ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

ど根性ガエル。全くの駄作。

2015年09月20日 15時28分17秒 | 芸能についての感想
何の為にドラマ化したのか、とさえ思う内容だった。
序盤と最終回しか満足に見なかった。

ピョン吉が死ぬ、又は平面ガエルから普通のカエルに戻り会話できなくなる。そのことでひろしが悲しみにくれ、そのまま立ち直れないか、又は周囲の人達の助けもしくは別の奇跡がおきて、日々の生活はそんなに変わらずとも、ほんのすこしだけでも成長するストーリーで締めるのかと思っていたら。

ひろし2号(そっくりさん)を登場させて、幾分か教訓めいたエピソードを加えただけで、特に何の波乱もなく終わりとは。

これならば、原案:吉沢やすみ作「ど根性ガエル」とだけして、オリジナルドラマと称して制作してくれたほうが良かった。題名もオープニングテーマ曲も「ど根性ガエル」としたのは、かつての漫画、アニメを観た年齢層にも訴求効果を考えたからに違いない。しかしながら、かつてのドタバタ喜劇、たまに人情味あふれる話を継承しきれず、そして、ピョン吉が死ぬ又は平面ガエルでなくなるかもしれないと思わせながら特段の事件もなく、どうみてもミスキャストである京子ちゃん役はドラマの世界観に入るのに興ざめさせる演技だった。

こんなドラマを作っているようでは視聴率はそりゃ伸びないよ。昔のドラマをビデオで見ていたほうが良い。

前田敦子さんはキレる、怒るシーンはなかなか様になっていたが、それはヒロインのものでなく、むしろ私には不愉快で人間性を疑い嫌悪したくなる表現であった。リアリティはあるが、あくまでも前田敦子その人のもので、役の表現のものであったとはどうしても思えない。まれに可愛しい笑顔や表現もあるが、それらも同様である。

そして、ゴリライモに物語が集中、細やかな役柄設定がされている。偏りすぎではないか。みんなのアイドル・京子ちゃんが離婚した事情は全く不明なのに。京子ちゃんの取り合いはどうなったのか。ピョン吉の死又は別れも含めて全部リセットなのか。伏線を張りすぎ、奇をてらい過ぎ、全てぶん投げなのか。糞脚本及びドラマ利害関係者達よ。視聴者を疎かにしたり愚弄するのも大外にしろよ、仕手株みたいなことしやがって。

他に何か書くべき感想はあるかな。。。週刊誌などでは絶賛している人もいるらしいが、商業誌のそれらは「大人の事情」「利害関係」もあるから。ドラマの感想など人それぞれ感想があっていいものだから、自分はこう思うと書くだけで、強く主張したい類のものではないのでね。
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