MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

ローズマリー・ブルー 10

2010-10-02 | オリジナル小説



「伯母さま、お世話になりました。」
ラモンは足下に横たわるロシフォード婦人に囁いていた。
それからゆっくりと婦人の寝室の枕元に置かれた人形の方を伺う。
怖いわけではないが、長年の習慣だ。
ラモンはもともと人形などというものは好きではない。
特に精密な人型を模したものには独特の薄気味悪さを感じている。
そんなものに熱狂し奉仕するかのような女達の気持ちはまったくわからない。
どうやら先ほどからロシフォード婦人の行っていた人形の衣替えは終わったらしい。
硝子にまみれた服を着替えたローズマリーは今度は深紅の衣装に身を包んでいる。上等のシルクを幾重にも重ねた柔らかな生地のフードや襟には本物の雪豹の毛皮が縫い付けられている。この服だけで何人もの労働者が何ヶ月も暮らせるに違いない。彼はローズマリー専用の豪華な衣装ダンスも心からの軽蔑を持って眺めた。この人形は大金持ちの叔母に匹敵するほどの豪奢な衣装道楽として知れ渡っているのだ。
その隣に並んだ硝子棚にはローズマリーが所有する数々の小物類・・・専用の茶器セット、ディナーセット一揃い(それらはロースマリーの大きさに合わせて造られたマイセンの特注品)、アクササリー類(本物のダイヤやルビー!)ローズマリーが遊ぶ為の玩具の犬や人形や一ダースの小型の絵本(中身もちゃんと印刷されている)まである!。人形専用の椅子とベッドもあった。
たかだか人形にどれだけの金をかけることといったら!馬鹿らしいったらない。
その半分の金も甥である自分には恵んでくれないのだ。
この人形の目がまたとないサファイアだとしてもだ、とデモンは顔をしかめる。
その点が唯一、ラモンがこの人形が存在し大切にされる言い訳として認めている点だった。でも、彼自身だったらばせっかくの原石を二つに割って人形の眼球などには絶対にしないだろうが。
例えばだ。この両目の宝石が奪い取られてしまったとしたら。
もはやこんな陶器に塊にどれほどの価値があるというのか。
所詮、布と土塊にすぎない。
借金塗れで自殺した父親の顔が浮かぶ。
父親はあのロシフォード氏の実の弟だった。
祖父の財産の大半はローズマリーと共に長兄に譲られ、はした金の遺産しかもらえなかったラモンの父親はそのなけなしの遺産も事業で失敗して失い、そして死んだ。
母親は老楓屋敷に身を寄せたが、完全に使用人の扱いだった。

幼い頃、恐る恐る人形に手を伸ばした彼を伯父はどやしつけたものだった。
掌は叩かれて真っ赤になり、ひりひりとうずいた。
続けて母親も彼をひっぱたき、媚を売るように伯父に向けて笑いかけた。
それ以来、彼は人形に触ったことはない。
人形を週に一度、着替えさせるのは伯母の仕事だった。
彼の母親は硝子ケースにハタキをかけるだけ。
あとはせいぜい、人形が持っている調度品の管理とそれらの修理ぐらい。
そこまでしか信用されていないのに、母親の人形を見る目の熱さといったら。
古くなって下げ渡されたローズマリーの服を母親はありがたく頂戴していた。その衣装に較べれば自らの衣装がどんなにみすぼらしく見えるかも構わずに。そのお古のコレクションを眺めながら、母親は酒を飲むのだ。喉を鳴らして。
母親はローズマリーが欲しくて欲しくてたまらなかったのだ。
うっとりとケース越しに人形見つめる眼差しは執着、そして羨望と渇望だった。
一度でもそんな目で、自分の息子を見たことがあったろうか。
幼いラモンの胸はその度にキリキリと痛んだ。
死んだ父親はいつもこぼしていたものだ。
もし自分が女であったならば、サファイアは文句なしに自分のものになったのにと。
それから、こうも言った。
産まれた子供が女であったならばと。
その言葉も忘れられなかった。
お前が女の子なら良かったと、面と向かって言われる度に彼は次第に人形が嫌いになっていく。憎らしく思うようになる。
彼の母親は12歳の時に病で死んだが、晩年は酔えばいつもその繰り言だった。
そして大抵、母親は酔っぱらっていた。

そうなのだ。もしも自分が女であったら、祖父の遺言によりこのローズマリーは誰も文句が付けようもなく自分のものになっていたのだ。
これは一族の血を引く女性に残された遺産だった。
でも、一族の直系に女はいない。正当な所有者は現れないまま、ローズマリーはロシフォード氏が暫定的に所有している。ロシフォード夫妻に子供がいない今、もしも甥である自分、ラモン・デュプリが結婚し女の子が産まれたらば・・・ローズマリーは彼のものに(正確にはその娘のものに)なるのだった。
彼はローズマリーに歩み寄り、しばし勝ち誇るようにそれを見下していた。


自分が子供のいない伯父夫婦の後継者と見なされていることをラモンは当然知っている。しかし、彼はその地位を常に安定してみてはいない。伯父を心から信用したことがないからだ。
いつ伯父がその気まぐれから自分のその地位を簡単に奪い取るかわかったものではないといつもどこかで怯えている。
母親が死んで16年。ラモンは自分の後見人になった伯父と伯母のご機嫌を常に取って暮らして来た。成人してからもだ。
名ばかりの職の給料などひと月の衣装代や遊蕩費であっと言う間に消えてしまう。
顔色を伺い、僅かな小遣いをもらうのも四苦八苦。
父親の失敗からか投資をしたいとか企業したいという彼の望みはことごとく伯父によって突っぱねられた。自立することは許されず又できもせず、伯父の事業の端くれに名を連ねさせてもらっている。
しかし、後ろ暗いところもあるという伯父の仕事の全貌を教えてもらえたわけではない。自分も伯父には信用されていないとラモンは感じている。


「ローズマリー」
ラモンは無造作に人形を持ち上げた。
「どうせ、おまえは俺のものになるんだ。」
一瞬、その人形を床に叩き付け目をえぐり出したい衝動に駆られた。彼が心から欲しいものはその両目でしかない。
しばし、その衝動と戦った後でためらい、結局止めた。
「ふん。何も今することもないか。」
人形を奪い、付き合いの深いしかるべき盗品専門の古売商に渡す。その時で良い、人形を砕き目を取り出すのは。サファイアは加工され、裏のルートで売り払われる。
その頃にはこれまでの盗品を売った金とこの人形の代価を合わせた金でアメリカへ渡っている。西部にでも土地を買い、農場主の端くれとなる日もそう遠くはないことだろう。当然、結婚もする。子供も産まれる。
それは若いラモンの子供の頃からの長年の夢だ。
伯父の支配下から逃げ出し、自分の金と土地を手にする。
ロシフォード家とは、永遠におさらばだ!
もともと母の旧姓、デュプリを名乗っていたのはせめてものラモンの矜持であった。
このことも伯父の御意には添わないことであることは百も承知だった。
だたの飼い犬にはなりたくなかった。伯父の跡取りとしての自分を受け入れてしまうことは、彼が伯父の言いなりになる飼い犬と成り下がった証でしかない。
「なんでだろうな。」
ラモンは腕に抱いたローズマリーの目を思わず覗き込んで呟いている。
人形の目は天井のシャンデリアの万華鏡のような灯りを受けて怪しく青く眩めいている。炎のように・・・まさに産まれたばかりの新星と呼ばれる宝石そのもの。
それに皮の手袋の指がしばし触れる。俺のもの。
そう思うと子供の頃から・・・一番、欲しかったものはこれであったのか。
これじゃあ、母親と変わらないじゃないか。まあ、でも俺の欲しいのが人形ではないのはせめてもの慰めか。だから・・・きっと自分は宝石泥棒になったのだろう。
これは復讐でもある。父と母、そしてロシフォードへの。
子供の頃からラモンの手癖は悪かった。母親の目を盗んで掠め盗るのは決まって使用人や客のちょっとしたモノだった。勿論、さすがに誰が見ても値段の極めて高いものに手を出すほど馬鹿ではない。盗んだものはバラバラにしたり引きちぎって川に捨てたりした。もともと安物だったし。彼が欲したのは破壊の衝動だったから。
盗まれて騒ぐ持ち主達の反応を見ることにより、その装飾品のだいたいの価値がわかった。たまに意固地に警察が呼ばれることもあったが、安物であることを指摘されたりしてそれを認めると潮が引くように結局、客は大騒ぎを納めるしかないのだった。そのおかげで彼の宝石を見る目は鍛えられた。
やがて、盗品売買の旨味を知ると伯父の地位を利用して招待された金持ちの家から金目のものを奪い売り払うのは大学生だった頃からのラモンのもうひとつの顔となる。
「まったく・・なんでだろうな。」
今回の伯母のパーティに予告状を送ったのはほんの気まぐれ、本気ではなかったはずだ。伯父を困らせ、からかってやるだけの話だったはず。
ラモンは霊媒の顔を思い浮かべる。クララ・フォッシュ。いい女だ。ベッドでのあの女も見てみたい気もするが・・・あの縫いぐるみはいただけない。それと俺を見る薄気味悪い目。悪いがあれを見ると高ぶった衝動が萎えてしまいかねない。
「あの女があんなことを言ったからかな。」
なぜラモンが伯父に忠実な甥の仮面を脱ぎ捨て、今夜突然なにもかも・・・すべてを終わりにする決心が付いたのか。
「まあ、いい。どっちみちこうするつもりだったんだし。ちょっと早まっただけだ。」
ラモンは人形のフードに音を立てて軽く口づけした。
やはり、クララ・フォッシュのあの言葉を聞いたことは大きかった。
霊媒さまさまだ。
ラモンは夜会服を脱ぎ捨て動き易い黒のスーツに着替えていた。胸に回したベルトのフォルダーには装填済みの使い易い銃が収まっている。腰のベルトにはナイフを始めとする、窃盗の七つ道具。それとは別に床に置いていた布を手にする。
「贅沢なおまえには窮屈だろうが、我慢してもらうしかないな。」
広げた麻の袋に人形を注意深く納めた。
「お望み通り、おまえをここから連れ出してやるよ。」