ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

歌丸師匠の思い出

2018-07-13 20:49:39 | アート

以前、落語にまったく興味がない友人に歌丸師匠を知っているか尋ねたら、

「うん、『死にキャラ』の人でしょ」

と即答され、やっぱ笑点すげぇ と心底感心したことがあります。

落語好きと通ぶったところで、実はナマで聴く機会などそうそうあるわけではないのですが、歌丸師匠の落語は一度だけ聴きに行った事があります。演目は円朝の『怪談 真景累ヶ淵』。師匠のライフワークと言える傑作です。

まだ玉置宏館長だったころの横浜にぎわい座で、その時はトータル7時間の長尺を一週間かけてすべて語るというもの。死ぬまで続く師匠の挑戦が始まったばかりでした。

さすがに一週間通い続ける元気はなかったので1日だけ、1話だったかと記憶します。10年くらい前でしょうか。

有名な話ですし、歌丸師匠のDVDも出ているようですので、詳しい話は省きますが、人間の情念や因縁が複雑に絡み合ってまあ、壮大な話です。「登場人物を覚えるだけでも大変」とご本人もおっしゃってました。話の緻密さとスケールの大きさが魅力だったのでしょうか。10年前でまだまだお元気とはいえ、すでにかなりのお歳での挑戦、生半可な覚悟ではなかったと思います。

そういう話ですから、笑いの要素はほとんどありません。けれども楷書の芸とでもいいましょうか、口跡やリズムの良さといった確かな技術を土台にして丁寧な人物描写と状況説明を淡々と語り重ねていくことで、観客の脳裏には情景がはっきり浮かび、筋を追うのも面白く、約1時間、まったく飽きませんでした。まさに名人芸です。

一箇所だけ、大爆笑のくすぐりがありました。

『円楽の飼い葉』。

先代円楽がご存命だったんですね 仲良いんだなあ、と思いながら笑っていました。

「いつか全話を」と思いつつも、残念ながら、その後は聴く機会がないまま歌丸師匠は鬼籍に入られました。よく言われることですが、落語はどんなに磨かれたすばらしい芸も、持ち主が退場する時に全部持っていってしまう。切ないですね。

ご冥福をお祈りいたします。

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祇園祭2018 ほこたて

2018-07-11 22:13:21 | 京都

日常の隣で祭りが始まる。。。

 

ずいぶんと間が空いてしまったのに訪れてくださった皆様ありがとうございます

誠にご無沙汰しております。

あまりに間が空いてしまって復活のタイミングがわからず、ネタを拾っても書きあぐねておりました。

が、今年もやってきました祇園祭。

書くなら今でしょ! と、えいやっと投稿です。

本日のお目当ては鉾立て。しかも私の中の大スター長刀鉾にロックオン

お昼頃着いたらけっこうな人だかりで、どう見ても仕上げの最終段階です。

上の画面左奥に見えるのは、いつもは天高く高嶺の花の長刀さま 未だ布に包まれているもののお姿を間近で見る絶好のチャンス。とは言え立ち上がる姿は「引き」でみたい! 悩んだ末、今年は(笑)その場でじっと我慢を選択です。

背中のロゴが誇らしげですね。

鉾の底に当たる部分に手押し車の引手のような木組みがついていて、それに綱を渡し、てこの原理で立ち上げるようですが。。。

反対側の綱の先にさらに鉄のワイヤーをつけ、それをジャッキで巻きあげるようです。ベースは木材や綱なのですが、要所では無理せず現代の道具を使っているみたいです。しかしこの長さ。相当重いんでしょうね。

写真は車がいないところを狙って撮っているのですが、交通規制をしている訳ではないので、実際は作業中も横をばんばん車やバスが通って行きます。一度、いよいよか! というところで無情にも目の前にバスが2台止まり焦りました^^;

(ただ、実際に立てる時に視界がさえぎられなかったことを考えると、「いよいよ」の時には規制をかけているようです。)

が、綱をセッティングしたり、お清めをしたりと色々手順があり、動いたのは見始めてから約40分後。

合図とともにジャッキを動かし始めると、鉾本体から綱と木が軋む音が聞こえてきます。文明の利器を使ったとしてもこの大スターを動かすのは並大抵のことではないのです。そして……。

上がった!

先端がしなっているのがお分かりになりますでしょうか。バランスを取りながら少しずつ、ほんとに少しずつ立ち上がっていきます。

ぬおおおお。

がんばる。

行けーっ。

そして……。

拍手喝采!!

直前に竹を並べ、その上にそっと着地したのが印象的でした。

毎年のこととは言え、改めて人間の力って凄いですね! 病という災厄を避けるための祈りを形にし、作り続けることでそれを芸術にしてしまった。人間の持つ真実、善良さ、美を表現するひとつの完成形ではないでしょうか。しかも昔の人はこれを機器に頼らず人力で成し遂げたんですから(現代人より技術は数段上だったと思われます)ほんとに敬服します。

今日は、この長刀鉾を筆頭に、日が暮れるまでに、他の鉾たちも次々と立ち上げられていきました。

京都のアツイ夏の始まりです。わくわくしますね!^^

そしてまた遠い存在になってしまった長刀さま

コメント (2)
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