注・絵ではなく、写真です。
国立国際美術館で開催中の大阪在住のアーティスト・森村泰昌『自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき』を観てきました。
有名画家の自画像を真似る作品がメインの展覧会です。数年前にテレビで芸人さん? と思って観ていたら、その仰天のクオリティに目が釘付け。以来、本物を観たかったのです。
なんと今回は会場内部の撮影がOK! 遠慮なく撮影してきました^^
いっぱい撮ってきたので、本日のブログはとても長いです それではまいります。
いきなりのダ・ビンチ像。激似です!!
眉の毛の長さまでそっくりなのでは・・・。
至近距離で眺めると様々な色が注意深くのせられているのがわかります。
写真はかなり大きくて、この大きさでこれだけ似ているなんて信じられません。あまりの迫力に思わず笑ってしまいました。
この笑いはなんでしょう? 実利的でない事柄に、大真面目に時間と労力をかける壮大な馬鹿馬鹿しさに対する敬意、とでもしておきます。
この後もこうした自画像のオンパレード。
やっぱり笑ってしまう・・・。
『デューラーの手は、もうひとつの顔である』
この手はなんと作り物です。横に飾ってありました。
ながーい指。
デューラーにとって自分の手は、画家としての自負心の端的な現れだったんでしょうね。強烈なプライドが伝わってきます。もちろん、デューラーの。
森村氏のサイトで一部作品の制作過程が写真付きで紹介されていましたが、とにかく何回も写真を撮って、ディテールを微調整しての繰り返し。1作品で100枚以上撮ることもあるそうです。
忠実に再現されている部分(オリジナルに同化していこうとする意識)と、どれだけ加工されてもなお個性を覗かせる森村氏の肉体が同じ空間でぶつかりあって化学反応が起き、それが心を揺さぶってきます。
フェルメール。自画像ではありませんが・・・。
表情がオリジナルの女性にとても似ています。
窓は現代のサッシだし、壁はコンクリート、イーゼルやキャンバス、机も3次元のリアルなもの、そして何より人物が女装した男性、というナマナマしい素材だらけなのに、全体として感じるのは間違いなくあのフェルメールの静謐さです。
女性をモチーフにしたものは、これ以外にルブラン夫人があって、これがまた美人でした
メイクアップやかつらは資生堂のプロの方が担当されているそうで、森村氏のイメージを忠実に再現するのに大きく貢献しています。名画というものは、構図や色、造形物のラインのすみずみまで制作者の意図があって、「神は細部に宿る」の言葉通り、それを忠実に再現してゆけば、オリジナルと同じものが立ち上がってくるんですね。それに森村氏の肉体と現代の造作の異化作用があって、鑑賞者は素直な感動と少しの居心地の悪さで、なんとも言えない妙な気持ちになります。
『クールベ/心に傷を負う快感』。もはや一遍の物語です。
思わず、彼の痛みに感情移入して、もらい泣きしそうになりました
言わずと知れたゴッホ。
塗りまくってます。
上着にまで。
後ろのミニチュアがルソーっぽい。
似てるなあ。ばっちりのアイライン。
ルソーはお気に入りです。色彩と肉体のコラボがたまりません。
ゴッホの感情のうねり、ぽやっと見えて案外頑固なルソーとそれぞれの人柄がくっきりと浮かび上がってきます。
色を背負うことは、作り手の情念を背負うことでもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d1/9176c48757913ffa17859472a84c463d.jpg)
こちらではレンブラントの歴代の肖像画を時系列に沿って再現しています。
二枚目が最後はずいぶんエグイ顔に^^;
ほかにもたくさんの画家が出てきました。ずららっと並べてみます。
ゴヤ。頭のバケツにご注目。
小林幸子的フリーダカーロ。
日本の画家も。
この他にもインスタレーション的作品やざわちんメイクっぽいモデルの小夜子の自画像、映像で再現したウォ―ホルとそのモデルなど面白い展示がいっぱいありました。最後にお気に入りの写真を2点。
『駒場のマリリン』
『エルミタージュ美術館』
ちなみに、これらとは別に1時間ほどの映像作品もあったのですが、時間の都合で観ることができませんでした。それぞれの画家に扮した森村氏が登場する(最後の晩餐を模して全員が座っていました)、面白そうな作品だったので残念です。
森村氏の身体が描くラインは美しく、表情もオリジナルをとてもよく捉えているので、お芝居が上手そうと思って観ていましたが、ご本人は、もちろん演じているのだけれども、それよりも内側にある異なる自分を掘り起こす作業をしている意識が強いみたいですね。
1つの作品にはとても多くの人が関わっているし、いろんな場所へ出かけて行っているのですが、写真の中にいる森村氏には、艶っぽい表情の時も、尊大な素振りの時にも孤独の影がまとわりついています。その辺が笑いながらも引き込まれてしまう由縁でしょうか。
細部をまねるということは、対象である絵の中に入り込み、かみ砕いて深く理解しないとできないことです。森村氏はそうやって、絵の作者、ひいては世界と対話をしているのだなと思いました。それはまた、鑑賞者自身が内なる自分や世界と対話することに繋がっている気がします。
写真でも十分おもしろいですが、本物はもっとインパクトがあります。楽しいひと時でした
とても長くなりました。最後まで読んでいただきありがとうございます