始めに
「わたし、あなたの為ならなんでもする。」
子供の声が部屋に響いた。
「あら、そんな困ったわね・・
あのね、別になんでもってまですることはないのよ。」
やや狼狽した大人の声がそれに続く。
「ううん。だって、あなたがわたしを選んでくれなかったら・・・」甲高い声は子供らしい頑固さをこめて繰り返した。「わたしなんかここにいないんだもの。」
「あのね・・」対する大人の声は苛立たしさを押し隠してこちらもまた辛抱強い。
「そんな風に恩に着るってこと自体がね、わかる?そもそも大間違いだって任意すべき常套事項として・・・もう既に先生から聞いたんじゃなかったのかしら?」
「うん・・聞いた、だけど」
「いい?これはギブアンドテイクなの。私にとっても損はない正当な取引なの、いえそれどころじゃないわ。大きなプラスなのよ。感謝こそすれ、あなたが卑屈になることなんて1つもないの、いい?わかって?さあ、もうこれでわかったわね。そう、ならいいの。くれぐれも、よ?いい?、お願いだから自分を粗末にだけはしないでちょうだい。いいわね?じゃあ、お説教はこれでお終い。」手がパンと打ち鳴らされその音の余韻を子供はうつむいたまま聞いていた。
その頬を白い冷たい手が挟み、顔を上に向ける。子供の目の中に映る自分の顔を大人は確認するとそっと柔らかい髪の毛に軽く唇を当てた。
「私、これでもう行くけど・・でも、忘れないで。離れていても私はいつもあなたと一緒にいるの。私とあなたは結ばれているのよ。私、いつだってあなたの幸運を祈っている、そのことだけは絶対に忘れないでよね。」
そう矢継ぎ早に言い終った主は頭を撫でるとジッと自分に注がれる子供の目から顔を反らして手を離した。
これで義務は果たしたとばかりにそそくさと部屋を出て行った大人の胸には正直、義務感、自分でも当惑する場面をどうやら乗り切ったといったほっとした気持ちしかなかった。
それでも。
1人残された子供は大人の唇が触れた自分の額に手を当てその感触をけして忘れまいと思った。
『んん・・でも・・わたしはやっぱりそんな風には思えないと思う。』
その瞼も口も固く閉じられたまま、子供は想いを巡らしている。
『そうよ、やっぱり無理。あなたの為ならなんでもする・・・
そう、だって・・わたし
あなたの為なら』
こらえ切れない呟きが空へと漏れ出る。
「命なんかいらないの。」