ここでちょっと休憩

ビーチリゾートが大好きな私の旅行記

倉敷日航ホテル

2010-05-08 | 国内な旅

今年のGWって長いんだねぇ・・・

そう言えば、振り休3日あるんだよねぇ・・・

へぇ・・・長いねぇ・・・

 

 基本的只今ロングバケーション中のいちこ、興味ありませんの。

 ゴールデンウィークや年末年始は我が家は、何もかも物価が高騰するして、

何所から現れたのか?日本は本当に少子化か?と疑いなら街を歩くなんて。

  思考回路の中にありませんのに・・・・

 

 ”えええ、GWにそちらに顔を出そうかといちこちゃんと話してるんです。”

 うとうとうたた寝していたら、よしおさんが誰かと電話で話してる。

 

 ”はいそうですねぇ、おかあさん”

 ???おかあさん??私の??えっ、GWに帰るの私?

 4月10日過ぎ、私、帰省する事になったらしい。

 ・・・・じゃあ、おばあちゃんに会いにゆかねば。

 

 ANAさんでアワードチケット予約して、倉敷と岡山のホテルに予約して・・・

 

 私は、何をするのにも時間が必要なのに・・・年に2回の海外旅行だって、

 3か月以上前から計画するのに・・・20日しかない準備期間って好きじゃない・・

 好きなホテル選べないし・・・仕方なしに予約した日航倉敷。

エントランス抜けた途端現れた、お日様の光あふれた空間。

 

  おそらく、フルブッキングなのだろう。通常あるフロントでチェックインでは無く、

 特別ブースを設けてのチェックイン体制を引き、ゲストがストレスなくスムーズに

 チェックイン出来るようになっていた。

 ANAカウンターもそうだったけど、新人さんが初々しくチェックイン。

  相手のドキドキが私にも伝わって、新鮮な気持ちになる。

 一生懸命な姿が、嬉しい。

 

 お泊りお写真なんて撮るつもりも無かったのに。素敵素敵。

  

3人で2万4千円成り。GWだし、割高なんだろうなぁ。

だから、寝るだけのホテルで良いよねって予約したけど。

素敵なショートトリップ空間。

 

  

 ”うわぁ”っとバスルームから母の声が・・・・

 何事かと見に行った私も”うわぁ”

 大きなバスタブと、レトロなシンク。

 そして、シャワーブースまであるではないですか?

 

 

  

  

 リラックスして入浴出来るように、シャワーカーテンはつけていないそうだ。

アメニティーのシャンプー・コンディショナーは、ノンパラベン。 

 

おばあちゃんに会いに行く日は、ここを常宿にしましょう。

なんと、このリーズナブルなお値段で、朝食まで付いているのです。

 

  

 

 

 

 

 

 


2010-05-08 | 国内な旅

GWは、この人と、おばあちゃんに会いに。

倉敷美観地区入口のまねき犬さん。

おばあちゃんは、97歳。倉敷の老人保健施設に居る。

もう歩く事は出来ない。

記憶も直近記憶は、2分程しかない。

 しかし、それ以外あばあちゃんは、私の知っている30年前のおばあちゃんのままだ。

 

 ”こんにちは、始めまして。お元気ですか?”

 ”はい、おかげさまで元気にしております”

 

 私だって、気付いてくれないかと期待を込めて声を掛けるが、帰ってくる第一声は

 こんな感じ。でも、私の後ろに視線を向けたおばあちゃんの顔はぱぁーと明るくなる。

 ”さち!!、来てくれたんかぁ、ありがたい、ありがたい。”

 両手を合わせて、拝み始める。

 眼を上げて私に向きなおり

 ”いちこかぁ?”

 さちの娘はいちこと繋がる。

 でも、車いすを押して、お部屋に入る5分後には私達の存在は又、ごあいさつから。

  

 話しかければ、きちんと答えてくれるが、おばあちゃんから人に話しかける

 事はもう出来ないようだ。

  車いすから降ろして、車に座ってもらうと、もう運転手のよしおさんの事は、

 忘れてしまっている。

 自分の年齢も全く分らない。

 しかし、私にとって、この人以上に私の疑問に答えられる人は居ない。

 たまに、すごく心が弱っている時、"何の為に自分は生きているのだろう?"と

 10年に一度くらい人は自分に問いかける事があるのではないだろうか?

 

 おばあちゃんから出てくる言葉は、ありがとう。ありがたい。

 美味しい!!嬉しい!!この言葉が大多数だ。

 ”ここ(老健)に居て幸せ?”

 ”うん、先生方(ヘルパーさん)が親切にしてくださるし、自分で作らなくても

  三度三度美味しいごはんを頂ける。そのおかげでこんな長生きさせて頂いて

  幸せだ”

 ”こんな遠い所まで会いに来させて、可哀そうに・・・申し訳ない。ありがとうなぁ”

 ”あーこんなに沢山お金を使わせたら、お前たちが困るだろうに、いいよ。

  いいよ。お前たちが食べなさい。”

 ”これ、頂いてもいいの?あー美味しい。美味しいわぁ。幸せだ”

 

 

 今の彼女を形成しているのは、永い歴史の中培った、習慣だけ。

 人をなじることなく、いつも感謝の心を忘れず、足るを知り、喜びを大きく表現する。

 彼女の生きてきた姿、それだけだ。

 よしおさんは、”おばあちゃん、かわいい”と言ってくれる。

 私にも、彼女は”とてもかわいい”。

 生きてきた証は、残した財産でも、実績でも無く、生きてきた本人そのもの。

 年齢を重ね、体も不自由になり、考える力、物事を判断する力を失った時、

 おばあちゃんに残ったのは、人間としての品性。

 欲を残す人。

 豪を残す人。

 何を残せるかは、人の生きてきた姿次第なのではないか?

 私の生きる意味、もしくは課題は、おばあちゃんのようになれるかだ。

 ”おばあちゃん、おじいちゃんどんな男だった?”

 ”えー男じゃった。男前じゃったし、賢い人だった”

 ”おじいちゃん、戦争の時何してたん?”

 ”陸軍上等兵で馬に乗っとた。綺麗じゃったよ”

 ”おじいちゃんとお見合いで結婚したん?”

 ”違うよ~。恋愛じゃぁ。おじいさんが、演劇場で私を見染めたんじゃ”

 ”おじいちゃんに会いたい?”

 ”会いたくても、死んだんじゃけ、会えんやろ。だけど、おじいさん私が

  生活に困らないようにしてくれてるから、ずっと守ってもらってる”