ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

遊びゴコロ。

2007年11月18日 | blog


昨日だったかの朝ラジオで、軽ーいトークのDJが「ライフスタイルに遊びゴコロをプラスする、新進気鋭のデザイナーの、…」とか言っていて「ぶはははは!」と吹き出してしまった。

たいがいの「新進気鋭のデザイナー」は、「ライフスタイルに遊びゴコロをプラス」しとるわ!

そもそそも、「遊びゴコロ」は機能でも必然でもないので、「受け入れられるか・どうか」は、ものすごくむつかしい。好みだもん。
だって、知らない誰かのかんがえた「遊びゴコロ」なんて、押しつけがましい。なかおあきらのネジネジマフラーを、「お前さ、これがオトナの遊びゴコロってもんでね」とか押し付けられても「うへぇ」でんがな。好きなら、やるけど。気に入ればね。あの、べつに、なかおあきらはあくまで例です。すいません。

たしかに、「遊びゴコロのあるデザイン」は、好きですよ。こういうのとか。好きだけれども、それはそういうアソビに「つきあう余裕」があればこそで、それって誰にでもオススメできることじゃありません。ましてやその「遊びゴコロ」のおかげで、実用性が犠牲になっても笑っていられるようなモノは、そう多くはない。いや、だから、よほど好きならいいんですよ、好きなら。

むしろ、「遊びゴコロ」なんてものとは無縁の、朴訥で真摯なデザインのほうが「王道」で、王道があるから「ひねり」や「遊び」が存在する余地がある。

わたしも正直、なんでもかんでも遊びゴコロをプラス!に、つきあうひまはなくなってきました。ひまというか、さんざんそういうものにつきあってきたおかげで、遊びゴコロなんてもんは、自前でいくらでも持ち合わせているので、わざわざ提供してもらう必要もなくなってきたというか。

「遊びゴコロ」を「遊び半分」で扱うべからず。です。
送り手にも受け手にも、余裕とひまと経済力が必要です。

(その「新進気鋭のデザイナー」が誰だったかは失念。たしかケンチクかアパレルだったとおもうけど、それはどーでも)


※ ※ ※


※ちなみにどうでもいいことですが、わたしは「ライフスタイル」というコトバを使ったことがありません。
日常でも、ましてや仕事のデザインコンセプトにおいても。
だって意味がわかんないし、説明もできないし、みんな勝手に解釈してるから、最低限の「共有」すらできないもの。

そんなあぶなっかしい言葉は、信用できなくて使えんわい。

ソウシン。

2007年11月18日 | blog

わたしも自転車通勤をはじめて、半年で10kg落としたので、ちょっと興味がありまして。
といってもかれこれ えーと、3年以上前のことなんだなぁ。
でも、いまでも体重は維持しています。

共通するのは、「じぶんに合った方法と出会えた」ということでしょうかね。

レコーディング・ダイエットという方法が、おかだとしおには向いていたということで、
自転車通勤が、わたしには向いていたということで。

わたしのばあい、
「片道10kmのアップダウンのある通勤路を、40分くらいで朝+晩走る」わけで、
それだけの運動を、ほぼ毎日続けていれば、そりゃヤセるってもんです。あたりまえです。
それが、やってみたらたのしくて、たまたま続けてしまった。

「続けられない理由」は、いくらでもあります。

夏暑いのがだめなら、ダメ。汗をかいたあとのケアや、着替えができなければ、ダメ。
冬寒いのがだめなら、ダメ。雪が積もったら、ダメ。仕事服がスーツだったら、ダメ。
安全な自転車置き場がなければ、ダメ。ギアの故障や、パンクに対応できなかったら、ダメ。

わたしはたまたま、続けたいほうに天秤が振れました。

以前は無邪気に人にススメたりしてたんですが、そういうこともしなくなりました。
だって、
※効果には個人差があります。のまえに、

※環境には個人差があります。
※適性には個人差があります。
ですもん。

「どんなダイエットも効果がある。でも続けることが難しい」
おかだとしおは言います。そうかも。

続けられるってことは、それだけ楽しいこと、うれしいこと、なにか「ごほうび」があるということでしょう。

「痩身(ソウシン)」それ自体が「ごほうび」ですが、さらに、ほかにもいろいろと「ごほうび」があって、初めて続けられるんじゃないでしょうかね。

わたしのばあい、
・朝から頭の回転がよく、仕事がはかどってナイス
・夜よく眠れる
そして、
・自転車乗ること自体がたのしい
など。

そんなにうまいこと、いろんな条件がぴったりくるような人は、メッタにいない。
だから、ダイエット成功者はすくない。

あたりまえといえば、あたりまえです。



だから、ダイエットって、「運」かも。