最近、昔読んだ本や勉強したことを再度読み返す機会が多い。当時さらっと読んだものが再び読み返すと理解が一段と深まっていることがよくわかる。書物の数も増え多角的に知識も増えたせいもある。その一つが「支倉常長」に関するもの
慶長遣欧使節として1613年に政宗の命を受け欧州に渡った人物だ。現地でカトリックに改宗したり、身分的にそれほど高くない人物が何故、政宗の名代として出かけたのか船の建造地や出航地どこなのかなど謎の多い侍だ。
墓も何か所もありその点でも謎が深まる。乗った船が「サンファン・バウチスタ号」船の大きさや出航地がどこかなど疑問を呈する人もいてこの船自体も謎の多いものなのだ。研究者に話を聞いたことがあるが世上言われているのとは異なり、宮城の雄勝町で建造されトン数も異なるとの主張にうなずけるし説得力がある。再度こうした疑問形にきちんと答えてくれる人物の登場を待ち望んでいるのだが、権威に頼った研究者はいるが様々な疑問形にコタエル人はなかなか出てこない。さらなる研究を待つが・・・