり、腰が痛かったりで整形外科やら、色んな痛み対策をしていたのでそれの続きかと思いよった)

その時、あんたの応援しゆう東北の若芽。私も心ばかり買わしてもらいよったわねえ。持ってきてくれた時、来年の分も頼んじょく、お金も前払いにしちょくというたら、来年・・・と言い渋ったき、どういた都合でも悪いがと言うたら『よう持って来るろうか』と言うたので「持ってこれんかったら持ってこれんでもえいわね」と言うたけんど、その時もちゃんと持ってきてくれたよねえ。

木工細工も、習うて作りゆう。今日もこれから相手の都合に合わせて行ってくると言いよったのが、こういうものをお別れに作りよったがやねえ。今まで車の裏を見んかったけんど、外に出してみたら2018年kiyoと書いちゃある。また涙が出た。まあ、私もそんなに遅うならんうちに行くと思うき、待ちよってね。


何でも好き嫌いのない彼女が、珍しく我が家で食事していて、ナスの煮つけ妙に食べれんというたのが最後やった。ニュージーランドにホームステイしても、何でも食べれたと言いよったのに、外国旅行らしたことない私.ましてやエアメールや言うて出したことなかったけんど、お陰でそういうことも,経験することができたと思いよります。
この間片づけよったら、スイスに来て、どこやらの山に登る。世界一高い場所にある郵便局から出せるので、暑中見舞いですと届いた。2009、7、4の日付がある。
行動的で、いろんなことをしてきた彼女、だらだらと暮らしている私の何十倍も生きて、逝ってしまった気がします。
マユハケオモト、昨年は一つも咲かなかったのに、今年は2鉢咲きました。丁度久しぶりの花友さんが来てくださり、一つ押し付けました(汗)土佐弁分からないと思いますが、すみません。コメント欄閉じさせていただきます。



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