ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

東山魁夷展 ほんとうの「あお」に出会う

2018-10-08 17:28:51 | 東山魁夷

当ブログへお越しくださるみなさま。

ご無沙汰しております。

なかなか更新できずにいる中、ご来訪ありがとうございます^^

さて、京都近代美術館で開催された東山魁夷展に行ってきました(このあと東京に巡回)。生誕110年を記念した展覧会は、習作やスケッチも含めると主な画業がほぼ網羅されており、とても見ごたえがありました。

横浜美術館で初めて画伯の作品に出会ってから14年。その後、東京での展覧会や他の美術館、千葉の記念館、そして最近では唐招提寺と、折に触れて作品を鑑賞してきましたが、『残照』や『花明り』など大好きな作品の多くはほとんど観る機会に恵まれず、今回再会できたのは嬉しいかぎりです。

同時に、『白夜光』や『白馬の森』など、以前は心に残らなかったのに、今回初めて魅かれる絵もありました。私自身が歳を重ねることで、その作品を描いた頃の画伯の年齢に近づき、これまではみえなかった画伯の思いや意図が理解できるようになってきたのかもしれません。

『白夜光』は、北欧特有の寒々とした空気がなじめなかったのですが、今回は写実的とも言える暗く縹渺たる森林の、遠い水面に宿る、細く、けれども鋼のように研ぎ澄まされた光がとても美しかった。挑戦し続ける画伯の強い意志を感じました。

『白馬の森』は目にした瞬間、その清らかなたたずまいに心を奪われました。白い馬は親交の深かった川端康成氏の死後に現れるようになったと聞いたことがありますが、今回改めて思うのは、描かれているのはこちら側と彼我との合間の世界であり、同時に心象風景でもあるということです。50歳代、60歳代の作品は、野心も含めて現世の活力が漲っていて、旅で訪れた土地のナマっぽい手触りを感じるのですが、70歳代に入ると、そうしたものがそぎ落とされて、ベクトルが外側から内側に向かいます。白馬はその景色の中にいて、いつも手の届かないところに立っている。そのすがたは早世した家族や川端氏の魂の化身のようにも見えます。自分と深いつながりを持つ人たちの多くがあちら側に居るなんて悲しいことですね。いつかは自分も訪れる世界。老いていく身を自覚しながら生き続けていくことの苦しさ。そこから生まれる祈り。白馬はある日突然出てきて、1年くらいでふっといなくなったそうです。祈りの中からそれでも生きるべき道が見えたとき、白馬はその役目を終えた気がします。

おなじみの作品たち以外に楽しみにしていたのは、後に『京洛四季』にまとめられた一連の京都のスケッチです。さすが京都開催! 展示替えを含めると、相当な数が展示されていました。(ちなみに本展覧会の図録には地図が掲載され、すべてのスケッチの描かれた場所がわかるようになっています。)当ブログで『東山魁夷をめぐる旅』を書くにあたり何度も見返した作品たちですが、原画を観るのは初めてです。二条城の石垣や化野念仏寺の地蔵など、造形に興味があるものは鉛筆で丹念にスケッチ、散り紅葉など色の美しいものは絵筆でさらりと色をのせてある。宵山の幽玄や町家に軒先の古道具など、画伯が心ひかれた景色がクロースアップで率直に描かれ、観ていて飽きません。

スケッチに続いて並んでいるのは、匂うようにあでやかな春の山桜に、あおが瑞々しい竹林、鮮やかな秋の紅葉の手前で朽ちる葉、そして年の瀬に静かに降る雪(画伯の描く雪のリズムが大好きです)など、京都の四季を描いた作品が続きます。ずらりと並んだ作品たちを眺めていると、画材を抱えて、てくてくと歩き続ける画伯の姿が浮かび上がってきます。京の四季の美しさを愛で、いにしえの職人たちの技に感嘆し、この町で営まれる人々の暮らしを慈しむ。画伯の旅の軌跡を辿るとき、鑑賞者自身の中にも自然と京都への愛着が湧きあがって、このような景色がこの先ずっと千年も続いて欲しいと心から願うようになります。

この展覧会の目玉の一つは唐招提寺の障壁画ですが、以前こちらのブログで詳しくご紹介したので今回は省きます。ひとつ言えるのはやはり別格でした! 芸術は時空を超えた交流を可能にする。画伯の鑑真和上への心遣いが沁みる作品です。

14年前には存在を信じて疑わなかった画伯の描く『日本の原風景』ですが、今回、緑豊かな山河や京都の風景を見て感じたのは大きな危機感でした。私が京都に行き始めて4年弱ぐらいですが、そのわずかの間にも京都の町はどんどん変わっています。そもそも『年暮る』に描かれた民家の風景は、画伯が執筆当時にすでに過去の景色だったそうです。近年の温暖化を考えると、豊かな緑も、降りしきる雪も、いつか見られなくなる日が来るかもしれません。

次に画伯の作品に出会えるのがいつかはわかりませんが、その時にも「美しい日本の風景」と思える未来を切に願います。

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東山魁夷をめぐる旅 16【花明り】

2017-04-22 12:40:32 | 東山魁夷

『花明り』1968(昭和43)年 京洛四季展

 
『花は、紺青に暮れた東山を背景に、繚乱と咲き匂っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚め尽したかのように。
 
枝々は数知れぬ淡紅の櫻珞を下げ、地上には一片の落花も無い。
 
山の頂が明るむ。月がわずかに覗き出る。
 
丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮び上る。
 
花はいま月を見上げる。
 
月も花を見る。
 
桜樹を巡る地上のすべて、ぼんぼりの灯、篝火の焔、人々の雑踏、それらは跡かたもなく消え去って、月と花だけの天地となる。
 
これを巡り合せというのだろうか。
 
これをいのちというのだろうか。』
 
(東山魁夷展。[ひとすじの道]図録より転載) 

 

初めてこの絵を観たのはもう10年以上も前の横浜美術館でした。おそらく没後はじめての大規模な回顧展で、主だった作品はほぼ展示されていたように思います。別格な唐招提寺障壁画を除いて、数ある作品の中でもひときわ印象的だったのが、この『花明り』でした。幻想的な風景と静謐な空気に、横に掲げられた画伯の言葉も味わい深く、心に小さな灯が点ったような気分になりました。

京都の桜であることはわかっていましたが、それが現存し、しかもかなりの繁華街にあると知ったのは3年前、関西に住み始めてからです。

1年目はまったく行く時間がとれませんでした。2年目はスケジュールが合わずに訪れたのは遥か見頃を過ぎてから。そして3年目の今年、ようやく満開の桜と対面することができました。

今年は生憎の雨で、さすがに宴席を設けている人たちはいませんでしたが、それでも桜の周りはたくさんの人で、傘を差しながらシャッターを切り、つくづくと桜を見上げています。桜自身も雨には全く動ぜず、まさに「繚乱と咲き匂って」います。東山の稜線が微かに明るんでいるのも画伯の描写どおりです。

曇天のため月の所在はわかりませんでした。去年、晴天でも見つけられなかったので、もしかしたらもっと深い時間にならないと顔を出さないのかもしれません。暦を調べた限り、画伯が訪れた時期に桜の見頃と満月は重なっていたようです。ただし、50年分の桜の成長を差し引いても、東山の山際と桜(そしておそらく月も)を同時に視界に入れるのは困難です。東山と桜の間には実はとても距離があって、木々の輪郭が絵のようにはっきり見えることはありません。三次元の景色を二次元に収め、時空を超えた出合いを表現するための画伯の工夫かと思います。でも、「古代紫」と評された空の色も、咲き誇る桜の風情もまさに絵のとおりです。

祇園四条の突き当たり、八坂神社の奥に佇む祇園桜の周りは想像以上に賑やかで、京の人々の喧噪に包まれています。そんな人工物の中にまさに忽然と桜は現れ、無心に天に向かうその姿には生命力と気高さがあります。同時に少しの寂しさも。孤高の桜と、平安の昔から変わらぬ山の稜線から浮かび上がる満月。美しい出合いの向こう側に、もしかしたら画伯は亡くなった親しい人たちの面影を見ていたのかもしれません。

気がつくと雨は上がっています。画伯の頃よりさらに大きくなった桜と、古代紫の空を見上げるとき、私もまた、時空を超えた画伯との邂逅を果たした気がします。

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東山魁夷をめぐる旅 15 ~旅をするということ~ 【大徳寺の塀】

2016-08-18 22:55:43 | 東山魁夷

『寺の塀』 1964-66年(『今、ふたたびの京都』求龍堂)

 

今宮神社近辺は、神社と隣接するあぶり餅屋以外は、多少古い木造建築は残っていても、総じて現代的な街並みなわけですが、そこに突如として、いかにも時代がかった印象的な塀があります。

そして何やら見覚えがあると思ったら、どうやら魁夷画伯のスケッチにある大徳寺の塀であることがわかりました。

瓦をはめる、というのが知恵&技なのでしょうね。

 

そんなつもりでは撮っていなかったので同じ構図ではないですが、雰囲気はわかっていただけるかと思います。

この塀を見つけて、思わず車道を突っ切って近寄った時、自分の衝動が、京都を旅する魁夷画伯の心持ちとシンクロした気がしました。

著書『風景との対話』の中で、画伯は「京都における私は旅行者である」と書いています。実際に京都に住む人々にとっては、近代化と京都に残る文化遺産や風習とのぶつかり合いは深刻な問題であるに違いないとしながらも、自分はあくまで「旅人であり日本人であって、京都を心の故郷とし、その中から尽きない泉の水を汲みとり渇きを癒したいものである」(『風景との対話―古都慕情』)。

 

一体、旅をするとはどういうことなのでしょうか。

自分の中の衝動の意味を考えていた時に、この「渇きを癒す」という言葉を目にして、腑に落ちるものがありました。

少し、画伯に近づけたでしょうか。

京都の潤いのある空気を胸いっぱいに吸い込みながら、今後も旅を続けていきたいと思います

 

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東山魁夷をめぐる旅14 【あぶり餅】

2016-08-14 23:47:10 | 東山魁夷

あぶり餅 1964-66年(『今、ふたたびの京都』求龍堂)

 

先日もご紹介した今宮神社の東門前にあるあぶり餅屋のスケッチです。

暑そうですね。

 

一和屋さんの店内から向かいのかざり屋さんを描いたものであることは本の注釈からわかっていまして、更にデジカメで撮影した絵を見ながら構図を確認してお店入りました。絵の中では、写真と違って左の戸が立て込んであるので、もしかしてもっと寒い季節(あるいは紅葉の時期)かもしれませんが、道具の位置はばっちり

が。

どうしても暖簾が画角に入りません

お店の軒先、ホントの際に座ったのですが、何度か試してから、この絵の構図は奥の座敷からでないと撮れないことに気が付きました。でももうお餅もお茶も運ばれてきたので移動もできず・・・。

ああどんくさい

仕方がないので暖簾はアップで

暖簾を入れると全体が入りません・・・。

 

気を取り直しまして。

おそらく鷹ヶ峯や光悦寺を訪れて歩き回った身体を休めるべく立ち寄り、奥の座敷でのんびりとくつろぎ、あまじょっぱいお餅に舌鼓を打ちながら眺める景色がとても懐かしくまた京都らしい風景だったので、思わずスケッチ、といったところでしょうか。

実際は、暖簾が邪魔して白い壁はほとんど見えないはずですが、右側の暖簾を描かずにおいて、白い壁と昔の建物ならではの窓の形を見せたところに構図の工夫を感じます。

もしかして奥様もご一緒だったりしたのでしょうか。見えない画面のこちら側の微笑ましい風景を想像するのが楽しい一枚です

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東山魁夷をめぐる旅 13 【青蓮院門跡の大楠】

2016-08-13 23:45:00 | 東山魁夷

『年経る樹』(1968年)『今、ふたたびの京都』求龍堂より

 

晩秋に青蓮院の大楠は若葉の色に広がりて照る

 

「京都は今描いといていただかないとなくなります」

川端康成のこの言葉に後押しされるように魁夷画伯が描いた京都をまとめた『京洛四季』。

魁夷画伯からの依頼を受けて川端氏が書いた序文(都のすがた――とどめおかまし)の冒頭にあるのがこの一首です。

 

序文を書くにあたって改めてこの大楠を見にいった時、樹齢800年を超えると言われるこのなじみの大楠に、葉色のみずみずしさを発見して感動したから、と続きます。

 

川端氏が訪れたのは晩秋で、私が行ったのは真夏と季節は違いますが、この大楠を訪れて最初に目に入ったのは、その緑の豊かさでした。

近寄ってみて枝ぶりの複雑さ、苔むして盛り上がった樹根に目が行き、この老木が経て来た年月に思いを馳せることになります。

 

『年経る樹』とつけられたこの絵は、構図の視点が今でもひと目で「ここ」とわかるくらい(一番下の左の枝などは特に)、かなり忠実に写生されているものの、枝や樹根のうねりはデフォルメされて、禍々しさすら感じさせます。生き延びるためには、綺麗ごとだけではなく、醜さや悲しみもくぐり抜けなければいけない。厳しい時を経てなお、このように見事な姿を見せる大楠に画伯は心を魅かれたのではないでしょうか。同時に人里でこれだけの木を残すためには、陰で多くの人々の努力があったに違いありません。画伯の視線はまた、そうした名もない人たちの献身にも注がれている気がします。 

青蓮院門跡は円山公園へ抜ける道の脇にあって、私が訪れた時にも、この大楠の傍の狭い道を何台もの観光バスが通り過ぎていきました。静謐なだけの空間(車がなければ静かですが)とは言い難いですが、大楠は動じることなく自分の場所に立ち続けています。

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