ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

瞑目、合掌。

2011年03月23日 | 社会






みんなひとつひとつ輝いていた花なのに……。

瞑目……合掌……。

ありがとうございます。


ニュースやブログから

2011年03月23日 | 社会



ありがとうございます~~:。・☆~~。
窓を開けて、ベランダに出て、下を見ると、我が町を走る「平和交通」のバスがいつものように走っています。
「思いやり」の文字を天井に刻んで~~。

今朝23日の『毎日新聞』では岡田斗司夫氏の投稿が目を引きました。
「大震災を前に私たちはどうしたらいいの?テレビを消し仕事に戻ろう」と呼びかけています。
被災者は日本国民全員、その意識をもちながら、被災しなかった人は、淡々といつもの仕事に戻ろうと呼びかけています。

今朝届いたメーリングリストからはブログ「金平茂紀の茫界偏視」から「私たちは大震災と原発惨事のさなかで何を考えるべきなのか?」が語られていて、読み応えがあります。
ニュースキャスター金平氏が現場に入り、ルポした記事や思考は説得力を感じます。

藤原新也氏のブログ「Shinya talk」は、まるで氏の著書『メメント・モリ』の別バージョンを想起させます。短い言葉の中から匂う景色と惨状。そしてそこに横たわる生死という現実。
藤原新也氏は銀座で「死ぬな 生きろ」展を開催中。
「於『永井画廊』
東京都中央区銀座4-10-6
電話03-3547-9930
休館日(19日20日21日)以外は今日3月17日午後1時から3月31日(木曜)まですべての日で開館。
なお、福島第一原発問題はきわめて流動的であり、会期中になんらかの異変が起こった場合はその状況を踏まえ、日程の変更もありうることとする。」とあります。

そして、「化学物質研究会」から送られてくる電子版『ピコ通信』。
大震災と原発」のページが新たに加わりました。

ご参考までに、ご興味のある方はどうぞお読みください。


これからも断捨離

2011年03月23日 | 生活・暮らし・家事など



床に落ちて半分に割れた楠本さんの器。
つめ切りや、体温計、ツボ押しイルカなど日常使うものを入れていました。
元の容は長い円形で深さもあり、用途としてはぴったりのモノでした。
上にカバーの代わりに古裂を乗せて使っていました。

たくさんのモノが棚から落ち、ほかにも壊れたコップや器などあるけれど、それはエコバックに半分くらいの量でした。断捨離効果がここにもあらわれました。
落ちたとき、器どうしがぶつかって割れたらしく、割れていないものもたくさんありました。
大切に使い、残したモノがさらに減りましたが、それは所詮モノです。
かたちあるものは、いつかはこわれる。
そして、まだまだあります。

さて、写真の器、捨てようか迷っています。
迷いのひとつは、OKAKESAMAでと記念にとっておくか、それともまだまだあるほかの器に入れ替えて捨てるかです。
小さな迷いですが。

断捨離を続けていたおかげで、探し物をしなくてすんだのは大きな効果でした。
家の中にある細々としたもの、換えの電球や電池、マッチ、ろうそく、そして乾物などを含めた食品なども整った収納庫の中できちんと把握が出来ているのは助かりました。
落ちたものもすぐに片付き、前と同じ暮らしがすぐに戻りました。

トイレットペーパーの買い占めなどもニュースで流れましたが、ティッシュや着古したパジャマやシャツを切った小きれなどでも代用できます。中国に旅行したとき、当時出来たてほやほやの高級ホテルに泊まったことがあるけれど、そのホテルでさえ使ったペーパーは水に流さず、そばのゴミ箱に入れるよう指示がありました。
それは中国の下水事情にもよるらしく、中国ではそれはどこも当たり前の光景でした。
「糞僧衣」という言葉があり、インドの高僧がそれを召していたとかの伝説もあります。

周りにあるモノを眺めてみると代用できるものがいろいろあります。
これはこれという固定概念を捨てて、新しい目で見つめてみると、工夫の余地があり、それは楽しい家事作業にもつながります。
大量消費の時代を経て、モノを大切に使いこなすためにも不要なモノの断捨離は不可欠です。
私はこれから本の断捨離にかかります。
飛び出し散乱した本の片づけの中で収納時に仕訳ができています。さて、この本の始末はどこに送ればいいのかと考えています。
近くのブックオフに持ち込むには何度にも分けなければなりませんし。

「捨」と「離」を経験すると「断」は必然的に脳が自覚するみたいです。
モノを消費しないと経済が成り行かないという意見もありますが、それは現役世代にお任せして。

ありがとうございます~~・・。☆~~。