MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-7-4

2010-06-05 | オリジナル小説

ガンダルファは目の前に迫った女の唇を咄嗟に避けていた。
「おい!よせよ。」思わず絡み付く腕を引きはがす。
「何、考えてんだ?こんな時に。」
「だって、怖いんだもの。」髪の隙間から女が口を尖らせるのが見える。
「あたいにもっと優しくしてくれたっていいじゃないの。」
「自分で歩け。」閉口するガンタは女を下に降ろそうとした。何かが変だった。しかし女は肩に縋る腕を解こうとしない。
「変な人・・・ひょっとして、女には興味ないの?」
「あのなぁ、」ガンタは苛立つ。「状況を考えろって言ってんの!」女の肩を両手で掴んで引き離そうとした時、薄明かりの中で髪の間から女の顔が覗いた。
「あれっ?お前って、飯田さんだよな。」ユウリに似通った顔立ちにドキリとした。
ユウリ?いや、ユウリというか・・・誰だ?。ガンタの思考はしばし静止する。
すると、女の方は男の目の中にようやく望む表情を見いだしたと思い違いをしたらしい。肩から腕へと手を滑らし、婉然とシナを作って微笑みかけた。
「そうよ。あたいが・・・飯田美咲。麗子とも呼ばれけどね。」『レイコ?』どこかで聞いた名前・・・ガンタの頭の中で声がする。
(ガンちゃん、にやけてる場合じゃないにょ!)『ドラコ、どこにいるんだ?!』
(その姉ちゃんは危険にょ!目くらましを仕掛けてるのにょ!気を付けるにょ!)『目くらまし・・くそっ、そうか、ユウリの母親の名前だっ?!』
ガンタはまるで毒を持った蛇から身を避けるように、自分でも思いがけない力で女の体を振り払っていた。上背はあるが男よりは所詮華奢な美咲の体は勢いよく投げ出され、壁に激突した。
「あ、まずい!」さすがにハッとする。「ごめん、つい。」距離を保ったまま伺う。
女は起き上がる気配がない。仕方なく用心しつつ、ガンタは距離を詰めた。
「大丈夫?」と身を屈めかけた時。
(がんちゃん!)ドラコの警告。
辛うじてガンタは喉元を狙った美咲の口の攻撃を躱す事ができた。
「うわっ!怖ぇっ!」「バカ男!また避けたわね!」
後ろに素早くのけぞった男の喉笛を切り裂こうとした歯を唾を飛ばしながら、美咲はむき出しにする。反転し、足で床を蹴りさらにガンタを追うが、ガンタも負けてはいない。人にしては常人でない素早さで右に左に上に下へとすべてを躱した。突っ込んで来る女の体を避けると、その体の背中の急所を突く。まともな体ならこれでしばらく動けなくなるはずだった。女の肉体にマジな腕力など振るいたくはなかったからだ。美咲の体は一瞬、痙攣し動きやむかと見えたがそうはならなかった。肉体へのダメージなどものともしない。立て直すと、尚も遅いかかる。
(ガンちゃん、ソイツは人間じゃないにょ!遠慮は無用にょ!)
その声にガンタは相手の体の下に身を滑り込ませると、下から美咲の腹を足で思い切り蹴り上げた。その反動を利用し、自身は部屋の隅へと後退した。うめき声をあげ美咲は、こちらも壁を蹴ってくるりと回るとそのまま4つ足で着地した。
「おまえはなんだい?!人間じゃないのか?」
憎々し気にガンタを睨みつける充血した目はまなじりが切れ上がり、歯をむき出した口からは顎へと涎が伝う。ガンタは人間ではないと言われた時のアギュの気持ちってこんな感じか?と思う。いや、こんなもんじゃないよな。隙が産まれる。
女の動きは獣のように素早い。浴衣がはだけ下着が覗く。それに気を取られたわけではないが、男の喉に牙が迫る。ハッとしたガンダルファは腕で防いだ。男の腕に女の歯が食い込む。女は腕を噛みちぎろうとギリギリと顎を動かす。手首に巻いた腕時計の皮バンドが噛み切られたが、何故か腕を噛み切ることができない。涼しい顔の男は自由になる方の腕で女の額の真ん中に静かに指を当てる・・・と、その瞬間、女の額がスパークし女は悲鳴を上げて後方に飛びずさった。
その理由はガンタが生身ではないということなのだが、それはこの『果ての地球』に住む人類や魔族には到底預かり知らぬこと。オリオン人達は生身のように見えるが、皮膚のように薄いスーツを着ているとでも言えばいいだろうか。皮膚呼吸もできるこの薄皮一枚が時に温度変化から体を調整し、時空や磁力、精神攻撃から守り(ある程度の限界はある)その他、あらゆる物理的衝撃から人体を守っている。髪の毛一本から覆われているのである。(抜け毛を防いでくれるのかまではさだかではない。)彼等のこめかみにこの星の銃器を当ててぶっ放したとしても彼等は無傷でいられる、ということなのである。場所によっては、多少の衝撃は受けたとしても痣になることもあるまい。
強度や深度も自身が意識で調整している。重力に対しても。それがガンタの目を見張る動きの答えである。人体が追い込まれた時に脳によって開かれる時空における滞時空時間にもそれは強い優位性を与えている。
そして軽度であるが、この薄皮はバッテリーの役目も持つ。触れ合う肌同士の摩擦や体を動かすことによって蓄積されたエネルギーを使って、攻撃する要素も。
床にもんどり打って転がった女はしばし顔を激しくこするような動きを繰り返した。
その間にガンタは入り口のドアまで走る。
「あっ、あたいの顔を焼いたねぇっ!」
玄関ドアは固く閉ざされている。ガンタは自身の出せる力を増幅させてそれをこじ開けようとした。しかし、それは開かない。
『なんだ?なんで開かない?』
(ガンちゃん、それは次元の力がかかっているにょ。そのドアはガンちゃんのいる時空に乗ってないのにょ。微妙にずれてるにょ、力任せじゃダメにょ!)
『なんだって?それじゃあ、やっぱりこの女って本当に人間じゃないんだ?!』
(さっき、そう言ったにょ?がんちゃん、お待ちかねの魔族なのにょ)
ガンタはドアを背にして改めて女を見た。女は再び獣のように立ち上がっている。その顔は爛れた皮膚が垂れ下がり、そこから見た事のない顔が覗いていた。
『ひいぃ!ほんとだ!』とはガンダルファの心の悲鳴。
「お前はなんなんだい?あたいの知らない魔族?天使?どっちなんだい?デモンバルグの仲間なのかい?」
「そうだなあ・・」ガンタは言葉を濁した。「俺は人間なんだけど・・君は飯田美咲じゃないんだよな?麗子さんでもない・・・」始めての魔族の女。嘘くさいデモンバルグとは違う、ほんまもんのホラー。感動さえ覚える。「お名前を教えてよ。」
「あたいはシセリ。知る人は知る、大淫婦さ。お前はなんだぁ!?」
「俺はガンタって言うんだ。」困る。期待には答えられそうもない。「人間だ。」
その答えにシセリはいきり立つ。あたいをバカにしやがって!
「ガンタァ!」名を呼ぶなり、その体は壁に垂直に取り付き、そのまま4つ足で天井へと駆け上がる。ガンタは髪が逆立つ程の興奮を覚える。
「すげぇ!これってドラコ、俺って肉眼で見てるの?!」
「ふざけるなぁ!!!」
シセリは絶叫し天井を蹴った。
ガンタは脳で時空を開く。遅くなった時間の中で、真上からかぶさって来る体に拳を叩き込む。これでもかと叩く、叩く。出せる限りのパワーを使用すると、さすがに魔族の女も体を翻弄されながら絶叫を迸らせた。
(ガンちゃん、下にょ!)
なんだこれは。巨大な鍋の口の上空にガンタはいる。重力が失なわれる感覚。
(もう1人、魔族が潜んでいるのにょ。そいつがここにだぶったもう1つの次元を管理していたのにょ。)『だぶった次元?』(これってその女が作った次元なのにょ。だからそいつが開いてくれないとドラコにもどうしようもなかったのにょ。でも、これで大丈夫にょ!思い通りの展開にょ!)『これでお前のいるところと繋がったってことか?』(まだまだにょ!もう一踏ん張りにょ~!)
目も止まらぬ早さでシセリに鉄拳を叩き込みつつも、ガンダルファは目の隅に黒い存在を認めた。その口が開くとモクモクと黄色い毒の鱗粉のように瘴気が渦巻く。饐えた匂い。「シセリと共にお前も混沌に落ちて死ね!」黒皇女がこう笑を上げる。
(ガンちゃんが殴ってる魔族を下敷きにするのにょ!その女で脱出口を開いて欲しいのにょ!)
ガンタが用いている時空は黒皇女には感知できなかった。それは黒皇女の作ったこの時空と同じ、ガンタ自身のものだからだ。その異時間をフルに活用する余裕がガンタにはある。鍋へと突入するたかだか2mの間にもどれほどのことができることか。浮かしたシセリの体を引き寄せ、しがみつくなりくるりと身を返す。魔族の体を墜落への盾としたのだ。足先から混沌に突入したシセリの体が、混沌を引裂く。その瞬間、混沌の表に刺さったその体を伝わり、ワームドラゴンが脱出して来た。
シセリと引き換えに。魔族の体は混沌に沈む。絶叫と共に跳ね上がり、蝦のように反る体を力づくで押し込んだ。
(掴まるにょ!)「ガンタ!」「香奈恵?!」状況が読み込めないまましがみつくなり、ドラコは全身をバネにして上へと跳ねあがる。
縋り付くかぎ爪をヒレが容赦なく払い落とした。むなしく腕を空に切る、のたうつ女の体がすぐ真下のべとつく水面の底へと沈んで行くのを見たような気がする。
『なんだ?何が起こった?』黒皇女にも掴めない。人型を失いかけたシセリの姿が混沌に落ちるのは確認した。しかし、混沌から何かが出現し男を上に連れ去ったことしかわからない。デモンバルグと一緒に混沌に投げ込んだシセリのお気に入りの女子高生と光の容れ物にした鈴木真由美の姿も一瞬垣間見えた気がする。あの娘に何が?なんの力が?あの女だ!やはりデモンバルグの追っていた光とそっくりのあの光の力に違いない。混沌から自力で脱出するなどと!
慌てた皇女は追っ手を放つ。
しかしドラコは気にもしない。マイペースで次元を変換して進んで行く。ワームドラゴンの作り出す時空に守られた3人の乗り手達にはなんの影響もない。それでもドラコは注意深く、御堂山を巡る自然や環境が幾重にも作り上げた次元の重なり合う隙間を選んで、それらを見極めるように捥ぐって行く。
香奈恵とガンタは離脱するドラコを追った闇が壁のように追撃して来るのを見たが、ドラコが次元を切り替えていくその早さに付いて行けなかったのか気が付けば回りには何もなくなった。ドラコは闇を退けたのだ。
(これで追跡は不可能にょ!)ドラコは内心、得意満面だ。(我ながらドラコはできるのにょ。やれるドラゴンなのにょ~)
「ガンタ!」目の前に香奈恵の顔がある。なんとも言えない複雑な表情を浮かべていた。「香奈恵、やっぱここにいたんだな。」ガンタは安堵の声をあげる。「それに・・妊婦さんも?」
(ドラコが二人を救い出したのにょ!今はガンちゃんも救って3人にょ~)
足下に見知った竹本の屋根が近づいて来た。ガンタは足を伸ばすと引き寄せるようにそこに降りた。香奈恵が降りるのにも手を貸す。
(まだ、ここはダッシュ空間にょ。レベル1ぐらいにょ。変換するにょ?)
「とりあえず、妊婦さんを降ろさなきゃ。」ガンタは香奈恵を屋根に座らせると鈴木真由美の体をドラコのヒレから受け取り瓦に横たえた。
「しかし・・・この人をどうやって返すのがいいんだろうなぁ。」
「ガンタ・・・」香奈恵は屋根の上を見回す。何かが変だった。まるで耳の中に何かが詰まったような感じだ。その感じはさっきまでいた混沌の中に似てなくもない。
旅館の入り口からわらわらと人が出入りしているのが見えるが声がまったくしない。誰も屋根の上を見上げない。屋根の上にいる彼等に誰も気が付かないかのようだ。
「これって・・どういうこと?」
ガンタは黙って2階の廊下の窓を外側から開けた。
「香奈恵、今ならここから部屋に戻れるぞ。」香奈恵が始めて見る真剣なガンタの表情だった。「そして、寝ろ。何もかも忘れて。これは夢なんだから。」
香奈恵はガンタを見つめる。とぼけたドラゴンもこちらを見守っている。
数分が過ぎた。「嘘。」香奈恵はゆっくりと首を振った。
「これは夢じゃないもの。ね?ドラコ。」
(ドラコに聞かれてもにょ~ノ~コメントにょ~)
「ずるいわ。」香奈恵はちょとだけ笑う。泣きそうになる。
「さっきまでは夢だと思っちゃいけないって言ったじゃない。さっきは夢じゃなくて、ここからは夢だなんて。」
(確かにご都合主義なのにゃ~でも得てして人間の人生はそういうものにょ?)
「それは、いいから・・」と言いかけるガンタに香奈恵は真っ正面から向き合う。
「これは夢じゃない。ガンタは知ってるのね。ねぇ、ちゃんと話してよ?」
「う・・・」一瞬詰まった。すばやく、頭を巡らす。
「ああ、わかった。わかった、後でちゃんと説明するから取りあえずは大人しく戻ってくれ。」(がんちゃん心にもないこと言ってるにょ)『黙れ。』
香奈恵はしばし黙って涙の滲んだ目でガンダルファを見つめた。
「ガンタ・・・ほんとよ。嘘つかないで。」香奈恵の顔が妙に大人びて映る。
「私、ガンタを信じるからね。」目を反らしもしないその真っすぐな視線。思わず、ガンタはドキリとした。
『なんだよ・・ガキのくせに。なんて目をしやがる・・・これってもう女の目じゃないかよ・・・困ったな・・・』
「約束よ。」後ろめたさを隠して、無意識にガンタはうなづく。勿論、ほとぼりが済めば記憶を消してしまえばいいと考えていたのだ。
「あのさ・・・私、部屋に戻るけど寝たりしないからね。」香奈恵はそう言うと窓枠に足を乗せた。「あ、そうだ。真由美さんもどうせなら、ここに降ろしたら?私が発見したことにするからさ。」
「そんなことしたら・・・みんな怒るだろ? 飯田美咲は恥をかくだろうけど。」
でも、とガンタは思う。飯田美咲、あいつは本当に実在したのか。4つん這いで壁に取り付く姿といい。ユウリに似た割れた顔から覗いた野生動物のように美しいが歯を剥いた獰猛な顔。凶相と言える。そして、本当に魔族の女であるならば。あの鍋の底に落ちて、あいつはどうなった?。早くあそこに戻らなくては。
「ねぇ、ガンタ・・・あの人も現実?」香奈恵がポツリと呟く。
「あいつは・・ジンと同じ魔族の1人だ。心配すんな。」
「あの人、悪魔なの?」既に驚きも覚えない自分が不思議だった。
「じゃあ、人間じゃなかったのね・・・」
香奈恵の中でパズルのパーツがカチリと嵌った。それだけで美咲との色々なことに安堵するなんて・・・我ながらご都合主義だと思う。
香奈恵の顔も曇ってるのを見て、慌てて話を反らした。
「まあ、あの女のことはいいよ。お互いに忘れよう。忘れた方がいい。あいつはまともじゃないから。」
この状況もまともじゃないけどと、香奈恵は思う。ガンタは続ける。
「だってだ、香奈恵。考えても見ろよ。竹本で鈴木さんが発見なんかされたら、下手したら、旅館が非難されるかもしれないぞ。よく捜さなかったって。」
「じゃあ、じゃあさ。」香奈恵はペロッと舌を出す。「親父の車にでも入れちまえば?」「・・・!そんなことしたら、お前の親父の立場がないだろ?」
「いいよ、もう。」香奈恵はふて腐れる。「親父なんか罰が当たればいいんだ。」
(じゃあにょ、親父さんが恋しくて帰ったことにすればいいのにょ)
「帰ったって・・・?」「あっ、発掘現場に入れ違いってこと?」香奈恵が手を叩く。
「ドラコ、それグットアィデァかも!ママを悪し様にののしった、親父の面目も適当につぶれるし。」
「わかった。」ガンタもニヤリとする。「山梨の遺跡だっけな?」
「場所わかるの?」
(親父さんの意識を逆に辿れば大丈夫にょ。追跡機能つきにょ。ドラゴンは便利なのにょ)
「じゃあ・・じゃあな香奈恵。」ガンタは香奈恵の問題を後回しにできることにほっとすると妊婦を再び抱き上げる。「ドラコちょっくら、行ってくるか。」
(任せるにょ)

虚空に消えるドラコとガンタを香奈恵は見送った。窓枠を乗り越え、廊下に足を置いた瞬間。ブワッっと回りが押し寄せる。音が、色が、匂いが。現実に帰ったのだ。
香奈恵は実感する。ほっと息を吐く。腕を抓る、頬を叩く。窓の外には最早、ドラゴンの痕跡すらない。傾きかけた陽射しが屋根を三角に切り取って染めているだけだ。風がここちよい。離れの裏の竹やぶがサワサワと音を立てている。階下からは相変わらずの人声。出入りする人達の気配。車の音に香奈恵は窓から身を乗り出した。軽トラが裏から入り、離れの前に止まった。珍しいことに綾子おばさんが運転席のドアを開けている。渡やユリの声もする。ちょうど学校から帰って来たところのようだ。送り迎えをしていることを除けば、いつもとなんら変わりがない。
本当にあれは夢だったように思えてくる。長い夢から覚めた時とあまりに感じが似通っている。ふと指先に目が止まる。キラキラしたものが爪の間に挟まっている。これは・・・ドラゴン、ドラコの鱗からはがれた何かだろうか。自分がどんだけ強くしがみついていたかを思い出す。爪を立てて必死に。このキラキラだけがその証拠といえるのだろうか。そのあまりに微量な痕跡をジッと見つめたのは数分。香奈恵は耐えきれず、厨房から漂ってくる煮物の匂いを思いきり吸い込んだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、客が行方不明になろうが寿美恵や綾子は自分達の為に、毎日ご飯を作ってくれるのだ。それがとてもありがたかった。腹がグーグーと鳴る。
難しいことはいい。後で悩もう。飯田美咲の事はひとまずキレイさっぱり、香奈恵の脳裏から消えている。勿論、ジンのこともだ。
香奈恵は幸せだった。真由美さんは無事。ママリンはもう大丈夫。『竹本』も責任を免れる。親父にはまもなく罰が当たる予定だ。何もかも一安心。

ああ、思い切りご飯が食べたい。
心の底からそう思うと香奈恵は階段を弾む足取りで降りて行った。

スパイラルツウ-7-3

2010-06-05 | オリジナル小説


「遅い!何をやっているんだ。」
天界の天使の墓標のはずれ。4代天使のそびえ立つ像の真ん中でシドラ・シデンが苛立っていた。シドラがもう何度目かの鼻を鳴らすと並んだ鴉がニヤリとする。
「でも、まだ地上の時間で20分も経ってませんよ。」
「20分だと?嘘を付け。」
(嘘ではない)天界に突き出たバラキの頭が振動する。
(アギュはずっとあそこの結界の中にいるぞ・・・一歩も動いていない)
「ふうん。それはあなたの・・・ドラゴンの感覚ですか?」
「バラキの次元探知能力だ。」シドラは胸を反らす。「しかし、あそこで何が行われているかはおぬしでもわからないのだな・・・」
(あまりにも密度が濃すぎて伺い知ることもできない・・・小さいが内側には無限と言えるほどのデータが圧縮されている・・・)
「まるでブラックホールだな。」
「ブラックホールですか。」明鴉はうっとりと上空を見上げる。「入ってみたいような
入ってみたくないような。」
「おぬしも行けば良かったんだ。」
「言ったじゃないですか・・・許しがなければ入れませんて。あっちが僕と会いたがる理由がありません。それに僕も・・・」
「会いたくないと。」
鴉はうなづいた。「会いたいと思う理由が僕にもありません。」
「フン、明快な理由だな。」
(シドラ)割れ鐘のようなバラキの声が吠える。(出て来るぞ)
二人はハッと身を引き締めて、上に目を凝らした。
つかの間、何もないように見えた上空に巨大な渦に覆われた繭のような空間が現れ消えた。「まるで蜃気楼だ。」鴉が感嘆して呟く。「あれが4大天使の聖域ですね。」
宙空の真ん中に鮮やかな蒼の光がポツリと現れた。
それはグングンと下降してきて・・・すぐに姿が見えて来る。
「ああ!?なんだ?」シドラは声を放つ。アギュが1人でなかった為だ。
「あれぇ」鴉も目をこすった。「あれはまぎれもなく・・・」

「・・・デモンバルグ」
鴉の呟きにシドラは石と化す。
羽の生えた黒き獣と化したデモンバルグはジンの顔で鴉を認めた。
「おまえは・・確か、不良天使の1人さね。一度、会ったことがあったか?」
「その女は誰なんです。」明鴉がデモンバルグが肩に担ぐ巫女に目を留めたが返事はなかった。隣に立ちすくんでいたシドラ(おそらくバラキも?)は打たれたように正気に戻った。
「デモンバルグだと?!」叫びと共にバラキの頭が射程の標準を合わせるかのようにすばやく動く。それを見たアギュは仙人を抱いたまま、両者の間に割って入った。
「理由があって行動を共にしているのです。攻撃はなりません。」
「どうして?!」
鴉もシドラもそしておそらくバラキもそう叫んでいたことだろう。
「いったいどうして、4大天使の聖域からデモンバルグが一緒に出て来るんです?」
それを聞くデモンバルグの顔に浮かんだのは耐え難い苦笑だった。



レイコの体に入ったデモンバルグが4大天使が自らの体に穿いた過去へのトンネルからアギュに抱かれて現れた時、何事にも無関心だった天使達の驚きも並大抵ではなかった。
『こりゃ、驚いた!思わぬ珍客!』『魔族との聖戦以来、2000年ぶりであるか。』
天使達のまどろむようだった口調がいっぺんに消し飛んでいた。そして、聖域に満ちた濃い次元が噴火する火口のごとく溢れ出る無限のざわめきで振動する。一つになっていた4大天使達の爆笑かもしれなかった。
『その姿、見違えたぞ・・・!』『目の保養とはこのこと!』
『コスプレ姿のオマエを見るとは、長生きはするものである・・・!』
「うるさい!」
巫女姿のデモンバルグは思わず叫んでいた。
「好きでしてるんでないさ!」
可憐な美女の白い頬が赤らんでいるのもまた一興である。

そんなデモンバルグは脇に押しやられ、巨大な天使達は思いつくままに口々に騒ぎ、おかげで気が付けば4つに別れてしまった程だった。4つとなった目映い光がアギュとレイコの回りをしきりに早く激しく回った後に、おそらくはアギュの記憶を読み取ったのだろう、再び天使達は大いに笑った。
『久しぶりだなデモンバルグ。何世紀ぶりにか、たっぷりと楽しませてもらった。』
小さく毒づいた巫女姿は何も発言したくない様子だ。
反対に4大天使達の方は、生き生きとした声と動き回るそのスピードに一つの巨大な光としての怠惰であった時の面影はまったくなかった。
声それぞれの個性も感じられ始める。
『なんと、我らの記憶の底は混沌に通じておったか。』『さもありなん。すべての生物が産まれた太古の海だ。天使や悪魔も同様であろう。』『しかし、驚いた、まったく驚いた。デモンバルグともあろうものが、女に油断して混沌に落とされたとは。』『いや、ほんに、デモンバルグといえども油断大敵ということじゃな。』『なになに、魔族とはいえ、少しは抜けたところもないと詰まらん。人気ナンバーワンの悪魔殿のことだ、これぐらいはご愛嬌さ。完璧な悪魔など憎々しすぎて、我々から見たら可愛げがないではないか。』『大方大切にしているあの魂と見間違えたのであろうよ。見え透いた簡単な目くらましであっても、愛しいものの前では隙が産まれるのも道理。』『その通り。このデモンバルグにとってあの魂はアキレス腱。その大切な魂と同一のものがあると言ったのは本当であっただろう?。』『真に本当であったな。悪魔も見違えるくらいじゃ。』『しかも神月にあると言ったのも、本当であったな。』
一つの光がアギュの前に止まる。
『どうやら・・・ちゃんと見つけることができたようだな。』
「はい、おかげ様で。」口々に渦巻く後ろの声にもアギュは丁重に頭を下げる。
「まだ、詳細はわかりませんが。」その魂は今は鈴木真由美の胎内にある。
入れ替わりに違うやや赤みを帯びた光が来る。光それぞれの色の差もあきらかに顕著になっていた。
『その手に抱いている生きた男の方は・・・この星の人間ではない。おまえと同じ出身の人間だな。脳の波長が少し違う。』
アギュはデモンバルグが入ったレイコの体を空間に降ろし、権現山の仙人と呼ばれた男を再び肩に担ぎ上げた。
「はい。この人も見つけることができました。これで・・・なんとかなりそうです。」
『では・・・もう、行くか』『うまくいくといいな』『この星の未来も動くかもしれない。面白くなりそうだ。』『まだ、我々が眠りに付く時ではないかもしれぬ。』
「はい。あなた方も眠りにつくなどとは言わずに、どうかもう少しご辛抱くださいませんか。地上はあなた方の救いをまだまだ待っている人間が大勢いるのです。あなた方の信仰を生きる糧にしている者達の為にも・・・」
『信仰を争いの種にする者達も大勢いるだろう』黄身を帯びた光のうんざりした声。
『我々はそれらを調整することにももはや疲れていたのだ。』
「もういいだろう!うるさいぞ、ウリエル!。おまえら、無駄話もいい加減にするさ。」腕組みした巫女が仏頂面で口を挟んだ。「さっさと出るぞ!こんなところ。」
『それにしても・・・デモンバルグよ・・・』
まだ4つに別れたままの天使達の矛先が向く。
『魔族でありながら、天界の我らの聖域にいてもなんともないとは、さすがだのう。』
『これだけの濃い空間に存在するだけでも腹の減る・・力のいることであろうに。』
『見やれ、汗ひとつかいていない。満腹のようじゃ。涼しい顔ではないか。』
『しかも、それだけではない。』『万物が産まれいずる混沌に落とされて傷ひとつないのだ。』『そうだ。それならばこの聖域ぐらいはものともせぬな。』『混沌とはおそらく、全てを飲み込むもの。元素まで分解し、熟成させて再構築させる絶対神のスープのようなものと我らは考察しているのだが。』『おそらくは、4大天使と呼ばれる我らであっても無傷ではいられまいに。』『生まれ変わる為ならいいかもしれぬぞ』『しかし問題があるだろう』『己の意識の底の底に横たわるのなら、おいそれと行くことも叶わぬな。』『なに、万物の底辺に流れるものだ。行こうと思えば、どこからでもいけるはずだ。私はまだ行きたくはないが・・・これから先が見たくなった。』
『そう、それに地上には、デモンバルグが落とされた入り口があるではないか。』
巫女の顔が更にまた赤くなった。天使達は今度はアギュに向く。
『デモンバルグを見るが良い。奴は高い波長も低い波長も意に介さないようだ。他星からの訪問者よ。』光の一つがアギュのすぐ前に来る。
『ということはだ。おそらく・・・彼は天使でもあるということなのだよ。』
『うるさい!ガブリエル!俺が弱ってると思って、いい気になるなよ!』
たまらず、デモンバルグが声を荒げる。
「俺は天使なんかではない!俺は恐怖を司るデモンバルグさ!」
ガブリエルと呼ばれた天使はその言葉を一切無視する。
『奴はおそらく・・高い波長も吸収することができるのだと思う・・・好んで恐怖を食べているだけで。』
他の光もアギュに群がり口々に囁く。
『だから・・・飢えることはなく、死ぬ事はないのかもしれない。』
『これはすごいことなのだよ。さすが最古の存在と自分を言うだけのことはある。悪魔と天使に分かれる前の特徴なのだろうな。』
『なぜなら、並の悪魔は高い波長は受け付けられぬ。弱い魔物なら死んでしまうよ。』
『逆に天使族も低いものは吸収すらできない。これも又生き残ることはできない。』
『デモンバルグを魔族と言うことは語弊がある。奴は純粋な魔族ではないのだ。』
『そうだ、悪魔というよりは天使に近い・・・堕天使というのが最も適当であろう。』
『奴の真実は聖と魔を併せ持つ、本物の堕天使なのだ、おそらくな。』
デモンバルグはそれら無責任な天使達のおしゃべりを口を固く結んで聞いて聞かないふりをしていた。ただし、彼の宿っている滑らかで美しい額に不快を示す皺が刻まれている。あきらかにいらだちはピークに達しているはずだった。
しかし、さすがに人の信仰の最高峰にある天使達である。デモンバルグを畏れることも臆する様子も微塵もない。光達がようやく言いたい事を尽くして、再び一つにまとまるまでは長い時間が掛かった。
ただそのまとまった内部の活動はかつてとは違っている。始めてあった時とは較べようもなくその内部が活発に動いていることが外観からも伺われた。
溌剌とした声がアギュに向けて発せられる。それぞれの楽し気な声。
『お前がここに来たおかげで早速、デモンバルグの秘密が一つ我らにもわかった』
『しばらく退屈はするまいよ』
『好きな時にここに遊びに来るがいい』
『我らはお前に深く感謝する・・・』
それら言葉に対して、アギュも4つの光に向かって心からの謝意を告げる。
「あなた方の推察こそ私にとっても大変興味深い話です。お礼を言うのはこちらの方です。」「けっ!」という呟きが聞こえて来たのは言うまでもなかった。


デモンバルグはどんだけ恥ずかしかったか。
「覚えてろよ、ちくしょう。恥じ掻かせやがって。」
聖域から出た瞬間、レイコの体から離れ本来の姿を取り戻したデモンバルグはアギュに怒りをぶちまけた。
「オレの言った通りだろ?オマエにとっても、始めての経験なはずだって。」
一瞬現れたアギュは相手にしないですぐに引っ込む。
「さあ、急いで神月に戻りましょう。」無表情に戻ったアギュレギオンをデモンバルグは尚も睨みつけた。「俺は遠慮するぜ。別の体を見つけないと竹本には戻れない。」
「じゃあ、さっさと見つけてください。ナグロスはダメですからね。」
アギュの腕には意識がない権現山の仙人が、遺体に戻ったレイコの体はデモンバルグの腕にある。
「なんなら、そこのミコの体をまた借りればいいんじゃないか。」
「粗略に扱われて破損したらどうするんです。」418が声を上げた。「これまでこの人が拝借していた神興一郎の肉体が毎度どんな羽目に陥ったか、あなた忘れたんですか。ユウリのお母さんの肉体に何かあったら、下手したらユウリは戻って来ないかもしれませんよ。」アギュはぐうの音も出なかったらしい。デモンバルグは内心、ざまみろと舌を出す。
「心配しなくても、俺っちもその体にはあまり入りたくはないさね。その体には何かが封印されているからさ。」
「封印?」「気づかなかったみたいだな。」相手の困惑に得意げに口が笑う。
「たぶん、その女を殺してあそこへ沈めた奴も気が付かなかったんだろうさ。」
あの魔族の女は盾の魂に気を取られて見逃したのだろうとジンは考えた。
「何が封印されていると言うんですか?」
「さあな。」ジンは目を細める。「お前の家にいる巫女の魂の前にでも連れて行けばわかるんじゃないか。封じたのはおそらく、あの巫女さね。」
デモンバルグは細い首にうっすらと残る細いヒモの後に目をやった。巫女は半死半生で混沌に沈められたのだろう。彼女が息を引き取ったのは混沌の中であったはずだ。魔族の女が盾の魂を手に入れる為にはそれしかあり得ない。巫女が先に死んでいれば、魂は渡の前世と同じように即座に新しい依り代を求めて肉体を離れたはずだからだ。
混沌を飲み込みながら意識を失う寸前、つまりはその命を失う寸前で咄嗟に自らの体に封印を施したのだろう。おそるべき精神力。さすが盾の魂の依り代となっただけのことはある。
「それならなおさら。」
アギュの声のトーンは低くクールになり、傍らを飛ぶデモンバルグに向く。
「アナタにも戻ってもらわないと。アナタは自分を陥れた敵にシッポを見せるつもりはないですよね。まさか、アナタとあろうものがあのままやられっぱなしで?」
そう言われてジンの顔は怒りに歪んだ。様々の屈辱が甦る(その中には先ほどの4大天使の前での赤っ恥の記憶も加わっている)。
「ちくしょう。ならば、このままでいい。あいつら・・・ぶっ殺してやる!」

スパイラルツウ-7-2

2010-06-05 | オリジナル小説


ガンダルファは唖然とした。
「ジン?」姿は忽然と消えている。
薄暗い玄関ホールは不気味さも荒れた感じも昨日となんら変わりはない。
足を出す度に床がギシギシ鳴ることもまったく一緒である。
ガンダルファことガンタは首を傾げた。
子供の声どころか、ほんの一瞬前に飛び込んだはずのジンも悲鳴を聞いたはずの香奈恵の姿もまったくなかった。
ガンタといえども、警戒のレベルが上がるのは仕方がない。
『ドラコ?ドラコ・・・』相棒ともコンタクトが取れなかった。アギュ、アギュがいてくれたら。シドラでもいい。おっきくて空間に納まらなくてもバラキが付いていれば心強い。タトラでもいい。
ガンタは階段ホールの方に首を回す。誰かが倒れていた。
女性だ。しかも、見覚えのある浴衣を着ている。
「ひょっとして・・・鈴木さん?」前に投げ出された白い手首におっかなびっくり手を触れる。暖かい。脈も確かめる。顔を近づけて伺うと相手が呼吸をしているのがわかった。「良かった・・・死体じゃなくて。」
体に手を回しうつぶせになっている体を仰向けにした。手に当たる長い髪は湿気を帯びて冷たく重い、その冷たい感触が生々しかった。男なら誰でも生唾を飲みかねないその着乱れた姿も、残念ながら警戒したガンダルファにはさっぱり通じなかったようだ。手にまとわりつく髪の感触を薄気味悪く覚えたガンタが思わず、「ワカメみてぇ」と、色気のない感想を漏らしたところで相手の口からうめき声が漏れ始める。その顔をまじまじと見る。
「あれ?なんだ、行方不明の人じゃないの?・・・そうだ、確か、この人は・・・飯田美咲・・さんだっけ?」
ガンタは薄暗いホールから彼女を抱え出そうと腕に力を入れた。
もっとよく顔を確認したい。まずは、それからだ。
『ちっ!妊婦さんはどこにいるんだろ。それにしてもこの人、なんでこんなとこにいるんだ?竹本にいるはずなのに。それにジンはどこにいったんだ?ドラコまで・・』
耳に微かな声が捕らえられる。「・・・痛い・・・」女が意識を取り戻したようだ。
「気が付いたかい?」ガンタは腕の中に目を移した。
「君は飯田さんだよね?いったいどうして、こんなところにいるんだ。」
腕の中の美咲はまるで男に見せるように仰のけた顔を左右に振った。
「誰かに・・・殴られて・・・頭が痛いわ・・とても」
しかも、耳を寄せないと聞き取れないくらいにか細い声だ。
このままじゃラチがあかんと、腕に女を抱えたガンタはよっこらせと立ち上がる。「とりあえず、外に出るからね。」
女の軽さにさすがに保護者意識に囚われて、注意が逸れる。数歩戻った玄関ホールの暗さに気が付いた時、ガンタもさすがに戸惑った。開け放しだったドアが閉まっていたのだ。
「いったい・・・誰が閉めたんだ?」
呆然とするガンタの肩に飯田美咲の震える手が縋るように回された。
「怖い、助けて。助けて欲しいの。」
「いったいここで、何があったんです?」警戒レベルが高まって行く。でもその警戒はあくまで周囲に向けられている。ここにはまだ他に誰かがいるのだろうか。
「飯田さんはジンを・・・宿に泊まってる人です。見ませんでしたか?ここに入っていったはずなのに。」美咲はガンタの肩で首を振った。ガンタは油断なく辺りに目を配りながらホールの真ん中をドアに向かって歩いた。
「香奈恵も・・・宿の娘ですけど。見ませんでしたよね。声がしたと思ったんだけど。」確信がない香奈恵はともかく、ジンの奴はいったいどこへ消えたのか。
「あっ」とガンタ。消えるって・・消えてみせろって自分が言ったからなのか?。
悪魔である証明に。「いやいやいや。」自分ですぐに否定。
「それじゃあ訳がわからないだろ。」
「・・・なんの意味がわからないの?。」気が付くと女の唇がすぐ側にあった。

スパイラルツウ-7-1

2010-06-05 | オリジナル小説


         7・混沌の海を越えて


香奈恵はドラコにしがみついたまま、手を伸ばした。
「ジンさん!」
(ダメにょ!精一杯にょ!)
ドラコはにべもない。(デモンバルグは大丈夫に決まってるのにょ)
ドラコはヒレで意識のない鈴木真由美を支えている。
(それににょ、この場所の底に沈むのは危険だとドラコは思うにょ。とりあえず、上に上がるのがいいにょ!)
「上に上がったって、どうなるのよ?」
(窓から脱出するにょ)
「あの穴?、変な女が見張ってたじゃない!」
(ドラコには~どうにかなると思うのにょ~)

デモンバルグは遠ざかるドラゴンを見上げていた。
ドラゴンに掴まる香奈恵の姿がどんどん遠ざかって行く。ジンの目には真由美の膨らんだ腹部が光り輝くのが見える。今はあそこにある、似たような魂。
光は遠ざかって行く。まんまと騙された。ジンの唇が笑う。
そして反対にジンの体は沈んで行く。
『ちくしょう、俺としたことが!』何一つ、触るものもない無限の混沌が重く暗く広がっている。目に入るものもなくなった、無限の闇。
(混沌に溶けて消えるがいい!)黒皇女のあざけるような声が頭に響いてくる。
『冗談じゃない!』ジンはそれを振り払う。
『溶けてたまるか!俺は天下のデモンバルグさ!世界の創世から生き残って来た魔族さ。剣と盾を併せ持つドウチなんさ!』
おそらく、この死んだ肉体に入っている限りはデモンバルグの意識が混沌に流れ出す、それはありえない。黒皇女の言葉が正しければだ。
「肉を持たぬものが溶ける混沌だとっ、くそっ!」思わず叫ぶ。「そんな馬鹿な!」
この肉を捨て去れば、ひょっとして活路が開ける可能性はある。
しかし。
この重く淀んだ混沌と呼ばれるものが、自分にどういう作用を及ぼすかはデモンバルグにも自信がなかった。『ゼリーいや、融かした片栗粉のようなものか。熱くも寒くもない・・・でも、あの魔族の女は焼かれて半死半生になったんだった・・・酸に溶かされたみたいになってさ・・・どういう理屈なんだか。まったく、陰気くさい場所だぜ。」しかしそうなると、うかつに外へ出るわけにはいかなくなる・・・と、いうことは嫌な予感が浮かんだ。この肉に永久に閉じ込められたままになってしまうというのか。重い死人の肉は下へ下へと沈んで行く。
浮上することは叶いそうもない。
沈むとともに水圧のように更に重い空間が回りから迫ってくる。肉が回りから圧迫されてしまっていくのを感じた。骨がギシギシとなる音を聞きながら、デモンバルグは絶望的な予想を巡らせた。まさかこのまま、押しつぶされて行くのか?
彼を乗せた肉の船は終いには圧縮された肉の塊に成り果てる可能性が過った。
すると死体のではない悪魔の目に真下の方から見覚えのある装束を纏った人体が漂うように近づいて来るのが見えた。「こんなところにひとがた?女か?」
圧縮されてないということは生きた人体なのか。ジンが近づこうと努力するまでもなく、ジンの乗った肉塊はなんなく側へと落ちて行った。
やがて、広がった髪の中に仰向いた白い顔が見える。
それを見た瞬間、デモンバルグは電撃に打たれた思いがした。
「盾の巫女・・・!?」
いや、そんなはずはなかった。これは・・・すぐに合点する。
色のない混沌のなかでは濃淡にしかわからないが、女の纏っている衣装はおそらく白い着物に緋の袴。巫女の装束に間違いない。
「あはは、なるほどこりゃね。巫女は巫女でも・・・」
ジンは縮んで行く肉の船の上で、混沌を飲み込みながらもむせび笑った。痙攣に似た衝動がデモンバルグをジンの肉体と微妙にぶれさせた。
「こんなところにあったとはな。見つからないはずだ。」
はみ出した悪魔の本体は尚も船にしがみつきながらも、声を詰まらせる。
「これが・・渡の大大叔母さんの遺体ってわけだ・・!なるほどさね・・・盾の魂を持っていたのがこの叔母さんだったと。遺体はここに、混沌に沈められていた・・・だから、魂魄の片方が彷徨っていたってことなのか・・・剣の魂が竹本の血縁に惹かれたってのも・・・あがなちあの蒼い光のせいだけじゃなかったってわけさね・・・こりゃ、おかしいや!」
はみ出した本体の口から、声を放つと多数の泡と共に血のようにエネルギーが溢れ出る。しまった、早くまた肉体に入らなくては。しかし、随分と縮んだ肉塊はデモンバルグ自体の容積を超えてしまいそうだ。デモンバルグは小さく潜り込んで尚も肉塊にとどまろうと試みる。俺も溶けてしまうのだろうか。次第に意識がぼんやりとして来るのを叱るように引き締める。自分と言う認識がぼやけ、輪郭を失い丸くなって行くようだ。そこは自分がかつていた場所。遥か、遥か古代のどこかで・・・自分が産声を上げた場所なのか。聳える輝きわたる塔。白い船。
走馬灯のように過去が頭に溢れるのは人間だけではないのか。
『ちくしょう・・・まさか・・・いや、一か八かさっ!』
デモンバルグは追い越しざまに大大叔母の身体に飛び移った。
ジンの面影を失い、人体の形も崩れつつある醜い塊が真下へと落ちて消えた。
「この叔母さんは沈まないし、縮まないみたいさね・・・?なんでなんだろう・・・盾の魂が入っていた容れ物だ・・・丈夫らしいさ。」
デモンは居心地悪く、女の身体に潜り込んだ。
『なんだ?この違和感は・・・』
悪魔たるもの女の体に入ったことがないわけはない。正確には彼等には性別などない、と言うのが基本である。男悪魔であったり女悪魔であったりすることは、完全にそれぞれの嗜好が関係している。この世界への出現の仕方というならば魔族や天使族の親から産まれ落ちるというものは少ない。突如、意識を持ってこの世界に存在していたことを認識するのだとでも言えばいいだろうか。勿論その瞬間は彼等は無性であり、同時に両性でもあると言えるのがこの『果ての地球』独自の次元生物であるとアギュレギオンが推定している彼等だった。
デモンバルグは細心の注意力で自分が仮宿として選んだ体を内側から探っていった。
そして今は冷たく凍えた子宮の片隅に遂にその違和感の原因を発見した。
しばしジンはその固いしこりを当惑を持っていじくり回していた。
『なるほどさぁね・・・。』結果、それがパンドラの箱であるのかもしれないとデモンバルグは結論ずける。『この体が沈みもせず、混沌に壊されもしない理由がわかったぜ。盾の魂が鈴木真由美の胎児に移った後なのにさ。この巫女の女はすげぇな。寛大と言うか、本家の盾の巫女にも匹敵するお人好しぶりさね・・・こんなものまで内に飼っていたとは。こいつは・・・・こいつがこの体を守っていたわけか。』
寝た子は起こすな。ましてこの狭い体の中でこいつと共存するなんて言うのはまっぴら御免だった。デモンバルグはその存在は無視を決め込むことにする。
生きた細胞であったならデモンバルグのエネルギーに感応させて彼の思いのままに配列を変えることもできる。そうやって今まで彼は神興一郎というアジア人を作り出してきた。しかし、細胞のひとつ1つが呼吸を止めた死体では外観を選ぶ事などはできない。この巫女の外観のままでいるしかなかった。
『まったく因縁話だぜ。俺も忘れかけたぐらいの古代に・・・盾の巫女の自滅を静観していた俺がさ・・あの巫女に酷似したさ、こんな体に押し込められるとは。しかも、ありがたくもない居候がいるときた・・・』
デモンバルグには己の膨大な過去を振り返る時間が今やたっぷりある。
無限といってもよい。そのことはさすがにデモンバルグを少し落ち込ませた。
その時だった。レイコと呼ばれた肉体を纏ったばかりのデモンバルグであったが、彼の超魔族としてのアンテナが遥か下から浮上してくる何かを認識し始める。
『まさかな・・・遥か底まで溶け出した俺の意識が俺に何かを伝えようとしている・・・なんてわけはあるまいが・・・こんなところに何がいるっていうのか?。今度こそ・・・敵か味方か・・・一難さってまた一難さね。』
そう思うと、デモンバルグは広がる黒髪を両手で分けて見開いた巫女の目をきびしく凝らした。しかし、暗闇があるばかりで何も視界には写らなかった。随分と。悪魔にとっても随分と長い時間が経過したように感じられた。
やがてやっと、揺れる不透明なうねりの底が微かに判別できるようになり辺りがぼんやりとわずかに蒼く光り始めた。その光は次第に強くなっていく。
悪魔に動悸があるとしたらその心臓はそれは激しく振動していたことだろう。
『あの屋敷に入った瞬間から、俺の感覚は狂わされていたみたいだが・・・まだ、戻らないのか? そんな・・まさか・・・この気配・・・?』
デモンバルグは近づいて来るものが蒼い光体であることを認めた。
自分が深く安堵したことに思わず、デモンは笑っている。
『さっきからまったくさ・・・まさか、まさかの連続さねぇ。こんなに生きているっていうのに・・まったく退屈しないさね。だから悪魔は辞められないってかさ。』
ほどなくデモンバルグの意識は巫女の肉体ごと蒼い光に包まれていた。

「これは、これは。」
アギュレギオンの口調はひどく驚いた為におどけた口調になってしまった。
「デモンバルグ・・・ですよね。そんな身体で・・・どうしてここにいるのです? その姿は、いつもよりは趣味がいいですね。」
アギュはかつて知る面影に似通うレイコの顔を複雑な気持ちで見下ろす。
「・・・おまえこそ、なんでここに。」
レイコの肉体は戸惑いを隠すこともできずにアギュを見上げた。
二人の視線が再び合致する。
いまや巫女の体はアギュの腕にしっかりと抱かれている。その体と放つ光にしっかりと包まれた安心感、凍えた死体の中に納まった悪魔の体をも暖める体温をジンは触れた掌から感じている。癒されたなどとは口が裂けても言えない。
ジンは色の褪せた唇を噛み、切れ長の瞳で睨みつけた。
「俺だって好きでこんな身体に入ってる訳じゃないんさ。」
「じゃあ、どういうわけで?」
ジンはその質問は無視した。悪魔にも言いたくない、恥ずかしい時もあるのだ。
「そんなことより、蒼い光野郎。お前は宇宙人なんだろうが?。それが、どうしてここにいるんだ? まず、それを答えろ。」
「それがあまりにも荒唐無稽で・・・話しても到底信じてもらえるかどうか。」
アギュはジンとの顔の近さに閉口していた。愛するユウリに酷似する顔。かつて知る顔よりは老成し、揺るぎのない意志を刻んでいるがまだ若々しく美しい。
小柄ではあったが、子供を産んだことのある成熟した豊満な肉体は薄い夏物の着物一枚に包まれてアギュの体に密着しているのだ。
ジンも状況に苛立っている。なんだよ、これ。傍目には恋人同士の抱擁じゃないか?。ジンの口調は思わず噛み付くようになる。
「お前さ、ここが『混沌』だと知っているんだろうな?!」
アギュの口調が変わる。
「フン!今、オマエの記憶を読んだぞ。」口元はバカにしたように歪んだ。
「ムカシのオンナに足下をすくわれたな。黒幕はもう一人のマゾクのオンナだな。戦前からこの辺りに巣食っていたマモノだ。ソイツの陰険なやり口はじっくりと拝見してきたぞ。手出しができないことがはがゆいばかりだ。」アギュの蒼い瞳が暗い深みを増す。「ソイツがナグロスとレイコを陥れたヤツだ。」
デモンバルグはよくわからず沈黙していたのだが、驚いたことに別の声が答えた。
「それよりもです、ここは混沌と呼ばれるのですか・・・興味深いところですね。あまり健康に良さそうな場所ではないけれど。・・・ああ、カナエもここにいるんですか。でも、ドラコが付いてるから大丈夫でしょう。アトで見つけに行きましょう。それとも、もう脱出しましたか?・・」「うまく脱出したようだな。」「それは良かったです。ここでは肉体が容れ物として機能しているようですからね、もう一人の女性もおそらく後遺症はないのでしょうね。ただ・・・戦前からここにいるというその魔族の女が今だに上で見張ってるとしたら・・・結構、やっかいなことになっている可能性があります。加勢にいかなくては・・・ですね?。」
「すぐに引き返して、オレが助けにいくさ。」アギュは息を吐いた。
「おまえは・・・おまえはいったい・・・なんなんだ?」
アギュに包まれ支えられた今、すべてを言い当てられたデモンバルグは少し、本来の不遜な態度を失ったようだ。しかも、その言葉を放つのは今は流れる黒髪も美しい、たおやかな巫女姿なのだからまったく迫力がない。
恐怖を司るデモンバルグとしては、面目丸つぶれの思いだった。
「ここはさ・・万物が産まれ来る場所、混沌なんさ。まず普通に来れる場所ではないはずなんだが。いったい、あんたはどこから来たのさ?」
「フフン、これもジゲンの一種だからな。」アギュは嘯く。「イマは見つけられなくてもオレのリンカイが進めば、いずれはジリキで探知したはずだ。このホシのジンルイ達の集合意識が作り上げたジゲンのソコがここだ。ここは一番波長の低い、ソコの方に当たるな。」
底?デモンは内心当惑する。自分は確かに上から沈んで来たのではないのか?
アギュよりも、もうちょっとだけ親切な418が説明を始める。たとえ相手がデモンバルグであってもかつて愛した相手の親の肉体に入ったからには,邪見にできないらしい。
「私達は過去から来たんですよ。60年前の記憶から。渡の大大叔母さんの死体がここにあるのがわかったんで回収に来たんです。これがあれば、彷徨う叔母さんの魂を分離できるんじゃないかと思いましたんで。」カプートと呼ばれた418が微笑む。
「ここが混沌と呼ばれることは始めて知りました。」4大天使の記憶が最終的にここに繋がっていたとは彼としても驚きであった。彼等、天使達にとってもここは産まれいずる場所なのだろうか。
「まあ、そんなわけでずっと・・・色んな過去を見て来たわけです・・・」
デモンバルグの歴史をというところは割愛した。
「さすがにちょっと疲れましたけどね。」
「そうか?オレは全然、疲れてないぞ。」アギュが口を挟んだ。「疲れたなら奥で寝ていろ。外へ出たら、何かありそうだからな、オマエだって感じるだろ、もめ事の気配だ。そのマゾクとかいう奴らをぶっ飛ばせばすべて解決するじゃないか。ワクワクするぞ。」
腕の中のレイコの身体をぐっと引き寄せる。
「気色悪いけど、オマエも助けてやる。レイコの体に入ってるから、仕方なくだ。恩に着ろ、アクマ。」
「おまえは・・・光・・」デモンは確信した。「やっぱり1人じゃないんだな。」
「今頃、わかったか。バカめ、ニブいアクマだ。テンシの方がずっとものわかりが良かったぞ。」
「天使?」ハッとした。「まさか、おまえら天使にあったのか?・・・4大天使か?」
「まあな。」
「はあ、なるほど。過去を司る奴ら・・・ってか。あいつらいつの間にそんな力を得たのか。」
「何千年も高カロリー食を食べたからじゃないですかね。」
「引っ込んでろ、カプート。」
再びデモンバルグにはあずかり知らぬ名前を口にする。
アギュはレイコの肉体を抱えて上昇を・・・いや、底に向かっての下降なのかどちらかを始める。
「見ろ、ナグロスがいるぞ。」
「権現山の仙人さ・・・。ナグロスというのか・・と、言うことはこいつもやっぱり宇宙人なんさな・・・」レイコが呟く。かつて御堂山で遊民ギャングに宇宙人呼ばわりされた時に仙人は無言でいたが、あえて否定しなかったことを思い出す。
「こいつまでここに沈んでいたとは。」
「生きてる体はそんなに沈まないんだな。」
アギュは取り合わず、無造作に身体を引き寄せた。
「壊れることもない。レイコとナグロス。本物の恋人同士だ。」
仙人と呼ばれた男の目はもはや虚ろであり、蒼白の顔色は土気色に近い。
死体の方がまだ生きがいいとジンは顔を顰めレイコの体を仙人から遠ざけた。それに構わないアギュは男の体も抱えるとやつれた顔をしげしげと眺めた。
「老けたな。」アギュが容赦なく断定する。
「さっきまで若いのを見てたから余計に感じるんですよ。」
「仕方ないだろ。人間は年を取るんだ。」自分でも思いがけず、デモンが反論した。「すぐ、死んじまうんだから仕方ないさ。」
「・・・ホントにそうだな。」
アギュが大きなため息を付いたので、デモンバルグはレイコの口をつぐんだ。
哀しみが籠っていたからだ。臨海進化体の事情を悪魔は知らない。
「とりあえず、コレも連れて行くか。」
「おい、どっちに行くんさ?」悪魔ですらぐるぐると感覚が麻痺して来る。
「上がってるのか、下がってるのか、今はいったいどっちなんだ?俺にも頭がこんがらがって来たさ。」
アギュレギオンは仙人とレイコの体をまとめてグイと引き上げる。仙人のひげ面とと肌が触れ合ったデモンバルグはレイコの体の中であがいた。
「もっと丁寧に扱え!」
「お前らは元フウフだ。引き裂かれたフタリがキセキの再開だ。仲良く、大人しくくっついてろ。」
「冗談じゃないぞ! こいつ、髭をちゃんと剃ってないじゃないか!」
「スコシのアイダぐらい我慢しろ!」
デモンバルグが抗議するが、それに構わずアギュは光度をあげる。混沌のうねりが潮流のように流れる以外は何も見えない、感じられなくなる。
「面倒くさいモノを二つも抱えて、悶着はごめんだ。」
アギュがデモンバルグに聞かせるでもなく言葉を吐く。
「オマエは知っているか?この中はジカンが流れてないんだ。」
動いている実感はほとんどない。しかし、混沌は次第に澄み色が変わって行く。それと半比例するように辺りには、何かわからない金属音が高まっていった。テープの早回しのように流れて行くものは音であるのか、映像であるのか。辺りはどんどん騒がしくなり、手に触れられそうなほど濃い密度の喧噪がいくつも現れもつれ、解けるように渦巻いてあっと言う間に後方に遠ざかって行く。
「アクマ、面白いものを見せてやる。オマエが落ちたとこに戻るのも楽しいが、もっともっと面白いデグチがあるぞ。多分、いくら長生きのオマエでも始めてのケイケンだろうよ。楽しみだな。オレに感謝するがいい。」
アギュは呵々かと笑ったが、その声は音の洪水の中で悪魔の地獄耳でも聞き取るのがやっとだった。