ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

日本の原風景【入江泰吉『昭和の奈良大和路』昭和20~30年代】

2017-07-24 11:06:08 | アート

 

 

 

時々、自分がなぜこんなにあちこち行きたがるのかと考えます。それも、最新の建物よりも、歴史を感じさせる古びた建物や街並みに興味が行きがち。考えを巡らすうち『原風景』というワードが浮かんできました。では、原風景とは何なのか。そんなことを考えている折、入江泰吉の『昭和の奈良大和路』という写真集に出合いました。

入江泰吉は戦災で故郷の奈良に戻ってきた時、変わらず残っていたその風物に感激し、奈良を撮ることをライフワークとしました。本著は入江の心の原風景というべき奈良の風物が写真に収められています。

写真集をぱらぱらとめくって目に付くのは、空の広さとたくさんの田んぼに寺や遺跡。とりわけ、街道沿いにぽつりと佇む一本の大木や、寺の門前や街道で人に寄り添うように歩く牛の姿が印象的です。

ゆったりとした時間の流れや、背が低く素朴な家並、舗装されていない道、生い茂る草などが子供時代の記憶とリンクして、なじみある景色のように思えてきます。崩れかけた境内で遊ぶ子供たちの姿など、自分の子供時代の冒険のワクワクが蘇ってきます。

現代のイルミネーションアートなどの豊かな色彩や音の洪水にも美しさはありますが、あまりに情報が多すぎて、時に受け止めきれません。また、そうした風景には匂いや手触りなどの感覚が欠如しています。

この写真集では五感が刺激されます。さえぎるもののない街道での日差しの暑さや、川を渡る風、草を食む牛からにおいたつ体臭。花見を楽しむ人達や雑踏を駆け抜ける自転車のベル。生きるって楽しいなあって感じです。同時に、田んぼの中をどこまでも続く一本道など、現代人から見れば素朴すぎる風景には孤独や寂寥があって、でもそれが人間の原点なのかなと思ったりします。

結局のところ、原風景というのは実際に自分が経験した景色だけでなく、触れた時に心が潤い、自分の存在を確認できる風物と言えるかもしれません。

これらの写真は、生前には発表されず収納箱に眠っていたそうです。自分が愛する景色を無心に撮る。そうした姿勢に心打たれる写真集です。

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倒木更新

2017-07-20 20:23:39 | 京都

 

さて、インドア修行中の第1回目は京都を舞台にしたドラマ『京都迷宮案内』です。橋爪功さん扮する京都日報の杉浦記者が事件を追って京都市内を縦横無尽に駆け巡る人気シリーズ。リュックを背負って文字通り市中を疾走する杉浦記者と、同僚の記者や同居人との掛け合いが楽しく、たくさんのシリーズが製作されています。 

本日ご紹介したいのは『新・京都迷宮案内5』の「倒木更新」の回。

昔かたぎの大工・森田(大杉蓮)が口論をして飛び出した若い弟子を探すため解体屋に就職したものの、自分が初めて父親と一緒に作った家が解体されることになって……というお話です。 

オリジナルの放送は10年ほど前。当時はまだ関東に住んでいてリアルタイムで視聴し、その時は初老大工の悲哀にフォーカスして観ていたのですが、今回、再放送で見直して、実は京都ならではのテーマを含んでいるのだと思いました。 

もったいない精神が尊ばれた時代から、綺麗で清潔、そして便利という概念が生活の基準になって、「まだまだ使える」ものを捨ててしまうことが普通になりました。戦争で焼け野原になり、そもそも西に比べて歴史が浅い関東平野(東京とその近郊)は、短いスパンで取り壊し、新しいものを作ることへの抵抗が少ない気がします(もちろん下町など昔の風情が残るところもありますが)。私自身、住んでいる頃は、そうした現場を目にしても感傷的になることはありませんでした。 

一方、京都は歴史的建造物や寺社仏閣を含め、古い建物がたくさん残っていて、数は減ったとは言え、町家もまだたくさんあります。歩いていても、思わず立ち止まって眺めてしまうこともしばしば。建物に愛着が湧くのです。けれども、生活様式は昭和半ばに激変し、また、さまざまな技術の進化を経た今、現代人が町家や古い家にそのまま住むのはなかなか難しい。もったいないからと丁寧に手入れをし、昔ながらの不便さを我慢する忍耐は現代人にはありません。もちろん、そうした古い家にだって、建築当時の技術の粋が凝らされ、十分使える良い家なのでしょうが……。結果、空き家が増える。

最近はリノベーションが定着し、アーティストが改装して住むなど、生き延びる方法も出てきたようですが、このドラマの制作当時は、まだそういうことも進んでいなくて、解体どころかほったらかしの古い空き家も多かったのではないでしょうか。 

ドラマを観ていて意外だったのは、解体されるくらいなら自分で火をつけようと、思い余って思い出の家に忍び込んだ森田に対して、家を守るために奔走すると(私が勝手に)思っていた杉浦記者が、「老いたえぞ松は静かに倒れるべきだ」と、解体を受け入れるよう説得することです。 

無責任な観光客目線では、日本文化を伝える建造物は残してほしいですが、実際に生活する人々にとっては、残すことが必ずしも正解ではない。地球のスペースは有限で、生まれたものをこの先すべて残していくことは不可能です。やはり古い世代はある時期が来たら退場して、その場所をあけるべきなのでしょう。 

でも、そうして捨ててしまうにはあまりにももったいない文化が京都の生活にはたくさんあります。そうしたジレンマは、実際に京都の町を歩くようになって切実に感じることです。 

残念ながら思い出の家は解体されてしまうのですが、森田は無事、弟子を探し出し、二人で心機一転、再び工務店を始めます。森田から弟子へ。その技術と思いは確かに受け継がれていくことが救いとなっています。 

最後に、このドラマに登場する幸田文の「倒木更新」(『木』新潮文庫)は、日本の木にまつわる大好きなエッセイです。このエッセイがドラマの中で紹介されたのがとてもうれしかったことをつけ加えておきます。

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がめつい女【御金神社】

2017-07-14 21:02:49 | 京都

鈴なり。

 

久しぶりの京都で、このところパッとしない生活に活を入れるべく、神社でご利益を賜ろうと探していて目に留まったのが『御金(みかね)神社』。

日本唯一の『金運上昇』の神社だそうです。

そんなわかりやすいご利益の神社があるなんて

というわけで早速訪問です

二条城の近くなのですが、付近は普通の町並み。そこへ忽然とキンキラキンの鳥居が現れます。

ためらいもなくゴージャス

周りは閑散としているのにここだけ人だかり。大きなスーツケースを引いている人もいて、全国的に有名な神社のようです。こちらの祭神は金山毘古命(かなやまひこのみこと)という鉱山、鉱物の神様で、元々は全ての金属類を加護する神様なのですが、それが転じてお金にもご利益があるとして崇められているのだそうです。

実は、本日のお目当てはお参りだけでなく、金運上昇パワーを持つという『福財布』。大変な人気で売り切れることもあると聞いていましたが、 幸いにも「本日は福財布あります」の貼紙が。とは言え、次々と訪れる皆さんもおそらく同じお目当てと思われ、ぐずぐずしている間に売り切れるのではと、参拝の列に並びながら気が気ではありません^^; 普段、神社などにお参りするときは、それなりに敬虔な気持ちになって、厚かましいお願いなどはしないように心がけているのですが、今日ばかりは願う気満々。金運という直球ど真ん中の煩悩に振り回されまくりです

念入りにお参り(そしてお願い)をした後、無事に福財布をゲット。それでも飽き足らず、最後に絵馬を奉納してきました

ご神木のイチョウにあやかったイチョウ型の絵馬。

金運上昇の願いで頭がいっぱいで、ご神木のイチョウの木を見てくるのを忘れました

福財布に目がくらんで、大混乱のまま帰りましたが、これもまた「お金に惑わされず、堅実な人生を歩みなさい」という深い教えだったのかも、と思えば、まあ訪問の意味もあったかもしれません。しかし、煩悩のパワーは凄いですね。我ながらびっくりです

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建設中♪ 【祇園祭 2017】

2017-07-13 16:19:13 | 京都

函谷鉾にて。

この時期の京都は、祇園祭一色でどこにいっても華やか。そして、12日~13日は前祭の曳き初めです。四条駅の地下改札から上がってみると、函谷鉾はお式の最中でした。平日とはいえ国内外問わず観光客は多く(私も含め)、写真を撮られまくるなかでの進行、ご苦労様です。

一方、新町通の放下鉾はただいま建設中。

まだとば口?

去年、この鉾のお曳き初めを見ましたが、今年はずいぶんゆっくりです。

素晴らしい技術

いったんこの場を離れ、所用を済ませて戻ってきたら。

だいぶ組み上がってます♪

皆さま黙々と作業中。

作業中は紐でバランスを取って支えています。

そして、昨日ご紹介した柳水と神社を巡って再び戻ってきました(笑)

先ほど黙々と作業していた縄は全てほどかれ前方に伸びていた棒が無くなり、代わりに太い梁のようなものが差し込まれています。

てっぺんには御札らしきものが。

完成間近?

きっとその気になれば、もっと楽に作業できる重機を使うこともできるのでしょうが、そんなものには一切たよらず、縄を使い昔ながらの作法で組み上げていくところに京都人の気概を感じます。それにしても若い方が少ないのは気になりました。地域の方が支えるこの行事。平日の昼間では若い方は働きに出て不在ってことなのでしょうか。

今年は運営費を初めてクラウドファンディングで賄うと話題となりましたが、さすが世界に誇る祇園祭、最初の2日間で目標額の2倍が集まったそうです。それ自体は喜ばしいことですが、あくまで地域に根差した文化の良さを失わず、世界中の人に愛される祭りとして続いていって欲しいです。

京都の夏…ですね!

 

興味ある方はこちらもどうぞ。お曳き初め 【祇園祭 2016】

 

 

 

 

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利休の水

2017-07-12 20:54:40 | 京都

 

インドア修行中を宣言して、いくつかネタは温めているのですが、なかなか上手く形になりません。

気が付けばびっくりするほど間があいてしまいました^^;

という訳で、インドアはひとまずおいて久しぶりに訪れた京都の話題から。

西洞院通沿いで見つけたこの看板。「利休」の文字につられて立ち寄ってみました。

こちらは平安時代から守られている湧き水「柳の水」を使って染色をしているお店です。

柳水は安土桃山時代には千利休や織田信勝にも愛されたんだとか。

そしてこの水で染色された黒染めは「カラスの濡れ羽色」を思わせる深い色合いが出るのだそうです。

以前使われていたという井戸。

現在は井戸ではなく水道でひいていて、ペットボトル1本分を分けていただきました。

(容器は持参可ですが、お店でも用意していただけます。)

帰宅後、しまいこんでいた鉄瓶をひっぱり出して(笑)お茶の準備です。

良い水と思うと淹れ方も自然と丁寧になります。

さて、一服。

……ん~

「柳水」という名前にふさわしく柔らかいお水です。滑らかな舌ざわりは存在感があり、ふっくらとした余韻がとても艶やか。

これは美味しいです

 緑茶と紅茶(デカフェのアールグレイ)をいただきましたが、アールグレイは香りの刺激が強すぎてお水の繊細な味わいを邪魔してしまい、今一つでした。それでも十分おいしいんですけどね。

現在みたいに一定の品質が保たれた水がない時代、この水がごちそうだったことは想像に難くありません。白湯で飲んでも甘露だったのではないでしょうか。飲むだけで、心のありようまで変わってしまいます。もちろん、現代でも水道水とはくらべものになりません。いわゆる軟水と呼ばれる市販のミネラルウォーターとも違います。

こんな美味しい水が市中に湧き出ているなんてさすが京都です。

自然の恵みを丁寧な準備で深く味わう。「茶の心」にふれる瞬間です

 

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