ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

「お前百までわしやいつまでも」熊谷守一展

2017-04-27 20:16:22 | アート

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(香雪美術館サイトより転載)

 

少し前になりますが、香雪美術館で開催中の熊谷守一展に行ってきました

昔話に出てくる仙人のような風貌と、対照的に簡潔な構図・描線にモダンな色使い。作品のほとんどが4号という葉書4枚分くらいの小さな板に描かれ、そこにいるのは蟻や蛙、百合やタンポポなどごく日常で見かける小さな生き物たちです。そのどれもが見た瞬間にぎゅっと心を掴まれてしまう愛らしさ 若い頃は全国にスケッチに出かけ、晩年は森とみまごう自宅の庭をいつも眺めていたという守一。『非常に長期に亘って、そのさまざまな生活の局面に関してよく観察してきたひとのまなざし』(気ままに絵のみち 熊谷守一[平凡社])と昆虫学者も太鼓判の観察眼は、対象となる生き物たちの動きや形を見事に捉えています。庭にとどまらず家の中にもたくさんの種類の鳥を飼い、内猫、外猫含めて何匹もの猫が出入りしていたそうです。今回ポスターに採用されている猫は、満ち足りた顔つきがこちらまで幸せになる一枚。守一はデッサンを転写して、同じモチーフを何度も使うことで知られた人ですが、こちらの眠り猫については、それを示すトレース紙に描かれたアウトラインに色指定をしたものが展示されていました。吟味を重ね、これ以外にない! という完璧な線で囲いこみ、配置する。立ち現れるのは温かくどっしりとした「いのちの存在感」で、桂板のざらついた質感にぺたりと塗られた絵の具の色が、生命のナマっぽさを際立たせています。

もともとは油絵から出発した人ですが、水墨画や書もかいています。自在な筆遣いはむしろ水墨の方がひきたつかもしれないです。そのうちの一枚、大書された愛嬌ある蛙の後姿にもう目が釘付け こんなに蛙を大切に描いてくれる人を他に知りません。書もありましたが、衒いのない素直な詞が多く、まっすぐな人柄が偲ばれます。『蒼蝿』という一幅の解説に、自分は蒼蝿をカッコいいと思ってよく書くのだが、展示をしても『蒼蝿』だけが売れ残る。それが面白くてよけい書いたりする、みたいなことが書いてあり、ちょっと笑ってしまいました。そうかと思えば「かみさま」は、棒のように細い線でさらりと書いてあるのに、とても心に沁みる書です。若い頃生活に困窮し、子供を3人までも亡くしたという過去を持つ守一だからこそ、盲目的に神を信じるわけではないけれども、自然に対峙しているとどうしようもなくみえてくる一つの大きな力の存在、そういうものを感じていたのかも、などと勝手な想像を巡らせてしまったりします。

一時期、音の振動数を数えることに熱中したそうですが、そのおかげか全ての絵にリズムがあって、たとえば「雨滴」でも、絶妙に配置された同心円から地面に落ちる滴の音が今にも聞こえてきそうですし、「自画像」と解説される「朝のはぢまり」では、こちらも同心円の太陽が力強く昇っていくエネルギーに満ちた姿に、軽快なリズムを感じます。

代表作といわれる『ヤキバノカエリ』は、骨の入った白い箱(死)と守一自身の白い髭(生)が印象的な一枚でした。守一はこの絵を死ぬまで手元に置き、時折手を加えていたそうです。愛らしい草花や蛙たちの絵だけを見ていると悟りを開いた仙人を想像しがちですが、自然の生き物たちの向こう側に死の姿を捉えようとする守一がいたのかもしれません。

後年は東京都豊島区で庭付きの家に住み、さまざまな植物を育てたそうですが、とても上手で、育てるのが難しい花も毎年見事に咲かせたという話も聞きます。友人に「もう一回人生を繰り返すことが出来るとしたら、君はどうかね。ボクはもうこりごりだね」と尋ねられ、「いや、俺は何度でも生きるよ」と言ったそうですが、本展覧会の標題らしいエピソードですね(ちなみにこの標題どおりの書もあります。)

大食漢で生きることに貪欲、享年97歳と百歳には少し届きませんでしたが、長寿の秘訣は、飽きることのない好奇心と、身の周りに置いた自然と生き物たちから分けてもらったエネルギーのおかげかもしれません。

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無心に咲くということ【又兵衛桜】

2017-04-23 09:13:21 | 

歌舞伎の獅子みたいです。

 

桜の古木に会いたくて、今年は絶対に訪れようと決めていた又兵衛桜。

見ごろを迎えた先週、はるばる行ってきました^^

電車の本数もバスの本数も少なく、しかも最寄りのバス停から徒歩約20分。方向音痴にはなかなか苦難の道のりでしたが、地元のコンビニ店員さんに助けられ(道を訊ねなければ危うく逆を行くところでした^^;)いざ又兵衛さまの元へ。

山の辺の道でも感じましたが、奈良の空はホントに広いですね。天気もいいし絶好の花見日和です。

 

田んぼだらけの道の先に見えてきた数百メートル先からでもひと目でわかる巨大なピンク色。平日の午前中だというのにすでに近くの駐車場は満杯。たくさんの人が桜を目指しています。

環境整備の為に募っている100円を寄付して木の傍へ。念願の又兵衛桜は……美しいです

「瀧桜」の名前にふさわしい大きさと流麗なラインに惚れ惚れ。遠目だとボリュームを感じますが、近寄れば一本の太い幹ではなく、長い年月をかけて思い思いの方向に伸びていった枝たちであることがわかります。花は小ぶりで色もあくまでほんのり、とても繊細な印象の桜です。こういうのを観ていると、櫻男の笹部氏が好まなかったソメイヨシノが、なるほど野暮ったく思えてきます。

樹齢300年を超えると言われ、これだけ長生きだと既に一個の人格を持っていて、花見というよりは「お目にかかる」感覚です。幹は枯淡の趣き、綺麗な花を咲かせていますが、青年期の溌剌さはなく、真下から覗くと、枝垂れた枝は生きるために苦しいくらい精いっぱい伸ばした手に見えるし、曲がりくねった枝も頑健さからはほど遠い。降り積もった風雪の重みが透けて見え、300年の道のりが決して平坦ではなかったことが偲ばれます。仲間を持たず、ただ一人長い年月を耐え抜いてきた、と想像するのはまったく人間の勝手な感傷ですが、その感傷も含めて、又兵衛桜が「古武士のよう」と形容されるのはよくわかります。幹のうねりや花の散らばり具合に何とも言えない味わいがあり、確かないのちが宿っています。できることなら1週間くらいここで暮らして、朝に昼に夕に刻々と移り変わっていくその表情を見ていたい。何なら1年住んで若葉から冬の落葉、その先の再びの春の蕾までそのすべてを見つめていたい。それぐらい魅力的な木です。 ただ、写真を撮るのは難しいですね いろいろ頑張ってみましたが、へっぽこカメラマンはこれが限界 皆さま、実物は写真より断然美しいということを心にとどめながらご覧ください。。。

 

「桜の花はそれまでの1年間の集大成だ」とは京都の桜守・佐野藤右衛門氏の言葉ですが、これだけ見事な桜を咲かせるのに一体どれだけのエネルギーが必要で、またそれを得るために(樹木に対する形容としてはいささか人間に近寄りすぎですが)、どれだけの努力をはらってきたのかと考えると、その姿は驚嘆に値します。桜にしてみれば、本来の営みを誠実に遂行しているだけなのでしょうが、又兵衛桜を観ていると、太陽や月の下で大地の恵みを得、ただまっとうに生きる、それだけで十分なのだと、ひとつのいのちとしての正しい在り方を教えられている気がします。

実は2月頃から又兵衛、又兵衛と騒いでいたのですが、その又兵衛が後藤又兵衛のことであると知ったのは出発の3日前でした。去年夢中になった『真田丸』にゆかりの人物名がついた桜との出合いが嬉しく、勝手に縁を感じています

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東山魁夷をめぐる旅 16【花明り】

2017-04-22 12:40:32 | 東山魁夷

『花明り』1968(昭和43)年 京洛四季展

 
『花は、紺青に暮れた東山を背景に、繚乱と咲き匂っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚め尽したかのように。
 
枝々は数知れぬ淡紅の櫻珞を下げ、地上には一片の落花も無い。
 
山の頂が明るむ。月がわずかに覗き出る。
 
丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮び上る。
 
花はいま月を見上げる。
 
月も花を見る。
 
桜樹を巡る地上のすべて、ぼんぼりの灯、篝火の焔、人々の雑踏、それらは跡かたもなく消え去って、月と花だけの天地となる。
 
これを巡り合せというのだろうか。
 
これをいのちというのだろうか。』
 
(東山魁夷展。[ひとすじの道]図録より転載) 

 

初めてこの絵を観たのはもう10年以上も前の横浜美術館でした。おそらく没後はじめての大規模な回顧展で、主だった作品はほぼ展示されていたように思います。別格な唐招提寺障壁画を除いて、数ある作品の中でもひときわ印象的だったのが、この『花明り』でした。幻想的な風景と静謐な空気に、横に掲げられた画伯の言葉も味わい深く、心に小さな灯が点ったような気分になりました。

京都の桜であることはわかっていましたが、それが現存し、しかもかなりの繁華街にあると知ったのは3年前、関西に住み始めてからです。

1年目はまったく行く時間がとれませんでした。2年目はスケジュールが合わずに訪れたのは遥か見頃を過ぎてから。そして3年目の今年、ようやく満開の桜と対面することができました。

今年は生憎の雨で、さすがに宴席を設けている人たちはいませんでしたが、それでも桜の周りはたくさんの人で、傘を差しながらシャッターを切り、つくづくと桜を見上げています。桜自身も雨には全く動ぜず、まさに「繚乱と咲き匂って」います。東山の稜線が微かに明るんでいるのも画伯の描写どおりです。

曇天のため月の所在はわかりませんでした。去年、晴天でも見つけられなかったので、もしかしたらもっと深い時間にならないと顔を出さないのかもしれません。暦を調べた限り、画伯が訪れた時期に桜の見頃と満月は重なっていたようです。ただし、50年分の桜の成長を差し引いても、東山の山際と桜(そしておそらく月も)を同時に視界に入れるのは困難です。東山と桜の間には実はとても距離があって、木々の輪郭が絵のようにはっきり見えることはありません。三次元の景色を二次元に収め、時空を超えた出合いを表現するための画伯の工夫かと思います。でも、「古代紫」と評された空の色も、咲き誇る桜の風情もまさに絵のとおりです。

祇園四条の突き当たり、八坂神社の奥に佇む祇園桜の周りは想像以上に賑やかで、京の人々の喧噪に包まれています。そんな人工物の中にまさに忽然と桜は現れ、無心に天に向かうその姿には生命力と気高さがあります。同時に少しの寂しさも。孤高の桜と、平安の昔から変わらぬ山の稜線から浮かび上がる満月。美しい出合いの向こう側に、もしかしたら画伯は亡くなった親しい人たちの面影を見ていたのかもしれません。

気がつくと雨は上がっています。画伯の頃よりさらに大きくなった桜と、古代紫の空を見上げるとき、私もまた、時空を超えた画伯との邂逅を果たした気がします。

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芳年―激動の時代を生きた鬼才浮世絵師【美術館「えき」KYOTO】

2017-04-18 21:13:51 | アート

 

当ブログにいつもいらしてくださっている皆さま、また初めての皆さま、

ようこそお越しくださいました。ありがとうございます

気が付いたら、ご無沙汰してしまいました。あれだけ騒いでいた桜の時期ももうすぐ終わりです

背割堤の後にも観に行った桜はあるのですが、こちらがもうすぐ終わってしまうので、先にご紹介です。

JR京都駅直結の伊勢丹にある美術館「えき」で開催中の月岡芳年の展覧会です。(4月23日まで)

芳年はほぼ上野の戦争を題材にした作品しか観たことがなかったのですが、今回の展覧会はその画業を生涯に渡って網羅したものだったので、美人画や物語絵、錦絵新聞など、思いがけない題材の作品をたくさん観ることができました。

幕末から明治にかけての人なので、師匠の歌川国芳と比べると感覚はぐっと現代人に近く、古臭さは感じません。ダイナミックで華やかな画面に、生き生きとした人物たちは師匠譲りと言えますが、一方、粋でしゃれっ気のある師匠に対して、芳年は若干融通がきかない感じ。その分、物事を突き詰め作品に昇華することに長け、迫真の画面が生まれたのではないでしょうか。そして、その思いつめる性格が神経衰弱の一因だったようにもみえます。明治は洋画を学ぶ人も増えて浮世絵は廃れていった時代ですが、芳年の作品には、洋画の写実性を凌ぐ、人物の息遣いまで聞こえてきそうな素晴らしいリアリティがあります。こういうのを見ていると、形式なんて関係ないのだと思いますね。とにかく場を切り取る力が優れていて、きっとそれは、構図などの技術もさることながら、人物の内面を汲み取る繊細な感性があったからだと思います。有象無象に関わらず、目の前にあるものを掴み取ろうとする視線はとてもジャーナリスティック。兵士を描いた作品などを観ていても、あたかも戦場カメラマンのように、歴史の真ん中にいる自分が見た真実を、できるかぎり正確に一般大衆に伝えたい、そういう真摯さを感じます。

残酷な流血シーンばかりを集めた「英名二十八衆句」シリーズは、見たくない人がスルーできるように隔離され、注意喚起の掲示までしてあったのですが、歌舞伎などを見慣れていればそれほど仰天する絵ではありませんでした(歌舞伎は殺人の現場など意外に残虐なシーンが多いです)。もちろん、気持ちのいいものではなく凝視する気にはなれませんが、虚構という前提があれば(つまり人ごとだと思っていれば)案外、消化できるものですね。妊婦を逆さづりにしたり、顔の皮をはいだりと、どうすればこんなことを思いつけるのか、という残虐な場面もありましたが、でも、同時にどこかで、そんな状況に堕ちてしまう気持ちの根っこを理解できる感情が自分の中にもあったりして、これも人間の一面なのだとうなずけるものがありました。芳年がどういう意図を持ってこうした絵を描こうと思ったのかわかりませんが、人間を追求する作業が極まると、その方向が正か負かはあまり問題ではなくなるようです。そして流血がテーマというだけあって、血の色がとてもリアル。そこにもジャーナリストの目線を感じました。

画業の多彩さに加え、二度の神経衰弱に晩年は目が悪くなったりと、人気作家でありながら苦難の人生を送ったなど、今回の展覧会を通して、芳年その人に興味が湧いてきました。評伝などがあればぜひ読んでみたいです

 

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背割堤の桜

2017-04-10 21:56:17 | 

にぎやかです。

背割堤に行ってきました!

一昨年chikaさんのブログを見てから気になっていました♪

駅に降り立つと、週末のすっきりしない天気の憂さ晴らしか、平日だというのにたくさんの人が堤を目指しています。

空にはヘリコプター、橋にはテレビのロケ・クルー、桜の下にはウェディングドレスの花嫁さんまで

なんとも賑やか。

楽しそうです

橋の上からも見える桜並木は長い河川敷の一か所にまさに忽然と現れる感じ。堤らしく元は松が植えられていたらしいですが、虫害のためにソメイヨシノに植え替えられたんだそう(以上wikipedia情報)。障害物がないため皆さん伸び伸びと生育なさり、見事な大木ばかりです。

 

 

駅に降りて気づきましたが、堤の向かい側の山には最近国宝に指定された石清水八幡宮があるんですね。

桜の隙間から山の桜が見えました。

水場があるし、草も木もたくさん! と鳥たちにはパラダイスのようで、頭上からは鶯の鳴き声が。こんなに盛大にのびのびとさえずっている鶯の声は初めて聞きました。なのに姿は全く見えないという

仕方がないので川の鷺を撮影

何だかんだ京都は自然に恵まれていますね。素晴らしいです

 

 

 

 

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