紋やのつぶやき パート2

家紋に関して今まで色々とやって来ましたが、今は墓石紋にはまってます

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写生紋

2016-12-10 17:40:01 | 
家紋は物の形を簡略化した形で現わすことがほとんどです。
古来植物、動物、器具などを題材に簡略化して、美しい形にし、それに家の心・志?を込めて、紋を作ってきました。

しかし中には模写したような形の紋もあります。
いま「芋」紋を描いていますが、下のような「これぞ芋!」という紋があります。
  

どんな芋かお分かりでしょう。
紋帳に掲載されています。
他に「大根」「蕪」「筍」紋などがありますが、残念ながら原稿が何処かへ雲隠れして紹介できません。
前に書いた「稲」紋も同様かと思います。

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稲紋 「抱稲」紋の違い

2016-06-01 19:10:01 | 紋帖と家紋
紋帖によって同じ家紋名でも形が異なることは以前から分かっていました。
当地方では主に「平安紋鑑」と「紋典」そして「標準紋帖」が利用されています。他に「江戸紋帖」「紋づくし」「紋のしをり」などの紋帖があります。

かつては格別に意識しなく、このお店は「平安紋鑑」を使用している、またB店では「紋典」を採用している、と考え、それに沿って紋入れをしてきました。
しかし、最近になって(遅いのですが)気になり、1年くらい前に知り合いから「紋帖による紋の違い」なる資料を借りました。
それを見て、こんなに多くの紋の形の違いがあるのか、と驚きました。と同時に今までの私の浅学を恥じ入りました。全国的に紋入れを受注している京都・東京の紋業者との差も感じました。

ある想いから、今後紋の形の違いを書き留めて行こう、という気持ちになりました。

稲紋に「抱稲」紋があります。その紋の形の違いを紹介します。

             
①平安紋鑑「抱稲」 ②紋典「稲荷抱稲」  ③紋典 「抱稲」   ④紋のしをり「抱稲」  ⑤紋づくし「抱稲」
                          標準紋帖
   
⑥江戸紋帖「抱稲」  ⑦標準紋帖「丸に抱稲」
              平安紋鑑「丸に変り抱稲」 

標準紋帖の「抱稲」は丸がつくと形が違ってきます。
平安紋鑑、江戸紋帖にも③のような稲紋がありますが、紋名はそれぞれ「折葉抱稲」「抱稲の丸」となっています。

このように<紋の形><紋名>は違い、迷わされます。

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地域特異な紋

2015-10-16 16:53:25 | 墓地巡り
今の墓地巡りは大垣市東北部・勝山付近です。
この地域には墓石紋に変った傾向が見られます。

顕著なのは「鷹の羽」紋、「澤潟」紋、「下り藤」紋に見られます。

「丸に鷹の羽」は一般的には↓のような形をしています。
     

ところがこの地域の墓石紋には、一般的な「鷹の羽」紋と一緒に↓の墓石紋も数多く見られます。
   

羽根の軸が1本の太い線で描かれています。かつ羽根の線が<三本>ではなく<四本>引かれています。
右端の紋は線の数が一段と多い。

「丸に澤潟」「下り藤」は一般的には↓の紋になります。
    

この地域に来るとその紋は ↓ のような形にもなります。
  

 
 花弁に<点>というか<斑>が入った形です。

「桐」紋にも見受けられました。 

藤紋に<点><斑>が入るのは、「一条家藤」「九条家藤」などにみられますが、それにあやかって点を付けた紋を作ったのでしょうか。

私ども紋の上絵師は、紋帖をよりどころにして紋入れをしています。
もともと紋帖は、全国にある様々な紋を類別し体系化したもので、そこから漏れて掲載されない(日の目をみない)家紋は数多くあります。
そのような紋を私どもは、「見本・何々」紋として描いています。
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長らく休みました

2015-10-13 19:07:13 | 珍しき紋
久しぶりに投稿します。

墓地調査を始めて6年を経ちましたが、なかなか思うように事は進みません。
調査した墓地はまだ566か所です。
今大垣市東北部の墓地巡りをしています。

最近調査した墓石紋の中で、珍しい紋を紹介します。

    
高橋姓の「見本・切竹笹に傘」紋 高橋姓には「切竹笹に笠」紋が多いですが、「傘」と「笠」の違いと「かさ」の居る場所が違います。

    
早野姓の「見本・抱澤潟」

    
細川姓の「見本・逆上り藤に右三巴」
本来と上下逆になった紋はしばしば見られますが、「上り藤」がよく見られます。

    
日比野姓の「見本・揚羽蝶」 一般の揚羽蝶紋の足が無いです。

    
近澤姓の「見本・違い二引」の陰紋

    
熊谷姓の「見本・七七三根笹に向い雀」

    
内堀姓の「七盛杉」 「三盛杉」はよくありますが、七つとは多すぎます(笑)

    
松田姓の「隅切に見本・山に霞」

久しぶりですので、これで失礼します。
次回はこの地方の変った紋の傾向を紹介しようと思います。
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続・清水家の家紋

2015-01-18 18:34:54 | 姓と家紋と集落
「抱き弓に三星」紋の清水姓について分かった事

紋入れを発注された清水さんから「清水家の由来」についてのコピーをいただきました。
それによると、この地の清水氏の家紋は、基本的には「三星」紋で、江戸時代に何らかの功績で大垣藩主戸田氏から弓と矢を拝領したことから、「抱き弓に三星」紋が作られた。
又女紋が「四割菊に三星」も「三星」紋が基にして作られた。

別に、清水進(この人の家紋が「抱き弓に三星」紋と思われる)著「大垣藩の名主と暮らし」によると、清水氏は近江国坂田郡出身で、江戸時代初期にこの地ー大垣市東部揖斐川沿いー移住してきた。当時の新田開発政策にのって清水長五郎のちには清水又市が新田開発に励み、庄屋、名主となり、藩からも重用されるようになった。
この初代の清水氏の家紋は分からず、師匠寺である浄勝寺の住職を訪ねても分からなかった。
多分、先のコピーから「三星」紋が妥当だと思われる。この地域には清水姓の「三星」紋が随所にみられる。

 
    丸で囲んだ紋は10基以上の墓石があったことを意味します

他に「・五星」「杜若」「井桁に木瓜」紋が存在するのは、分家によって家紋が変って来たと思われる。
また大垣藩の家中(足軽)に養子に行った者も数多くいるという。禄の少ない足軽身分では養子先の援助は必要だったかもしれない。
これらの家紋と清水姓の関係は今一つ分かりません。

又分かりましたら報告します。

もう一つ。
清水家の師匠寺・浄勝寺のご住職は「子安」姓でした。
この子安姓の「左三巴」紋も、清水姓の多くあった地区からすぐ南の揖斐川沿いに多く見られました。

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