『寺の塀』 1964-66年(『今、ふたたびの京都』求龍堂)
今宮神社近辺は、神社と隣接するあぶり餅屋以外は、多少古い木造建築は残っていても、総じて現代的な街並みなわけですが、そこに突如として、いかにも時代がかった印象的な塀があります。
そして何やら見覚えがあると思ったら、どうやら魁夷画伯のスケッチにある大徳寺の塀であることがわかりました。
瓦をはめる、というのが知恵&技なのでしょうね。
そんなつもりでは撮っていなかったので同じ構図ではないですが、雰囲気はわかっていただけるかと思います。
この塀を見つけて、思わず車道を突っ切って近寄った時、自分の衝動が、京都を旅する魁夷画伯の心持ちとシンクロした気がしました。
著書『風景との対話』の中で、画伯は「京都における私は旅行者である」と書いています。実際に京都に住む人々にとっては、近代化と京都に残る文化遺産や風習とのぶつかり合いは深刻な問題であるに違いないとしながらも、自分はあくまで「旅人であり日本人であって、京都を心の故郷とし、その中から尽きない泉の水を汲みとり渇きを癒したいものである」(『風景との対話―古都慕情』)。
一体、旅をするとはどういうことなのでしょうか。
自分の中の衝動の意味を考えていた時に、この「渇きを癒す」という言葉を目にして、腑に落ちるものがありました。
少し、画伯に近づけたでしょうか。
京都の潤いのある空気を胸いっぱいに吸い込みながら、今後も旅を続けていきたいと思います