これは柿の香合です。
またまた管理人の拙い作品。

柿は管理人の家の裏庭にあり
いつも楽しみにその時期を待ち
手の届く所から、
柿の実と目が合うと、もいで食べます。

小さな頃は
柿の実は手の届く所にはなく
大人の手を借りなければ
食べれないものでした。

渋柿は皮をむいて
糸で連ね
高い軒下に吊るさていました。
秋から冬の風物詩の一つです。
秩父の冷たい晩秋の風に吹かれ
干し柿は一層甘みが益して行きます。

柿の実色は
遠くの山々に彩を加えてくれます。

そんな昔の当たり前の景色が
故郷を思い出させます。

別に住んでいる場所はたいして変らないのですが
景色が変りました。
昔ながらの家も減り
軒下の干し柿もなくなりました。

昔見た景色は
とても落ち着きます。
ホッとします。

日本人でよかったと思います。
田舎人でよかったと思います。

今の子供たちは
いったいどんな映像を見て懐かしいと思うのでしょう?

恵まれた平和な時代に生る子供達。
今の子供たちが懐かしむ故郷には
美味しそうな柿の実が飾られるのでしょうか?

幼い頃見上げた
それはそれは美味しそうな
たわわに実る柿の実を
秋の青い空と共に思い出しました。



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思い出の欠けら



これは炭になった柿と栗とどんぐりです。
そのままの形で残るのですねぇ~(#^.^#)
温度の加減なのでしょうか?
竹炭を作ってるお方から分けてもらいました。
モチロン中までそのまんまの形で炭です。
感動!!!

栗やどんぐりは
いまだ落ちていたら必ず拾いますねぇ~。

そう言えば、
山栗を食べた事はありますか?
小さくて食べるのは大変ですが
甘くて美味しいですよ!

甘い山栗を昔は生で食べました。
リスのようですね。
実は今も一つはそんな風に^_^;

栗は食べられるから拾いますが
でもどんぐりは食べれません。
なのに拾います。
どうしても拾ってポケットに入れたくなります。
なぜかなぁ~???

幼い頃の習性のようなものが
大人になっても出てくるのでしょうか?

その後、何をするわけでもないし、
今の自分にさほど必要と思えない。
そんなどうでもいい物なのに
見ると身体と心が勝手に動き出し
ポッケに入れてしまうのです。

海に行けば
やはり貝殻を拾いポッケに入れる。
綺麗なガラス片をボッケに入れる。

紅葉を見れば
綺麗な葉を拾いポッケに入れる。

ポケットの忘れ物
それはきっと
「想い出の欠けら」
その時は大事にポッケにしまい込んだつもりでも
いつかそこに入れたことも忘れ
思わぬ時出てきて
なんとなくその時を想い
心がほんわりと温ったかくなる。

管理人、思い出の欠けらを
まだまだ集め続けるのでしょう。

きっとおばあちゃんになっても
管理人はどんぐり拾ってると思います(#^.^#)

管理人の魂が「思い出の欠けら」を呼ぶ限り・・・
何故か拾ってしまうのでしょう。





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子うさぎ



セラヴィの玄関でお出迎えのうさぎ4匹
管理人の拙い紙粘土のお遊びの作品。
昔は各お部屋に十五夜の飾りと一緒に
一匹づづ入れていたのですが
今は1階のフロアー部分に7匹が集合してます。
今年こそ新たなうさぎを作ろうと思いながら・・・
毎年同じうさぎの登場です^_^;

うさぎは可愛いですね。
大抵の動物は大きくなると
見た目の可愛さが薄れますが
うさぎはふわふわした毛並みとまん丸な姿
大人になっても抱ける大きさが可愛いです。
攻撃的でなく臆病で、
草を食べる食べ方も音も可愛い
それにウンチも小さくてころころして
すべてが可愛いです(#^.^#)

こんな田舎でも
何故か管理人は野うさぎを知りらなくて、
いつも檻の中の真ん丸い
「ビョコタン」という動きのうさぎしか見たことがありません。

野山を駆け巡る精悍なイメージがなく
昔話に登場するうさぎが賢くずるいことが
ちょっと合点のいかないことでした。

近くの家のウサギ小屋にはいつも沢山のうさぎが居ました。
赤ちゃんうさぎはいつも居たように思います。
いつもにぎやかなので
絶対このうさぎ達は大丈夫と思いました。

ある日いつも見ているウサギ小屋おじちゃんが
子うさぎをくれると言うのです!
天にも昇るほど喜びました。
手のひらに乗せて貰った子うさぎは
この世にこんなにも華奢で愛おしいものはないのでは!
と思うほど・・・
小さくて真綿のように軽くてふわふわです。
「もう二度と離したくない!!」
一瞬で虜とになりました。

しかし幼い管理人、
良ーく考え涙を飲んで
お返ししました。
それも自分の考えで・・・

誰から言われたのか
「うさぎは寂しいと死んでしまう」
その言葉をそのままずっと信じていたからです。

管理人には小学校があり、
うさぎの子育てに協力的と思えない親があり、
肌身離さずに一緒に居ることは不可能でした。

こんな小さなうさぎは
一秒でもひとりにしたら
絶対に死んでしまうと思いました。

そして一人で決断して
子うさぎと無念、無念の別れ
泣を拭いて手放しました。

「うさぎは寂しいと死んでしまう」
と言う事は衆知・当たり前のことだったと思ってました。

今思うと子うさぎは弱く
敵にも狙われ易く生きて行くのが困難だったのかも知れません。

「寂しいと死んでしまう」
そんな伝染病でもあったら
人類全滅の危機ですね!!

喜怒哀楽が無ければ人間の意味を持ちません
心の起伏の中の一つ一つが
人を創り出しすのですから

良く遊び、良く学ぶ。
良く笑い、良く泣き学ぶのです。
良く怒り、良く反省しながら考え学ぶのです。

人は「人」でしか磨かれて行かないと思う管理人。
計算式では決して解けない。

単純で深く、複雑で浅い。
熱く冷たく、心の体温調整が難しい生き物です。

人間臭いの大好きな管理人には、たまらなく魅力的な生き物です(^^)v



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月のうさぎ


今、セラヴィは秋の飾り一色です。
これは押し花絵です。
友人の海北さんの個展で購入したものです。

今セラヴィには沢山のうさぎが飾られ
ススキを手にお客様をお出迎えしてます。

うさぎと言えば月
先日大きな満月を見たのに
あまりの月明かりの明るさに驚いて
「月のうさぎ」を見ることを
忘れてしまいました。

そうそう毎年今の時期になると
月の影を眺め
餅を付くうさぎの姿を確認したものです。

昔、幼い頃は本当に月にうさぎがいると思ってました。
月を見ると「あ!まだ頑張ってる」と
餅つきの姿を確認してながらも、
いつかその姿が変ることを知ってました。
だから、毎回うさぎの変化を見逃さないよう
間違え探しのようによーく観察してました。
時折いつもと変って見える時があり
それは月でうさぎが確かに生きている証拠でした。

「うさぎ」と思う月の陰も
民族や国民性によって見方が変り
ライオンだったり人だったりと
そこから世界には
月にまつわる多くの神話や伝説が作られて行きます。

雲もそうですね
人によって見方が違います。
流れながら形を変える雲を
寝っころがりながら
あ!○○だ!
なんて友達同士でよく言ったでしょ!

写実的でないものは
いろいろな見方が出来て楽しみが膨らみます。

管理人は、そんな「心の目で見るもの」が好きです。
月のうさぎも
昔からそう聞かされていなかったら
いったいどんなものになっていたのでしょう?
そして、それぞれの胸に
どんな素敵な物語が生まれていたのでしょうか?

もう今は月の影は
「うさぎ」でしかありません。
幼い頃の心に描いた物語は消える事がないからです。

実に曖昧で不安定な形であるのに
一度焼き付けたら
心にはしっかり残る形があります。

管理人は、
そんな素敵なお話をして行きたいと思っています。
だって管理人そんなものが大・大好きだから(^^)v




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