ありがとうございます。
被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら、
被災しなかった私に出来ることは?
計画停電が行われていることで、夜の電気を極力灯さないで過ごしてみました。
(私の住む地域ではその順番がまだまわって来ていませんが)。
ろうそく1本がこんなに明るかったことを知りました。
夜、電気をすべて消したとき、家の中から立ち上る芳しい香りに気づきました。
昨日買ったパンの香りです。
視覚が少し遮られただけで、嗅覚がよみがえるという実感。
ところで、松下竜一著『暗闇の思想を』。
1974年に朝日新聞社から刊行された1冊の本です。
(写真は『松下竜一全集』全30巻の中におさめられた中のものです。)
その一節を引用してみます。
「なあ、とうちゃんちゃ。なし、電気つけんのん?」
「うん、窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
「そうかあ。ほしみるき、くろおうしちゃるんかあ」
電気を止めて幼な子と過ごした夜の、父子の会話の一節です。
1970年はじめ、九州電力による豊前火力反対運動の様子が記されたノンフィクションが『暗闇の思想を』ですが、闘いの渦中で、松下氏が考えた思想が「暗闇の思想」。
本の中には次のように書かれています。
「あえて大げさにいえば『暗闇の思想』ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力をも含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。………。これが現代の文化を問い詰める思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者ならすでに気づいている。………。電気を失って、本当に星空の美しさがわかるように」――――
「月に一度でもテレビ離れした『暗闇の思想』に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。」と。
ここですでに松下氏は「停電の日」を設けてもいいと記しています。
そしていま、運動の成果虚しく40年近くが経ち、火力発電所のみならず原発が立ち並んだ末の今回の原発事故。
安全神話が崩れ、電力不足が叫ばれ、計画停電が実行され始めました。
被災者の方々の苦しみや困窮を思うとき、私たちに出来ることは何なのか?
不要な電力を極力使わない努力が今一番求められています。
節電によるいろいろの不都合が生じて来ているようですが、発電所の建設はもう要りません。
「電気を消してスローな夜を」、そして暗闇の中で感じる星空の美しさと共に、身体に持つ五感の素晴らしさに気づいてみるのもいいかなと思います。
被災された方々には暗闇を照らす十分な電力と暖房が一日も早く届きますよう祈りながら。
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石原さんと言わんとする事は実はこの日々の
日記と繋がっていると思います。デジタルな
生活万歳を叫ぶ我々現代人、電気が電車が止ま
っても文句を言う人間が、自分さえ良ければ他
は知らないと嘯く人間が、人との付き合いは
苦手だと引き篭もって仮想の世界で無責任極ま
りない事を好んで書く人間がどれだけ多い事か
。これを我欲と言わずに心の垢と言わずに何と
言うべきなのでしょう。自然への畏敬、神仏へ
の畏敬の念を忘れてあれも欲しいこれも欲しい
と物欲に走る人が、金銭万能主義の銭ゲバが
如何に多い事か。何故に心の病が増えて精神科
がメジャーになっているか、何故「無縁社会」
と言われているか。私は都知事の発言は是だと
思っています。私は我欲になんざ塗れてない!
と堂々と言える人がどれだけ居るのか、私には
疑問です。私が知る或る国の名僧は昨年、示寂
されましたが、遺されたものは老眼鏡1つと数本
の万年筆だけだったそうです。私を含め何と
日本社会が日本人が我欲に塗れているか。私は
この事を思い出す度に顔から火が出るような
思いです。木を見て森を見ずの発想はもう止め
ましょうよ。中身をしっかり熟読し理解した上
でクレームを出すなら解りますが、言葉尻だけ
掴んで鬼の首をさも取ったかのような発言は、
私は公平公正に欠けると思います。
後手後手じゃないか、危機管理がなってない。
色々批判の声が聞えます。批判するなら猿でも
出来ます。今は被災者の安全確保と核の悪魔の
牙を何としてでも阻止する事が第一義。詰め腹
はいつでも切れます。事態が収束し復興を目指
す過程で原発の論議が出るでしょう。責任追及
は後でゆっくりやれば良いのです。
そして九州から遠く福島の原発で、被災者の
避難所で、病院等で、命懸けで、不眠不休で
「私」を捨てて「公」に徹していらっしゃる
同胞に深く深く感謝します。東電職員、自衛隊
、医療関係者、そして外国の救援隊の皆さん。
本当に感謝してもしきれません。不安恐怖を
抱えながらそんな方々の必死さを見ると本当に
有り難いと思います。
戒厳令は統制を軍隊に移行するのでちょっと
日本では意味合いが違いますが、何故に国家
非常宣言を出さぬのか(タイ、NZのように)
不思議になって調べたんですが、論拠になる
法律がないそうです。これも復興時に政治家が
よく話し合うべきでしょう。
嵐は必ず過ぎ去ります。朝が来ない夜がない
ように。九州含め被災しなかった地域でも自分
らに一体何が出来るのだろうと、皆が考えて
います。これこそが我欲を捨てて心の垢を落と
し社会を、東北の美しい風景を復興せしめ、
素朴な東北人の微笑を取り返す時だと私は
思っています。
スミマセン、長々と。
ありませんでした。冷静に冷静にという事が
平常時ではないから余計に重要ですが。
地震の安否確認だ何だのに追われて忘れており
ましたが、今日が福岡県の公立高校の合格発表
日でした。私自身、地域住民として中学校へ
行き、放課後の自習クラスで勉強指導に取り
組んでおり、三年生とはお別れが済んだ所です
、このような惨事がなければ教え子の結果が
気になりましたが、今は東北の同胞や命懸けで
働く国内外の皆さんの事を思うと、何とも言え
ぬ気持ちにはなります。こんな頁を見付けまし
た。パソコンから御覧下さい。率直に思います
、学校の先生が精神科に通う現実の中にあって
このような教育者が一人でも多くいらっしゃる
のならば、まだ日本は頑張れる、捨てたもんで
はないんだぞと思いたいのです。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
被災者を想っているようで実は馬鹿にしている事が文章からひしひしと感じます。
怒りを通り越して呆れます。
取り敢えず2度と電気をお使いにならないよう。
それと
愛を実行する為に福島に行って室内退避の方々に食糧でも配って下さい。
食糧が尽きるそうです。屋内退避なので買い物は一応できます。貴方が言っても大丈夫ですよ?
愛があるなら、出来ると思います。
もう皆がしている事を偉そうに言う前にもっとできる事をして欲しいです。偉そうにしゃべるんだから。
>こわし屋甚六さま
ありがとうございます。
それぞれが落ち着いて、扇動されることなく、出来ることを精いっぱいしていきましょうね。
>Unknownさま
ありがとうございます。
私が記したことで、そんなお気持ちをいだかれたようでしたら、ごめんなさい。許して下さい。感謝しています。ありがとうございます。
松下先生の「暗闇の思想」が生きてきました。
「福島原発でいま何が起きているのか」
3月26日,長崎市で藤田祐幸先生を招いて緊急集会がありました。
先生は原子力問題の専門家です。
講演を聴いて腑に落ちました。
1 ここ10年間の電力の需要は横ばいであること。
2 電力需要のピーク時であっても,火力発電だけで足りること。電力不足というのは,嘘。
3 さらには,事業所が発電している余りを買って使えること。
4 原発は,電力を得る目的としては,リスクが大きすぎること。今回の事故を考えれば明白です。
5 原発の真の目的は,プルトニウムの抽出であること。つまり核兵器の生産です。
石原都知事は,公金を使って外国に大名旅行をするような輩です。
天罰があるとしたら,先ず被るべきはあの男でありましょう。
ありがとうございます!!
「暗闇の思想を」。
松下さんは悲壮感を持ってそれを唱えたわけではなく、楽しみのひとつに加えるということのようですね。
それにしても、死んでしまったのが残念。
生きていらしたら、どんな感想をもたれるでしょうね。
豊前火力が本格稼働したら、運動の意味が地域の方にも少し理解されるでしょうか?
皮肉なことですが。
豊前火力は出来たけれど、電力が足りているから稼働して来なかった……稼働による公害が本格化したら、もしかしたら松下竜一の素晴らしさがわかるかも。
いずれにしても、誰かが苦しむようなことが起きないように願うばかりです。