ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

『鹿男あをによし』万城目学

2017-10-11 21:21:02 | 奈良

 

英国のヘールシャムに続いては、奈良の女子高が舞台の『鹿男あをによし』をご紹介です

『プリンセス・トヨトミ』以来、万城目ワールドにハマっています(笑)。

今日も『鴨川ホルモー』(京都の大学生が主人公の式神版ポケモン)とどちらを紹介するか迷いましたが、月夜の東大寺・転害門(てがいもん)に佇む鹿の姿が美しかったのと、本編で大活躍する女子高生・イトちゃんのマイカーならぬ「『マイシカ』が駐禁切られた」、という遅刻の理由がツボにはまり、『鹿男』に決定 

東京から奈良に臨時で赴任してきた男性教師が鹿島神宮に縁がある(春日大社の鹿は鹿島神宮から連れてこられたと言われています)など、日本の歴史や文化背景を巧みに織り込みながら展開される物語は、太古の土の匂いが感じられてほのぼのとしたおかしみがあります。京都・伏見の狐や大阪の鼠といったキャラクターも楽しい。

鹿島神宮の鹿は囲いこまれていて、直接は触れ合えません。

(結構前の写真などで今は変わっているかも)

周りは鬱蒼とした森。

ぼやっとしたまま人類を救うミッションを託されてしまうイマイチな教師の頼もしい味方となってくれるのが、少し目の離れた魚顔の剣士・イトちゃん。人を食ったような言動に、強靭な精神と肉体。その溌剌とした姿がとても魅力的で、物語のクライマックス、剣道の強豪相手に果敢に挑む姿は圧巻です。くたびれた大人が見失いかけている命の輝きと、その裏にひそむ乙女心に胸がきゅんきゅんすること間違いありません。 

古代から現代までさまざまなうねりを乗り越えてきた人類ですが、そうやって生き延びてきたのは人間だけではないですね。読み終えた後は、春日大社の鹿たちに会いに行き、肩の一つでも叩いてやりたい気分です 

こちらは奈良の鹿たち。

【読んだら行ってみよう!】

  東大寺・転害門(奈良県)

  飛火野(奈良県)

【足を伸ばせる方は】

  鹿島神宮(茨城県)

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満つる月の如し 仏師・定朝【澤田瞳子】

2017-09-03 11:28:21 | 奈良

 

法隆寺とその近くの寺を回った時に、仏像の見方を教えてもらったことがあります。

詳しいことは忘れましたが^^; 飛鳥時代などの昔の仏像は平べったくてその後の仏像は丸い。そんな区別でした。

定朝作と唯一確定されている平等院の阿弥陀如来坐像は、本作のタイトルが示すように、『満月の如く』丸い。学校の試験にも出てきた、美術史上重要な「定朝様式」はその後唐の影響を受けない日本独自の様式として定着していきます。

現代の私たちが仏像を見るとき、その美しい造形にのみ目が行きがちですが、仏像建立のそもそもの動機は人民救済の「祈り」です。でも果たして、木で作った動かぬ仏像で本当に人々を救うことができるのか。本作ではこの根源的な問いに葛藤する人間・定朝が描かれています。

冒頭、まだ少年のあどけなさが残る定朝が、傷ついた仏像の面を直すシーンがあるのですが、はしごを軽やかに駆け上がってあっという間に新しい面を削りだす定朝の腕の冴えが鮮やかに活写されていて、まるでその場にいるように興奮しました。奈良仏教史を専門とする著者が描き出す当時の都の世相はとてもリアルです。

作中では、ある悲劇的な出来事を通して定朝はあるべき「真の仏の姿」を見出し、それが阿弥陀如来坐像のあの慈愛に満ちたお顔へと繋がっていきます。

平等院というと10円玉のイメージしかありませんが、額に汗をたらし、無心に削りだす定朝の姿を思い浮かべながら見上げれば、また違う景色が見えてくるかもしれません

【読んだら行ってみよう!】

平等院鳳凰堂(京都府)

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夜都伎神社(やとぎじんじゃ) ~山の辺の道 2~

2016-01-09 21:35:32 | 奈良

この辺りでは珍しい神殿建築。檜皮葺の屋根が美しいです。

 

内山永久寺からさらに登ってちょっとした山道を抜けると再び集落に出ます。国道へと伸びて行く舗装路を左に逸れ、お邪魔感がハンパない田んぼの真ん中を突っ切っていくと、夜都伎神社です。

左側の木の向こうにお社があります。

現在の本殿は明治39年(1901年)に改築されたもの。

こじんまりとしていますが、きちんと手入れされているとても気持ちのいいところです。

境内から。野趣あふれる万葉の景色って感じがしませんか?

のんびりとしたお顔。

風雪で曲がった枝や枯れた味わいの木肌に魅かれます。

若葉の輝きも大好きですが、同時に年を経た木の姿を美しいと思う気持ちも本当です。でも、これって人間に例えたら腰が曲がって、お肌もシワシワのカサカサってことですよね。だとしたら、そんな老いた人間の肉体にも美は見いだせるということでしょうか。若く健康でありたいとは誰しも願うことですが、あんまり抵抗せずに自然に任せて衰えていくのも、それはそれで人間らしいあり方なのかもしれません。とはいえ、長生きしたいし(笑)、あまり見苦しくなりたくないというのも本音ではあります^^;

神社を通り過ぎ、田んぼから昭和初期風の建物を過ぎると環濠集落や古墳密集地帯に出るのですが、残念ながらここで時間切れ。大神神社の大祓に間に合わせるため、国道に出てバスに乗りました。

ずっと山が続いてます。

1時間に2本ぐらいしかないバスに運よくそれほど待たずに乗ることができました。国道からも幾つか古墳が見られ、とくに卑弥呼の墓説もある箸塚古墳は車窓越しでも大興奮。こういうのがさらっと見えちゃう奈良はスバラシイ

さて、山の辺の道ショートカット版いかがだったでしょうか。これで三分の一~半分弱ぐらいの行程です。次回は季節の良い時期に、古墳と、大神神社付近の道を歩いてみたいと思います

空が広い!

コメント (4)
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内山永久寺 ~奈良県・山の辺の道~

2016-01-08 22:46:21 | 奈良

栄華の跡。

山の辺の道を石上神宮からしばらく池のほとり沿いに歩くと民家地帯に出ます。細い道は途切れることなく、曲がりくねりながら家の間を緩やかに上っていきます。舗装されているので歩きやすいですが、なかなかの坂道です。

ところで、天理駅から石上神宮へ向かうアーケードを抜けながら、同行の友人が尋ねてきました。

「で、山の辺の道って何なの?」

「うーんとね、昔からある古い道」

「・・・」(そして黙々と歩き続ける)

辛抱強い友人を持って幸せです

改めてここで説明しますと、山の辺の道という名の通り、三輪山の麓から石上布留を通り、連なる山々の裾を縫うように奈良へと続いている道で、日本書紀にその名が見られ、記紀や万葉集ゆかりの地名や伝説が残るところです。ぐるりと山に囲まれた盆地ならではの道ですね。今回歩いているのは、天理~桜井間のいわゆる南のコース。ここはまだほんのとば口です。

 石上神宮近く。

古代の名残を残すからといって、全くの観光道というわけではなく、今でも農業を営んでいる人たちが住んでいます。柿が有名らしく、至るところに柿の木がありました。時期ではないのでもちろん実は成ってないないのですが、盛りの季節に来ればさぞかし見ごたえある景色だと思われます。

つるっぱげの柿の木。枝の形に趣があります。

 萱御所跡の碑。

しばらく歩くと見えてきたのがこちらの碑と1枚目に写る案内板。昨日ご紹介した石上神宮に移築された拝殿が残る内山永久寺跡です。

内山永久寺は鳥羽天皇の勅願によってたてられ、江戸時代は40以上も伽藍があって、「大和の日光」と呼ばれるほど隆盛を誇ったらしいですが、明治時代の廃仏毀釈で大打撃を受け、今は碑と池ぐらいしか残っていません。

ちなみに鳥羽天皇は大河ドラマ「平清盛」 で三上博史が演じていた天皇ですね。おじいさんが伊東四朗演じる白河法皇。妖怪じみた祖父と嫁の浮気に翻弄されて、気の毒な天皇でした。なので、時代的には平安末期ですね。もう少しで平氏が台頭してくる。

シンメトリーが綺麗です。

 全盛期はこんなに広かった。

今に残る池は、一説によると浄瑠璃寺と同じような浄土式だったのではないかと言われています。浄瑠璃寺は行ったことがありますが、池越しに仏様を拝めるという大変に美しいお寺でした。ここもそうだったんですね。

今は跡形もない。なんてもったいない・・・。

もったいないと言えば、お寺が廃れた時に美術品も散逸し、鎌倉時代の名品と言われる「四天王図」は今ボストン美術館にあるそうです。大阪の藤田美術館にも所蔵品があるんだとか。駄目になってしまうより、海外に流出してでも生きのびたのは良かったですが、しかし、ボストン。遠いですね^^;

こういうのを見ると、やはり京都は都会だったんだなと思います。現代に残っているお寺はそうとう権力があったか、または周囲のなみなみならぬ努力があってかろうじてって感じだったんでしょうね。今、和歌山あたりの小さな神社が後継者不足で、このままだと20年くらいたったら、ほとんどなくなってしまうと言われています。日本の風土や生活に密着して生まれてきた神社は、日本人の心を支える大事な要素だと思うので、なんとか残っていってほしいです。

話が横道にそれてしまいました。

内山永久寺に別れを告げ、更に奥へ。なかなかの山道を通り抜けさらに歩き続けます。

ひとり旅だとちょっと怖かったかも

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石上神宮 ~奈良県・天理市~

2016-01-07 20:58:47 | 奈良

大晦日だったので、お米やお酒などがたくさん奉納されていました。

 

大神神社に行く前に立ち寄った石上神宮。物部氏の氏神として第10代崇神天皇の代に三柱の神様が祀られた古い神社です。

境内はけっこう広く、時間の関係上本殿周りをささっと拝観しただけですが、鬱蒼とした森がちょっとだけ怖い古代情緒たっぷりの所です。

春日大社のご神木に似てますね。

先日もご紹介した通り、なぜか鶏がいっぱい。

お食事中。

きもカワイイ?

置物まで。

重要文化財の楼門。くくっと反った屋根が美しいです。

近くにあった内山永久寺の拝殿が移築されたもの。1000年は経ってるかも?国宝。

日本古来の神様が祀られている由緒ある神社なんですけれども、私のイメージは漫画「日出処の天子」の布都姫です。たしか石上の斎宮でしたよね。現在でも天理駅から徒歩30分ほどとかなり奥まったところですが、聖徳太子の時代ならもう山奥も山奥、そうとう浮世離れした人たちが住んでいたと思われます。

ちなみにここには漫画にも出てくる「七支刀」が納められていて、こちらも国宝です。

古代の面影を残す山の辺の道は、石上神宮の境内から続いています。

奈良の天然記念物「ワタカ」がいるという鏡池。寒いせいか、影一つ見えませんでした^^;

古代ロマンを感じる池。

 

午前中だったので、画面が全体に白っぽいのはご容赦いただいてf^^;

空と木と水しかないですが、野生ではない人の手の入った感じが、万葉の風景だなあと思いました。

このあと、てくてく山の辺の道を歩いて、大神神社方面を目指します。

 

 

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