ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

今こそ『暗闇の思想を』を。

2011年03月16日 | 本など

ありがとうございます。

被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら、
被災しなかった私に出来ることは?



計画停電が行われていることで、夜の電気を極力灯さないで過ごしてみました。
(私の住む地域ではその順番がまだまわって来ていませんが)。
ろうそく1本がこんなに明るかったことを知りました。
夜、電気をすべて消したとき、家の中から立ち上る芳しい香りに気づきました。
昨日買ったパンの香りです。
視覚が少し遮られただけで、嗅覚がよみがえるという実感。



ところで、松下竜一著『暗闇の思想を』。
1974年に朝日新聞社から刊行された1冊の本です。
(写真は『松下竜一全集』全30巻の中におさめられた中のものです。)

その一節を引用してみます。
「なあ、とうちゃんちゃ。なし、電気つけんのん?」
「うん、窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
「そうかあ。ほしみるき、くろおうしちゃるんかあ」
電気を止めて幼な子と過ごした夜の、父子の会話の一節です。

1970年はじめ、九州電力による豊前火力反対運動の様子が記されたノンフィクションが『暗闇の思想を』ですが、闘いの渦中で、松下氏が考えた思想が「暗闇の思想」。
本の中には次のように書かれています。

「あえて大げさにいえば『暗闇の思想』ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力をも含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。………。これが現代の文化を問い詰める思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者ならすでに気づいている。………。電気を失って、本当に星空の美しさがわかるように」――――
「月に一度でもテレビ離れした『暗闇の思想』に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。」と。

ここですでに松下氏は「停電の日」を設けてもいいと記しています。
そしていま、運動の成果虚しく40年近くが経ち、火力発電所のみならず原発が立ち並んだ末の今回の原発事故。
安全神話が崩れ、電力不足が叫ばれ、計画停電が実行され始めました。
被災者の方々の苦しみや困窮を思うとき、私たちに出来ることは何なのか?
不要な電力を極力使わない努力が今一番求められています。
節電によるいろいろの不都合が生じて来ているようですが、発電所の建設はもう要りません。

「電気を消してスローな夜を」、そして暗闇の中で感じる星空の美しさと共に、身体に持つ五感の素晴らしさに気づいてみるのもいいかなと思います。

被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら。