ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

『真田丸展』【大阪歴史博物館】

2016-09-30 22:25:40 | 真田丸

いよいよクライマックス。

 

明日から10月。大河ドラマ『真田丸』もラストスパートですね!

気持ちを盛り上げるために、大阪歴史博物館で開催中の『真田丸』展に行ってきました

初日のイベントにゲストで招かれ、だからというわけでもないでしょうが、イヤホンガイドのナビゲーターは草刈パパがつとめています。

真田父子だけでなく、秀忠や毛利家など他の戦国武将ゆかりの品もたくさんありました。書状が多かったです。当時は情報交換やお礼状、近況報告などすべて手紙でしたから、そもそも膨大な量が残っているということなのでしょう。

九度山に流された時に世話になった高野山の蓮華上院所蔵の伝信繁の兜や肖像画、書状なども出ています。きっと菩提を弔う意味もあり大事に保管されてきたと思えば、自然と敬虔な気持ちになります。

書には暗いのでもちろん読めませんが、それでも筆跡の違いは感じられます。豪快そうな昌幸に、線が細くナイーブな筆運びでありながら切れ味は鋭い信繁。兄の信之は墨の濃淡が一番はっきりしていて、用心深い信之は、書き始めに墨をたっぷり含ませないと気が済まないのかしらと勝手に思ってみたり。

印象的だったのは信繁の馬具。六文銭の飾りがついていて、劣化を割り引いても使い込まれた感じが伝わってきます。こういう身体に直接触れるものを見ると、改めて、信繁は実在したのだなと思います。

後半は大坂の陣をめぐるゆかりの品々。各大名の甲冑や刀に大砲など、まさに戦いの道具がずらり。意外に多かったのが真田丸を含む大坂城周辺の配陣図です。中に、参加した武将についてびっしりと書きこまれた地図がありました。ところどころに「討死」の文字があり、たった2文字ですが、それが図面に散らばっていると皆の無念が立ちのぼってくるようです。

この数か月、大坂の陣前後の本を読み漁っているのですが、フィクションはちりばめられているものの、家康など当事者の人となりやエピソードの底辺は共通していて、そうした史実としての定説は、この天下分け目の大戦に興味を持った方々が、後世に伝えるべく様々な書き物や図面で残そうとしてきた結果の産物なんですね。

個人的には、幕末の浮世絵画家・月岡芳年の幸村vs家康がお気に入りです。芳年らしい迫力ある構図と、凛々しい幸村に惚れ惚れします

途中展示替えがあり、11月6日まで開催中です。土日には真田の赤備えを着て写真撮影(有料)などのイベントもあるんだとか。

ちなみに有名な「真田は日の本一の兵」と書かれた書状は後期に展示されるそうなので、時間がとれればもう一度行ってみたいと思います

 

 

 

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近松ゆかりの淡路町【吉野すし】

2016-09-29 21:29:17 | 大阪

入り口には「梅川忠兵衛ゆかりの淡路町」の碑が。

 

船場付近をうろついていて、思いがけず近松ゆかりの場所を発見しました。

正確には、近松作品の舞台・淡路町に立つ老舗『吉野すし』さんです

淡路町は御堂筋線淀屋橋駅からほど近い、芝川ビルと同じ筋沿いの通りで、『冥途の飛脚』に登場する飛脚問屋亀屋があったところです。

大和の百姓から養子になった亀屋の世継ぎ・忠兵衛が新町の遊女・梅川と深い仲になり、身受けのために公金に手を付けてしまい・・・という心中物です。 

浄瑠璃や歌舞伎(『恋飛脚大和往来』)で有名なのは何といっても預かった金の封を切ってしまう『封印切り』と、梅川とともに逃げる途中、実父の様子を見に立ち寄る『新ノ口村(にのくちむら)』の段ですね

余談ですが、先代の仁左衛門の新ノ口村が絶品と聞いて観るつもりが、私が行く2日ほど前に仁左衛門丈が花道から落ち! ケガで休演。当時、白内障か何かで視力が相当衰えていたそうで、その後、舞台を直接拝見する機会がないまま亡くなり、とても残念だったことを覚えています。

ちなみに淡路町が登場する見せ場は、公金をまっすぐ蔵屋敷へ届けに行くか、その前に梅川の顔を見に行くか逡巡したあげく、羽織が脱げ落ちるのも気づかずそそくさと越後屋へ向かう「羽織おとし」の段です。

今回、これを書くに当たって現代語訳にざっと目を通してみました。客観的に読んでるうちは「何やってんだっ!」と忠兵衛の頭をはたきたくなりますが、土にまみれた素朴な暮らしから生き馬の目を抜く活気の大都会へやって来て、見たこともないようなきらきらした女の人を見たら・・・まあ無理もない・・・ところもあるかもしれない

さらに原文を拾い読みしていると、心地いいリズムの語り口で細かなやりとりを描写されると、不思議に感情がかきたてられ、ああ、わかるなあ(笑)、と共感してしまうのが近松の凄さです。

そんな場所に立つ「吉野すし」は創業・天保12(1841)年! の超老舗。大阪らしく箱寿司が有名みたいです。本当はいただきたかったのですが、飛び込みで入るには敷居が高く今回は断念^^;

体勢を整えて後日お邪魔したいと思います

 

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田辺三菱製薬資料館

2016-09-27 23:27:41 | 大阪

天秤がたくさん。

 

最近、くすりの道修町に再び興味がそそられています。という訳で田辺三菱製薬資料館に行ってきました。

きれいな本社。

2007年に田辺製薬と三菱ウェルファーマが合併して田辺三菱製薬となった折に建てられた本社はまだ新しく、このビルの2階にある資料館もとてもキレイです。入場は無料ですが、事前にネットで予約が必要です。

創業当時の軒下看板。

 

田辺製薬は、1678年徳川家綱の時代に開業、日本最古の製薬会社で、世界最古のドイツの製薬会社メルク社に遅れることたった10年だそうですから、400年近い歴史があります。

はじまりは「たなべや薬」という合薬の振出薬(薬を布袋に入れてお湯の中で振ってエキスを抽出する)で、元々は戦に携帯する「陣中薬」だったそうですが、滋養があるということで産前産後にのまれたんだとか。確かに看板の右側に平仮名で「さんぜんさんご」と書いてあります。とても良く効く薬で、後に禁裏御用(今で言う宮内庁御用達)になったそうです。

真ん中の赤い印が現在の田辺三菱製薬本社の所在地ですが、初代の開業は土佐堀川付近でした。中買株仲間(薬の独占販売をしている)に加えてもらうために道修町に店舗を借りて移り、11代目の時に晴れて自分の店を持てるようになりました。こちらの資料館では当時の建物が再現されています。

張り出した連子格子。

飾り櫃が置かれている縁台は跳ね上げ式で、店じまいの時にはぱたんと閉じて収納します。飾り櫃にある五の字は店主五兵衛から取ったもの。商い中は、宣伝を兼ねて置かれていたそうです。連子格子も含め、これらはすべて関西の商家の典型的な造りで、そういう意味でも興味深い建物です。

写真には入り切りませんが、2階もあります。いわゆる白塗りの虫かご窓です。間口は4間、なかなか立派な店で、昭和まで使われていました。空襲では焼け残ったものの、その後、漏電で燃えてしまったとか。もったいない・・・。

提灯は大正期のもの。

大正頃の道修町。帽子を被った男の子の後ろが田辺製薬だそうですが、ちょっとわかりづらいですかね^^; ちなみに一番手前にちょこっと写っている建物は空襲も生き延び、なんと現存してます!

以前、このブログにも書きましたが、江戸期の道修町はいわゆる薬種問屋が軒を連ね、薬の原料となる生薬を扱っていました。

とまあ、ここまで資料館のガイドの方が懇切丁寧に説明をしてくださいまして(しかもこの時は他に見学者がおらず、独り占め状態^^)、その後ビデオを拝見。店主がアニメーションで登場し、店の中で説明してくれるという体で進んでいくのですが、なぜかやたらと猫が通る(笑)。当時は猫が多かったんでしょうね。

大きな節目は明治時代、それまでの和漢薬から洋薬の輸入へと転換を図りました。きっかけは薬とは違いますが、清酒の防腐剤だったそうです。というわけでその後の展示室では洋薬が紹介されています。

キナポンとは凄い名前 

昔は薬にポンつけるのが流行ったのでしょうか。ヒロ○ンとか???

ちなみにこれはキニーネが有効成分です。キニーネはマラリアの特効薬だそうですが、日本でそんなマラリアとか流行ったんでしょうか。何に使ったのでしょう?

結核の特効薬ニッパス。

グッズ好きにはたまらない天秤秤。当時最高の精度を誇りました。

すごい数です。格闘の跡が見えるなあ・・・。

看板は当時の大事な広告塔。たくさん展示されていました。

ほかにも、貿易許可の朱印状から薬種仲買仲間人数帳に生薬の辞典、はては岩崎小弥太(岩崎弥太郎の甥)の直筆芳名帳など歴史を感じさせる興味深い資料がずらり。こういうのを全部きちんと取ってあるのは、生き馬の目を抜く製薬業界で生き残ってきた製薬会社ならではの几帳面さです。

こうして眺めていると、薬の開発によって様々な病気が克服可能になったことを再認識。結核なんて、今は治って当たり前です。

さらに現在、未来の薬についての部屋があったのですが、こちらは一気にバーチャルでITな世界になってしまったのでパスしました

コンピューターはめんどくさいです・・・

田辺三菱製薬さんに限らず、こうした貴重な資料を無償で展示しているところに薬屋の心意気を感じます。中でも、施設の充実度は薬の資料館を除けば、田辺さんが一番かと思います。

事前予約がちと面倒ですが、いつかまた行ってみたいと思います

(その時は未来ルームも!)

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MOTO COFFEE【北浜】

2016-09-26 23:47:48 | グルメ

テラスと地下、2階が選べます。

 

現在、「船場を遊ぼう2016」というイベントが2か月に渡って開催中(9月14日~11月23日)で、しばらくまたこの辺りをぶらついてみようかと思っています。ついでに、中之島付近のcafeを計画中 本日は大阪証券取引所のはす向かいにある『MOTO COFFEE』です。

何度かそばを通ったことがあるのですが、ずっとテイクアウトとテラス席だけと思っていました。でも実は地下と2階にもスペースがあるんです。

右側入り口入ってすぐのカウンターでまず注文と支払いを済ませ、迷った末に2階を選択したら、「それでは」と案内されたのはお店の外。一旦外に出ましたら↑の写真の左側の鉄の扉を開けて中に入って行きます。

いい感じです

案内されたのはテーブル3つのこじんまりとしたスペース。ナチュラルウッドが心に優しい、窓の大きな眺めのいい部屋です。

メニューも木製。

珈琲、紅茶にハーブティーとそそられるメニューがたくさん。オーガニックで産地にこだわったものも多いです。悩んだ末(写真では切れてしまっていますが)一番下にある「玄米珈琲」をオーダーです。

ちなみに軽食はサンドイッチとトーストが中心で、クロックムッシュをチョイスしました

日本茶のような器でサーブ。

玄米の香ばしさと珈琲の焙煎風味がミックスされた不思議なお味。香りを優先するためかブラック&ポットでの提供ですが、カフェインレスなので、するすると飲めてしまいます。苦みはほとんどありません。

クロックムッシュはハムとチーズに濃厚なベシャメルソースとぜいたくな一品 美味しかったですが、アツアツなので食べる時には注意が必要です。

良い季節になってきました♪

 

ところで、珈琲が出るまでの間、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読んでいたのですが、おりしも家康が上杉征伐(そしてゆくゆくは三成征伐も)のために、大坂城を出て伏見城へ向かうために淀川を下るべく、天満から船に乗るという場面でした。天満はここから目と鼻の先。この川の流れが淀川へ、そして家康の時代へつながっているかと思うとまた見る目が違ってきますね。とはいえ、そんな人間の感傷をよそに川は今日も淡々と流れてゆきます。

コメント (3)
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さよなら、真田パパ

2016-09-25 21:02:42 | つぶやき

高野山。

 

NHK大河ドラマの『真田丸』。

大好きだった真田パパがついに逝ってしまいました

豪胆な作戦の数々、おちゃめな笑顔が見られなくなると思うととても寂しいです。

その魂はきっと信繁が引き継いでくれることでしょう。

その最期の時までしっかり見届けたいと思います。

 

(最近「ぶらっと」から脱線しまくりですみません。明日から戻ります(笑))

 

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