MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

月夜のフライング1

2008-05-26 | オリジナル小説
大きな満月の夜だった。



電車が止まった。
乗客は急停車にとまどう。
もちろん、酔いつぶれてる人々は何も気がつかない。
寝ていた者は面倒くさそうに頭を上げた。
車内はひと時の不安な沈黙を共有する。

[・・失礼いたしました・・]
[・・踏切内に人が立ち入りました・・ただ今、車掌が確認に向かっています・・]

ざわめきが広がる。
窓の外に荒い砂利を踏んで走る音。
若いグループがひそひそと話しだす。

[・・えー・・ただ今、人身事故が発生しました・・]

ついに、車内ははっきりと目覚めだす。
注目が車外に集まるが、照明に照らされた暗い窓には疲れた乗客の群れが映るばかりだ。
困惑と不安。神経質な笑いがあがるが、すぐに止む。

[・・えーっ、ただ今、レスキュー隊を要請しています・・・えー、レスキュー隊到着まで今しばらくお待ちください・・]

急に生き生きしだす者達もいた。
退屈な一日の終わりを打ち壊す、ささやかな興奮。
「見に行くか!」車掌の足音を追って隣の車両に走り出す。
物見高い若者達に眉をひそめる大半の者は居心地悪そうに身動きする。

[・・えーっ、ただ今、足が挟まっております・・足が挟まっております為にレスキュー隊を要請しています・・]

「えー、壮絶!」「そこまで言う~?」
車掌達だけでは、この荷は重すぎると思ったのかもしれない。それとも悪趣味な重荷を分かち合うことによって、乗客に状況を納得させようとの職業的判断か。
案の定、車内の騒音はピークに達する。
「なんだよ~まったく」「中央線って多いよね。」「知ってる、三鷹の踏切でしょ?」
「この前もさ、あったじゃん?」「俺たち、遭遇率高くない?」「やめてよ~」
「ホラーだよな。」「それを言うなら、スプラッタだろ~が」「バカ、罰当たり!」
どこか他人事のかしましい音声が車内に満ちて行く。
「こりゃ、当分、動かないな!」
ほろ酔いの気味のサラリーマンが誰ともなく大声で断言する。
乗客の力が抜けていく。長期戦の構えへと。


困ったことになった・・と頼子は思った。
実はトイレに行きたい。
ずっと行きたかった。この電車に乗った時から。
今夜の新宿ロフトでのライブ。お気に入りのバンドにノリノリになって、友人二人と打ち上げをした。気持ちよく飲んで騒いで、ホームで別れた。
トイレは居酒屋で行ったのが最後。気がついたら、時間がなかった。
なにせ、最終の特別快速だ。
次からは各駅しかないとあれば、多少の無理をしても乗りたい。
乗って正解のはずだった。
頼子の降りる駅は順調ならば新宿から25分程。
その程度ならなんとかなるだろうと、タカを括ったのが運の尽きだった。
あと1駅。なんで待ってくれなかったのか。
『ばかばか。死んだって、成仏させないぞ。』
友達と流し込んだ6杯のチューハイが頼子の膀胱を激しく攻撃し始めていた。
なんとも恨めしい。
ドアの側でもじもじと足を組み替える。ボックスタイプの鞄に手首に何重にも巻き付けたブレスレットが当たる度にジャラジャラと鳴った。
どうみても周りの人はそれぞれの手持ち無沙汰に没頭しているようだ。
こんなハメに陥っている人間はおそらくいないのだろう。
視線はむなしく非情開閉装置を彷徨う。開けちゃう?そんな馬鹿な。
できるわけなんかない。
我慢するしかなかった。
心持ち冷気の排出口から身を遠ざける。
最大我慢をした記憶は中学生の頃、帰省中の高速で渋滞に巻き込まれた時だ。
あの時は死ぬかと思った。でも、なんとかなった。しかし、今回は?。

まさに、ピンチだった。

「まだ、かなーっ!」
後ろで声がした。振り向くと混んだ車内を縫うように女が歩いて来た。どうみても水商売のような派手なスーツを着ているがおそらくは素人だろう。
かなり酔ってるのがわかった。
人々はブツブツ不平を言ってる彼女に道を開ける。床の荷物を跨ぐ度にブランドのバックが揺れる。ミニから突き出たストッキングの足は長く美しい。
頼子の近くまで来た時、女は長い髪を邪魔そうに掻き揚げて外を伺うと、おもむろに閉まってた窓を開けた。生温い車外の熱気が風と共に入って来る。前に座ってるおじさんの顔はちょっと迷惑そうな嬉しそうな顔。胸が頭髪にぶつかりそうだった。
「ああ、お兄さん、車掌さん!」嬉々として叫んだ。
「まだなの?まだ動かないのー?」
どうやら外に車掌がいるらしい。ちょうど頼子の角度からは見えない。
「あたしさー、おしっこもれそうなんだけど!どうしてくれるのー?」
頼子は度肝を抜かれる。誰もが彼女に注目している。
顔を背ける男性。笑いを殺すのは女性。
彼女と車掌の交渉は続いてるようだった。
「待てないって。ここでするー!」
頼子の気持ちは羞恥から羨望に変わる。
「・・後部まで、来てください。」
今度は外で声がわずかに聞き取れた。
「はいはい。」と彼女は後ろに歩き出す。頼子は一瞬、迷うが気がつくと後を追っていた。
「私も。行っていい?」
振り向いた彼女は人のいい酔っぱらいの顔でニヤッと笑う。自分とそんなに年齢は変わらないと頼子は判断した。
「いい、いい、来なさいって!良かった仲間がいてー。」
気さくに女は頼子の手を取る。二人は2つの車内を通り抜けた。
乗員室に導かれる時に後ろにもう一人いるのに気がついた。
おしゃれな若い男。遊び人風とでも言えばいいか。
「何よ、あんた。」
「俺もしょんべん、つれしょん、しよー!。」彼も酔っている。
ヒソヒソ「誰?知ってる人?」「ううん、全然。」
「気をつけて降りてください。」
ドアを開けた車掌が後ろから声をかけた。
「この列車にはもう乗れませんけど、いいですか?」
「え?。」とにかくトイレに行きたかったので頼子はうなずく。
「なんで?どうしてよ!又、戻ってくるわよ!当然でしょ。」お水風は憤る。
「お戻りになるのはあぶないんで、できれば次の電車にお乗り下さい。」
「次って、各駅じゃないの!ただでさえ遅れてるのにさ、これ以上、遅く帰れって言うの!」
「そうだよ~、俺たちだって被害者なんだよね~。お互い、迷惑は一緒じゃないですか~!」男も口を揃える。「次の各駅、高尾まで行かないですよね~!僕、帰れないですよ~!お願いしますよ~車掌さ~ん!」口数が多いだけではない、甘えるのがうまかった。おそらく年下、一人っ子か末っ子と頼子は踏んだ。
根負けした車掌はため息をつくと、さっきから鳴りっぱなしの呼び出し無線に手を伸ばした。
「・・・なるべく、早くお戻り下さい・・」
頼子自身は各駅でも構わなかったのだが、余計なことは言わなかった。
「大きいのじゃあるまいし、そんなに時間かかんないわよ!」
「どうせ、すぐは動かないって。余裕、余裕!」
一刻も早く、駅に行きたい。



降り立った時に、ようやくサイレンが聞こえだした。
「あちらの駅まで引き返してください。」
車外にいた車掌が近寄ってくると、指し示した。
電車の先頭の方をしきりに気にして、落ち着きがない。

振りかえるとさっき通過したホームが思ったよりも近くに見えた。
「あーっ、しょんべんしてーえ!膀胱、パンパンだろっ?みんな!」
「あんたなんか、その辺でしなさいよ!駅まで行く必要ないでしょ!」
「嫌だよ~こんなギャラリーの中じゃ!はっずかし~ぃ!」
「離れて歩こーね!」お水風の彼女が囁く。
砂利に足を取られて、ヒールの彼女はよろめく。
頼子は思わず肩を貸す。思ったより、軽い。
「あ、見て。」「パトカーが来た。」
回転灯が点滅している。

遊び人風はそちらから眼が離せない。
「・・死んだのかな?」
「死んだでしょ。」お水風がすっぱりと。
「そんな状態で生きてる方が怖いですよね。」
車内アナウンスを思い出し、頼子は身震いする。
「仏さん、見た~?どこにいんだろ~?あの辺だぜ、きっと。俺たちの乗ってた車両の下だったりして・・」
「ぎゃー、やめてよ!酔っぱらい!ちびるでしょ!」
お水は遊び人に蹴りを入れようとしている。もつれる3つの影。
「お客さん、足下あぶないですからふざけないでくださいよ。」
遠くからこちらを気にしてた車掌は、そう叫ぶと回転灯の方に走って行った。
「怒られちゃいましたね・・」
「はーい。すみませんってね!」遊び人は足早になる。
「マジ、漏れそうだっての。」賛成。



ホームの端にたどり着くと、何人かが止まった電車と救急車を見るために集まって来ていた。
運転手から連絡があったのか駅員が立っていた。
歩いて来た彼らに注目が集まる。
「あちらです。どうぞ。」
「俺らしょんべんしに来ました~!」遊び人が叫ぶ。
トホホ、恥ずかしいって。女同士は身を寄せ合う。
「あれ、あれだろ、あれ!」
酒臭い親爺が走り寄って来た。
「ありゃ、飛び込みだろ?飛び込み!」
溌剌としている。
「ご想像にお任せします。」
口ごもる頼子と対照的にお水風彼女はOL口調で整然と答える。
かわすなり走り出す。
頼子も慌ててその背中を追う。
「そうだよな、兄ちゃん!おりゃ、飛び込みだと思ったんだよ!」
「邪魔だよ、オヤジ!どけって!」
遊び人と親爺の攻防が耳の端にわずかに残った。


飛び込むなり、荒っぽくドアを閉めた。
ジッパーを降ろすのもまどろっこしい。
緊張して汗をかいている。
我慢していたから・・すぐには出ない。
心臓がドキドキする。
やっと。
・・感じる。
痛みと熱。
フーッと全身でため息が出た。
全体が弛緩して行く。
単純だけど至福の瞬間。
『ああ・・私、生きてる・・』そんなことがふとよぎる。
ほんの少し前に(多分)死んだ人がいるってのに。
『生きてる・・』
この感覚、すごくリアル。
たわいもない、つまんないことだけどと膝を抱えた。
不覚にも涙が滲みそうになる。


「大丈夫?」ノックの音が遠慮がちに響く。「具合悪いの?」
「大丈夫です。」慌てて流して外へ。「ごめーん。」
お水風は影を潜め、酔いが醒めて来た素面の彼女が覗いてる。会社ではできる人なんだろうと頼子は思う。
「遅いからさ、心配しちゃった・・あんなことあったから。あなたデリケートそうだし。」ほんと?そんなこと言われたの初めて。私をかなり年下にみているのかな。
「おトイレしたら、なんかほっとしちゃって。」「ああ、わかる、わかる。」
「つまらないけど、生きてるなって思って・・」
しゃべりながらホームへと戻る。
「それわかる。俺も、俺も。」遊び人風がトイレの外でタバコを吹かしていた。
「ちょっと何よ、なんでいるのよ。」
「すっきりしたーっ、俺も。生き返っちゃったよな。抜群の放尿感!」
「ちょっと一緒にしないでよね!」
「なんかSEXに通じるってーの?」
「ギャー!下品、やめろー!変態!」
「えーっひどいなぁ、傷ついちゃうよ。」
「もう、放尿男は放尿終わったらさっさと戻ったら!」
「だって、俺たち仲間じゃん」他人じゃん!と頼子。
「一緒に帰ろーよ」
頼子は急に恐れをなす。「また、あの列車に乗るの?」
「いいんじゃない?だって、最後の特快だし。あたし、全然、平気。」
「血に塗れた呪いの電車だけどね~」
「止めてよ、もう!」
「俺たち、パイオニアなんだって。ほら、後に続く者が出た!」
中年サラリーマン二人が連れ立って線路を歩いて来る。
酔っぱらい親爺に捕まりそうになるが、うまくかわしトイレに走って来た。
「よう、ねえさん達!」
「もうすぐ、動くみたいですよ。」
線路の彼方は色とりどりの灯りが揺れている。
人の命ははかないね。

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