ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

小説・紀ノ川の舞台【九度山・慈尊院】

2016-10-26 22:43:20 | 和歌山

 

九度山を訪れた時に立ち寄った慈尊院。真田庵から徒歩15分程の奥に入ったところにあります。乳房(ちち)形の絵馬を奉納して安産・授乳・育児を願う乳房の民間信仰があるお寺です。

実際の絵馬のビジュアルは強烈ですが、原始的ともいえる即物性は、それだけ根源的な祈りということですよね。

 

女人高野とも呼ばれる世界遺産です。

有吉佐和子の小説『紀ノ川』は、主人公の一人である花が、嫁入りを控え、祖母に連れられて慈尊院を訪れるところから始まります。子を成し、家を繁栄させていくことが重要な役目であった時代、女として生きるべき道への覚悟を促す神聖な場所として登場するのです。 

「紀ノ川沿いの嫁入りは流れに逆ろうてはいかんのやえ」 

という花の祖母・豊乃の言葉どおり、流れに逆らって下流から上流へ嫁入りした花の娘は肺炎をこじらせ短命に終わり、また、生まれる前に慈尊院へ祈願の乳房形を納めなかった花の孫も幼くして命を落とします。迷信と言ってしまえばそれまでですが、その不思議な呼応に、人間というものは、理屈では解明できない大きな流れの中で生きているのではと感じさせるエピソードです。

現代では「家」にこだわる人もずいぶん少なくなり、子供を持たない選択をする女性も増えてきました。

そして、現在の慈尊院は安産・育児に加えて女性特有のがんからの救済を願うものも目に付きます。

内容はどうであれ、その切実さは同じです。

古今東西、自分の置かれた場所で懸命に生きている女性たちの思いに粛然とする場所でした。

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くどやまの六文銭 ~高野山番外編~

2015-12-02 17:00:42 | 和歌山

駅看板はのどかですが。

 

高野山間近の九度山駅で目に入った六文銭。

ん? もしかして? と思ったら。

やはり真田幸村ゆかりの地でした。

帰って調べてみましたら、ここ九度山は、関ケ原の戦いで徳川の怒りをかった真田昌幸・幸村父子が、信幸の嘆願によって罪一等を減じられて配流になった場所だとか。

来年の大河ドラマの主人公ということで、盛り上げているのでしょうか。

目を引く六文銭。

 

帰りの列車で、それまで爆睡していた隣の女性が、九度山の手前でむくりと起き直ってカメラをスタンバイ。九度山駅では列車の入り口に陣取って激写するのを目撃しました。

幸村ファンか、堺雅人ファンかどちらでしょう???

そのうち堺雅人さんがロケでいらっしゃるかもしれませんね。

南海線がこの好機を見逃すはずもなく、帰路、橋本駅から乗った快速は真田電車でした。

うーん派手だ。

高野山開創1200年の次は大河ドラマだ!

座席まで六文銭。なんだかそわそわしてしまいます。

 

真田幸村氏も堺雅人さんも三谷幸喜さんも大好きなので、来年の大河は楽しみです。年が明けたらぜひ九度山の地に降り立ってみたいと思います。

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高野山に行ってみた その2 ~奥之院~

2015-12-01 22:10:36 | 和歌山

 

お地蔵様もさむい。

 

昨日に引き続きまして高野山でございます。

順序が逆になってしまいましたが、高野山駅からバスに乗ってまず向かったのが、奥之院。何百本もの老杉がそびえる参道が、弘法大師御廓に向かっています。

 朝日がまぶしいです。

 

弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰から、20万基を超す墓碑が並んでいるそうです。その中には歴史上の有名な方々もたくさん。

苔が時代を感じさせます。 

 一門が眠るということでしょうか。

  

小田原とはまたずいぶん遠いところから、と思いますが、そのほかにも武田信玄やら石田三成、薩摩島津家あるいは有名企業、中には、えっ、こんな人までという墓碑がたくさん。浅野内匠頭と四十七士とか泉岳寺にお墓なかったでしたっけ? ここに分骨されたということなのでしょうか? 太平洋戦争の戦没者の碑も多かったです。

 

なんといっても墓碑なので粗相があってはいけないと、はじめのうちは見知った名前を見るたびに脱帽、手袋を外し、はじめましてむにゃむにゃ、と頭を下げていたのですが、なにせ20万基ですからこれでは永久に御廓にたどり着けないと気が付き、途中からだいぶはしょって歩きました 俄か信心が馬脚をあらわすってやつで。

さすがお坊様はお経を唱えながら歩いていらっしゃいます。

 

句碑も多くて、芭蕉や其角、さらには司馬遼太郎氏もありました。皆さま、ここを訪れたということなんですよね。

芭蕉の句碑。

おそらく景色は芭蕉が訪れた時とほぼ変わってないと思われます。

 

天寿を全うされた方ばかりではないので、この参道の両脇にあるものは、いわば悲しみの堆積物と言ってもよく、そう考えるとなんとも言えない気持ちになりますが、でも、そんなのは生きている人間の感傷に過ぎなくて、実際に感じるのは、ただ穏やかで静かな空気だけです。ここにいる人だけがすべてではないですが、それでも目に入る墓碑の数だけ人生があったと思うと感慨深いです。いつか私も向こう側へ行くわけですが、こんなにたくさんの人たちと一緒なら、彼岸を渡ったあとも淋しくないなあと思いました。何より弘法さまのお膝元ですもんね。

苔がかわいい。 

緑の葉っぱはこうやまき。

 

御廓の近くになると俄然、人が増えてきました。どうやら別の路から上がってこられたようです。お寺関係の方やお遍路さんも多かったです。

この先に、弘法大師の御廓が。

 

弘法大師様はご入定後も変わらずお勤めをされていると信じられています。

祈ったからといって、この世の苦しみや悲しみが無くなるわけではないですが、そういった厄災も含めて、大師さまは、人間を静かに見つめていらっしゃるのかなと思いました。

 

 

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高野山に行ってみた その1 ~金剛峯寺周辺~

2015-11-30 22:50:46 | 和歌山

特急「こうや」

 

紅葉の季節も終わり、本格的な冬を迎える高野山に行ってまいりました。

そもそもは開創1200年という記念の年に、秘宝やら寺やらが特別展示になるということで行きたかったのですが、そんなものはとっくに終わってまして^^;

何だかもう目的もわからないまま勢いで行っちゃいました。

始発駅のなんばは都会なのですが、30分も走れば車窓は一気にのどかになり、じきに紀伊山地に突入です。京都や奈良にも山はありますが、脈々と連なる山地を電車が走り抜けるのは凄い景色です。世界遺産の聖地・高野山に行くのに、大事な山のお腹をがんがんトンネルで抜けていくなんて、人間はなんと罰当たりなと思いましたが、こうでもしないと辿り着く根性はないですから、ムズカシイところです。

なんばを出てから90分。極楽駅でケーブルに乗り換え、東京スカイツリーより高い標高(634m以上)の高野山駅からさらにバスで20分ほど。

ようやく、金剛峯寺付近に到着です。ダウンに暖パンとかなり着こんでいきましたが、全然ちょうどいい(笑)。息も白いです。

みごとにつるっぱげの木。

立派な建物の屋根には・・・。

雪が!

さすがの迫力。

明治5年までは女人禁制だったという高野山。1200年の歴史のうち、1000年ほどは色気のない世界だったことになります。

だからでしょうか、ちょっとそっけない空気です。

いや、そっけないというより、俗界の垢を排除していった結果、情緒的なものすべてそぎ落とされたという感じでしょうか。慈愛とかやさしさとかそういう正の感情ですら存在する余地がないようです。夾雑物を廃して清らかさを追求していくと、限りなく無に近づくのかなと思いました。

根本中堂。

雪解け水。

西行桜。

ここに長くいると、俗世間での生き方を忘れてしまう気がします。

お勤め中。

なごりの紅葉。

おそらくしゃくなげ。小売りもしてました。

季節が良い時にくればお花もいっぱいで、もう少し柔らかい風情を感じられたのかもしれません。良いところでしたが、迷いの多い人間はちょっと圧倒されてしまうたたずまいでした。

 

明日は標高がさらに上、奥之院のご紹介です

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