ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

iPhone、16日目。

2008年08月12日 | blog

ええとですね、おほん。そろそろ、その、言いたかったひとことを発してみようとおもいます。おもいきって。
あー、あー、マイクテスッ、テスッ…

えー。

iPhone、ちょっと飽きてきました。

はーすっきりした。はははは。まぁね、さすがに冷静になてくるってもんですよ。ええ。
すばらしくよくできてますけどね、そんなあなた、四六時中いじってたら、それで2週間も経つっていうと、だんだん落ち着いてくるってもんです。ええ。

買ったことは後悔していないし、2年みっちりつきあう気も満々なのですが、踏み切れないひとの気持ちも、よーくわかります。

わたしの感覚だとですね…

iPhone、オモチャとしては最高に楽しい。ハードもソフトも、美しさと楽しさにあふれまくっている。それは疑いがないです。

でもいま、すでに、携帯電話というものが、単なるオモチャでなくなって久しい。
ひとつの「ライフライン」として不可欠なものになっているわけです。

iPhoneですこし躊躇するのが、その繊細さです。かよわい。はかない。デリケート。
ソフトの不安定さと、理論上は「触れなくても」動作する、まったくチカラのいらない、静電容量式タッチパネルというのが、そう印象づけているのだとおもいます。

携帯電話には、確実に、素早く、1秒でも速く、1タッチでもすくなく、瞬間的に「機能」してもらいたいとき、というのが、あるわけです。
そんなとき、両手でそうっと操作したり、キーボードがフリーズしたり、ミスタッチしてしまったり、再起動したり、圏外だったり、アプリの切り替えに待たされたり、電池があっという間になくなっていたりして、耐えられるかどうか。

オモチャにしているぶんにはいいですよ。でも、真剣にこれだけが、誰かと、何かと「つながっている」唯一の蜘蛛の糸、という瞬間っていうのがあるわけです。ニホンのケータイは、そのタフネスさを磨いてきた。

そこで、この美しくも聡明ではかない、気分にむらのある箱入り娘が耐えられるか。

かんがえちゃいますね。

ドコモを残しているのですが、なかなか解約するには至りそうにありません。
もうすこし、かんがえますわ。