ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

ほのぼの海遊館

2016-08-31 22:00:02 | 動物

初・海遊館♪

幸村と共に戦って疲れたので(笑)、癒しを求めて海遊館に行ってきました

ジンベエザメが有名ですが、館内は各地域の生態系を再現したゾーンに分かれていて、水棲動物だけでなく哺乳類や鳥類もいたのにびっくり。たくさん撮ってきましたが、本日はその一部をご紹介です。

人気はアシカ&アザラシのゾーン。その動きは惚れ惚れするほど美しいですが素早すぎるので、最初は

こんな写真しか撮れなかったのですが^^;

ごはんタイムにチャンス到来。

あーんなことや。

こーんなことまでサービス満点♪

すべてはご飯のため

アシカくんたちがけなげに芸をしつつご飯をいただいている間、アザラシくんたちはあくまでマイペース。

ぬぼぼーん。

鼻の穴がカワイイ(注:仰向けに泳いでます)

オイラにもご飯! んががっ。

アシカと並んで人気だったのがペンギンたち。何しろ彼らはほとんど動かず、いざ動いてもとてもスローモー。抜群の被写体なのです。

海遊館にはラッコもいて、とても可愛らしく動きも面白いのですが、エライ高速でぐるんぐるん旋回し続けるので全くピントがあいません(@_@)

その点こちらは

まるでアイドルのブロマイドのよう(笑)。

この暑さゆえか、銭湯の打たせ湯のごとく雪浴びをしているペンギンも。

気持ちよさそうですねえ。

海遊館の水槽はとても大きいし深さがあるので、動物たちがダイナミックに泳いでいるところを見られるのも楽しいです。

頭が重いのか、アシカやアザラシはけっこう仰向けで泳ぎます。当たり前ですが、素晴らしく上手い

調べたら前足がひれ状なのはアシカとのことなので、これはアシカでしょうか。

これはアザラシっぽいですね。

これもたぶんアシカ。

アクリルガラスごしなのと、季節柄か水の透明度が今ひとつで、水中を撮るのは難しく、ジンベエザメは全くいい写真が撮れませんでした

こうしてみると色々な種類の魚がいて、それぞれが上手に棲み分けているのが印象的です。

世界、ですねえ。

ふらりと立ち寄ったのですが、とても楽しかったです

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安居神社【幸村ゆかりの地めぐり4】

2016-08-30 21:24:05 | 真田丸

いいお顔です。

 

少し間が空きましたが、幸村ゆかりの地めぐり、もう一か所行ってきました。終焉の地、安居神社です。

幹線道路の一角にある緑豊かな場所。

戦禍で元の建物が一切なくなり戦後に復興されたとのことで、当時の面影をどれだけとどめているかは不明ですが、穏やかな空気の、こじんまりした境内はとても居心地がいいです。

三光神社の雄々しさにくらべ、とてもくつろいでいる幸村像。

安居神社の縁起は定かではありませんが、もともとの祭神は少彦名神で、そののち道真公も祀られるようになったそうです。そのため、安居天満宮と呼ばれることもあるようです。

菅公様にはかかせない牛も。

こちらはのんびりと毛づくろい中のにゃんこ。

強い日差しを遮る木陰に、美しい緑。茶臼山からの緊張感とは打って変わった穏やかな空気に、幸村が最後に見た景色がここで良かったと心から思いました。

大河ドラマの信繁はこれから大きな戦いに挑んでゆきます。一足早く終焉の地を訪れましたが、幸村ゆかりの地めぐりはもう少し続けたいと思います

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷町のみいさん

2016-08-28 21:37:35 | 大阪

道路の真ん中に忽然と現れる楠木。

 

本日は『幸村ゆかりの地めぐり』番外編。

鎌八幡から谷町方面へと歩いていたら、7丁目付近でいわくありげな大木に遭遇。道路を分断し、祠まで祀ってあります。

木に注連縄がはられています。

 

半端な気持ちで祠の写真を撮るのははばかられる風情だったので、とりあえずお参りを済ませ、傍でお掃除をしていた人に話を聞いたら、やはりご神木で、「伐るとケガする」との言い伝えから、伐採されずに残されているんだとか。

残念ながら、ご神木自体は枯れてしまっています。

帰って調べましたら、正しくは「楠木大神」。根元には蛇が住んでいることから「巳(み)さん」と呼ばれて親しまれ、元はお寺の境内にあったものが、寺の移転後、木だけが残されたそうです。その理由は現地で聞いた通りのものでした。

調べていくうちにわかりましたが、大阪には街中にご神木がけっこう残っているようです。ひと昔前の日本は、想像以上に自然と密着した生活をしていたんですね。

他のご神木もぜひ一度訪ねてみたいと思います

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸【真田幸村ゆかりの地めぐり3】

2016-08-27 23:43:45 | 真田丸

玉造駅に貼られていた説明図。

 

幸村ゆかりの地めぐり続きます

改めまして『真田丸』とは何ぞやを簡単にご説明しますと、大坂冬の陣の折に、大坂城の惣構(そうがまえ)のなかでもやや防御に難のあったと言われる東南部に幸村が築いた出城のことです。

上の写真でみると真田丸跡地を囲んだグリーンの破線の上部部分まで、秀吉の時代には惣構があったと言われています。今の大坂城は、地下鉄の駅一駅分くらい更に上にあがったところにありまして、つまり秀吉の時代には現在の広大な大坂城+一駅分の土地が惣構内にすっぽりと入ってしまうわけです。合戦の時に商人が城内に残って商いをして云々、みたいな描写が『真田太平記』に出てきて今一つピンとこなかったのですが、実際に来てみると、城の内側だけで一個の町として機能していたのがうなずける広さです。その先端にある真田丸。家康に外堀を埋められる前ですから、ホント城の末端に突き出た要塞、という感じですね。

出城の痕跡は当然ながらありませんが、長く伸びる坂道と、人工的な角度の曲がり道が当時の雰囲気を伝えています。

1枚目の写真左上の角の部分。写真だとわかりづらいですが、フェンスの角度が砦っぽかったです。

真田丸予測地のど真ん中を通る、心眼寺への坂道。

真田父子の菩提を弔うために建立された心眼寺。

出丸城跡の文字が。

墓碑は最近建てられたものだそう。

真田丸跡地付近にはもう一箇所、『鎌八幡』で知られる円珠庵というゆかりの場所があります。幸村が冬の陣の際に戦勝を祈願して霊木に鎌を打ち込み、見事勝利を収めたというのですが、残念ながら境内は撮影禁止です。

お参りさせていただきましたが、木の幹に無数の鎌が打ち込まれ、ちょっと息をのむ光景です。そもそも、あれだけ打ち込まれて木が枯れないというのが不思議で仕方ありません。大河ドラマでは穏やかな策士といったイメージの幸村ですが、ここでは身命を賭して戦いに挑む、厳しい覚悟を持った猛々しい武将としての一面が垣間見えます。

冬の陣で真田丸で素晴らしい戦いを見せたものの九度山に蟄居となり、14年の歳月の後、外堀を埋められ丸裸にされた大坂城を守るべく、さらに前線の茶臼山に陣を張ることになります。

1枚目の写真には入り切らない、もっとずーっと下ですね。

大坂城での人質生活から真田丸での活躍、そして茶臼山での激闘。

400年前に駆け抜けた幸村の息遣いが、少しずつ聞こえ始めています。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三光神社【真田幸村ゆかりの地めぐり2】

2016-08-26 22:00:02 | 真田丸

玉造駅構内にて。

 

秀吉の死後、家康と三成の対立が激化して緊張感が高まっている大河ドラマ。

これから迎えるクライマックスをさらに楽しむために、本日は真田幸村ゆかりの地巡りをしてきました

といっても、土地柄、大坂の陣の史跡がメインでして、関ヶ原を飛び越しフライング気味のご紹介です。

(関ヶ原は遠いので、また改めて

種本は大阪市営地下鉄のパンフレット『幸村が駆け抜けた大坂』。

まずは三光神社からです。

三光神社の最寄り駅玉造付近は、幸村関連の史跡がわりと固まっているところなので、改札付近は幸村一色。掲示板には写真付きで詳細な地図も展示されていて、とてもたどりやすいです。

駅から5分の三光神社は、そもそもは天照大神などを祭神とする歴史ある神社のようです。

緑が多く静かなところですが、赤い旗のせいか、骨太な印象を受けます。

こちらには幸村がつくったといわれる抜け穴が残っています。

この黄金の六文銭の下に・・・。

抜け穴が!

 

暗くて奥はよくみえませんが、確かに石を組んで道をつけたような跡が・・・

ちなみにこちらは年に一度、真田祭の日に開放されるそうです!!

勇ましいお顔。

 

こちらの銅像は、昭和に入ってから作られたもののようですが、がっちりとした体格やいかついお顔は大河ドラマの幸村とはずいぶん雰囲気が違いますね。

とにかく雄々しい印象の所で、参拝しているこちらまで、肩をいからせてのし歩きたくなるような、そんな神社でした

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする