ここでちょっと休憩

ビーチリゾートが大好きな私の旅行記

永い、永い1日

2008-10-05 | 南アフリカ

 

 

帰国当日、先生の娘さんが以前ケープタウンに住んでいたときの荷物を持って帰ってくれと頼まれた。

先生たちの帰国日は私達より2日後にだった。

ロスバゲッジした人たちは、荷物が無いから。

  

私達は手荷物機内持込用スーツケースとカバン、預けるスーツケースは夫婦で1つだったので、一つスーツを持たされた。

全員スーツケースを渡された。

悲劇は・・・ここに密売物が入っていたというものではない。

悲劇は荷物を持って空港に行きチェックインする時に起こった。

私達のnationwideチケットはキャンセルされているというのだ???

私は心配だから先生にリコンファームしてくれとお願いしていた。

彼女は”大丈夫”と言っていた。そして、何度も頼む私をみんなの前で。

”もう、いちこは心配性なんだから アハハハh”と私を笑い物にしていたのだ。

チェックインカウンターで騒いでいる最中に先生は・・・・・消えた。

 

先生は別荘に帰ってしまった。

理由は推測するしか,今は無いが、二日後に帰国する先生と娘さんのチケットもキャンセルされていたから、その予約した時の、プリントアウトを取りに帰ったのだと思われる。

往復2時間彼女は空港から消えた。

 

私達は唯一のネイティブスピーカーと肌の白いランクの高い人間を失った。

それでも、私達は一生懸命交渉する人、他の航空会社をあたる人、先生に預かった荷物を見張る人、皆それぞれの役割分担を果たした。

国際電話を使える携帯を持った私達夫婦は、先生の携帯に帰ってきてくれるように電話をするが、電源が切ってあるのか?電波が悪い場所に居るのか繋がらない。

日本大使館に助けを求めるが、とりあえず粘って交渉するしかないと言われる。

時間は刻々と過ぎていった。NATIONWIDEの最終便は飛び立ってしまった。

ようやく、先生が空港に戻って来た。

何しに帰っていたのかは不明のままだ。

問いただしたら、”私を非難するのは間違ってる、あなたはひどい人間だと”罵倒し始めた。

 先生はその勢いでチェックインカウンターで大声で騒ぎ始めた。

 裁判も辞さない。マスコミに言う。etc・・・騒いだ。

 するとカウンターに居たネイションワイドの職員は全員立ち上がり、事務所に戻ってしまった

 常軌を逸っした騒ぎまくる女は相手に出来ないというように・・・

 


 先生は少し、冷静さを取り戻し、マンゴウ航空のカウンターに行き6人分ジョハネスバーグに行きチケットを見つけてきた。

結局私達はネイションワイドの代換えチケットではなく。

自分達でまたチケットを購入する事になった。

ジョハネスバーグに行けば国際線が沢山出ているので、まだ帰国できるチャンスが広がるというのだ。

帰国予定だった経路

1/4 ケープタウン   18:15---20:30 ジョハネスバーグ
  ジョハネスバーグ 22:30---08:30 ドバイ
1/6 ドバイ 03:00---16:45 韓国
  韓国       18:50---21:00 成田

最悪20時間以上トランジット時間があるドバイまで行くことが出来れば、成田までの便を捕まえる事が出来る。

そうすれば少しでも出費を押さられる。

しかし、ジョハネスバーグで路頭に迷う可能性の方が高い・・・でも悩んでいる時間は無かった。

しかし、その日帰国するのは8人。購入できるチケットは6枚。

 

 

一人の女性と一人の男性が

”夫婦で来ている人達は離れちゃ駄目。私は月曜日仕事大丈夫だから帰って”と声をあげた。

彼女と彼はそうウソをついた。

 

 

 彼女は自宅でエステサロンを開いている、今回の旅行もお客様に許していただいて、厳しい日程で参加されていた。

もちろん月曜日もフルブッキングだ。

私達6人は二人を残してジョハネスバーグまでマンゴウ航空に乗り込んだ。

ウソは承知だけど考えられる余裕も無かった。

この中で夫婦で離れる勇気もなかった。  

先生にていよく、厄介払いされているのも解っていたけど、それでも私達には代わりの道を見つける余裕も無かった。

8人の大人が、パニックに陥っていたのだ。早口の英語でまくしたてられ、自分の話す英語に、”Pardon?””Pardon?”を繰り返されるだで、ストレスは冷静さを苛んでゆく。

大きな体に、表情の読みにくい黒い肌に包まれた顔は、意図せずとも私達にストレスを与える。



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