近代的ビル群の中に突如出現する幕末な建物。
大阪の陣400年とか、大阪都構想の住民投票とか、何かとアツイ大阪市ですが、実は私的にも密かなブーム。だって、気づいちゃったんです。淀屋橋や中之島近辺は歴史オタクにとってのワンダーランドだって。
歩けば歩くほど面白く、実は来月のブログのサブテーマは、大阪にしようと思ってます。タイトルは『大大阪時代』。詳細は近日公開です。お楽しみに(笑)。
で、本日はひと足早く適塾のご紹介。
歴史を感じる適塾の塀。
適塾ってご存知ですか? そういえば、歴史の教科書で見たような・・・でもなんだっけ? て感じじゃないでしょうか。私はそうでした。このあいだ、大阪アートフェスタを回る時に使った地図に、ぽつんと『適塾』って書いてあって、うーん、なんだっけ???
調べてみたら、緒方洪庵の開いた蘭学塾とのこと。緒方洪庵。ああ、TBSのドラマ「仁-JIN-」の武田鉄矢ね! って、ざっくりな認識ですみません。ちなみに適塾の名前は、洪庵の号、適々斎からきているそうです。
たぶん、江戸時代には洪庵先生の商売敵(笑)。
『仁-JIN- 』での武田洪庵のイメージは、穏やかで、先を見通す聡明さがあって、最新の西洋医学の専門家。そして病弱。ああ、それから大阪から単身赴任して寂しいひと、でした。だから、仁の心の痛みを唯一、理解してくれる人だったんですよね。幕府に乞われて江戸に出てきて、1年ぐらいで結核で亡くなってしまいました。54歳。今なら全然早逝です。
洪庵はもちろん優れた蘭学者、医学者でありますが、同時に優れた教育者で、門下生には福沢諭吉、橋本佐内、大村益次郎などそうそうたるメンバーがいます。漫画家・手塚治虫の曽祖父・手塚良仙もここの門下生だったそうです。この方を主人公の一人として、手塚治虫は『陽だまりの樹』を描いています。また、司馬遼太郎の小説で、大村益次郎を主人公にした『花神』も有名ですね。
つまりはそれほど魅力的な人、ドラマが詰まったところだったのでしょう。
きちんとしたお家って感じです。塾生、家族が同居してました。
洪庵は、備中足守藩(岡山県)の下士の生まれですが、病弱だったので武士をあきらめ医者を目指したとあります。そのせいでしょうか、適塾の雰囲気は、まさに町人のものです。子供の頃に行ったおじいちゃん家に近い。現在残っている適塾は、初代の適塾が繁盛して手狭になったため移転した後のものですから、敷地もかなり広く、羽振りが良かったのが伺えます。全国各地から集まって西洋の医学を勉強していたからでしょう、自由闊達な空気と広い視野を感じられる空間でした。とにかく風通しがいい。
奥に見えるのが洪庵先生愛用の机。くーっ。
政治家を目指す人や教育者、初めて赤十字博愛精神を実践した高松凌雲など、門下生はあらゆる分野で活躍してます。私は関東に住んでいた頃、やはりあちこちの史跡を巡ったのですが、基本は江戸幕府に関わるもの、つまり、中央政治の厳格さ、ま、エリート臭っていうんですか、がにじんでる場所が多かったです。義理とか規範とか、四角四面なしんどさを感じました。もちろん、それが、無駄をそぎ落とし、形式化された美しさに昇華されている場合もありますけれど。
縁側からの景色。シュールです。
それにくらべて、この適塾は繁華街のど真ん中、しかも当時は、実際的な医療所としても繁盛していたわけですから、そうした江戸の史跡に比べたら、感覚は全然現代人に近い気がしますし、中央政府から距離があるのが良かったんでしょうかね。時代にとらわれずなおかつ、俯瞰で世間を見られていたような気がします。
急すぎる階段で2階へ。この角度、信じられます?
オランダのヅーフ船長が作ったヅーフ辞書を勉強するヅーフ部屋とかあって、そりゃもう勉強するものにとっては願ったりな環境なわけです。
「ヅーフ部屋」。一冊の辞書を争って取り合い勉強したそう。ちなみに辞書は、部屋持出厳禁でした。
塾生大部屋。慶應義塾の「塾」はやはりここから来たのか?
やっぱり急すぎる階段で1階へ戻る。みんな元気だったんだね(^^;
以前、生涯教育を受講していた頃、慶應義塾大学の図書館に行ったことがありますが、勉強机はたくさんあってどれも立派だし、目を見張るぐらい何でも資料があって、こりゃ、好きなだけ勉強に没頭できるな、と感心した覚えがあります。適塾から福沢諭吉先生が受け継いだ精神が今もそのまま残ってるんでしょうね。
適塾の窓から。隣はサラリーマン憩いの場所のようです。
現在の適塾は北浜駅と淀屋橋駅の丁度中間ぐらいにあって、周りは大阪屈指のオフィス街です。ちなみに近くには薬の街と言われる道修町があって、その関係で製薬会社のオフィスが多いそうです。それから金融機関。ま、この辺のところは後日改めてアップしますね。
すぐ傍には、こんな近代的なビルが。
記憶を頼りに行ったので、一発ではたどり着けず、ふらふらして迷いかけ、通りがかりの人に道を聞いたはいいが、
「は? 適塾? いやあ、知りませんわ~」(「なんやそれ」、のニュアンス含む)というお答え。
生き馬の目を抜く大阪のオフィス街で日々働く人にとっては、とりたてて興味を引く場所ではないみたいです(笑)。 ま、そうですよね。それが日常ってもんです。
ちなみに適塾の裏にある愛珠幼稚園(現在耐震工事中)は、元・銅座(銅山から荒銅を買入れ、大阪で精錬させ、集荷して、長崎へ回送していた)でここも立派な建物です。工事が終わったら、一度見てみたいものです。
適塾ご近所で繁盛しているお好み焼きや。