トーク・アバウト・アメリカン

トークアバウトボーラ→300C→アメリカン。最近はアメリカからだいぶ外れてきています(笑)

100mm Throttle Body

2009-12-10 23:33:00 | 300Cカスタムネタ
今日は久々の・・来年に向けた物欲リスト。
忙しすぎると始まる病気。現実逃避病です(笑)

一番やりたいのは中途半端に終わっている、エアーインテークと、スロットルボディですかね。
狙っているのはこの
Performance Werks Racing 100mm Throttle Body。

空気をただ取り込めばいい、ってもんじゃないですが、空気が沢山入れば、その分燃料を燃やせる訳です。
ならターボにしろよって言われそうですが・・。
この燃調は・・活躍の場が少ないプレデターにはもう少し仕事をしてもらいます(笑)

downワンクリックお願いします!
にほんブログ村 車ブログ アメ車へ
にほんブログ村

up up up



Billet Coil Pack Covers

2009-12-10 01:18:00 | 300Cカスタム
ビレットのオーダー品がようやく届きました。
Billet Coil Pack Covers

画像だとわかりにくいですが、想像していたものより結構大きかったです。
考えてみたら、片側4気筒分のコイルの上を覆うものですから当然ですよね。

さて、いつ装着しようか?
23日まで休みはないですし、ここのところ毎日午前様で・・本当に装着する時間ありません・・。
ハーストのシフトノブキットともども・・楽しみはイブまでとっておきます(笑)

downワンクリックお願いします!
にほんブログ村 車ブログ アメ車へ
にほんブログ村
up up up

クライスラーエンブレム

2009-12-09 00:48:00 | 300Cカスタムネタ
休みの23日まで・・遠いっすね(笑)そんな状況なので、棚から一掴み。
downリアのウィングバッチがウィンカーと連動。アイデアですね。
</object>

因みにウィンカー(winkers)というのは英語でUSA英語(以下米語)ではblinkersです。

ついでのついでに(話飛びます(笑))
・ボンネット(bonnet)は英語で、米語では、hood.
・ナンバープレート(numberplate)は英語で、米語では、license plate.
・フェンダー(fender)は米語で、英語ではwing.
・サイドミラー(Side-mirror)は、英語で、米語ともside-view mirror。
・フロントガラス(Frontglass)は和製英語(Japanized English)で?英語はwindscreen.米語では、windshield.
・ハンドル(Handle)は英語、米語ともsteering wheel.
・クラクションはイタリア語のクラクソンから?。これは英語、米語ともhorn.
・アクセルは、英語でgas pedalで米語ではaccelerator.
・ガソリンは英語ではpetrolで米語ではgas.

とここまで必死に書いていたら、down英語、米語便利な比較サイトがありました(笑)
http://homepage3.nifty.com/tongermark/bhv2k/EAdiff1.htm
アンテナも、英語だとエアリアル・・。

ややこしや~。ややこしや~。

downワンクリックお願いします!
にほんブログ村 車ブログ アメ車へ
にほんブログ村

up up up


カーグラフィックTV

2009-12-06 22:33:00 | カー CAR
2日がかりの会議から帰ってきました。イーモバイルが使えない位の山奥でした(笑)
久しぶりに走る峠道。「ステアリングを切り込んだだけ・・」「しっとりとした乗り心地・・」とか、松任谷正隆氏と、「CG」編集部の田辺憲一氏との独特のやり取りを思いだしてました。
</object>

カーグラTV(今でもBSでやっていますが)といえば、1984年10月~2001年3月までの16年半だと思っています。
東モも壊滅な年。今思えばこんなマニアックな車番組が、地上波で堂々とやっていたのが不思議な位に思います。

downワンクリックお願いします!
にほんブログ村 車ブログ アメ車へ
にほんブログ村

up up up

カンボジア特別法廷傍聴記

2009-12-04 21:05:00 | ノンジャンル
昨日の続きです。
しかし、ャ求Eャgの時代は小学生でリアルに知らない世代ですし・・。どえらい事書き始めたなぁ・・と(笑)
先に逃げをかましますが・・ご興味ない方はキツイですので、ここまでで(笑)

傍聴席に座り、まずは外交官の方から渡された前回までの傍聴記録(日本語)を読み返しました。
当時、尋問担当だったモン・ナイ氏が被告の証人(←被告ではない)として、
「(カン・ケ(ック)・イウ)被告がやっていた事は知らない。私が何も知ろうとしない事は当時の共産党(クメール・ルージュ)の方針にかなっていた。私達はお互い他人の事を気にしてはいけなかった。」
「犠牲となった知人家族の事を考えると悲しい。しかしあまりにも混沌としていた。あの時代、私達はどうすることもできなかった。そして沢山の人が死んでいった・・。」

当時、守衛のヒム・ホイ氏(←被告ではない)は、自分自身が処刑されるのが恐ろしかった、と何度も繰り返した上で、
「1日で100人以上の人が処刑されていった。処刑は毎日朝の9時から始まり、夜中の2時までかかった。私達は夜明け前までに処刑を終えるように命令され、とにかく急がされた。そこに被告(カン・ケ(ック)・イウ)が来ていたが、気にする余裕はなかった。」
と証言しています。
考える事もためらう事も許されず・・。まるで殺人マシーンのように人を殺していく。「他人の事を気にしてはいけない」システムが行き着く所まで行き着いていた事を示しています。
またカン・ケ(ック)・イウ被告自身、数十日にわたる公判の中で、上層部の命令とはいえ拷問や虐殺を指揮してきたのは自分・・と全ての罪を認め、
「カンボジア国民は私を非難することができる」「奪われた多くの権利に比べれば、私の権利などものの数ではない」「私を犯罪者と指さしてほしい。石を投げられても文句は言えない」
とこれまで何度も謝罪を繰り返しているようです。
downニュース画像、コピペできませんのでデジカメで撮りました(笑)

しかし、この日の最終弁論で彼が最後に述べたのは、態度を一変し「これまでの法廷協力と引き換えに釈放してほしい」と言う言葉でした・・。

・・判決が出るのは4月ごろと言う事です。自らを守るために率先して命令に従ったとはいえ、サラリーマンで言えば、部門責任者。身につまされる所もあります・・。
死刑制度がない現在のカンボジアでは最高刑でも終身刑のようですが、どのような判決がでるか、注目したいと思います。

これらャ求Eャg派の行った自国民への虐殺、残虐行為は、平和な日本で暮らす私達日本人には遠い国で起こった、特殊な出来事に映るのも無理はありません。
しかし、たった一回ですが、この法廷を傍聴して思ったのは、どこの組織、集団でも・・このような事は起こりうる事なのだ、と。

新聞からの引用で申し訳ないですが、12月1日の読売新聞に「罪と罰」という、70年代の連合赤軍による凄惨を極めた仲間内のリンチ殺人事件に関する記事中に
「本当はやりたくなかった」
「いつ誰がリンチの標的になって殺されるかわからない、と言う異常な集団心理の下で生き残るためにリンチに加わらざるを得なかった」
とありました。
誰もが他人の苦しみに目も耳も心を閉じた時、恐ろしく閉鎖的なシステムが起動します。無関心、無関与。ただ自分の足元のみを見つめることだけが生き延びる道・・。
今、私達も似たようなシステムの入り口に立ってはいないでしょうか・・。

downディスカバー・カンボジア!クリックお願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村