ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

ふたばの豆餅

2017-05-25 21:41:25 | グルメ

いただきます

 

京都・出町ふたばの豆餅といえば誰もが知る有名和菓子ですが、本日なんとJR大阪駅傍のお店で発見! しかも先週と今週木曜日の2日間限定という超レア入荷です 

実は先週たまたま通りがかって看板が目に入ったのですが、入荷は午後と言われて夕方出直したら既に売り切れ 諦めきれずにスケジュールを調整し(笑)、本日再トライでゲットです

見た目から大福的なあんこ味を想像しがちですが、ノンノンノン この餅は豆がキモです。豆大福好きなのであちこちでいただいてますが、ふたばの豆ほど味が濃くて活きが良く、ぱっつんとした豆は他にありません。こしあんのほのかな甘みはあくまで豆の引き立て役でしかなく、更にはじけまくって主張する豆を優しく包む餅の柔らかさがこれまた絶品 このバランス、素晴らしいです 最近、甘味は控えているのですが、本日ばかりは無礼講。一気に2個いただきました 

うん、もう、間違いないです。史上最強の豆餅。次はいつ会えるのかなあ。今度京都に行ったら本店に並んでしまいそうです

 

 

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漱石と京都【大山崎山荘美術館】

2017-05-24 21:56:20 | アート

絵になる美術館です。

 

妙喜庵に行った帰り、足を延ばして大山崎山荘美術館に行ってきました。天下分け目の天王山の入り口近く、ここは紅葉の名所としても有名な緑豊かなところです。

建物や調度品も豪華だし、モネの『睡蓮』はあるし、ただ訪れるだけでも楽しいところですが、本日のお目当ては開催中の『漱石と京都』。

漱石は生涯で4度、京都を訪れています。その時に関西の実業家・加賀正太郎の熱心な誘いで建設中の山荘を訪れたんだとか。滞在時に詠んだらしい句碑が山崎山荘の入り口にあります。漱石と言えば江戸・東京のイメージが強いので、ザ・京都な場所で漱石の気配を辿るのは不思議な感じです。

今回の展覧会は、山荘の命名を頼まれたことから、呼称案を記した書簡や日記など、主に文献が展示されていました。目を引いたのは京都訪問の印象をつづった『京に着ける夕』。とにかく京都は淋しいところであること、ぜんざいのちょうちんがやたら目についたこと、そしてとても寒いことなど、率直な感想が綴られています。生き馬の目を抜く大都会東京に暮らしていると、山や川に囲まれた京都はものさびしく感じるようですね。

漱石は実際にぜんざいを食したわけではなく、初めて京都を訪れた時に軒先にぜんざいと書かれた赤い大提灯をみて、これが京都だなと感じたということですが、簡潔な表現ながらも鮮やかな色彩と古い木造の町家の情景がくっきりと目に浮かんで、漱石の印象に大きくうなずくものがありました。そもそも、ぜんざいっていう名称は、確か、関東にはないんですよね。 あちらは田舎汁粉と言うんでしたっけ? 東京の甘味屋で注文に四苦八苦した覚えがあります。

漱石初めての訪問は『京に着ける夕』の15、6年前。正岡子規と一緒でした。その時を回想していますが、「ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯(ひから)びて死んでしまった。」という哀切極まりない一節が心に残っています。

漱石は大好きな作家ですが、実は京都を舞台にした『虞美人草』は未読。とても難解で一度挫折しています^^;

京都の町でなら読めるかもしれません。これを機会に、近いうち再チャレンジしてみたいと思います

赤い葉っぱがちらほら。

 

 

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強烈な意志【妙喜庵(待庵)】

2017-05-22 22:58:48 | 京都

突然ですが、現在日本で国宝に指定されている茶室は3つあります。先日、そのうちの一つ、京都・山崎にある待庵(妙喜庵)に行ってきました【事前申し込み制】

こちらは現存するなかで千利休の作と言われる唯一確かな茶室で、戦の最中に秀吉の命により作られたものがその後、妙喜庵に移築されたそうです(諸説あります)。

現在、待庵を含め妙喜庵全体が撮影禁止なので残念ながら写真はありません。ただ、以前は茶室の内部以外はOKだったらしくネットで検索するとけっこう出てきます。が、個人的には二次元で観ても意味がないと思うので、興味ある方は実物の見学をお勧めします。

まず妙喜庵の内部を見せていただいた後に茶室を見学するのですが、正直言って第一印象は「地味」。まず狭い(2畳)し、想像していた何倍もうす暗い。窓から覗き込んでの見学ですが、目を凝らさないと見えない箇所も多いです。これは窓の位置によって、茶を点てる手元など必要なところだけ明るくし、それ以外は暗いまま残して置くという利休の意図的な光の調節なのです。塗りっぱなしの壁から顔をのぞかせる藁くずや、壁の下地を残したままの窓など、荒っぽさすら感じる簡素さの中に、絶妙な配置で見える床の間の台の木の節や高く見せるため斜めに配置された天井、そこに渡された竹など、間違いなく美が存在する。こうした隔絶された場所で、パーソナルスペースぎりぎりの距離間で2人の人間が対峙する時、それはもうお互いむき身で魂をさらけ出して向かい合うしかないですよね。そのそぎ落とし加減に、利休の気概と権力への強烈なアンチを感じます。

私の推測も含めてですが、という前置きと共にお寺の方が話してくださったのですが、秀吉は自分の指図がすぐに実行されないと気がすまない人物で、たとえば茶室を作れと言ったら3日ぐらいで完成しないと大層ご立腹だったらしい。早く作るためには簡素な作りにせざるを得ず、2畳という狭さも、竹など自然のものをそのまま生かしたのも、そうせざるを得なかったという実際的な事情がある(そのためか、角の柱を塗りこめて丸くするなど部屋を広く見せる工夫もされています)。同時に、その限られた状況で茶の湯の世界観を表現しようとした時に、わびの精神がどんどん洗練されて具体的な形になっていったのではないか、ということでした。たとえば簡素なので通常の桧皮葺では壁が荷重に耐えられないらしく、従来より薄い屋根板になっていますが、その危うさになんとも味わい深い風情があります。

茶の湯と言うと、つい観念的なものを想像しがちですが、こうして具体的に形となった茶室を見ていると、実は利休は身体感覚が優れていたのかも、と思います。下地窓が作り出す不規則な光と影とか、近い距離で感じる人の肌身や呼吸の気配に五感が感応しなければ、自分自身の深い精神世界には降りていけない気がするからです。

ITの普及後、一人でいる時もネットやメールで常に世界と繋がることができるようになりました。常に世界と繋がっている感覚は時に救いですが、けれど、そうやって首から上、いや目から上だけで生活を続けることによって、どんどん身体感覚が衰えてきている気がします。自分自身を深めるためには、時に待庵のような空間に身を置くことも大事なのかもしれません

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マジっすか。【大阪中央公会堂ガイドツアー】

2017-05-16 22:08:28 | 大阪

いざ♪

ご無沙汰しました。ちょっと気を抜くとすぐ間が空いてしまいます。この調子だとあっと言う間に年が暮れてしまいそうです^^;

さて、先日、偶然見つけた大阪中央公会堂のガイドツアーに行ってきました(要予約)

中央公会堂は展示室など自由見学エリアがあるのですが、こちらは普段は見られない3階の特別室を見学できるツアーです。

合計20人くらいでしょうか、たくさんの参加者で大盛況です。まずは展示室でパネルなどを眺めながら公会堂の成り立ちから。

ご存じの方も多いと思いますが、こちらの建物は個人の寄付で建てられたものなんですよね。北浜の株式仲買人・岩本栄之助氏が訪米の折に、大富豪が慈善事業や公共事業に私財を投じていることに感銘を受け、帰国後100万円を大阪市に寄付したんです。

展示室にある岩本氏の像。

 

中之島界隈をぶらつき始めて約2年。さすがにそれぐらいは存じておりましたとも。えっへん

がっ。

岩本氏はその後、第一次大戦の影響もあって株式で莫大な損失を出し、ピストル自殺をしてしまいます。

えええっ。まじっすか

それは知りませんでした。衝撃的な結末に解説を聞きながら思わず顔がひきつりまくり 

39歳の若さだそうです。しかも公会堂が完成する前。実物を見てないんです。100万円も寄附したのに。一説によると、現代の価値換算で50億円とも言われてます。末代まで二度と仲買いには手を出すまじという遺言を残したとか。うううっ(T_T)

損失を出した時に周囲から「寄付した100万円のいくばくかでも返金してもらってはどうか」と勧められても、断固拒否。

「一度寄附したものを返してもらうなど大阪商人の恥」ってことらしいですが、いやしかし、命あっての物だねでは? と思ってしまうのは、小市民の野暮なのでしょうね。

前置きが長くなりました。そんな話を聞いた後、いよいよ特別室です

じゃじゃん♪

天井は日本神話『天地開闢(かいぴゃく)』

ステンドグラスの向こうにはビルが。

デザインは鳳凰。

大阪市の市章『澪つくし』の形をしています。

凸レンズで光を拡散。ビルが逆さまに映ってますね。

オリジナルを忠実に再現したカーテン。

とにかくすべての場所が粋を凝らして作られていて、天井は高いし、明るいし、会議がとってもはかどりそうです(笑)。

絵にタペストリーに大理石に扉にと観るところがたくさんあって忙しいです

扉は象嵌。

タペストリーは刺繍。

職人の町、とくに繊維業が盛んな大阪らしく、織物系に特に工夫が凝らされているように感じました。さらに足元は。

黒大理石と白大理石。

この大理石、それぞれ一つの大きな大理石に縦横に線を彫って9枚板のようにしてるんだそうです。面積が大きいと滑ってしまうので、転ばないための工夫なんだとか。さらに天然の大理石である証拠が画面左下の黒大理石。

この白い点は化石!

壁にも大理石が使われているのですが、一部フェイクなところもあって(色を塗って大理石のように見せかけている)、その見分け方は「温度」。大理石の方がフェイクな部分よりも断然冷たいのです。面白いですね。

有料ですが、解説はとても丁寧だし、帰りにお土産もいただいて(公会堂の絵のクリアファイル)、なかなか楽しいツアーでした。定期的に開催されているので、興味ある方はぜひ覗いてみてください。ランチ付のコースもあります

この他にも、大中小の集会室があって現役で活躍中。機会を見つけてぜひそちらも見学してみたいです

 

 

 

 

 

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ツバメ返しがみられます【長谷牡丹園】

2017-05-06 20:40:14 | 

 

牡丹か芍薬か。

兵庫県宝塚市にある長谷牡丹園に行ってきました

JR武田尾駅から、ぐいぐいと山間部を抜けてバスに揺られること20分。山あいの村という形容がぴったりの牧歌的な風景の中にありました。牡丹で有名な奈良の長谷(はせ)寺とゆかりがあって『長谷』の名前になったと伝わりますが、こちらは「はせ」ではなく「ながたに」と読みます。もともと宝塚は約1000年! の歴史がある花き植木産業の町だそうで、牡丹も古くから栽培されており、明治時代にはパリ万国博覧会に牡丹を出展したんだとか。牡丹園という名ですが、牡丹だけでなく芍薬も植えられています。

時折雨も降るあいにくの天気でしたが、滴をのせた葉と花も素敵

実は牡丹よりも芍薬が好きで、こちらの訪問も芍薬が目当てでした。と言って、牡丹と芍薬の区別はよくわからず

勝手に尖った葉っぱは芍薬、平べったい葉は牡丹と決めて観賞することに(笑)。ちなみに牡丹は木、芍薬は草だそうです。帰って調べたら、蕾の先がとがり、一本に真っ直ぐ伸びるのは芍薬とのことなので、してみると上の蕾は芍薬と思われます。

これは芍薬?

これは牡丹かなあ。。。

子供の日の名残です♪

この辺りは、昭和初期(もしかするともっと前)から景色が変わっていないのではと思うほど古い家屋や蔵があり、耕作地が広がっています。蛙は大合唱、鳥もさえずりまくり、賑やかなことこの上ありません。そして、びっくりするほどたくさんのツバメが いつも見かけるツバメは狭い駅の通路や建物の間をすり抜けるように飛んでいて、しかも地面はアスファルト。こんなに伸び伸びと地面すれすれに飛んでいるツバメたちは初めてです。そう、噂に聞く「ツバメ返し」をナマで目撃 草の間にいる虫をいただいているのしょうか。動きが早く撮影は無理ですが、花そっちのけで夢中になってしまいました。地元の方たちは見慣れた光景なのか見向きもせず作業に没頭。羨ましい生活です。

 

あいにくの雨模様で長居はしませんでしたが、軽食をいただける処があったので天気がよければ、そこでのんびりと花を愛で、自然の声に耳を傾けるのも気持ちよさそうです。それにしても、この辺は山が多いですね。武田尾駅の到着直前にも長いトンネルを抜けるし、そもそも武田尾駅が山をくりぬいてそのまま駅にしてしまったような作りなので、変な緊張感があります(笑)。長谷まで行くのはなかなか大変ですが、山のパワーを感じるので今度は武田尾温泉に浸かってみたいです

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